5/3/2019/FRI
長者ヶ崎海岸、神奈川県三浦郡葉山町
10連休の半分を実家で過ごし、小学三年生の甥と入学したばかりの姪と遊んだ。
今日はクルマを借りて海岸へ。ピーカンではなかったので潮風が快い。
江ノ島の先にうっすらと富士山も見えた。
写真は甥と姪が作った砂の城。『小さな恋のメロディ』を思い出した。
さくいん:葉山、『小さな恋のメロディ』
5/5/2019/SUN
借り読(かりとく)
買ってはきても読まずに放置しておく本を「積読」(つんどく)という。
お金と場所の余裕がない私は滅多に本は買わない。だから積読もしない。その代わりに「借り読」(かりとく)をする。
読みたい本はまずカーリルで行きつけの図書館にないか検索する。借りてみて読んでみて、手元に置いておきたくなったら買う。買うのも古書店を一回りしてから。
今週の借り読は三冊。どれも難しい本だったので目次やあとがきを眺めたり、気になる章だけ拾い読みした。きちんと読みたくなったらまた借りればいい。
- 最後の「日本人」―朝河貫一の生涯、阿部善雄、岩波現代文庫、2004
- 西田哲学を開く――〈永遠の今〉をめぐって、小林敏明、岩波現代文庫、2013
- 故郷はなぜ兵士を殺したか、一ノ瀬俊也、角川選書、2010
読書が好きといっても私の場合、 写真集や豪華な図鑑を眺めるのが好きなので、そうそう気に入った本は買えない。図書館にあれば、読みたくなったらいつでも読める。
例外はもちろんある。広告や書評を見てすぐ買うこともないわけではない。
最近買ったのは島薗進『ともに悲嘆を生きる グリーフケアの歴史と文化』。広告で知ってすぐに読みたくなったし、実際、買って読んでよかった。これから何度も読み返すだろう。
5/9/2019/FRI
Happyな日
今日、イチローになった。
5/10/2019/FRI
OJTトレーナー
今週はとても疲れた。
3月末、それまで3人でこなしていた業務を私一人で引き継いだ。4月は最低限の業務だけは何とかこなした。
ようやく新しい派遣社員が入った。ところが上司がずっと出張していたために、業務の引き継ぎはもちろん、会社に慣れてもらうため、あれこれ雑談を持ちかけたりしたので気疲れもした。
上司の上司にあたる部長はまったくの無視。彼こそ早く慣れて気持ちよく仕事をしてもらうために声かけをしなければならないのに。
人望のない人。
さくいん:労働
5/11/2019/SAT
旧交を温める
昨夜、2002年から当時働いていた会社が倒産した2006年まで一緒に仕事をした人たちと会った。集まったのは6人。
あの頃は、仕事がうまくいってもいかなくても楽しかった。実際、うまくいかない時の方が多く、終いには会社は潰れた。それでも楽しく過ごせていたのは、気の合う仲間と仕事をしていたから。
かつて関わった風変わりな顧客やそんな彼らとの間で起きた「事件」についてなつかしく語り合い、大いに笑い大いに呑んだ。
とても機嫌がよかったので、うつ病なんて詐病だろうと言われた。今週は気が張って疲れていたので親しい人と会えたので、確かに気分はよかった。
あの頃はまだ病気ではなかった。病気になる前に一緒に過ごしていた人たちと再会すると何でもなかった頃の自分を取り戻せたような気になる。
皆オトナになったので、23時には散会した。
5/12/2019/SUN
語るべきとわかっていても
このところ語るべきか、秘密にしておくべきか、ずっと行きつ戻りつしている。
ホロコーストについては他人事のように「語り継ぐべき」と思いながら、いざ自分のことになると、寝た子は起こさずに秘密にしておいた方がいいのではないかと尻込みしてしまう。
やはり語り継がなければならない、とは思っている。
でも、どう語ればよいのかわからない。
何より語り出す勇気がもてない。
さくいん:秘密
5/17/2019/FRI
日帰り出張
久しぶりに出張に出た。出張と言っても日帰り。毎週泊まりの出張をしていた時もあった。
行き先はつくば。道路が広く、電線もないので、20年前、よく出張していた北カリフォルニアの風景を思い出した。
今日はたくさん電車を乗り継いだので、とても疲れた。
5/22/2019/WED
悪循環よりも怖いもの
今日もミスの多い一日だった。気をつけていても数字を間違えたり、記入欄を間違えたりする。
ぼんやりしている→注意力が足りない→ミスする→落ち込む→注意力が落ちる→ミスする→さらに落ち込む→⋯⋯。内巻きの螺旋階段を転がり落ちていく。
問題はこの悪循環ではない。ドロドロでも血が巡っているうちはまだいい。怖いのは血の流れが止まる事。血栓や動脈硬化。
悪循環すらしなくなり意識が停滞するときが怖い。何もかもどうでもよくなってしまう。
さくいん:うつ
5/23/2019/THU
『夜明け前』と北村透谷
寝る前に少しずつ読んでいる『夜明け前』。ついに青山半蔵が自分と同じ年齢になるところまで話が進んだ。
半蔵が末息子、和助は数寄屋橋側の小学校に通っているとある。これは北村透谷が通った泰明小学校。この学校は令和の時代にも残っている。
敬慕する先輩の母校をこっそり小説に織り込むところがいかにも情の厚い藤村だ。
追記。読了してから解説を読むと、藤村も上京して泰明小学校に通っていた。年齢が離れているので児童の頃には面識はなかった。半蔵が小学校を訪ねる場面を描きながら、おそらく藤村の心には子ども時代の透谷の姿もあっただろう。
5/24/2019/FRI
冴えない一日
今日は、いや、今日もダメな一日だった。
朝8時に出社して気分良くはじめたものの、何をやってもうまくいかない。これ以上会社にいても展望がないので、金曜日だし、早く切り上げて帰ることにした。
写真は帰り道に見かけた黄昏の陽光。BGMは、高橋ユキヒロ"SUNSET"。
こんな日は愉快に酒を呑んでさっさと寝るのがいい。
5/26/2019/SUN
夜明け前 第二部 下(1935)、島崎藤村、新潮文庫、2006
5/27/2019/MON
参考文献
『夜明け前』の感想を書くにあたり、参考にした本を列挙しておく。
- 写真と書簡による島崎藤村伝 (島崎藤村コレクション)、伊東一夫・青木正美、国書刊行会、1998
- 肉筆原稿で読む島崎藤村 (島崎藤村コレクション)、伊東一夫・青木正美、国書刊行会、1999
- 木曽路と島崎藤村、瀬沼茂樹、平凡社、1972年
- 島崎藤村論、三好行雄、筑摩書房、1984
1972年出版の本だけあって『木曽路と島崎藤村』は幕末とまでは言えないまでも観光地化されていない宿場町の写真をたくさん掲載している。
もっとも私は訪ねたことがないので今の馬籠や妻籠がどんな様子なのかは知らない。
さくいん:島崎藤村
5/28/2019/TUE
暴力を容認する人
仕返しができるなら教員の暴力も容認するという考え方もあるのか。
教員に刃向かうことはもちろん、イタズラをすることさえ全くありえない収容所のような学校に通っていた者にはとても理解できない。
とは言え、体罰と仕返しのバランスが取れた、のどかな学園生活を送った人がいることは想像できないわけでもない。
一通の呟きを読んで胸が苦しくなり、心臓がドキドキする。
つぶやきが悪いのではない。勝手に過剰反応する方が悪い。
月曜日だけど呑んでしまおう。
この胸騒ぎを鎮めるにはそうするしかない。
さくいん:体罰
5/29/2019/WED
一人で勝手に死ね、だと?
他人を巻き込んで自死する人を擁護するつもりはない。
でも「死にたいなら一人で死ね」とまで言うつもりはない。
誰も死にたいとは思わない社会を目指しているのではなかったか。
それとも、死にたいと思うような人は、誰にも止められず、一人で勝手に死んでゆく世界を望んでいるのか。
上はTwitterで下書きしたものの、結局そこでは呟かなかったこと。日が明けてみると似たようなことをもっと上手に書いている人がいた。拙い言葉を差し出さなくてよかった。
さくいん:自死
5/30/2019/THU
希死念慮について
希死念慮は寄せては返す波のよう。
突然、自分の背丈より高く勢いをつけて襲ってくることもあれば、思わず裸足になって遊びたくなるようなさざ波にに会うこともある。
高潮の来ない内海に住む人もいる。私は毎週台風が来る島のような所に暮らしている。
立ち向かうことはできない。やり過ごすしかない。
前にも書いた。希死念慮とは「もう死んでしまいそう」という強烈な不安や、「どうにでもなれ」という自暴自棄や「自分には生きている資格がない」という過剰な自罰意識の表れであり、「死にたい」という意志ではない。
希死念慮は知らないうちに消えてしまう、と諭す人がいる。正しいと思う。でも、慢性の希死念慮というものもあると思う。
「あの世」があり、そこに「あの人」がいるのなら、いつ行ってもいい。
そんな気持ちがずっと心の片隅にある。
「この世」で暮らすことが嫌なわけではない。「あの世」があることも、そこで再会することも、何の保証もないことも知っている。
ただ、死の向こう側に希望を捨てられない。
さくいん:自死
5/31/2019/FRI
早退け
昨日のこと。
くたびれたので15時半に退社してきた。今月は早出の貯金がたくさんあるので何の問題もない。
帰り道、むかし住んでいた団地を通り抜けた。
客先から早めに直帰して、陽が暮れるまでキャッチボールをしたことをふと思い出した。
「早退け」という言葉はユーミンの「ランチタイムが終わる頃」から。
さくいん:松任谷由実