最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

深大寺小学校の土塀

7/9/2017/SUN

夏目漱石と西田幾多郎――共鳴する明治の精神、小林敏明、岩波新書、2017


日経新聞の広告で岩波新書の新刊に小林敏明『夏目漱石と西田幾多郎』を見つけた。これは図書館で借りて済ますわけにはいかない、買って読まねば。漱石と西田。彼らの近似と相違には前から興味があったから。

二人は幕末生まれで同時代の人。漱石が3年先に生まれている。

漱石が早逝し西田が長命だったから、二人が同時代の人であることは気づきにくい。

面白いテーマを見つけたと喜んでいたら、小林敏明が西田の生地にある西田幾多郎哲学館ですでに講演していた。


小林敏明『漱石と西田』。二人は岩波から出した『こころ』と『善の研究』がベストセラーとなり、一気に有名になった、という話を岩波新書で読む。

現代ならば、間違いなく『図書』で対談が企画されていたはず。岩波茂雄は人気作家の全集や気鋭の哲学者の第一作は出版しても、二人をつないでさらに販売拡大を企図するほど、マーケティングという考え方、すなわち出版は商売という意識を持っていなかった。今もすべての岩波文庫に添えられている「読書子に寄せる--岩波文庫発刊に際して--」を読めばよくわかる。

あるいは、もし企画があっても、新人扱いされる西田が、帝大選科生時代のルサンチマンもあって断っていたのではないか。西田が漱石について書き残した言葉を読むとその可能性は大いにある。

もう一つ、考えられること。ドイツで日本の近代文学も教えている哲学者が着眼した「共鳴する明治の精神」は同時代では気づかれなかったのではないか。漱石は文学、西田は哲学。二人に共通点を見出すことができたのは、人文科学の研究が学際的になってきたからとも言える。

事実、小林敏明の専攻は哲学であり、本書も哲学の視点から漱石を解読している。また、加賀乙彦は医学の見地から『行人』を読み解いていた。漱石については、さまざまな分野の専門家が独自の視点で読む本がすでに多数ある


余談。いまは作家も研究者も忙し過ぎる。対談のほかにも、雑誌コラムや書評の連載、テレビ出演、トークショーなど、売れている人はマネージャーが必要なほど、さまざまな仕事をこなしている。

知識人という言葉は古いとしても、作家や研究者が本業に専念できなければ、かえって彼らの知的影響力が低下する皮肉な結果に落ち込むだろう


閑話休題。

数々の接点がありながら、なぜ二人はすれ違い続けたのか。

その答えは上に書いたように、同時代においては文学と哲学が同じ問題意識を持っているという認識が持てなかったからではないか。当時、帝国大学教授は今の国立大学教授に比べればはるかに数は少なかったから教員のあいだに親睦のような関係はあったかもしれない。

その一方で、まだ西洋の学問を輸入し咀嚼することで精いっぱいだった時代にはそれぞれの専門分野に沈潜しなければならなかったのではないか。

だから、漱石のもとに物理学者の寺田寅彦が通うことはあっても、二人が学問を披露しあい、文学と物理学に共通する問題を見出し、共同で思索するということはなかった。

専門分野に沈潜すること、日本の学問世界の状態は戦後に丸山眞男が「タコツボ」と批判したほど長くつづいた。今でこそ、作家と学者が対談したり、学者が趣味をコラムのような文章にして発表することは珍しくない。正確な時期はわからないが、それほど昔ではないと思う。

多様な関係や多様な活動は、学問世界を広げる一方で、作家や学者を多忙にし、タレント化させる負の一面もあることは余談で指摘した通り。


著者が挙げている二人の共通点をまとめてみる。

幕末生まれ、青年期に受けた西洋文化の衝撃、近代的自我獲得のための格闘、漱石は現代戦争の無意味を看破した第一次世界大戦、西田は弟を亡くした日露戦争の体験。候文や漢語体とは異なる「言文一致」の新しい言葉新しい文体の開発⋯⋯⋯⋯。

一言で言えば、漱石と西田は、近代日本において思索と表現の開拓者だった。

ほかにも、有無を含んだ「無」の概念、死別体験の受け止め方、漱石の内省的性格と作品の関係、漱石の晩年の作品と西田の哲学は「告白」という見立てなど、興味深い論点がたくさん書かれている。

もちろん、新書なので深堀りはされてはいない。新書は「啓蒙」する本だから、その先は自分で学んでいくほかない。


一点、著者の思考に微妙な変化を見つけた。

『西田幾多郎の憂鬱』では、西田は「父性」に対する憧憬があったから、西田の思索の対象が個人の意識から歴史へ移る際、歴史という観念上の父として国家を据えた、という言及が批判を込めて書かれていた。西田は全体主義に知らず知らずのうちに近づいてしまった、と。

本書ではそれがない。晩年、西田が政府に協力したのは、まだ個人の自由を保障する国家に期待していたからで、それが叶わないとわかったとき、もう政府の内部に取り込まれている以上、反旗を立てるわけにもいかず、消極的な肯定の態度をとるしかなかったと同情を込めて書いている。

三木や戸坂の獄死を見ればわかるように、右翼や特高による暴力が圧倒的に現実味を持っていた時代である。一介の学者が無防備の状態で常にテロの脅威にさらされている状態ものを考える必要がある。
(第5章 戦争時代のメンタリティ 世界新秩序の原理)

「国家に父を見た」という批判がなくなった代わりに、西田自身が「父性」を帯びた師になったという指摘がされている。漱石についても然り。多くの門下生に親しく接して、次の世代の哲学者と文学者を育てた。二人は、自分が持つことができなかったメンターとしての父の役割を門下生に対して果たしたと著者は見る。

「国家に父を見た」という批判よりも、彼らが「父性」を帯びたという指摘の方に私は賛同する。

父の愛情を受けなかったから即父性が不足するということにはならない。むしろ、自分が受けられなかったものを自己の内に育成し、率先して他者へ与えることもある。

いわゆる毒親に育てられた人が自ら努力して愛情あふれる家庭を築くことは大いにありうる。漱石と西田の二人も、内面的な問題を抱えてときに噛み合わないときがあったとしても、家庭に愛情を注ごうという意思を強く持ってたことは随筆や書簡からよくわかる。


「文豪」「博士」など、漱石と西田は完成された表現者として賞揚されることが多い。ところが、著者は、二人に共通するものを「格闘」「発展途上」とみる。幕末にの動乱期に生まれ、青年期に西洋文化の衝撃を受け、日本語で思索し、言文一致体で表現することを手探りで始め、日本において近代的自我を得るために「格闘」した「発展途上の表現者」ということ。

生命あるかぎり、思索と表現において悪戦苦闘したという見方は新鮮だった。もっとも、優れた人ほど努力を止めない、ということは他の分野についても言える。

努力するしないにかかわらず、人は「完成」することはなく、常に「発展途上」にあるということも普遍的な真理と言っていいだろう。


著者は、二人と日本の現代人の違いとして漢籍の素養をあげている。西田については和装を加えたい。イギリスに留学もした英文学者の夏目漱石には洋服を着た写真が多い。その一方、西田が和服を好み、講義も袴姿でしていたことは三木清が畏敬を込めて書き残している。


西田を真似て着物に挑戦したこともある。どうにも居心地が悪く、浴衣さえTシャツと短パンに慣れた身には暑くて止めてしまった。

著者が最終章で指摘しているように現代人も漱石と西田の文章を「日本語」として読むことはできる。それは、しかし、内容を理解できることを意味しないし、ましてや、彼らと同じ精神を共有することまでは意味しない。

明治人の文章を読む時にはむしろ「異文化」と意識して読みはじめるほうがいいだろう。


「哲学」は学ぶことができる。だが、森有正が繰り返し言うように「思想」を学ぶことはできない。文豪の小説や哲学書は、手助けにはなっても、「思想」、すなわち「生き方」そのものは、みずから「格闘」して見出していかなければならない。

西田節「なければならない」が出たところで、感想文を終える。


さくいん:夏目漱石西田幾多郎森有正