君の膵臓をたべたい
I love you in a place where there's no space or time
I love you you for my life, 'cause you're a friend of mine
And when my life is over, remember when we were together
We were alone and I was singin' a song for you
-- A Song for You, Leon Russel / The Carpenters

風変わりなタイトルは前から知っていた。それが気になっていて映画通の知人に訊いてみたところ、いい作品とすすめられたので連休の間に見てみた。

タイトルを知っていたのに観ていなかったのは、何かの受賞作品ベストセラーを敬遠する私の天邪鬼な性格のせい。

いい作品だった。フィクションの死別は好きではないのに、なぜか、嫌な雰囲気は残らなかった。ファンタジーのような雰囲気で、設定も展開も人物の造形も現実味がまったくないから、かえって物語として嫌味がないのかもしれない。

設定が現実離れしている一方で、春樹が現実を受け入れるまでにひと月かかるところや、『共病文庫』を読み終えて、桜良の母親の前で、こらえきれずに号泣するところなど、悲嘆に関わる場面は非常に自然で誇張もなく、丁寧に描かれていた。脚本家も監督も、悲嘆という情動をよくわかっていると思った。

春樹が12年経っても悲嘆を克服できていないことにも共感した。安易に劇中で乗り越えてしまう話が多いから。実は原作もそう。物語を終わらせるために、作者は焦ってしまうのかもしれない。後述するように、この作品では悲嘆は克服されず、物語のあとにも継続する。

作品を受け入れられたのは、悲嘆の描写が真に迫っていたせいかもしれない。


それから、浜辺美波が演じる桜良にも魅了された。あんな風に明朗快活、意地悪く言えば「ぶりっ子」な少女を私は知っている。彼女はいつも私のそばにいて輝くように笑っていた。それなのに、私の愚かで身勝手な感情がその笑顔を遠ざけた。そんなこともスクリーンの中で桜良を追いかけながら思い出していた。

ほかの作品で浜辺美波を観た。まったく違う人物を演じていた。『泣くな! はらちゃん』で好きになった麻生久美子を別のドラマで見たときもまるで別人を演じていて驚いた。どんな人物にもなりきれてしまう俳優という職業はつくづく恐ろしい。

男を見る目が"ないの"
教えるの"上手いし"
散ってなんか"いないの"

ときどき語尾が早口になるのはきっと桜良の癖で、浜辺美波のものではないだろう。

「役者は千の仮面を持つ」。それは『ガラスの仮面』に教わった。

私は役柄を好きになるタイプで、役者を好きになるタイプではないかもしれない。

内向的でシャイな男の子を演じる北村匠海もよかった。下に書いた記憶に残る彼の台詞はお気に入りの場面でもある。

ふだん、テレビドラマを見ないので、浜辺美波も北村匠海も、この作品で初めて知った。


この物語が闘病と死別の物語であることは説明不要だろう。

同時に、この作品は、初恋の物語でもある。好いた惚れたの恋愛ではない。互いを尊敬し合う誠実な人と人との関係。表面的な性格は正反対でも、春樹にとっても、桜良にとっても、初めて心が通じ合う相手を見つけた恋だった。

女の子と付き合ったことのないうぶな男の子が天真爛漫な女の子に振り回されることは、思春期にはよくある。ベタベタするのにどんな気持ちなのかはっきりしない。一体どういうつもりなのか、わからない。からかわれているような気分にもなる。

私にも思い当たる経験がある。だから、桜良に引きずられる春樹に不自然さは感じない。もっとも、私の場合、相手は私のことを何とも思っていなかったことが後でわかった。

死と真剣に向き合い、春樹への想いを自覚している桜良は、春樹より成長が早い。だから春樹が病院に忍び込んだ夜、彼の勇気に心を動かされて抱きついた。けれど春樹の手はまだぎこちなくて、桜良を抱きとめることはできなかった。

なぜ好かれているのかわからず、自分の気持ちにも自信がない春樹の成長は桜良より遅い。それがあとで彼の後悔につながる。でも人の心の変化に速度の差があることは仕方がない。

春樹の成長は悲嘆に妨害されて、さらに遅れる。12年の時間と最期の手紙を受け取るまで彼は悲嘆のなかで苦しんできた。退職届を破いたことと恭子と友だちになることは彼の成長を示してはいる。それだけで、悲嘆が解消されるとは思えない。

「最期の手紙」を手にして、これから先、悲嘆と向き合う「喪の作業」はまだ続く。先は長い。心の仕事は、一生、続くかもしれない

この物語では、終わりのなかに始まりがある。その余韻もよかった。


記憶に残る台詞。桜良の言葉

私たちは皆、自分で選んでここに来たの。
君と私が同じクラスだったのも、あの日、病院にいたのも、偶然じゃない。
運命なんかでもない。
君がしてきた選択と、私がしてきた選択が私たちを会わせたの。
私たちは自分の意思で出会ったんだよ

この台詞は"La La Land"の結末にも通じる。自分自身で選択をしなければ、たとえ成功はしても、満足は得られない。自分で選択したことであれば、結果は期待どおりでなくても、いつか納得できるときが来る。思い出せば、あの五月のそよ風のような笑顔を選ばなかったのは、紛れもなく私の意思による選択だった。

人生は選択の連続。自分で選んだ道が正しいと信じて生きるしかない。でも、一つだけ、選んではいけない選択がある。それは自ら死を選ぶこと。この選択だけは正しくない。やり直しができないから。

誰も進んで死を選んでいるわけではないことはよく知っている。自死はかまいたちのような通り魔に遭うことと同じ。うつが心の風邪なら、自死は心の交通事故。そう呼んでもいいのではないか。

作品と直接は関係ないので、これについてはこれ以上書かない。


桜良を失ったことは春樹の選択ではない。人生の分岐点は自分の意思で選べるものばかりではない。死別体験については特にそう言えるだろう。思春期の死別体験はなおさらに重く当人の生育に暗い影を落とす。だから「喪の作業」が必要になる。

こうして感想を書いてみると、この作品を、「初恋」と「悲嘆」の物語として私は観ていたことがわかる。二つの主題はよく描かれていたと思う。

いい作品ではあったけれど、私には重かった。突然の最期の場面では動悸が止まらない。本来なら回避する内容だった。それに気づくまでに何度も繰り返し観てしまった。

『パラサイト 半地下の家族』と同じ。

この子はもうすぐ死ぬ。でも、彼女は何も知らない。

そう思うとかわいそうで画面を直視できなくなる。


もう一つ、記憶に残る台詞。春樹の言葉。

これでも、これでも僕は君を心配してるんだよ

この一言が言えた春樹を称えたい。私が言えなかった言葉だから。この一言を言えた時、彼は自分の想いにも気づいたはず。だから突然のハグにも、まだ強く抱き止めることはできなかったけど、優しい言葉で応じることができた。

映画では独白のない春樹の変化は原作に比べて見えにくい。この一言が大きなターニング・ポイントになっている。


図書館について。図書館は春樹が閉じこもる殻の役割を果たしている。本に囲まれることで彼は他人との関わりを避け、「自分の領域」を守っている。

春樹は本を通じてしか、世界を見ない。それなしでは真に生きることができない、という意味では、図書館と本は春樹にとっての偶像ということができる。

もう一つ、偶像がある。桜良の死後に受けとり、ときどき本棚の奥から取り出して読む『共病文庫』も、春樹にとって偶像だった。桜良を失ってから、春樹は『共病文庫』を通してしか桜良を思い出すことができない。それを広げるときしか、彼女を思い出さない。『共病文庫』は彼女を失った心の傷を癒す唯一のよりどころだった。

物語の終わりで、春樹は桜良の真意を理解する。そのとき、桜良は『共病文庫』のなかの偶像ではなく、春樹の一部になる。そして図書館は解体される。偶像は破壊される。春樹は外の世界と関わりはじめる。

偶像は独りよがりの感傷を生み出す。今や偶像はなくなり、「感傷」ではない、確かな「記憶」として桜良は春樹のなかで生きはじめる。もう『共病文庫』を読み返さなくても、桜良を思い出すことができる。いや、もう無理に思い出すこともない。桜良は春樹のなかで生きはじめたのだから

桜良を自分の一部にして生きる、ということは容易いことではなく、新たな痛みの始まりでもある。それは、秘密を抱えて生きることだから。これについては後述する。


ところで、名前を呼ぶ、という行為も、この作品を理解する重要な鍵の一つ。名前を呼ぶことは、相手をかけがえのない、唯一の存在として認めること。春樹は桜良の名前を一度も呼ぶことがなかった。「なぜ名前を呼んでくれないのか」。それが真夜中の「真実と挑戦」ゲームで桜良が知りたいことだった。

桜良は自分の推測を「最期の手紙」の中で披露している。

いずれ失うってわかってる私を、友だちや恋人、
君のなかの特別な誰かにしたくないんだって

この推論はある意味、桜良の恨みごとでもある。自分は特別な存在になれないから名前を呼ばれないのか。彼女はそう訴えている。実際、「最期の手紙」で、春樹を「ひどいよ」と責めている。桜良は春樹に名前を呼んでもらいたかった。

名前を呼ばれることは存在を認められること。「生きるていること」を証明すること。

桜良は「いけないこと」をしようとした時の「絶対に恋人にしない」という春樹の言葉を真に受けていたのかもしれない。つまり、自分の春樹への思いは片想いと半ば諦めていたのではないか。答えを聞くのが怖いから、「ストレート」に訊くことができずに、ゲームの運に委ねた。見方を変えれば、それほど春樹の思いは殻の中に入っていて見えにくい。原作では、はっきりと「私を嫌いだから名前を呼ばないのかもしれない」と不安を吐露している。

この推論は正しいのか。春樹の答えは映画にも原作にもない。なぜ、春樹は桜良の名前を呼ばなかったのか。

私の推論。春樹が桜良の名前を呼べなかった理由は二つある。

桜良に出会う前の春樹は自分の殻に閉じこもり、他人との関わりをもてない人間だった。だから人を特別な存在にすることができず、それぞれの名前で呼ぶことができなかった。自分以外はすべて「君」と呼ぶしかない他人だった。

桜良に魅かれて彼は少しずつ変わっていく。やがて彼は桜良に自覚はないまま好意を寄せるようになる。そのターニング・ポイントになったのが、真夜中の病院だった。

その時、名前が呼べない理由が変わる。一言で言えば照れくさいから。恋をすると相手の名前を呼べなくなる。

名前さえ呼べなくて
とらわれた心
みつめていたよ
ーー初恋、村下孝蔵

この歌詞は、初恋を経験した人ならきっと誰もが感じるもどかしさを言い当てている。

好きになったから、好きになったことに自分で気づいてしまったから、「君」としか呼べなくなったのではないだろうか。

桜良が想像したような「特別な存在にしたくなかったから」ではない。その逆。「特別な存在」になってしまったから名前が呼べなくなった。

「特別な存在にしたくなかったから」名前を呼ばない、では桜良があまりにかわいそう。

無関心と恋心。まったく正反対の理由で、春樹は桜良の名前を呼べなかった。以上が私の推論。


『カードキャプターさくら』では、木之本桜は李小龍に「さくら」と呼んでほしいと頼み、自分も小龍を「シャオラン君」と呼ぶことにした。これをきっかけに、二人の距離はぐっと近づいた。

もし、「真実と挑戦」ゲームで桜良が勝っていたら、そして、もし、桜良にもう少し勇気があれば、質問と同時に「名前を呼んでほしい」という挑戦を突きつけられたのではないか。

そして、もし、二人が北海道に桜を観に行くことができていたなら、春樹は桜良の名前を呼ぶきっかけを得たかもしれない。きっと、そういうきっかけができたと思う。

桜良の願いは叶わなかった。春樹から最後の質問の答えも聞けずに、そして名前を呼ばれることもなく逝った桜良は、とても気の毒に思う。でも、真夜中の病院では、名前を呼び合う以上に心を通わせる温かい抱擁があった。桜良は、自分が生きることを望んでくれる人がいるだけで、それだけでも十分に幸せだったと『共病文庫』に書いている。

春樹は桜良を一度も名前で呼ばなかったことを後悔するだろう。しないとおかしい。

きっと春樹はこれから先、桜良と過ごした時間を大切な思い出にして、彼女の名前を呼ぶだろう。それも「喪の作業」の一つ。死者は名前を呼ばれることで生き続けるのだから

だからこそ、死者の名を唱えることは、死者を亡霊化しない唯一の道なのである。もしも亡霊が名で呼び出されるならば、それは亡霊でも死者でもなく生者であることになるからだ。亡霊を追い払って忘れるには、死者の名を唱えさえすればよい。
小泉義之『弔いの哲学』、Ⅴ 忘却論

原作とアニメ版では春樹は最後に「桜良」と呼んでいる。

名前を呼び続けることは、しかし、重い痛みを伴うだろう。それは、秘密を抱えて生きることだから


『君の膵臓をたべたい』秘密をめぐる物語でもある。

春樹は偶然から桜良の秘密を知った。桜良を失くした今、今度は春樹が秘密を抱える方になる。「高校時代に命を賭けた大恋愛をした」という秘密。

その秘密を受け止めてくれる人は現れるだろうか。

秘密を持っている人に寄り添う人には二つのタイプがある。一つは心の底から秘密を理解する人。もう一つは、まるっきり秘密に無頓着な人。中途半端な態度や表面的な同情が一番よくない。お互い不幸になる。

前者の例は『カードキャプターさくら』での、雪兎に対する桃矢。後者の例は『破戒』お志保

春樹は最初はまったくの無関心だった。それが、桜良にはうれしかった。心を通わせあうなかで、春樹は桜良の秘密を理解して、秘密を抱える彼女に寄り添うようになる。

無関心から理解へ、春樹の秘密への態度は変化する。でもその思いを伝えたとき、桜良はもうこの世界にいなかった。

この先、春樹はどう生きていくのだろう。秘密を受け止めてくれる人に出会えるだろうか。秘密の重さ、悲嘆の深さに苦しまないだろうか。

なぜか、作品が終わってからあとのことがとても気になる。


思っていた以上に物語に引き込まれた。お涙頂戴の闘病物語でもなく、結末が透けて見える単調なラブ・ストーリーでもなかった。これからも、ときどき見返したくなる、味わい深い作品だった。

それでも、物語に飲み込まれることはなく、結局は自分の幼い頃の死別体験と比べながら見ていた。

あっけない若い生命の終わり。そういう出来事に遭遇したことがある。危うげな空気の中でも何とか繕いながら続いていた、ありふれた、かけがえのない日常突然終わった

だから物語の急展開にも驚きはなかった。そういう理不尽な出来事が人生にあると、私は知っているから。もちろん、それを受け入れられるかは別の問題。

柄にもなく涙をぬぐいながら続けて2回見てしまった。それから、なぜかわからないまま、何度も見返した。

何度か見直していたら、桜良が亡くなった事実が、ボディブローのように重くのしかかってきた。どれほど無念だっただろう、天寿を全うできなかったことは

退院した日、桜良は図書館に寄ってから、待ち合わせに行くつもりだった。図書館へ行った目的は、台詞にあるように借りていた本を返すことではなかった。遺書を書くためだった。何回か見直してようやく気づいた。やはり私には映画リテラシーが欠けている。受付に博多にも持っていった赤いリュックサックを置き、白いワンピース姿で書いている。気づくまでに時間がかかった。

図書館に立ち寄っていなければ、彼女は事件に巻き込まれず、春樹に会えていた。この世界には、そういう不条理が確かにある。

でも、図書館で書いた「最期の手紙」が恭子と春樹にとって一生の宝物になった。人生には不思議な巡り合わせがある。「最期の手紙」のおかげで春樹と恭子は桜良の死という事実をようやく受け入れることができた。

もし、「最期の手紙」がなかったら、恭子も春樹も、この先、ずっと救いのない深い悲嘆の底を生きていかなければならなかっただろう。実際、二人は桜良を失くしてからの12年間、深い心の傷を負い、暗い悲嘆のなかを彷徨ってきた。

どうして家まで迎えに行かなかったのだろう

春樹は何度も何度も自分を責めたに違いない。


映画について書きながら、私は徐々に現実へと引き戻されていく。自分が抱えている悲嘆について考えずにはいられない。

あの出来事も、不条理な悲劇だった。

一度だけ読んでからしまったままの、父から受け取った「最期の手紙」を読み返してみた。

最期の日のページは真白だった。まだ書くつもりだったのだろう。生きるつもりだったのだろう。桜良のように、いずれにしても先は短かったのかもしれない。でも、最後は突然、訪れた。あの人は、「さよなら」も言わずに、私の前から風が吹くように立ち去った

あの人も、自分自身と戦い、死の恐怖とも戦っていた。気まぐれなところもあったけど、元気なときには桜良に負けないくらいに明るいところもあった。弟思いの優しい人だった。憧れの人だった

あなたのようになりたい

意識して交流をした1年半のあいだ、私はずっとそう思っていた。つい最近、それに気づかされた

春樹のように、私は甘かった。馬鹿だった。まだまだ生きていてくれると思い込んでいた。別れはいつ来てもおかしくないのに。かけがえのない平凡な毎日を大切にすることを忘れていた。

春樹の言葉に心を動かされたのは、私が言えなかった言葉だったから。

生きていてほしい

ちゃんとそう伝えるべきだった。

できることなら、40年前に戻ってこの言葉を伝えたい

悔しかっただろう。悲しかっただろう。もっと生きたかったはずなのに。

いや、ここでは自分の気持ちを書かなければならない。

悔しかった。悲しかった。もっと生きていてほしかったのに。

私の分まで、生きて

桜良のように、あの人は私に託しているだろうか。未だに私にはわからない。「早く私のところへ来て」。そう呼んでいるように思うときもある

私はまだ外の世界と関わりを持てずに、偶像にすがりついて生きている。こっそり一人で『共病文庫』を開いては涙していた12年後の、「最期の手紙」を受け取る前の春樹と同じ。

あの人にとって私はどんな存在だったのだろう。あの人にとって「生きる」とは、どういうことだったのだろう。答えの得られないことばかり問い続けている

問題は、私が「どう」生きていくか、ということであり、「なぜ」亡くなったのか、ではないのに。わかってはいても、私はまだ「なぜ」にこだわっている。

目の前には白いページがあるだけ。そもそも私はこの日記を読む資格を本人からもらったわけではない。読む資格があるのか、という疑問もまだある。

『共病文庫』をしめくくる手紙を受け取った春樹がうらやましい。


映画を終わり、エンドロールを見ていたら、Mr.Childrenの主題歌が流れたあと、桑田佳祐「風の詩を聴かせて」が聴こえてきた。桜良も「ほら、天国で会おうよ」と言っていた。


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