大型連休の後半から毎日、時には一日に二回、映画『君の膵臓をたべたい』を観てきた。
取り憑かれたように映画を観て、外を散歩するときには、サントラ盤と主題歌、Mr. Children, "himawari"を聴きながら歩いた。ダウンロードした本編の声と音楽を聴きながら歩いたこともある。
風呂に入るときには、サントラ盤からお気に入りの場面の曲を選んでプレイリストを作り、湯船で聴いた。
いつも聴くのは次の曲。これはそのまま好きな場面でもある。
- 3 君の膵臓をたべたい - Prologue
- 9 桜良の想い
- 15 大切な人たちの中で
- 17 運命じゃない
- 20 約束
- 22 生きるという事
- 23 願い
- 26 共病文庫
- 30 君の膵臓をたべたい - Epilogue
明けても暮れても『キミスイ』。それくらい、今月はずっと『キミスイ』に浸かっていた。
観るたびに、泣いた。作品に泣いたというよりも、いろいろなことを思い出して泣いた。観れば辛い気持ちになるのに繰り返し観た。なぜか、わからない。最近、気持ちが不安定なせいもあるだろう。
50歳を過ぎて、一本の映画にこんなに心を揺さぶられることになろうとは、思ってもみなかった。それだけ私はまだ過去に囚われている。その気づきはショックだった。もう40年も経っているのに。
どうしてあんなことになってしまったのだろう
いつもの、答えがないとわかっている問いを繰り返しながら映画を観た。その問いを繰り返すたびに泣いた。
何度観たからといって、答えがわかるわけではないのに。何かを探して観つづけた。
私の手元にある、もう一つの『共病文庫』も開いてみた。これも病魔と戦う日々の想いを書きつづっている。読み返そうとしてみたけれど、怖くて読めなかった。
先週末は横浜の実家で過ごした。向こうにいる間にも2回観て、往復の電車でも声と音楽を聴いた。
観るたびに泣いた。3週間毎日同じ映画を観て泣く。音楽を聴くだけでも目頭が熱くなり、DVDの付録の『共病文庫』を読んでも涙が出る。
気持ちがすっかり悲嘆モードになっている。頭はぼんやりして、身体は硬くなっている。
何をする気にもなれない。在宅勤務でずっと一人なのでいるので気分はずっと内向き。
実家では、テレビの隣に置いてある小さな写真にときどき目をやりながら映画を観た。
この映画を実家で観たらきっとそうなるだろうと思っていた。思っていた通りだった。
本当はここで、今日はもう観なかった、聴かなかった、と書くつもりだった。
そう書きたかった。
でも、結局、今日も観てしまった。聴いてしまった。そして、泣いてしまった。
これから先、いつまでこの作品に囚われていくのだろう。
無理に自分を縛ることはしない。そんなことをすれば、余計にしがみつくだけ。
見飽きてしまうまで観ることにする。そう思って好きな場面を選んでもう一度見た。
『キミスイ』を観ない日はまだ当分、先になりそう。
さくいん:『君の膵臓をたべたい』、悲嘆