鳥取県浦富海岸

10年以上前、テレビアニメ『未来少年コナン』について長い感想を書いた。この文章は『庭』のなかで人気が高く、アクセス数は常に上位にある。

この一連の感想ではテレビシリーズの物語を追いながら並行してモンスリーとダイスの心の変化と人間としての成長を観察した。

先日『トラウマ後成長と回復』を読んでいて、『未来少年コナン』をモンスリーを主人公にして、とりわけ第19話以降を見直すと『モンスリーのトラウマ後成長と回復』の物語として見ることもできるのではないか、と思いついた。


『トラウマ後成長と回復』では、成長と回復を 次の6段階に分けている。これに合わせて『コナン』の中のモンスリーを観察してみる。

  1. 1. 棚卸し
  2. 2. 希望を育む
  3. 3. 物語を書き直す
  4. 4. 変化を特定する
  5. 5. 変化を尊重する
  6. 6. 変化を行動で示す

モンスリーが抱えている心的外傷は津波に由来する。十代の初め、彼女は地殻の大変動によって起きた大津波によって家族も愛犬も失い、辛うじて生き残った。

推察するに彼女はその後、自分でも気づかないうちに悲しみを心の奥底に封じ込み、現実世界で順応して生きてきた。努力の結果、彼女はインダストリアを支配する政治局で独裁を企むレプカに次ぐ次長の地位にいる。

津波はモンスリーにとって回避したい出来事だったにちがいない。だから、コナンが津波の襲来を告げたとき、モンスリーは棒立ちになり、動くことすらできなくなった。

大津波はサルベージ船を丘の上まで押し上げ、ダイスに助けられ船内にいたモンスリーは「負けたわ」とつぶやく。ここまでが第19話


「負けた」ことを認めたことはとても大切。なぜなら負けてすべてを失ったときは、心に多くの隙間があると同時にそこに新しい考えが入り込むチャンスでもあるから。

言葉を換えると、この考え方は「最も弱いときに最も強い」という逆説的な箴言の一つの解釈となる。弱いから、負けたから、すべてを失ったから、あとはもう成長するしかない、新しいものを受け入れてくほかない。

ただし、この考えは言葉ではわかっても体験的に理解することは難しい。文章で書いている私自身も自分にはそう簡単には当てはまらないと思っている。

モンスリーは、他のインダストリア兵が麦刈りに協力しはじめているのに、一人で部屋に閉じこもっている。このとき、津波をきっかけにして彼女は子ども時代からこれまでの半生を思い返していたのかもしれない。そう仮定すれば、これは「記憶の棚卸し」とみなすことができる。

ハイハーバーで彼女は久しぶりに本物の紅茶を飲み、愛犬を失ってからはじめて犬を見た。ずっと封印していた愛犬の名前を口にしたとき、すでに「記憶の棚卸し」ははじまっていたのかもしれない。


無理矢理に戦闘服を脱がされ村の服装に着替えさせられたモンスリーはそれでも麦刈りを手伝わない。その代わり「インダストリアへ戻る」というコナンの決意を聞く。ここにモンスリーにとって希望と成長の種がある。

インダストリアへ戻らなければならない。モンスリーもきっとそう思っている。戻って何をすべきかはまだわからない。ただ戻らなければ二度目の津波を体験した、つまり閉じていた心的外傷が開いてしまった今、自分は新しく生きることはできない。彼女はそう感じていたのではないか。このまま島に留まっていても何も始まらない。

彼女は自分の半生を「書き直し」はじめている。太陽エネルギー復活のため政治局次長の地位でレプカに従う生き方ではなく、かつては慣れ親しんでいた花や緑があり、愛犬がそばにいる暮らしを模索しはじめている。

インダストリアに戻ったところでそれが可能になるのか、今は何の保証もない。それでも彼女はコナンの決意に賭けてみようと思っていたのではないか。

ここまでが第20話


第21話 地下の住民たち。この一話は重い。

30分のストーリーのあいだに、モンスリーは変化を特定し、変化を尊重し、そして変化を行動で示した。私は前回、「変化を受け入れた」と書いた。

太陽エネルギーを復活させるという野心は間違っている。その間違いを糾し、暴挙を止めるためにラオ博士はレプカに抵抗し続けている。

局長、武器を捨てましょう

この台詞は紛れもなく彼女が変化を受け入れ、そして行動で示したことを物語る。

それから、コナンたちは大戦闘を繰り広げ、レプカを倒した。そして一行はハイハーバーへ凱旋する。


最終話 大団円

モンスリーは驚いたことに花嫁姿で登場する。彼女の成長と回復は、ひとまずここで完結する。

重要なことは、彼女は優秀な政治局次長に戻ったのでもなければ、兵士としてさらに強くなったわけではないということ。彼女はまったく新しい人生を歩みはじめている。もっともそれは幼い頃に夢見ていて、戦闘服を着ていたときには忘れきっていたものかもしれない。

「成長と回復」の方向を考えることはとても重要なことに思える。

怪我や指導者との別離を体験したスポーツ選手が復帰して再び勝利する。それは「逆境の克服」であり「心的外傷からの回復」とは呼べないのではないか。PTGはそういうものとは違う。私にはそう思われてならない。

長時間労働で心身を壊してしまった人がしばらくの静養のあと、前よりも長い労働時間に耐えられるようになる。それは「回帰」であり「回復」とは呼べない。長時間労働とは違う労働観を持ち、新しい生き方をしなければ「成長」とも呼べないだろう。


心的外傷からの回復は外傷を受ける前に戻るだけでは十分ではない。成長もまた、外傷を受ける前の状態と比べて強くなるだけでは足りない。「記憶の棚卸し」と「書き換え」とを経た「回復と成長」は新しい価値観と新しい人生観を備えなければならない。

とりわけ被害者性だけでなく加害者性を内包する、いわゆる「複雑性心的外傷」の場合、この事がよく当てはまると思う。


モンスリーに話を戻す。

戦闘、フラッシュバック、そして変化を通じて彼女は新しい人生を歩みはじめた。

それでも、一つだけずっと変わらないものがある。それは彼女の口癖、「ばかねっ」。

この「ばかねっ」は「回復と成長」の前から後まで一貫している。そこには、何があっても変わらない彼女の個性がある、とは言えないだろうか。

モンスリーはこの口癖をさまざまな場面で、怒りから優しさ、恥じらいまで、いろいろな感情を込めて発する。声優、吉田理保子の演技は素晴らしい。

アニメ作品なので個性は誇張して描かれている。現実世界でも、誰もが何があっても変わらない個性を持っている。

心的外傷を受けた人は、苦しみながら「回復と成長」を遂げる。そのとき、個性は痛手を負う前よりも「その人らしく」輝きを増すに違いない


さくいん:『未来少年コナン』