第20話 再びインダストリアへ


第二部、ハイハーバー編の最終回。毎回、次回が待てない終わり方が続く。

今回初めて気づいたコナンの台詞。帰る船を失ったインダストリアの兵士さえも受け入れることを決めたハイハーバーの村長たちに向かって、コナンは口ごもりながらも、「ぼくとジムシーは……」と繰り返す。

このあとに続く言葉は何だろう。「ここの人間ではないから」、「いつかはのこされ島に帰るから」、それとも、「ここにいても居場所がないから」、「どうせよそ者だから」。

この一言を考えるだけでも、物語には違った見方ができる。何度も見ているのに、今まで気がつかなかった。


コナンはいつ日か「のこされ島」に帰ることを心に決めている。ラナにも打ち明けた。ラナも従うと決めている。ジムシーも危険でしかないインダストリアへの旅に、「いきやぁいいんだろ」とぼやきながらも従う

主人公はいい気なものだな、と思う。ラナの故郷はハイハーバー。ジムシーはプラスチック島。コナンはもちろん魅力的な人物。だからラナやジムシーがコナンとずっと旅をしたいという気持ちを持つのもわかる。ではコナンは、ラナやジムシーの気持ちは推し量らないのだろうか。


「誰でも自分の人生の主人公」。そういう言葉をよく聞く。間違いではない。ただし、誰でもが「主役」になれるとは限らない。大人物に関わってしまうと、生活から人生全体までも、その人に振り回されてしまう。例えば、スティーブ・ジョブズのようなワンマン経営者。野口英世のような天才的でありながら常識を逸脱した才人。森有正も、そういう人物の一人に数えられる

コナンも、そういう人物の一人。彼の人生に本気で関わろうとしたら、自分は脇役に徹しなければならない。


モンスリーは前回のしおらしい姿とは打って変わり、動揺している。ダイスは他人事のように「インダストリアで降りてから、ヘンな真似はするなよ」と毒づくけれども、自分は「コナン、許せ」と家に火を点けたことはまるで忘れている。こういうダイスは、見ていて腹が立つ

モンスリーがなぜ転向したのか、何回見てもはっきりしない。前回の少女時代の回想だけでは、十分とはいえない。しかし転向とは、そんな風に論理的に片付けられるものではなく、他人からも自分からも、あとからしか説明がつかないものなのかもしれない。行くも地獄、帰るも地獄。そういう状態で決心をかためるものはいったい何だろう。この主人公に賭けようという脇役の決意か。

モンスリーは味方になったのか、まだ敵なのか。物語の上でもまだ謎のままのほうが緊迫感が増す。