第24話 ギガント


フライング・マシーンもろともに爆発したはずのレプカは、辛くも生き残り、最後の戦いを挑む。

一度は劣勢に立たされたにもかかわらず、かつて人類を滅亡させた最終兵器、ギガントを手中にしたレプカは、いまや、太陽塔を占拠している地下住民たちを相変わらず「くずども」と呼ぶ。

見ている子どもも「くずども、大丈夫かな」と言っている。「ごみ」は知っていても、「くず」という言葉はあまり使われていないからか、蔑称と思ってない様子。

額の烙印が抵抗者の証であるように、「くずとも」という名前も彼らには誇り高いものかもしれない。


こういうことはよくある。第三身分、プロレタリアートは、虐げられる人々の名前だったけれど、いつのまにか支配する側、あげくには独裁する階級の名前になった。反対に、「御前」や「貴様」のように元は尊称だった言葉が相手を蔑む呼び方になることもある。

言葉は、単語それ自体に意味があったり、効果があったりするわけではない。使われる場面によってはじめて意味や効果がきまる。


端的な例は、モンスリーの「ばかねっ!」。ダイスとの関係が親密になる度、むしろ「ばかネッ!」が増えてくる。確か物語の最初で、モンスリーがダイスにかけた言葉は、「ダイス、元気そうね」だった。文字ではわからないけれども、この台詞は底意地の悪い響きだった。

モンスリー役の吉田理保子は、演技のお手本のように、さまざまな気持ちをこめた「ばかねっ!」を聞かせる。今回の場合は「ダイスの場違いな言葉にあきれながらも、自分の役目に気づかせてくれたことに頼もしさとやさしさを感じて、思わず口をついて出てしまった」という「ばかねっ!」。

最終回には、どんな「ばかねっ!」が聞けるか、楽しみ。


今回、コナンは嘘をつく。ギガントに一度下ろして、ラナを安心させておいてから、引き返すモンスリーと一緒に帰す。博士を救出するために、ハイハーバーからインダストリアへ戻った時には、情に負けて連れていった。今度は、言葉も巧みに別れることを納得させた。

これまでも何度か書いたこと。コナンは、ただの野生児でもなければ、ただの子どもでもない。自然に育てられ、旅と戦いを通じて、学び、鍛えられた少年。孤独に生まれ、一人で育ったあとで、社会を知り、仲間と生きる。

どこかで、そんな人間のことを聞いたことがないか。

エミール!? そういえば、この理想的な自然児も狩りを職業にしていた。