最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

野球場の外野フェンス

8/23/2015/SUN

「草の花」の成立 福永武彦の履歴、『成立』耕平、翰林書房、2015

草の花 (1954)、福永武彦、新潮社、1972(岡鹿之助、題字・装丁)
草の花、福永武彦、新潮文庫、1980(43刷)

草の花、1972版

福永武彦の小説『草の花』についての新しい研究書を見つけた。たぶん、新聞広告で。どこで見つけたか、メモを忘れている。最近は健忘症かと思うほど物忘れがひどい。

『草の花』という小説は、私にとって忘れがたい作品。何度も読み返している。文庫版と函入のハードカバーと二冊も持っているので、この作品は愛読書と言ってもいい。

初めて読んだのは中学三年生夏だろうか。『庭』を始めた2002年以降のいつか、古書店でハードカバーを見つけて購入した。この本には文庫版には収録されていない著者による解題「『草の花』遠望ーーあとがきに代えて」が収録されている。

解題の中で福永は、この小説は私小説ではないものの、実体験に基づいた作品であることを明かしている。そして、新しい研究書は、小説のなかの登場人物、それぞれに実在の人物を当てはめている。思っていた以上に実体験の部分が多いことを知り、驚いた。

その一方で、『成立』は『草の花』の独創性も指摘する。とくに藤木千枝子の造形には、藤木のモデルとなった人物の妹だけではなく、最初の妻、山下澄の影響を重視する。澄は作家の池澤夏樹の実母。

澄は、福永にとって、初めての「現実的な」(リアルな)恋愛関係だった。藤木千枝子は偶像のように描かれていても、その下地には生身の女性の姿があった。

しかし、結婚という現実的な関係も終わった。『成立』の解釈。

   そして、すべての愛の喪失が『草の花』のみならず、その後の福永作品を規定することになる。

福永作品をすべてを読んだわけではない。少なくとも『草の花』について、この指摘に異論はない。

ただし、『草の花』を悲壮感だけが漂う作品と見るのは行き過ぎのように思う。


『草の花』の扉には新約聖書、ペテロの手紙にある一節(第1章、第24節)が掲げられている。

人はみな草のごとく、その
光栄はみな草の花の如し

まず指摘しておきたいことは、この言葉は、『草の花』という作品全体に対して掲げられた題辞であり、主人公である汐見思茂の思いを表しているわけではないということ。

あえて名指しするとすれば、この言葉を選んだのは、汐見の思いを一編の小説にした「私」であり、すなわち、それは作者、福永武彦その人を指す。

この小説は、汐見の手帳を藤木千枝子の手紙と「私」の回想が包み、さらに「草の花の如し」というエピグラフが包み、書名『草の花』が包んでいる。『成立』は、作品の構成から「私」は汐見の手帳を二冊読み終えてから全体の執筆に取り掛かったと解釈する。

(前略)つまり、「冬」を書いている「私」はこの小説全体を構成出来る人間でなくてはならないし、当然残された二冊のノートを既に読んでいなくてはならない。
(第3章 「冬」「春」の成立、書き手「私」の誕生ーー作家福永武彦の誕生)

この解釈には同意する。エピグラフは、作品全体に対して掲げられている、という私の理解と相違はない。


福永武彦は、なぜ汐見茂思の手記だけではなく、それを包み込む章立てをして、エピグラフを添えたのか。

福永の生母は伝道者だった。母の没後、一時キリスト教との関わりはなくなるが、青年期には本書が示すように、何かしらの関心を持ち続けていた。そして、亡くなる直前には、友人の誰にも知らせないまま、病床洗礼を受けている。

小久保実は「(前略)福永武彦とキリスト教との関係は、突飛でも異様でもない」と書いている(『新潮日本文学アルバム 福永武彦』、新潮社、1994)。


『草の花』のもとになった大学時代の恋愛はいずれも失恋に終わった。しかし、『草の花』という作品はそこで終わらない。「私」と作者とが、遠くから若い日の汐見を見ている。そのように読むならば、エピグラフは「私」と作者から汐見へのメッセージと解釈できる。

汐見は、藤木も千枝子も自分を愛してくれなかった、と嘆く。しかし、彼もまた、藤木と千枝子を人間として愛してはいなかった。いわば「美のイデア」として崇敬してはいても、肉体をもち欠点もある人間としてみることはできなかった。

藤木も千枝子も「草のような」人間でしかない。そして汐見も、「草のような」存在でしかない。それに気づくことができたら、人間と人間との関係が始まっていたかもしれない。その可能性がまったくなかったわけではない。千枝子との林の中での抱擁は、絶好の機会だった。しかし、この瞬間は彼を動揺させ、汐見はそこへ飛び込んでいくことができなかった。

戦争を生き延び、もし、結核からも生還できていたら、「私」は、汐見に助言しただろう。

君も彼らも<草のような>存在でしかない。しかし、そこにこそ、人間としての信頼と愛情の関係が生まれる

そして、福永が、再婚して、作家と成功しても、『成立』が言うように、「すべての愛の喪失」が「その後の福永作品を規定する」というのであれば、もう一言、付け加えるかもしれない。

心配はいらない。君が心の奥底で秘密のように大切にしている「孤独」は誰かと人間的な関係を結んでも消えやしない。むしろ、より深く、より辛い孤独が待っている

「私」とは作者、福永武彦のこと。しかも、『草の花』を書き上げた福永は、戦中の彼ではない。病と貧困のなかでもがきながら、ようやく創作することに進むべき道を見出した若き作家。彼は、汐見の生き方をすべて否定することはないとしても、それをもう理想とすることも、自己の似姿とみることもない。

エピグラフは、今を生きている「私」から、過去に生きていた汐見への伝言ではないだろうか。

『成立』は、結論づける。

そこ(「草の花」)にはもだえ苦しみながら鮮血を流して死んだ一人の男の骸が眠っている。その棺こそ「草の花」なのである。

『草の花』が終わりを象徴する「棺」とは、私は思わない。むしろ、この作品は、『成立』も認めるように、作家福永武彦の出発点。そうとらえるならば、『草の花』は、作品が醸し出すペシミステッィクな雰囲気とは裏腹に、病と困窮、さらに予期していなかった妻子との離別という苦難から生還し、いよいよ立ち上がった作家の門出を祝う「剛毅」な凱旋門とみなすこともできる。

そういう仕事は、いじけているだけでは出来ない。「剛毅」とは、「私」がサナトリウムで汐見に抱いた印象。

画家の作品に例えれば、私は今、松本竣介「立てる像」を思い浮かべている。戦中の思想的な苦難と生活の困窮のなかで、なお立ち上がり、未来を見据える姿。

私の解釈は、思い込みが強すぎるかもしれない。


なぜ、私は、いつまでも『草の花』に惹かれているのか。

それは、汐見茂思のに対するガラス細工のように繊細で純粋な思いへの共感だろう。「プラトニック」と一言で片付けられても構わない。名称は問題ではない。一途で、身勝手で、自己中心的で、一方通行で、自己破滅的な愛。そういう愛を持たずに大人になる人もいるのだろうか。

この作品を読み返すときは、いつも「私はその百日紅に木に憑かれていた」ではじまる冒頭の「冬」と、藤木千枝子が「私」に宛てた手紙がある「春」を読み返す。汐見茂思の手帳は、十代の頃にもう何度も読み返した。

汐見は藤木忍にも、藤木千枝子にも、人間を見なかった。彼は、純粋な美そのものを透視していた。もとより、それは人間的なものではない。千枝子は、人間的な愛であれば、刹那的な欲情によるものであったとしても、受け入れても構わないとさえ思った。しかし、汐見は、肉体的な愛も内包する人間的な愛に落ち込むことを拒んだ。

それは、相手のなかに自分の理想だけを見る、という意味での「偶像崇拝」と、思う。千枝子の手紙は、そういう愛情の対象になった身の恐怖を語っている。

あの方が、わたくしを見ながらなお理想の形の下にわたくしをみていらしゃると考えることは、わたくしにはたまらない苦痛でした。(「春」)

結局のところ、それは自己愛の投影でしかない。


私も、そんな風に自分を鏡に映しただけの偶像崇拝、簡単にいえば片想いをしたことがある。幼かったという意味で、「初恋」と言ってもいいだろう。

相手を人間として見ず、可愛らしい人形のように思っていた。だから、遠くから見ているだけで十分に満足だった。テレビに映るアイドルと変わりなかった。

ところが、偶然、距離が近くなる出来事があり、私はとまどった。声をかけることも、名前を呼ぶこともできなかった

相手を一人の人間として見つめることができ、話しかけられる心の準備ができたとき、すでにその人との距離は遠く離れていた。


『草の花』を読み返し、いつまでも汐見茂思に共感しつづけているのは、一方通行の偶像崇拝から自己崩壊へと落ち込んでいった一途な心情に「自分の体験を重ね合わせる、危うい憧憬をもっているからだろう。

本を読んできて、どのようなジャンルであっても、内容はどんなに悲惨なものでも、作者には完成させたという創作者の喜びがあると思うようになった。駄文ばかりを書いている私でさえ、「書き上げた」という昂揚感をもつことはある。

自分自身を遠くから眺める「私」には、まだ出会えていない。つまり、私はまだ、自分が書いている手帳に閉じこもっている。


写真は、フェンス越しにみる芝生のグランド。