贅沢で、愉快で、幸福な三日間だった。
息子が大学を卒業する。娘は今年修士2年目でこれから就活や論文で忙しくなる。この先、4人揃って旅行するのは難しくなるかもしれない。そう思って、家族旅行を計画した。
私が大学を卒業するときにも家族で旅行した。行先は松崎温泉と土肥温泉だった。家族で秘宝館を見たのがいい思い出。今回の行先は同じ伊豆半島の下田。
子どもが大学に入るまではよく家族で旅行していた。御殿場にある義父の会社の保養所はプールとシアタールームを目当てに何度も行った。自治体が企画した、鳥取での農村体験にも行った。伊勢志摩には結婚10周年と20周年で旅行した。北海道では旭岳山系の黒岳に登り、札幌に住む高校時代の同級生に会った。海外では、ロサンゼルスでNBAの試合を観戦した。私たち夫婦の思い出の場所であるブリュッセルにも子どもが小学生の頃に連れて行っている。
往路は東京駅から特急踊り子のグリーン車。車両はE257系。感染防止のために席を向かい合わせにできなかった。その分、二人ずつでおしゃべりを楽しんだ。
前半は娘の、後半は息子の隣に座り、ふだんはしないような話ができた。
駅弁はそれぞれ違うものを選んだ。私の選択は「東京幕内」。老舗の具材が少しずつ入っている豪華な弁当。
グリーン車も満席ではあったものの、熱海を過ぎると少しずつ客は減り、下田では、一つの車両に私たちだけになった。伊豆半島の観光地はまんべんなく人気があるらしい。
泊まった旅館は蓮台寺温泉の清流荘。25年前に一度予約したものの、妻の懐妊がわかり、キャンセルした旅館。「おめでたいことなのでキャンセル料は頂きません」と言ってくれた。その恩返しに25年かかってしまった。
玄関の前には大きな石灯籠。ギネスブックにも出たことがあるという。
温泉街という風情の場所ではない。むしろ、田舎街の風景のなかにポツンと一軒、旅館が立っているような感じ。
駐車場は高級車でいっぱい。宿のランクがうかがいしれる。ほとんどの客はクルマで来ている様子。
25年前に来ていていたら浮いていたかもしれない。今回も、かなり思い切って奮発した。
滅多にない、もしかすると最後になるかもしれない四人旅。贅沢したい。
上の3枚の写真は公式サイトの客室ページから借用。
部屋は露天風呂付き。窓の外は旅館の裏庭。静かな、落ち着いた部屋で、ゆったりと寛ぐことができた。
滞在中はウグイスの鳴き声がよく聞こえた。
旅の楽しみの一つにテレビがある。その地方でしか放映していない情報番組やなつかしい番組の思いがけない再放送、地域限定のCMも楽しい。今回は、天気予報で静岡県に奥大井や北遠、富士山麓などの地域名があることを知った。静岡県は東西には言うまでもなく、南北にも広いことが天気予報だけでもよくわかった。スポーツ情報でも、県出身の選手に注目してレポートしていて面白かった。
東京では、全国区のニュースばかり流れ、こういう地域に根ざした情報は得ることが意外と難しい。
温泉は源泉掛け流し。無色無臭。
温泉はたいてい女性客の方が多い。男湯が混雑することはほとんどない。今回も、ほかの客は一人二人しかいないあいだにゆっくり温泉を味わうことができた。
写真は公式サイトの温泉ページから借用。
この宿の売りはプールとサウナ。温泉の水を満たしたプールは水温が30℃。当日、20℃を越える陽気だったおかげもあり、プールで遊ぶこともできた。
サウナはロッジのなかのフィンランド式とモザイク・タイルの内装のローマ式の二種類。
最近、サウナがブームらしい。それを目当てに来館する客も少なくないという。どちらも水着で入れるので、4人で我慢比べをした。他の客もおらず、プールもサウナも独占できた。
プールがあるので、小さい子どもを連れた家族も見かけた。温泉旅館に来ると、初めて娘を連れて出かけた石和温泉の宿を思い出した。離乳食以外で初めて湯豆腐を食べさせた。
ひととき、30年にわたる家族の歴史に思いを馳せた。
暖かい石のソファに座り、Kenny G, "Going Home"を聴きながら目を閉じている時間は極上のリゾート気分だった。
二度の夕食と二度の朝食。食事は申し分なかった。一日目は伊勢海老の刺身と和牛の陶板焼き。二日目の朝食は伊勢海老で出汁を取った味噌汁。二日目の夕食にはサザエと金目鯛の煮付け、鮑の踊り蒸し。どれも美味しかった。
一日目の夕食では静岡の純米酒。二日目はカリフォルニアのシャルドネを呑んだ。とくに日本酒が好評でふだんは酒を口にしない妻も美味しそうに呑んでいた。
二日目の夕食時、給仕してくれた勤続19年という古株の中居さんが、この部屋でカーター大統領が昼食をとったことや大野智がドラマの撮影をしたことを教えてくれた。大統領よりもアイドルの秘話に一同興奮し、豪華な料理を前に「推し」話が盛り上がった。
もともと、観光をする気もなく、何も特別なことはしないと決めていた旅。朝食のあとは広大な旅館を一回りしてみた。河津桜は満開を過ぎて、緑の葉が見えはじめていた。
昼食は外で食べようということになり、着替えて外へ出た。ガイドブックに出ていたレストランは休業中。ほかに飲食店らしい場所もない。街道沿いにコンビニがあったけど、そこで買っては旅情がない。そこで野菜の直売所で弁当を買い、部屋に戻って食べた。朝食と夕食が量も質も最高だったので、昼食は軽食で十分だった。
三日目。チェックアウトしてから玄関先で中居さんと記念撮影。石灯籠の前で家族写真を撮ってもらった。それから宿の車で下田駅まで送ってもらった。
名所を歩き回ったり、遊覧船に乗るほど観光にやる気のない4人は、駅のそばにあるロープウェイに乗ることにした。この選択は正しかった。
前夜、明け方まで降っていた激しい雨が上がり、頂上からの眺望は素晴らしかった。手元には湾内を進む遊覧船。彼方には伊豆七島。都民になのに初めて見る景色だった。
海を眺めていてふと思った。ここへ四隻、蒸気船が来ただけで、そんなに大騒ぎになるものだろうか。歴史を理解する想像力が足りない。スイスイと進む遊覧船や停泊している巡視船を見ているだけでは、300年も鎖国していた幕末の人たちが黒船を前にした驚きはなかなか想像できない。
山頂では桜に加えて、モモやミモザがきれいだった。
驚いたのは、東急グループの創始者、五島慶太を顕彰する大きな石碑。
五島慶太は伊豆とともに生きている
半島を縦断する伊豆急行は東急グループ。山から見下ろした街には東急グループのホテルやスーパーがある。今も伊豆経済を東急グループが支えていることがわかった。
ロープウェイで山を降りてから街を少し歩いた。中居さんに勧めらた和菓子屋、ロロ黒船で土産を買い、駅に戻った。
復路は待望のサフィール踊り子。グリーン個室。素晴らしい列車の旅になった。
窓は広く、海がよく見えた。テーブルは広く、弁当を広げて宴会ができた。何よりマスクを外していられるのがうれしい。ご機嫌で、伊豆のクラフトビールを3本も呑んでしまった。
往路はマスクも外せず、山側で車窓も楽しめなかった。旅の最後にとびきり豪華なおまけがついた。
ほかの個室を覗いてみると、どこもワイワイ楽しそうにしていた。
今回の結論。グループ旅行は絶対、個室がいい。
三日目の朝、6時前に目が覚めた。家族は皆まだ眠っている。静かに部屋付きの露天風呂に入った。風呂のそばに菜の花が咲いている。
幸せな三日間を過ごした。
子どもたちは優しい人に育ってくれた。妻は今も美しい。
家族で過ごす時間は楽しい。それを優先するために苦心してきた。結果として会社員の世界からは落ちこぼれてしまった。でも家族と過ごす時間を最優先にしてきたことに後悔はない。不慮の事故で家族を失くした私だからこそわかる、家族のありがたみというものがある。
家族が健康で、仲がいい。家庭に恵まれること。これほど幸せなことはない。
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