隔週で実家に帰る。平日時間を持て余している母をどこかへ連れ出す。自分も行きたいので出かける先は美術館が多い。ところが、新型コロナウィルスの感染予防のため公立の美術館はどこも閉館。
あれこれ考えた末に、百貨店の美術館なら開いていることを思いつき、そごう美術館の「ロベール・ドアノー展」に来た。
思っていた以上に心に残る展覧会だった。
ドアノーが精力的に仕事をしていた1950から60年代のパリといえば森有正が暮らし始め、一連のエッセイを書いていた時代。ドアノーは森も敬愛していたジャコメッティの肖像写真も撮っている。
温もりのなかにも何かしっかりした堅牢さを感じさせる作品を見ていて、森有正の硬質な文体を思い出した。
気に入った作品は「パレ・ロワイヤルの椅子」。公園に椅子を並べて小さな子どもたちが座っている。パリを舞台にした絵本『げんきなマドレーヌ』を思い出した。
パリにはもう一度行ってみたい。
付記。このあと、そごう美術館も閉館になった。
さくいん:パリ、森有正
在宅勤務
明日から在宅勤務という指示が出た。とりあえず2週間。
身体が楽なのはわかっている。ヒマなところをほかの人に見られないで済むから精神的にもプラスだろう。
それでも何だか気が重い。
前職で毎晩家で残業していたことを思い出しそうだから。
まあ、始まってみないと本当のところはわからない。とりあえず寝起きのペースは変えないようにする。
在宅勤務2日目
在宅勤務は隔日で設定されているので、今日は出社日だった。朝、髪も洗い朝食も食べ、出勤する準備が整ったところで、考え直して結局、在宅勤務にしてもらった。
理由はくしゃみと鼻水。原因は花粉症だけど、会社でくしゃみを繰り返したり、鼻をかんだりすると周囲の人が嫌がりそうなので行かないことにした。
会社の了承も得た。
今日は自室で仕事をしている。小さいながらも机があってよかった。そうでなければ食卓かベッドに座るか、しかない。
この机は、前職を離れてから買った。つまり、前職にいるあいだは今書いたように食卓かベッドしか家の中で仕事をする場所はなかった。
今の家に住む前、2009年の暮れまで2LDKのアパートに住んでいたときはどうしていたのだろう。あの頃はまだ6畳の部屋に4人で川の字になって寝ていた。ということは家族が寝静まってから食卓でパソコンを広げていたのだろう。
思い出せば、自分の部屋がなかったから、本を読んだり文章を書いたりすることは食卓でするよりなかった。2009年までの文章はそういう環境で書いていた。すっかり忘れていた。
だから、出張先で集中して読書したり、文章を書いたりしていたのだろう。
大学生の春休み
コロナ騒動はどこへやら、愚息は先週はニューヨークの友人宅へ、昨日からドーハ経由でロンドン入り、その後、バルセロナで留学中の友人に会うらしい。
いざとなれば連絡手段はあるので飛行機の便名も聞いてない。
一方、理系の娘はサラリーマンのように同じ時刻に実験室へ通っている。
同じ大学生でも、春休みの過ごし方は人によってずいぶん違う。理系のことはあまり知らなかったのでちょっと驚いている。
学生時代の春休みを思い出してみる。
1年生のとき、3月に3週間は北米東海岸を旅行した。すでに修学旅行で観た大原美術館で美術館の魅力に惹かれていたけれど、この旅行で美術への興味は爆発した。
不思議なことはこのとき近代絵画は食い入るように観た一方で、古代エジプトやローマの美術にはあまり興味を持たなかったこと。今もその傾向は変わらない。
この旅では、ワシントンDCのナショナル・ギャラリーで観たルノワール「踊り子」が忘れられない。原寸のポスターを買ってしばらく部屋の壁に貼っていた。
大学2年生の春休みは、学費値上げに反対する学生のストライキがあったために後期試験がなくなった。1月から家でゴロゴロしていた。2月の前半は友人から集めた資料でレポートを書きまくった記憶がある。
3月には大学生協で「上海⇨香港⇨北京」の周遊券を買って中国へ行った。上海に滞在中、汽車で南京に行き、虐殺記念館を見た。事前に肯定派と否定派、双方の本を読んで行った。行ってみて思ったことは、やはり無法の虐殺はあっただろうということ。その後、追加で本を読んだり、ドキュメンタリー番組を見たりしても、この結論は変わらない。
3年生の春休みに何をしていたか、記憶がない。フェリーで北海道へ行ったのはこの時か。とすれば、1週間近くスキー三昧だった。この頃はスキーが大流行していた。
卒業直前の4年生の春休みは石垣島と沖縄本島へ行った。ハワイへ行ってみるつもりが湾岸戦争が勃発したので国内旅行に切り替えた。
とりあえず、どこへ行ったか、書き出してみた。それぞれの旅については、思い出しながら書いてみる。
写真は息子が撮ってきたメトロポリタン美術館。世界史で受験した息子。美術にも興味を持ったか。
4月10日追記。息子が旅した街をそのまま感染爆発が辿っている。運がよかったというか、疫病神と呼ぶべきか。
さくいん:アメリカ、中国
性格なのか、病気のせいなのか
今日、ある人からすこしキツい口調のメールが来たので、上長に「こういうメールに対する耐性が低いので応答できない」と正直に伝えた。
自分が正しいと思っていても「逆ギレされるのではないか」と心配になり、ましてや自分が間違っていたら激しく責められるのではないか、と不安になる。これが私の欠点でもあり、病気の症状でもある。
上長から返事は来なかった。返事はいらない。とにかく、こちらが心配性で不安がり屋であることを伝えておきたかった。
こんな調子で正社員などとてもできない。最近はあきらめ気味。
それにしても、強く出られると引いてしまうのは性格だろうか、病気のせいだろうか。
こういうことが起きるたびに考えるけれど、いっこうにわからない。
収入減
在宅勤務が続いているので週末には出かけようと思っていたところが、どういうわけか外出する気にはなれず。
昨夜、日本酒を呑み過ぎたか。呑んだのは純米酒750ml、一本。
家で過ごすどころか、一日中布団のなかで寝ていた。曇り空にごろ寝。こんな日はろくなことを考えない。
障害者の非正規雇用になってから、年収は前職の1/3になった。
暮らしていけないわけではないけど、自尊心はかなり傷ついた。
お金より時間と健康。
何度も自分に言い聞かせている。
実際、気楽な暮らしを送っている。
でも、収入が減った悔しさは容易には消えない。
結局のところ、私は「お金がすべて」と考える「金の亡者」、「拝金主義者」だった。
それを認めなければならないことが悔しい。
情けない。
気だるい週末
母が一人で暮らす実家とスポーツジムへ隔週で行っている。今日はジムの日だけどスポーツジムでクラスター感染があったというニュースを聞いて行かないことにした。
家にいると昨日のように寝てしまいそうなので、とりあえず家を出た。出てはみたものの元気よく歩き出す気持ちにはなれない。何となくだるい。冷たい雨のせいもある。それだけではない。在宅勤務のせいですっかり生活のリズムが狂ってしまった。
何の目的もないまま繁華街の方へ向かって歩き出した。街へ出てみるといつもの日曜日と変わらず賑わっている。
大型書店に寄ってみた。本屋へ行くと、そのたび二通りの気持ちのどちらかになる。
1. たくさんの本を見て、あれも読みたいこれも読みたいといううれしい気持ち
2. 読みたい本だけでもこれだけあって読みきれないよ、という苦しい気持ち
今日は2.の気分だった。
そこで立ち読みはせず、読みたいと思っていた本だけを買って帰ってきた。
今日、買ったのは、安克昌『心の傷を癒すということ - 大災害と心のケア』(新増補版、作品社、2019)。
ドラマの反響が大きかったのか、ネット書店はどこも品切れだった。こういう時、在庫が豊富な大型書店は頼りになる。精神医学の棚に3冊並んでいた。
帰宅しても本を読み出す気持ちにはなれず、結局、昼寝をしてしまった。
在宅勤務で生活にメリハリがなくなった。明日はスーツにネクタイで仕事をするか。朝、仕事をする前に駅まで行くのもいいかもしれない。
3月いっぱい休業
馴染みのライブハウス、ケネディハウスが今月いっぱい休業する、と聞いた。
ケネディハウスは地下にある。ただでさえライブハウスが目の敵にされている昨今、地下の店を閉じるのは止むを得ない措置なのだろう。
それにしても3週間休業とは気の毒でならない。
月末にはバンド・リーダー、上田司さんのバースデー・ライブを予約していて楽しみにしていた。それは4月に延期になった。
かくいう私も、在宅勤務がいつ終わるのか、わからない。予定では今週いっぱいだけど、報道を見る限り、今週で収束するとは思えない。
経済活動が萎縮してしまうのはよくない。それが理由で首相が辞めるのなら話は別だが。
7月7日追記。
ケネディハウスは7月1日に営業を再開した。
在宅勤務 1週間
出勤一回をはさんで在宅勤務が始まって1週間が経った。生活のリズムを崩さないように朝、散歩をしている。
今朝も30分、公園を歩いた。まだ朝早いのに、小学生が集まってサッカーをしていた。
帰宅して業務開始。朝一番は電話会議でグループ内でそれぞれの業務報告。それが終わると一人の時間。気が散るので音楽はかけない。静かな時間が続く。
昼休みにあたる時間には一度外へ出てみた。あれこれ考えてみたものの、結局、ランチはコンビニの菓子パンで済ませた。考えてみると我が家の近くには食堂がない。
午後はデータ集計の単純作業が続いた。どうも息抜きがうまくできない。出社したときは手洗いに行くだけでもオフィスから外へ出るので気分転換になっていたことに気づいた。
どういうわけか、在宅勤務になってから忙しくなった。
来週で派遣社員が1名辞めるので来月産育休の人が復帰するまで4月半ばまでワンオペ。
派遣社員からの業務引き継ぎも在宅勤務中なので電話会議でしなければならない。今は「出社しなくていい」ではなく「出社してはいけない」期間になっている。
ヒマだったり急に忙しくなったり、こういう乱高下はただちに心待ちに反映する。
朝の散歩と午後の焦燥
今朝も30分歩いた。天気がよかったのでハナモクレンとハナバスモモがきれいだった。
花の名前に詳しいわけではない。名札がついているのでわかる。でも、次に見たときには忘れている。それでも、きれいな花をみると写真に収めたくなる。これは『庭』をはじめた効用の一つ。
今日も急な依頼ごとがあって、ちょっと慌ててしまった。
今日、終わらなかったらどうしよう
間違っていてやり直しを命じられたらどうしよう
間違いのせいで評価が下がったらどうしよう
いつも同じ心配。二つ、三つのことを同時に頼まれるとそれだけでパニックになる。
こんな時は、プチ認知行動療法
今日中にはおわるだろう
できなかったら素直に言えばいい
いいところを見せようとして焦るな
こういう「おまじない」が案外効いて少し穏やかな気持ちになる。
今、自分が朝に撮った花の写真を見たら、少し落ち着いてきた。
こういうスキルは就労移行支援事業所で教わった。
通勤時間について
今朝も30分歩いた。散歩道の脇にきれいな菜の花畑がある。写真に撮りたいけど、後ろにマンションが建っていて見栄えが良くないので掲載は見送り。
代わりに空の写真を掲げる。私の部屋からベランダに出ると隣りの駐車場の銀杏と三本の電線が見える。
前に同じ高さの家が建っているから広い空とは呼べないけれど、今朝は気持ちのよい青空だったので撮ってみた。
ふだんは90分ほどかけて通勤している。徒歩→バス→電車→乗換→電車→徒歩。バス停は家から、会社は駅から、それぞれ10分離れているから歩く時間もそれなりにある。
在宅勤務は大袈裟かもしれないが「軟禁状態」とも言える。営業職のように外へ出ていくことも出来ないし、客先から直帰というわけにもいかない。9時から5時までパソコンの前に張り付いていなければならない。
そう考えると通勤時間は意味のある時間に思える。英語ニュースや音楽を聴いたり、自分が書いた文章を読み返したり、Twitterを見たり。通勤のあいだにしていることは少なくない。しかも音楽を聴いたり、文章を読むことは私の精神生活にとって貴重な栄養源となっている。森有正の言葉を借りれば思索の源泉から水が湧き出ている状態とも言える。
これが在宅勤務ではできない。できないわけではない。自分がしていないだけ。
同じ時間に起きて家を出るいつもの時間から90分、本を読んだり、ウォーキングをしたりすればいい。今週は通勤時間の分、睡眠時間に充ててしまった。
在宅勤務は本当にペース配分が難しい。
さくいん:森有正
オリジナルの発行は阪神淡路大震災の翌年。今回、ドラマ化されるにあたり、安の死後、発表された文章や安をよく知る人たちの回想をまとめて「新増補版」となった。
好評らしく、2月に購入した一冊はすでに5刷だった。
まず、1996年に刊行されたオリジナル部分といくつかの回想録を読み終えた。
読み終えたものの感想らしいことは何も書き出せない。ただ「すごい」としか言いようがない。
自らが被災者でありながら現場で働く救護者だっただけでも「すごい」ことなのに、震災から復興の始まりまで、温かく人の心をとらえ、鋭く社会を見つめ、その思索を読みやすい一般向けの文章で書いた。それががまた「すごい」。
PTSDやトラウマという言葉が阪神大震災を契機に広まったことは知っていた。
知らなかったことは、「心の傷」という言葉も、安克昌と救護者たちに被災者支援という活動を通じて震災の現場で生まれ、日本で一般に知られるようになった。PTSDやトラウマは非常に動的な言葉として普及した。
本を読んでみてドラマがとても丁寧に作られていたこともわかった。原作を読んでも印象に残るいくつかのエピソードが鮮やかに、原作の持つ温もりを残したまま視覚化されていた。
原作(ドラマでは原案となっていた)を先に読んだ人や安克昌を知る人も、映像作品を心良く受け入れることができたのではないだろうか。
Twitterで医療、心理に関わる人たちが絶賛していたのも肯ける。
こんな親切で情熱的で技量の高い医師に出会うことができる患者は幸せと思う。
春のおでかけ
家族四人と母とおでかけ。
この時期にしてはとても寒かったけれど、珍しいご馳走に舌鼓を打った。
ふとした疑問、二つ
1. 名著と言われる神谷美恵子『生きがいについて』のあとがきにある光田健輔への謝辞について、どう考えればいいのだろうか。
光田については、ハンセン病の病因に対する研究で高く評価される面と隔離や断種で批判される面と両面がある。
こんなことを考えたのは相模原事件の判決が近いからだろうか。
重度の障害者は生きていても幸せにはなれないと考えたU被告と、ハンセン病患者は社会に出ても差別されるだけだから、隔離して閉鎖された場所で暮らす方が幸せと考えていた光田。二人の考えには共通する点があるように思う。
それは他人の幸せを勝手に決めること。幸せかどうかは生きている人が自分自身で決めること。他人が決めることではない。
2. 旧約聖書で、なぜ神は怒り続けながら民を見捨てないのか、不思議でならない。
同時に、こんなにも厳しく、ある意味理不尽にも見える主から、なぜ逃れられないのか、なぜ捨てられないのか、不思議でならない。
こんな疑問を持っているようでは信仰にはまだまだ遠い。
在宅勤務は月末まで
「今月末まで在宅勤務」という通達が出た。
一月も在宅勤務をしたら、電車での通勤生活に戻るときに苦労しそう。
今朝はいつもと違うルートで40分散歩した。
写真は公園を散歩していて見つけた杏の木と花。
公園には朝早くから小学生が集まってサッカーをしていた。
どうぞこのまま?
在宅勤務前のウォーキング。今朝は少し遠い公園まで歩いた。40分、5,000歩くらい。
公園では桜が咲きはじめていた。写真は、桜木、一分咲きの桜、コブシ、ユキヤナギ。
今日は片付けなければならない仕事もなく、急ぎの依頼もない。完全にヒマを持て余している。こんな生活に慣れてしまうと正社員に転職というモチベーションは下がっていく。
もともと働くことが好きではなかった。働かないで暮らしていけるならそれでいいと思っている怠け者。
なぜ働くことが好きでないのか。私が十代のあいだ、父が仕事を優先して長く単身赴任をしていたことは、「会社員という働き方」に否定的な思いを持つ原因の一つかもしれない。その代償はとても大きかったから。かといって、研究者やフリーランスを目指す度胸も実力もなかった。
28歳から46歳まで続けた会社員生活は恵まれていた。転職は何度もしたけれど、悪条件のブラック企業で働いたことはないし、転勤で見知らぬ街に止むなく移り住んだこともない。むしろ、ほどほどの働きで多くの収入を得てきた。最後は力尽きててしまったものの、長い目で全体を見れば幸福な16年間だった。
今の収入から2倍になる仕事はまずないだろう。仮に1割増えたとして、今より拘束時間が長くなったり、融通がきかなくなるのであれば、今のままでいい。
それくらい、今は楽をしている。
やっぱり、このまま、かな。
さくいん:労働
ちょっと嫌な感じ
今朝も40分、ウォーキング。公園は陰っていたのでいい写真は撮れなかった。
写真は大通りで見つけた、咲いたばかりの桜。週末には大通りが桜一色になるだろう。
今日は依頼事項もなく、時間を持て余していた。そうかといって外出するわけにもいかず、ぼんやりしていた。
在宅勤務も3週目になると軟禁状態に思えてくる。
ところが、定時近くになって業務の依頼が来た。明日は出勤になるかもしれない。
こういう時、どうなるか不安でついPCを開け放しにしてしまう。
在宅勤務のよくないところ。何でもないことで不安になるのは私のよくないところ。
今夜は寝る前にメールを見る必要がありそう。ちょっと嫌な感じ。
朝、公園で曇り空だったのはこの暗示だったのか。
蘇る不安
昨日は夕刻に依頼があり、もしかすると今日、出勤することになるかもしれなかった。
その連絡が来るので、夜、寝る前にPCを開けてメールを見なければならなかった。
結局、出勤する必要はなかった。とはいえ、それがわかるまでが長かった。
どんなメールが来るのか、夕飯を食べている時も風呂に入っている時も気が気でなかった。トラブルでもないのに胸がドキドキする。こういう不安な気持ちになって、前の仕事を辞める時、どれほど心身が壊れていたのか、苦しい心境が蘇ってきた。
あのボロボロの状態を思い出すだけでも、もう自分から主体的に仕事に関わることはできない、と思わざるを得ない。正社員になりたいなんて考えも一時の高揚感で思いついたことであって、今の自分にはとても無理だろう。あの頃の自分を思い出してあらためてそう思った。枝葉が揺れただけで地震のように感じる。
一度、不安を感じるとなかなか元に戻れない。机に会社のパソコンが置いてあるだけでも不安と心配で苦しくなる。
一度伸びきったゴムは、二度とは元に戻らない
辛い気持ちや不安が大きくなったとき、よくそう思う。減薬できても、仮に障害者手帳を返上できるようになっても、病前のようなタフな心身に戻ることはない。
新しい障害者手帳が届いた。届く前は、もう元気になってきているのだから、保護されるのは申し訳ない、くらいに思っていた。届いてみると、ホッとした。これがなければ暮らしていけない。
写真は朝の散歩で見上げたけやき並木。
突然、春
朝、窓を開けると隣りの駐車場の桜が、昨日までは蕾だったのに一斉に開花していた。
床屋へ行こうと外へ出るとコートがいらないくらいに暖かい。池のある公園を通り抜けて歩いていると景色は確実に冬から春に移り変わっている。
昨夜はスプマンテを呑んで酔ったまま眠ってしまった。勢いをつけて寝たせいで3時ごろに目が覚めて、それからは眠れなくなった。
そこで眠ることを諦めて起き上がり、久しぶりに『庭』の掃除をした。過去の3月に書いた文章を読み返し、行末が揃ってないところを直し、リンクを追加して少し推敲もした。丁寧に書いているつもりでも、読み直すと行末が文節で区切れていない文が見つかる。
行末揃えは私の文体の個性なのできちんと隅々までしておきたい。もっとも、ブラウザによって綺麗に見れる場合とそうでない場合がある。
今回、読み返してわかったことがある。
それは、どん底にいたのは2014年の冬だったということ。最近、すこし調子がいい状態が続いていたのですっかり忘れていた。
クルマのある生活
ある事情で小さなクルマをしばらく預かることになった。次の車検まで、ガソリン代だけ自分持ちで自由に乗っていいという好条件。
免許を取ってからまったく運転する機会のなかった娘の練習がてら、1時間程ドライブしてアウトレットモールへ行った。
危機感が薄いのか、郊外だから安心しているのか、モールはかなり賑わっていた。お茶して買い物して、店を眺めて、楽しい時間を過ごした。
クルマのある暮らしは楽しい。2005年まで自家用車を持っていた。通勤に使っていたし、箱根や御殿場あたりへはよく泊まりがけで旅行していた。
行き先が大きなショッピングモールだったので、カリフォルニアへ出張していた頃のことも思い出した。仕事のあとにはモールへ行ったり、海岸をドライブしたりした。もうそういうチャンスはなさそうなので、すこしさびしい。
クルマの中は人との距離が近いので、自然と会話が弾む。ラジオを聴きながら、お喋りをして、街道を滑るように走る。クルマのある暮らしは楽しい。
問題はコスト。土日しか乗らないなら、保有するコストの方がメリットより大きい。
帰り道、慣れてきたのか、娘はまた運転したいと言った。
おばあちゃんの家と御殿場のアウトレット
家族の小旅行を計画することになった。
さくいん:御殿場
突然、多忙
突然、忙しくなった。朝9時から電話会議があり、その後、依頼があって書類に社印を押すためだけに会社へ行った。
会社へ行ってみるとオフィスは閑散としていた。他の会社は通常通りの勤務が多いらしく、ロビーやコンビニは混雑していた。
1時間以上かけて出勤したのだから少し仕事をするつもりだったけど、人気のない雰囲気が不気味で捺印の用事を済ませてすぐに帰宅した。
夕方前に帰ってきたのは正解だった。こことのところコロナウィルスの感染防止するために「三密」、すなわち「密閉」「密集」「密接」を避けるように言われている。通勤時間帯の電車が一番よくない。
帰ってきてからも仕事は終わらず、結局、17時までがんばってもさばけなかったので明日に持ち越すことにした。明日もヒマを持て余すことはないだろう。
こういうときに慌てて片付けようとすると数字を間違える。明日は慎重に挑む。
事務仕事とは不思議なもので、ヒマかと思えば突然、忙しくなる。それでも、在宅勤務の間はヒマな時にはのんびりしていることもできる。他の人が忙しくしている会社ではなかなかそうはいかない。
写真は、朝の散歩中に撮った夜明けの桜と会社からの帰り道に接写した桜。
慣れてきた?
外出自粛に飽きてきた、という声を聞く。いま、欧米の大都市では強制的な外出禁止令が出るほど事態は深刻化している。日本ではまだ緊急事態に至っていいないものの、予断を許さない状況が続いている。
学校は休みにしても、朝夕の満員電車はそのまま。気候が暖かくなればインフルエンザの流行は収束する。でも、コロナウィルスが気温の上昇とともに衰えるかはまだわからない。外出自粛に飽きている場合ではない。これからが正念場。
私は、といえば、在宅勤務に慣れてきた。一人でいるのは気楽。もう暫く続いてもいいと思うくらい。
今のような100人以上の事務所では緊張する。秩序と統率を守るためにルールも厳しく、厳しいルールが場の雰囲気を緊張したものにもする。
これまで働いたオフィスは多くて40人くらい、少ないところでは3人ということもあった。そういうオフィスでは各人がわきまえていれば、自由に行動できる。例えば、オリンピックで北島康介が出場したときには、10人くらいが会議室に集まって決勝レースに声援を送った。多忙でないときにはネットのニュースを見ながら雑談するようなこともあった。今のオフィスではありえないだろう。100人が仕事の手を休めてオリンピックの放送に集まる図は想像できない。
東日本大震災の当日も、その後も、小さな組織だったから臨機応変に対応できた。
この騒動が鎮まったら、週一回、水曜日を在宅勤務日にしてもらおうか。医師の薦めです、と言えば通るだろうか。
それくらい、大きな組織が苦手。
写真は朝の桜と午後の桜。昨日よりも30分寝坊してから散歩したので、陽は昇っていた。午後、太陽が傾いて駐車場の桜木は西陽を浴びていた。咲きたての花は強い風にもしっかり耐えている。
頼りがいのないオジさん
出だしは調子よかった。
朝、少し遅めに起きて公園まで歩いた。桜は朝陽を浴びて輝いていた。
10時過ぎ、頼まれて、またハンコ一つ押すためだけに出社した。
それが済めば帰るつもりが、用事が立て込み定時までオフィスで勤務した。
タスクが増えて、急いで、慌てて、間違えて⋯⋯。
人気のない、静まりかえったオフィスで、一人、醜態を晒した。
年若い上司は電話の向こうで呆れていた。
メールのCC欄にいる人たちもきっと苦笑しているだろう。
あのオジさん、またパニクってるよ
「頼りがいがある」という資質は私から最も遠いところにある。
闇があったら飛び込んで消えてしまいたい。
そこを堪えて、この世に留まる。笑われてもしがみつく。
今夜はビールを1リットル呑んで、風呂でたっぷり中島みゆき聴いて、バッハ「人よ、汝の大いなる罪を嘆け」を森有正のオルガンで聴きながら眠る。
これでよく眠れば、明日は今日のように散歩に出られるだろう。
傷心の家路、誰も住んでいない官舎のそばで桜がひとりで咲いていた。
さくいん:森有正、中島みゆき
春うらら
在宅勤務が4月6日まで延長された。いっそのこと、ゴールデンウィークまで在宅でも構わない。
今日はとても天気がいい。気温も湿度もちょうどよい。朝、散歩をしたときは薄曇りで、桜の写真も暗い。家に帰る頃、陽が昇り雲は散り、一気に春らしい好天に変わった。
窓の開かない高層ビルの、人がワンサカいるオフィスに比べたら、窓からベランダ越しに満開の桜が見える部屋で一人で仕事をするのは快適この上ない。
思い出せば、大学で卒論、その後、間をあけて入った大学院で修士論文を書いていた頃、ひとり部屋にこもって調べたり書いたりする時間は楽しかった。それだけで研究者になれるわけではないことはわかっている。わかっているからこそ、あきらめたのだから。
好きな本を読んで、好きなことを好きなように書く。それでは研究者にはなれない。自分の専門分野を深く知らなければならない。そのためにはとっつきにくい本でも読まなければならないし、気が乗らないテーマでも原稿を書かなければならない。プロとはそういうもの。
アマチュアは気楽。好きな本だけ読み、たぶん自分しか読み返さない文章を書いて楽しんでいる。でも、まったく制約がないわけではない。
2003年6月から一年間は「毎日書く」と決めて続けたし、行末を文節で揃えるのも、誰に頼まれたのでもない、自分で課しているこだわり。
この「こだわり」こそ、アマチュアの楽しみの真髄。「こだわり」を徹底できたら、もう素人ではない。モグリと呼びたい。
おまけ。今朝、撮った桜の接写、4枚。こうして並べると何が何だかわからなくなるので、1枚ずつ拡大できるようにした。
#私を構成する10のマンガ
Twitterでハッシュタグが回ってきたので考えてみた。オリジナルは5つ。5つではさすがに少ないので10篇選んでみる。以下、順不同。
『少年ジャンプ』が多い、それも70年代後半の作品。他には「サーキットの狼」「包丁人味平」「さわやか万太郎」「1.2のアッホ」⋯⋯。
『チャンピオン』は単行本で「ドカベン」と「ブラック・ジャック」を読んだくらい。『サンデー』はほとんど読まなかった。
『ヤングxx』という名の、いわゆる青年誌もほとんど読まなかった。会社員になってからしばらくは日刊ゲンダイの連載マンガ「負けてたまるか!」ともう一つの連載マンガをよく読んでいた。両方とも終わってしまったので、「ゲンダイ」も買わなくなった。
最近は雑誌でも単行本でもマンガを読まなくなった。絵を見ながら字を読むことが面倒になってきた。マンガ・リテラシーが低下している。
今日は気分を替えて、昨日の昼間に撮影した桜並木の写真を掲載する。
さくいん:『コブラ』、『ガラスの仮面』、『ドカベン』、『エースをねらえ!』、『キャンディ・キャンディ』、『ブラック・ジャック』、江口寿史、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、『少年ジャンプ』
団地の桜
昨日の朝の散歩。
以前住んでいた団地を通り抜けて遠い公園まで歩いた。いつも撮っている桜が額縁のような二本の木の間に見えた。
団地は大規模な外壁修繕中。
まだ園児だった息子が当時の市長と植樹した枝垂れ桜が大きくなって花を咲かせていた。15年も経てば子どもも桜も大きくなる。大人は老いていく。これは止められない。
娘も息子も、この団地に住んでいるときに小学校へ入学した。新しいランドセルを背負って桜の木の下で微笑んでいる写真が二枚、残っている。
娘が小学六年生、息子が四年生の冬にいま、住んでいる家を購入して転居した。歩けば行けないほどの近さだったけれど、自治体が変わってしまったので、子どもは転校しなければならなかった。娘は3学期はそのまま同じ小学校に通い、中学入学とともに転校した。
この転校は二人にとっては厳しいものだったらしい。大学生になったいまでも恨み言を聞かされる。転校は子どもにかなりのストレスを与える。
それでも、娘は高校で、息子は中学校で、たくさんの友だちができた。
私自身は小学校一年生の夏に転居した。最初の一学期だけ横浜の中心近くの学校に通い、二学期以降、卒業するまで郊外の小学校に通った。だから転校で受けるネガティブな経験はほとんど感じたことがない。
私の知っている人で、小学校を3校、中学校を2校、転校で経験した人がいる。この転校の繰り返しは大きなストレスになったに違いない。大袈裟でなく「心のケア」が必要なケースに思われる。だが、そういう支援はなく、その人はひとりで根なし草のような年月を苦闘しながら生き抜いた。
とても立派なことと思う。尊敬せずにはいられない。
情けないけど
病気で会社を辞め2年間離職、契約社員で社会復帰した。
悔しかったのは航空会社のゴールドカードを退会したこと。これはただのゴールドカードではなかった。年間で相当な距離を飛んだ顧客だけが招待される特別なカード。自慢したくなるような、ステータスの高いカードだった。
このカードのおかげで、ファーストクラスと同じチェックイン・カウンターで搭乗手続きができて、国際便はもちろん、国内便でも空港のラウンジを使うことができて、アップグレード券でファーストクラスに乗ることもできた。
30歳頃に働いていた会社では、ヒラ社員でも海外出張はノーマル・チケットでビジネス・クラスだった。あの頃は3ヶ月に一度くらい、カリフォルニア州へ出張していた、時には南のアーバイン、時には北のシリコンバレー。サクラメントまで運転したこともある。
マイルはどんどん溜まった。いっぱしの「ヤンエグ」待遇を気取っていた。
もう飛行機に頻繁に乗ることはない。高い年会費を払ってカードを持つ意味ももうない。
でも、それがプライドの拠り所でもあった。
情けないけど、私の自尊心はそんなもので支えられていた。
情けないけど。
昨日は東京で積雪。今朝、雪の原っぱで踏ん張っている桜を見た。
胸騒ぎ
この数日感じている胸騒ぎと「嫌な感じ」には既視感がある。
黙って言うこと、聞いてりゃいいんだ!
不合理な校則と不条理な暴力に怯えながらも従っていた中学時代。
口調は柔らかでも都知事の会見からは強制と脅迫しか感じられなかった。
出るな! 感染するな! 感染させるな!
特定の業種を指しして訪問を自粛させながら、客足の減る業者に何の補償も約束しない。ひどい。
Twitterで「#自粛と補償はセットだろ」というハッシュタグがついたツィートがたくさん発信されている。
まさに。補償がなければ、小さな店は皆、破綻してしまう。
今日も、書類に捺印するためだけに急遽、出社した。
長居すると帰れなくなりそうなので滞在時間30分で会社を出てきた。
胸騒ぎと不安と焦燥感が収まらない。
何かミスしていないか。
大事な用事を忘れていないか。
わけもなく不安で、落ち着きがない。慌てている。
症状が6年くらい戻っている。
東京では桜が散りはじめ、歩道に花びらが積もっている。
それでも、まだ咲いてるぞ、とがんばっている樹もある。