9.17.04
草の葉/言の葉——エピグラフにかえて |
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「草の上に腰を下ろして」という副題を掲げて、ふたたび文章を書きはじめることにした。 「草の上に腰を下ろして」という副題を思いつくきっかけになった言葉をエピグラフとして残しておくことにする。 このエピグラフは第二部全体のエピグラフであり、同時に最初に書いた文章、書評「裏庭」のエピグラフでもある。つまり、書評「裏庭」は第二部のはしがきでもある。 私の文章は、このような仕組みになっているものが少なくない。つまり、私の言葉は、私が経験した言葉の切り貼りに過ぎないのかもしれない。 わたしの まちがいだった 草にすわる、秋の瞳、八木重吉、1925
不来方の 一握の砂、石川啄木、1910
つらいくさとりがおわり But I know a place where we can go 甘い風に誘われて 辿りついた あの日の森 月桃花、葉山真理作詞、夏川りみ、2003
あかいともしびが山なみのあひだにかくれてゆくと、私は後のさみしさに又やはらかい草をむしつた。 ヴィクトル・ユゴーは言っている。 酒のもう、天日はわれらを滅ぼす、 ルバイヤート、無常の車 64、
Omar Khayyám、小川亮作訳、岩波文庫、1949 繰り返すあやまちの そのたび ひとは 砂浜に腰を下ろして 静かに瞳を閉じるの あなたを思うのは 日暮れときから Some people hope for a miracle cure An Innocent Man, Billy Joel, 1983
あの人が残していったすべてを 夕闇をひとり、松任谷由実、昨晩お会いしましょう、1981
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