雪の積もった競技場の桜

これも「私を構成する5つのマンガ」と同じく、Twitterのハッシュタグから。

14歳の時に聴いていた音楽がその後の人生の音楽の好みを決定づける?

このハッシュタグを始めたコラムはそう書いていた。疑問形にしているのは、実際に自分が14歳の時のヒットチャートを紹介していて、それが現在の趣味と重ねっているか、コラムのなかで検証しているから。検証の結果、今の音楽の好みを作っていると結論づけている。

私はどうだろう? 面白そうなのでコラムを真似て検証してみる。私が14歳の頃、すなわち中学二年生だったのは、1982年。

手持ちの音楽ライブラリには、年ごとにヒット曲を集めたコンピレーション・アルバムがいくつかある。代表的なのは邦楽では『青春歌年鑑』、洋楽では『僕たちの洋楽ヒット』。『歌年鑑』は一年ごとのまとめでCD2枚組。続編も2枚組なので、一年につき、40曲近くを収録している。『僕たちの洋楽ヒット』は2〜3年を1セット、2枚組にしているので収録曲は『歌年鑑』ほど多くない。大ヒット曲だけを集めている、とも言える。


では、コンピレーション・アルバムに収録されている1982年のヒット曲から、今でも繰り返して聴いている曲を探してみる。まずは邦楽から。

意外と多くない。ヒット曲のリストにはなくて「あの頃」聴いていたのは、さだまさし。ファンクラブにも入っていた。

40曲のヒット曲のなかには今でも曲名からメロディが浮かばない曲も多い。ヒット曲、といっても何十年も記憶に残る作品は、実はほんの一握り、それが実情なのかもしれない。


次に洋楽。1982年のヒット曲から今でも聴いている曲を探してみる。

ん? 1曲しかない? ほかに1982年に聴いた洋楽で覚えているのは、Simon & Garfunkel, "Live in Central Park Concert"。レコードを買い、歌詞カードを読みながら英語の歌詞を覚えてしまうくらい聴いていた。

洋楽を全く聴いてなかったわけではない。Billy Joel, "The Stranger"と"52nd Street"はカセットテープでよく聴いていた。とはいえ、それ以外にはあまり覚えがない。

私が本格的に洋楽を聴くようになったのは中学三年生になってから。テレビ神奈川の音楽番組「ビルボードTOP40」の影響が大きい。Cyndi Lauper, Chicago, Journey, Phil Collins, Lionel Richie, Michael Jackson, Van Halenなどはこの番組で知った。

Billy Joelも83年に発表して大ヒットした"Innocent Man"はよく聴いていた。

The Beatles赤盤と青盤と呼ばれるベスト盤を、The Bee Geesも映画『小さな恋のメロディ』でよく聴いていた。それも中学三年生になってから。


考察の前に結論を書く。14歳の時に聴いた音楽のいくつかは現在でも好んで聴いている。けれども、それは今現在の私の趣味に大きく反映しているわけではない。

現在、よく聴いているのは、フュージョン、ジャズ、バッハ、それから70年代後半、とくに1979年の邦楽。

この嗜好は、『庭』の始まりと大きく関係している。

2001年に転職した会社の近くに大きな図書館があった。そこにはCDもたくさん開架式で置いてあった。そこで、それまで気になっていたけれど見つけられなかったり、買うほどではないけれどちょっと聴いてみたい音楽を次々に借りてCDに録音した。

一番最初に借りたのが、Earl Klugh, "Finger Paintings"。どこかで買った1,000円のコンピレーション・アルバムに入っていた"Catherine"が気に入って他の曲も聴きたくなった。Earl Klughをきっかけに共作を出しているBob Jamesを聴き、彼が参加しているグループ、Fourplayへ続き、すっかりフュージョン好きになった。

ジャズを聴くきっかけは「ジャズが好き」と言えたらカッコいいかな、という下心だった。何から聴いていいかのわからないので、図書館でコンピレーション・アルバムを借りてきて、その中で気に入ったアーティストのオリジナル・アルバムを借りた。

Earl Klughでギターに魅了されたので、クラシックはギターから聴きはじめた。2002年の7月に鈴木大介を借りている

バッハを聴くきっかけは森有正彼の文章を読みはじめた時、幸運にも彼の弾くバッハのオルガン曲を聴くことができた。それからバッハ関連の本絵本を借り、バッハ作品のCDを次々に借りた。

クラシックの趣味はその後あまり広がらなかった。バッハでも、ギターとリュート、オルガンとチェンバロ、ピアノは聴くのに、弦楽やカンタータやミサ曲は聴いていない。

あの図書館のおかげで、Earl Klugh, "Finger Paintings"と出会い、『小林秀雄全集』にも出会うことができた。この出会いがなければ、森有正との出会いはなかっただろう。

2001年、私は31歳だった


ここまで書いてきたことをまとめると、音楽の好みは大人になったあとでも変わることもある、ということ。ただ、冒頭のコラムニストも書いているように、下地は14歳に作られているとは言えるかもしれない。さだまさしやPaul Simonのギターが好きだったから、Earl Klughに惹かれた。

バッハについても同じことが言える。バッハのオルガン曲をいろいろ聴いていると耳慣れた旋律があった。「パストラーレ、BWV590」。この曲は『ルパン三世 カリオストロの城』の結婚式の場面で使われていた。映画を見たときから気に入っていてサントラ盤も持っていた。でも作曲者がバッハとは知らなかった。CDには何も書いてなかった。

バッハと14歳の私はつながっていた。これには自分でも驚いた。

変化する、というより、趣味が広がる、深まる、と言い換えたほうがいいかもしれない。

その変化は自然に起きたのではない。それも重要。お気に入りのアーティストから自発的につながりを求めて探して新しいお気に入りを見つけた。それができたのは『庭』に図書館の貸出記録を書き残していたから。

何の気なしに始めたブログが私の趣味と、私自身を変えてきた。

今、私は34歳の頃に聴いた音楽を聴いている。そして、52歳の今、聴いている好みはまだまだ広がり、深まる可能性を秘めている。