最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

称名寺

4/22/2017/SUN

特別展 愛でられた金沢八景 ―楠山永雄コレクションの全貌―、神奈川県立金沢文庫、横浜市金沢区


横浜の南に住む両親に会いに行った。土曜日は雨だったので屋内の催事を探してこの展覧会を見つけた。

転勤で偶然、金沢宮内に住むようになったサラリーマンが生涯をかけて集めた、ありとあらゆる「金沢八景」。

江戸時代の古地図や浮世絵から幕末維新期の古写真、「谷津坂」が「能見台」に変わる最終日のものなど夥しい京急の切符、、沿線の観光地のチラシ。


ボランティアの展示解説を聴いたので、見逃しそうな小さなものが貴重な珍品であることを教えられたり、面白かった。

明治期には伊藤博文が別荘を持つなど金沢八景は東京近郊の観光地だった。おそらくは仕事を終えてクルマか電車で夕食にはたどり着ける場所だったのだろう。今は新幹線があるので週末に通う別荘地は遠くなり、金沢八景は毎日都心へ出るベッドタウンになった。


興味を惹いたのは「六浦湊」。「六浦」という地名は京急の駅名にも住所にも残っている。ここは鎌倉時代、日本全国のみならず宋時代の中国の船も渡来した幕府下で最大の港だった。

鎌倉は遠浅で大きな船が入れないことは『ブラタモリ』を見て知っていた。そのために稲村ヶ崎の先端に石の桟橋を作ったと番組では紹介していた。山を越えた東京湾側に港があるとは知らなかった。

六浦地区と八景地区を結ぶために橋をかけ、波の荒い海を鎮めるために瀬戸神社を作り、鎌倉へ向かう切通しを山を削って作った。広重が描いた切通しだけをU時に描いた絵が「道」の切通しの特徴をよくとらえている。

もう一つ、面白かったのは、戦後の日本交通公社の宣伝。「秘密のヴェールを脱いだ三浦半島観光地図」。戦前は横須賀に軍港があったため、三浦半島では写真を撮ることは禁じられていた。京急が鉄道を敷設するときは、「測量もするな」と無理を言われたと読んだことがある


今でこそ、湘南といえば鎌倉から江ノ島方面を指し、観光客もそちらへ流れているが、元は湘南とは三浦半島のことだった。

金沢八景も大きく変わった。海の公園と工業団地ができる前、生き物が苦手な私でさえ、平潟湾でゴカイを掘り、小柴でハゼやタナゴを釣った。それも平日の放課後に。それくらい、海は身近だった。

東京に西郊住んでいると、ときどき海に対して飢餓状態になる。潮の香り、波の音、水平線。

そういうものが、私の原体験の一部をなしている。