最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

三鷹の跨線橋

8/20/2015/SUN

ピンポンさん、城島充、講談社、2007


2012年の末、卓球選手の福原愛が『徹子の部屋』に出演したとき、「卓球はチェスをしながら100m走をするようなもの」と紹介していた。この言葉が、世界チャンピオンから後には国際卓球連盟会長にまでなった荻村伊智朗のものという紹介は、残念ながらなかった。

たとえ、名前が紹介されなかったにしても、この言葉を現代の一流選手も共有していることに感じ入った。卓球というスポーツの特徴をこれほど簡潔に表現した言葉はない。

荻村伊智朗は「伝説の人」と言ってよい。選手としても大活躍し、その後は卓球界のみならず、いわゆるピンポン外交を通じて、中国や北朝鮮がスポーツ界に復帰するきっかけを作った。


それだけの功績を残した人なので、人物も型破りだった。練習は誰よりも長く遅くまでするし、アイデアが次から次へと湧き、それをすぐに実行に移さずにいられない。こういう強烈な性格な人は、政治家や経営者に多い、それも多くの実績を残した優れた人物に。

伝記で読んでいるだけなら、「すごい人がいるもんだ」と感心するだけですむが、こういう人の周囲にいる人々は、有無を言わせぬ剛腕や、頻繁な朝令暮改に苦しむ。スティーブ・ジョブズも、その典型と言える。

本書では、荻村の功績だけでなく、周囲のとまどいや反発も書き込まれている。しかし、一人の女性を伝記の軸に据えることで、荻村の奥深く豊かな人間性を抽出している。その女性は、偶然から卓球場を始めた。高校生の荻村は、学校での練習のあとに都内の練習場でさらに練習をしていた。

荻村は自宅に近いこの場所に通い詰め、やがて、この場所が彼を世界チャンピオンに、さらに世界卓球界の重鎮に育てていく。


ノンフィクションと伝記とは違う。主に小学生向けに書かれる偉人の伝記は、限りなく客観的な物語になるか、その人自身の視線から、主観的な回想になる。

一方、ノンフィクションが人物を描くときは、その人の生涯に決定的な影響を与えた人を視点にしたり、同時代の多くの人物の群像劇から自然と主人公が浮かび上がるような書き方をする。本書は前者の形。ずっと前に荻村自身が書いた『卓球・勉強・卓球』(岩波ジュニア新書、1986)では、次々と成功の階段を上っていく自伝にただ驚嘆するだけだった。

本書を読み、「荻村伊智朗とは、なるほど、こう人だったんだ」と会ったこともない人について、納得してしまった。そう思わせることが、ノンフィクション・ライターの腕の見せどころだろう。


荻村やジョブズのように、強烈な情熱と実行力をもつ人の近くにいると、凡人は追ていくだけで精一杯か、せいぜい、振り回されるだけ。

私もこれまでに、そういう「凄い人」の下で仕事をしたことがある。学ぶことは少なくない。歯を食いしばって頑張れば、一段も二段も、自分が成長することもわかっている。それでも、結局は、どうしても追ていくことができず、離れてしまう。

昨年末に辞めた会社でもそうだった創業者にしろ日本支社長にしろ、本社の副社長たちも、とてつもないエネルギーを仕事に注ぎ込んでいた。確かに、そうでないと生き残れない、それがシリコンバレーの一面ではある。

私は「凄い人」と関わるのは、読書だけで十分。


ところで、本書には部活動について、興味深い指摘がある。1959年、その2年前にストックホルムで開催された世界選手権で優勝した荻村は、スェーデンにコーチとして招聘される。このときの印象を著者、城島が記している。

荻村もまた、初めてその実態にふれたヨーロッパのクラブチームに胸をうたれていた。地域の人たちによって運営されている小さなクラブにも、荻村は学校教育の枠のなかでスポーツが語られてきた日本とは違う魅力を感じた。

実際に、荻村上のような感想を話したり書いたりしたかはわからない。ノンフィクション作家の想像でないとすれば、1959年の時点ですでにトップ・アスリートは部活動の問題点を意識していたことになる。

荻村自身が、街の卓球場で、年齢の違う人たちや、何よりも「おばさん」に見守られながら成長したことも、クラブチームへの関心を高めたのではないか。

本書を読む限り、荻村が自分や選手に強いた練習は、<強い負荷 × 時間 + 根性>で、科学的とは言い難い。にもかかわらず、彼はスポーツは地域に根ざすべきで、学校の部活動に収まるものではないと考えていたとすれば、一考に値する。

日本において、中高生のスポーツは今も学校の部活動が中心になっている。最近、部活動が教員にとって負担になっているというツイートを数多く見る。は正式な職務ではなく、手当がでるものでもなく、にもかかわらず、ほぼ強制的に顧問にさせられるという。

「学校教育の枠のなかで」しか語られない状況は、今も変わっていない。日本のスポーツ界の裾野は50年以上、改善されていないということになる。


本書では、荻村伊智朗は作家、黒井千次と都立西高校の同級であると書かれている。巻末に謝辞があるので取材もしたのだろう。二人の関係について本書は触れていない。おそらく、近しい関係ではなかったのだろう。

黒井は西高では文学の同人誌活動が活発だったことを話したと思われる。荻村も高校時代に私小説めいたものを書いていると記されているし、詩も書いていた。初期の新制高校には、そのような雰囲気があったのだろう。彼の書いた一編の詩は、本書で重要な位置付けがされている。


もう一点、荻村がプレイだけではなく、国際卓球連盟の中枢に入っていくことができた理由は、彼の英語力にもあったと思われる。荻村は旧制中学時代から通訳養成学校に通い、十分な力を身につけていた。海外の大会に出場するようになってからも、ほかの選手が気後れするなかで、審判や他国の選手とも堂々と話していたと書かれている。

荻村が大学生だった1950年代初頭、武蔵野から立川まで中央線沿線には接収された軍事施設に米軍の施設や住宅が数多く建っていた。電車や街中で生の英語に触れる機会も多かっただろう。


写真は、おそらく、荻村伊智朗も渡ったことがあるだろう中央線、三鷹駅の西側にある跨線橋。太宰治が好んだ場所としても知られている。