硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2013年5月


5/11/2013/SAT

芸術の都 パリ大図鑑: 建築・美術・デザイン・歴史(L'art de Paris, 2011)、Jean‐Marie P´erouse de Montclos、 三宅理一監訳、大野芳材、三宅京子、加藤耕一 、田中佳訳、西村書店、2012

砂の楽園―コプトの僧院、三宅理一、山形孝夫、平剛(写真)、TOTO出版、1996

『パリ大図鑑』は新聞の広告で見つけた。価格からみて、かなり厚い本であることは想像できた。

図書館で手にしてみると、普段はまったく使うことのない“浩瀚”という言葉がふさわしい厚みと重さ。もちろん内容も深く、詳しい。パリにはすぐに行けなくても、ときどきこの本を借りれば少しは満足を得られそう。

パリの建築に焦点をあてた『パリ大図鑑』を監訳した三宅理一のほかの著書を図書館で検索してみた。見つけた本はこれまた大きく厚い図鑑、エジプトのキリスト教、コプトの修道院の写真集。

写真も美しい。解説も詳しい。重い本を膝の上に置きページをめくっていると見覚えのある名前が目に止まった。


山形孝夫。建築史を専門としている著者がコプト教とその修道院について、キリスト教の創成期の研究者にインタビューをしている。コプトの修道院の成り立ちや隠修士たちの思想的な背景が簡潔に解説されている。美しい写真に加えて解説も充実している大図鑑。

山形はコプトの修道院をくまなく調査した『砂漠の修道院』(1987、平凡社、1998)や、イエスがもっていた、古代ギリシアを始点とする外科医学と異なる、現代の言葉を借りれば、言わば精神療法的な治癒力に焦点をあてた『聖書の奇跡物語―治癒神イエスの誕生』(朝日文庫、1991)の著者だった。

山形の著作を続けて読んでいたのはもう7年前のこと。こんな風に読書はつながっていくのか。懐かしい友人に街で偶然出会ったような喜びがあった。

『砂漠の楽園』では三宅と山形との対談のほか、隠遁士への聞き取りもある。コプトは、古代エジプトにあった太陽神への信仰、ヘレニズム時代の都市の繁栄とそこに生まれた退廃を嫌悪する若者の求道心、さらに砂漠で悪魔と一人戦うというイエスのイメージなどが折り重なった複雑な宗教であることがわかる。

人々の信仰を何々教と括ることはやさしい。その人々が秘めた深い思いを汲みとることはやさしいことではない。


5/18/2013/SAT

名作うしろ読み、斎藤美奈子、中央公論新社、2011

図書館の「今日返却された本」の棚で見つけた新刊。

『趣味は読書』『読者は踊る』で魅せた邪悪な読み手は健在。本書の書名に従い、この本もあとがきにあたる「名作のエンディングについて」を先に読んだ方が、著者の意図がよくわかる。

やや強引に定義し直せば、人々がある程度内容を共有している作品、「お尻」を出しても問題のない作品が「古典」であり「名作」なのだ

「古典」「名作」の思い切った定義のあとには、現在の批評や評論、広い意味での書評に対する鋭い批判が続く。

そもそも、お尻を知らない「未読の人」「非読の人」に必要以上に遠慮するのは批評の自殺行為。読書が消費に、評論が宣伝に成り下がった証拠だろう。

今の批評は宣伝にしかなっていない、裏を返せば、本来、批評とは作品の宣伝以上のものであるべき、という斎藤の嘆きは今に始まったものではない。日本の近代文学において批評の礎をつくったと言われる小林秀雄も論争に明け暮れる同時代の批評文に対し、批評は「文壇の交通巡査ではない」と嘆いていた


幕末から明治、大正、昭和初めまで生きた新島八重を主人公にした大河ドラマ『八重の桜』を見るようになり、島崎藤村『夜明け前』を改めて読みはじめた。何度挑戦しても、前編の上巻も終わらない。

ドラマの方は前に見た『龍馬伝』と同じ時代を別の視点から描いているので、見ていて「そういうことだったのか」と膝を打つことが少なくない。

一方、長編小説の『夜明け前』は、前半、幕末の中山道宿場の暮らしが日記のように細々と書いてあり、歴史考証として面白い場面もないわけではないものの物語はいっこうに進まず退屈で仕方ない。

斎藤の助言に従い、思い切って後編の下巻から読みはじめてみることにする。


5/25/2013/SAT

松本隆対談集- KAZEMACHI CAFE、松本隆、ぴあ、2005

谷川俊太郎との対談が面白い。

松本は歌うために歌詞をつくり、谷川は歌と定形から外れる道を模索して現代詩をつくった。


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