最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

桜 思いのまま

4/23/2017/SUN

大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち、森アーツセンターギャラリー、東京都港区

The Arts through the ages-masterpices of paintings from Titan to Picasso, Guggenheim Museum Publications, 2002

新国立美術館は『ミュシャ展』で混雑していると予想し、混んでいないことを期待して六本木の美術館へ行った。果たして、空いているというわけでないものの、一つの作品の前に立つことができる程度の混み具合だった。

豪華絢爛。まさに「王女の宝箱」といった展覧会だった。多くの作品が額縁まで豪華な装飾で凝っている。冬の長い街で、王女が親しい客人にだけ見せたという逸話に納得する。

まだ発展途上だったロシアにヨーロッパ、とりわけ当時、文化先進国だったスペインの芸術を輸入したことはロシア文化(もちろん宮廷の、という限定付きで)に大きな影響を与えただろう。


ロシアへは行ったことがない。でも、エルミタージュ美術館には行ったことがある。行ったのはラスベガスにあった分館。そのとき買った図録が手元にある。

今回、この展覧会に行ったのも、ラスベガスで魅せられたスルバラン「聖母マリアの少女時代」に再会するため。

2003年には、まだこの作品の感想を書くことはできなかった。ウェブ上で文章を書きはじめたばかりで、恥ずかしさがあったのかもしれない。15年近く書いてきた今なら書ける。

この絵を気に入ったのは、モデルが「かわいいから」。

最近、『観察力を磨く』(Amy E. Herman, 岡本由香子訳)という本を読んで、絵画は漫然と観るだけではなく、細部を観察することでより深く鑑賞することができ、また自分の感覚を鋭敏にすることを助けると教えられた。

同書では一つの絵を数時間見つめることを勧める。さすがにそこまではできなかったが、「聖母マリアの少女時代」を隅から隅まで見てみると、何となく「かわいいから」気に入ったわけではないことがわかった。


この作品には、「美少女」を構成する要素と私が考えているものが多数、織り込まれている。

「ほんの少し首を傾げて微笑む」(小椋佳「時」)表情。それと気づかないまま聖霊がたたずむ部屋の片隅を見つめる真剣な眼差し。

ボタンのない、身体の線に合わせた細身のワンピース、襟と袖の細やかな装飾、長すぎない黒髪、丸顔、大きくて黒い瞳、ほんのり紅潮した頬⋯⋯⋯⋯。ボタンのない、身体の線に合わせた服とは、ウルトラ警備隊の制服のようなデザインを指す。色味も合わせると、『未来少年コナン』ラナの服にも似ている。

この作品では髪も目も黒い。肌も真白というよりはアジア人の色白という感じ。イタリアで描かれた宗教画では金髪で白い肌が一般的。

マリアの髪や肌はどんな色だったのか。何にしろ、キリスト教内部では、本物がどうであったかより、教会が定めた様式やアトリビュートが優先されただろう。この作品でも服の色は赤で様式に従っている。17世紀前半のスペインでは、「聖書の伝説を身近な現実のエピソードとして理解」する風潮があったと解説されていた。黒髪のマリアはそういう時代に描かれた。

やがて日常を写実的に描くことより、神秘的な表現が好まれるようになる。ムリリョ「無原罪の御宿り」がその典型。流行から転落したスルバランの晩年は寂しいものだったらしい。同じように写実性を究めたラ・トゥールも、長い間、忘れられていた。


少女時代を描いた作品を見ていたら、この作品を初めて見たときのことも思い出されてきた。東京で留守番をしている、まだ幼い娘のことを考えていた。どんな少女に育つのか、遠く離れた出張先で「描かれた美少女」を見つめながら想像していた。

ラスベガスにあったグッゲンハイム・エルミタージュ美術館は2008年に閉館になったらしい。やはり、あの街では人を呼び込む魅力はギャンブル以外にないのか