The Arts through the ages-masterpices of paintings from Titan to Picasso, Guggenheim-Hermitage Museum, The Venetian, Las Vegas


グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、エルミタージュ美術館(サンクト・ペテルブルク)、美術史美術館(ウィーン)の秘蔵品からの抜粋展。主題を解して展覧会の題を原文から訳せば、「時を経る美」となるだろうか。展示を見ながら、「人は絵画に何を託してきたか」という副題でもあうかもしれないと思った。

極めて大雑把にいえば、近代以前、絵画は信仰の表現であったり、事実の記録であったりした。その後、表現方法や道具の進歩とともに、純粋に精密に、写実的に描くこと、純粋に美しく描くことに意味を見出し始めた。神や事件ではなく、自分の身のまわりのことを題材に描くことも覚え始めたのも、ほぼ同時だろう。このあたりが近代前夜から初期、ヨーロッパでは17世紀後半から18世紀中ごろだろうか。

18世紀後半になると、絵画の主題はいっきに内面的なものへ進む。ここでいう内面とは、近代以前に見られた信仰と一体化した精神ではない。世俗化し、社会的、経済的な問題などに囲まれて孤独におびえ、不安におののきながらも、未来を信じて生きて行く、いわば近代的自我の表現である。


本展覧会はそうした絵画の主題の移り変わりに真正面から取り組んでいる。それでいて通り一遍の通史に終わらず、これまで知らなかった画家や、作品なども企画に応じて取り上げられていて非常に新鮮に感じられた。

興味深く感じたのは、近代直前と現代との共通性。中世と現代との共通性については、国際関係論で耳にしたことがあったけれども、これまであまり実感をもったことはなかった。

ところが、展示をみていくとデューラーの自画像やティツィアーノの聖母像などと、セザンヌの「腕組む人」、ピカソの「アイロンをかける人」などの間に、抑えきれない自我を表現するという点で何か共通性があるように感じられた。

あくまでも今回の展示から受けた印象として言えば、ちょうどそれらの絵画のあいだにあるルーベンス、ベラスケスからロココ時代を経て、コロー、モネまでは、技巧の向上や主題の拡幅が前に出ていて、内面的な主題はやや後退しているように感じられた。


潜んでいた自我の問題が爆発しているのは、何と言ってもゴッホ。一言で言えば、今回の展覧会で見る限り、16世紀と19世紀末以降の絵画には人間の「悩み」が率直に表現されているように思われた。

現代美術はよくわからない。こうして時代を追って見ていくと、映像技術の進歩や産業化が「悩み」と関わり合っていくことで、抽象的な絵画になっていったことは理解できるのだが、一枚一枚の絵画にどのように「悩み」が表現されているのかはよくわからなかった。

本展でもっとも心魅かれたのは、スルバラン「子ども時代のマリア」だった。ここまで書いてきた「悩み」や「人は絵画に何を託してきたか」という主題とは、直接関わらない蛇足かもしれない。何に魅かれたのか、悔しいことに、この絵画の魅力は何なのか、私の筆力ではまったく紹介できない

下手な表現をするくらいなら何も書かない方がましだろう


碧岡烏兎