六義園のレンガ壁

『アンネの日記』は実家の本棚にあった。読んだ記憶もある。でも、細かいことは覚えていない。

小学生の頃、横浜の百貨店で「アンネ・フランク」展が催された。隠れ家へつづく本箱の実物大の模型があったことは覚えている。長い列で待ったことのほか覚えていることはない。はっきりした感想も記憶にない。

アムステルダムにあるアンネの隠れ家にも行ったことがある。とてもせまいところに多勢の観光客がいた記憶があるだけで、これまた詳しいことは覚えていない。

要するに、アンネ・フランクを知らないわけではないけれど、その関わりは浅かった。

最近読んだ小川洋子のエッセイ集『犬のしっぽを撫でながら』のなかに、アンネについて書いた文章がいくつか入っていた。そこだけページが緑色だった。そこにはアンネのゆかりの地を訪ねた旅行記を書いたことも書かれていた。

興味をもって旅行記『アンネ・フランクの記憶』を読んでみた。


文章から伺われる小川洋子は繊細な性格の持ち主。エッセイ集を読んだ時の感想は本書を読んでも変わらなかった。十代初めから愛読しいているアンネに対してはもちろん、旅の途中で出会う人に対しても、とても優しい心遣いが感じられる。

本書を読めばわかるとおり、また解説が指摘しているとおり、小川はアンネを「隠れ家にいた少女」としてではなく、書くことの喜びを教えてくれた、旧い友人のように思っている。少し大げさにいえば、一つの文学作品として彼女の日記を評価している。

だから、この旅行記もセンチメンタルな感情からではなく、非常に冷静な目でアンネの短い生涯をたどる。


小川洋子は文章がとても上手い。人の感情のような抽象的なことはもちろん、街や建物のように実在するものの描写も丁寧でわかりやすい。

いま、アンネの家もアウシュビッツも、それぞれにウェブサイトがあり、現地へ行かずとも中を見学することができる。本書の読後、二つの博物館のウェブサイトを見てみた。

パノラマ・ページを見ると、小川の描写がいかに的確で、しかもその場所の雰囲気までもすくいとっていることがわかる。例えば、次ような文章。

   中央には黄色いチェックのクロスを掛けたテーブルがあり、そのまわりを七つの椅子が取り囲んでいる。丸い形のが二つと、四角いのが五つで、そのうち三つは花柄の布が張ってある。デザインが不揃いなのが、寄せ集めの家族による生活を象徴している。下に敷いてある絨毯はえび茶色で、暖かそうだ。脇には折畳み式のワゴンがあって、ティーセットがのっている。窓は黒い板で厳重に覆いがしてある。

読んでいるときにはするすると入ってくるので、文章の巧さに気づかない。こうして現物と比較してみるとよくわかる。すぐれた小説家は、鋭い観察眼を持ち、それを自分独自の文体で表現できる。このウェブ・ページを見て、上のように簡潔に、それでいて過不足なく目の前に広がる情景を描くことはなかなかできない。

それはアウシュヴィッツまで行っても変わらない。強制収容所で小川は構内の異常なまでの規則性に驚き、「人間の残忍さと無数の死を背中合わせに持った"醜い美しさ"」を見る。

   門は大きく開かれ、わたしたちはたやすく中へ入ることができた。門をくぐるとすぐ、両側に並ぶレンガ積みの建物と、それに沿って植えられたポプラの並木が目に入ってきた。建物はどれも同じがっちりした箱型で、長方形の窓が並んでいる。ポプラは首をどんなに曲げてもてっぺんが見えない暗い高く幹がのびている。その建物とポプラが、ぴっちり等間隔で連なっている。ポプラの葉の茂り具合までが、一ミリの狂いも内容刈りそろえられているかのようだ。フランクフルトのレーマー広場に規則正しく並んでいた、椅子の行列がよみがえってきた。並木の突き当たりには、三角屋根の見張り塔がある。

このような見事な写生文が、博物館、ホテル、タクシー、街角の小さな商店など、いたるところを丁寧に観察し、表現している。おかげで読み手は小川に伴われて旅をしている気分になる。読み手は文章が巧みで滑らかなほど、著者が長年鍛錬してきた技量に気づかない。

1995年のポーランドといえば脱ソ連化したばかり。現在では旅行も本書の時代よりずっと便利になっているだろう。


読みやすい文章だったので日曜日の一日で読み終えてしまった。

でも、読後感は軽いものではなかった。小川洋子のアンネ・フランクに対する深い敬意と友情を感じた。そして、もう一つ、本書を読みながら強く感じたことがある。

戦災地の資料館へ行くと、まず被害の大きさ、死者の多さに圧倒されがち。

アウシュビッツで、小川は、数えきれない収奪品に圧倒されながらも、そこで奪い取られた一つ一つの命に想いを馳せている。そこに彼女の豊かな感受性を見た。


さくいん:小川洋子

参考:アンネ・フランク博物館アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所