『エッセー集成』も4冊目。思索は深まり作品は積みかさねられる。そして思想は一人の外国居留者から友人へ宛てた手紙という体裁をもつ「バビロンのほとりにて」から、国境、職業、言語といった、自分をとりまくわだかまりを解き放ち、壮大な規模で広がっている。無理を承知で、できるかぎり、自分の言葉で森思想の全体像がまとめておくことにする。広がりを実感するために。
思想とは何か。晩年の著作『思索と経験をめぐって』(講談社学術文庫、1976年)のあとがきで、森は次のように簡潔に思想について自身の考えをまとめている。
思想とは思索と行動との支柱であり、単なる命題ではない。その本態は存在を自己において確認し、その周囲に新しい展望を拓くものである。「邂逅」および「命名」がその主要な操作であり、それは各自にとっての「魂」である。この古い用語を私は今一度ここで使用する。
人、物、場所、作品に出会う。それは何かしらの感動や感覚を生み出すからすでに一つの経験である。けれどもそれだけでは、森の言う思想としての経験とはならない。原初的な感覚を自覚的なものにするためには、自分自身でその意味を定義する必要がある。
定義するとは、感覚のまま放置せず、言葉、音楽、絵画など、五感によって感じられる方法で表現すること。客観的に見えるものに変えるということでもある。だから定義するためには、感覚を自分だけのものから、客観的なもの、すなわち、もとの人、物、場所、作品へ戻さなければならない。その操作は、ここでは森は割愛しているが、「反省」あるいは「自己批評」と言われる。
出会い、感じて、省みて、考え、表す。森有正における経験は、このような一連の精神的な働き、と私は考える。もう一点、重要な過程は、本書の巻頭に置かれた作品の題名になっている「変貌」という考え。
「出会い」は予期せぬ出来事であり「感覚」は無自覚な反応といっていい。対して「反省」「批評」から「表現」までの活動は自覚的な活動。ところが、「変貌」は再び無自覚な反応。反省と表現を通じて、自分は変わる。変わってしまう。その姿は予期することができない。言葉を換えれば「変貌」は新しい自分との「出会い」。
つまり、森は自分の思想を目指して、思索を続けるのだけれど、たどりつく思想がどのようなものか、前もって把握できるわけではない。何かに向かっていることは確かだけれど、それが何か、はっきりとはわかっていない。
わからない目標に向かって進む。あるいは、突き進むことによって、目標が見えてくる。そして、どこかへたどりついたとき、手に入れたものは必ずしも思い描いていたものと同じではない。だから、たどりついたことはいつもあとから気づくだけ。
究極的な目標を据えて、そこへ向かう運動を進歩主義、そうした最終地点を置かず常に最善を選んでいく運動を進化主義と呼ぶことがある。森の立場は、そのどちらの要素も兼ね備えている。進歩的でありながら、進化的。
このような考えは、おそらく、彼が朝夕に読んでいたカルヴァンのいわゆる予定説、信仰義認説と関連があるとみても間違いではないだろう。別な言葉でいえば、不可知論とも言えるし、もう少し世俗的な言い回しでは「待機主義」という言葉も日記に見られる(1968年1月5日)。
予定説的な考え方は、どうにでもなれという自暴自棄や、何があってもどうにかやれるという相対主義になる可能性を潜在させている。カルヴァン主義は禁欲的な信仰と世俗的な活動の積極的な肯定を通じてプロテスタンティズムを生み出した。森は禁欲的に思索を続けることで、諦めや妥協を避けて、自らの思想を磨いていった。
「バビロンの流れのほとりにて」の冒頭、彼は「僕は僕のヴェリテに従ってのみ自分の思考と行動とを規律しよう」と言うけれど、実は、「ヴェリテ」が何なのかはわかっていない。それを探すために彼は、「自分の思考を行動とを規律」する。言うまでもなく、著作はそうした運動の軌跡。
「ヴェリテに従う」とはそのような見えない目標に向かう意気込みのこと、そう思う。
ところで、森有正の思想について考える時、翻訳の問題を避けて通ることはできない。それは、母語と第二言語の問題とも言いなおせる。
日本語とフランス語。森は二つの言語を往復しながら思索を深めた。彼は、どんな言葉でも翻訳することは可能であると信じていた。
言葉を逐次訳すことはできなくても、二つの文章から出て来る感覚を同一化させることは可能である、というのが森の考え(「『ことば』について」)。
この考えに従い、彼は、芥川龍之介の作品を時間をかけて丁寧に翻訳した。翻訳、朗読、推敲を繰り返す、綿密で気が遠くなるような作業。それができたのは、森が二つの言語についてほぼ同じ水準の能力をもっていたから。普通はどんなに努力をしても、第二言語の能力は母語の能力にははるかに及ばない。幼いときからフランス語を学び、20年以上パリで暮らした森でさえも、完全に母語のように扱えるわけではないことをしばしば嘆いている。
芥川の翻訳の際にしたように多くのフランス語話者の力を借りれば、完全な翻訳は不可能ではないかもしれない。しかしほとんどすべての個人は、両方の言葉に同じ能力をもっているわけではないから、二つの文章が同じ感覚を持つものか、確かめることはできない。それでは個人にとって、母語とそれ以外の言葉は、どのような関係にあるべきなのだろうか。
ここで、森有正とほぼ同じ時代に、日本語と英語で思索と表現をした人間を通じて、母語と第二言語の関係について考えてみたい。その人物とは松本亨。松本は、大学で英語、英文学を教える傍ら、ラジオ英会話の講師を長年勤め、自ら弟子と英語学校も開いた。
「経験」が森有正にとって重要概念ならば、松本亨におけるそれは「英語で考える」。松本亨の著者を読んだのは、15年ほど前。いまは手元にないため、詳述はできないが、私が受け止めた松本亨の英語観を森有正のフランス語観と比較してみる。
第二言語は日本語の置き換えでは習得できない、それが使われている環境に全身を置かなければならない。この基本的な考え方は、二人に共通している。実際に話されている音声を重視したり、その言語で日記を書いたりすることをすすめている点も同じ。
ただし、二人には見逃せない違いがある。森は、日本語で表現できることは必ずフランス語で表現できると考えていた。松本の考え方は反対。彼によれば英語で表現できないことは、思っていないことと同じ。
言葉を換えると、森は、母語である日本語と同様に、フランス語も確立した言語世界であると認識している。
松本は母語は確立された世界としてとらえる一方、第二言語はずっとずっと小さい世界ととらえる。例えば「腹が減っておなかと背中がくっつきそう」のような文。日本語が母語であるなら、このように思うことは大げさではない。これを第二言語でどう表現するか。もちろん、二人とも直訳などしない。
森ならば、フランス語文化において、強い空腹をどう表現するか、調べたり考えたりするだろう。生まれながらのフランス語話者に尋ねることもできる。そうして、原文と同じ意味合いを出す言葉づかいを見つけることが、森有正のフランス語への態度。
松本亨式「英語で考える」を実践すると空腹である状態を自分が知っている英語で表現しようとする。つまり"I am hungry"しか知らなければ、心の中で母語でどう思っていようと、その人の英語の表現としては"I am hungry"しかありえない。あるいは、"I want to eat something now," "Food!"でさえも構わない。日本語に対しての英語ではなく、感じている気持ちを自分が知っている英語で表現することに、「英語で考える」は主眼をおく。
森はフランス語を小学生時代からフランス人について学んでいた。彼の述懐から推察すると、大学の仏文科へ入る頃には、ほとんど読み書きは不自由していなかったらしい。森がコミュニケーションの手段としてより、文化の土台としての言語に関心を向けていったのは、こうした来歴によるものと思われる。
英語教師である松本には未熟な学習者の視点がある。他の言葉を覚えるとはどういうことか、という視点。人は自分の経験から離れて生きることができない、という考えが、森の考え方の源にある。それに従えば、母語とそれ以外の言葉についての関係は、森の特例的なフランス語観より、松本の英語観の方がむしろ森の基本的な考え方に合致するように感じられる。
森が完璧主義に陥っていると批判したいわけではない。森の言語観が間違っているというつもりもない。すでに書いたように、森はコミュニケーションの手段としてではなく、文化の土台として言語を論じている。そこでは、確かに二つの言語の翻訳は可能であるという完璧主義に立っているが、自らの思索に対しては、独善的な態度はとっていない。
サルトル、デリダ、メルロ・ポンティ、ブルデュー、ジャンケレビッチ、それからフーコー。当時まだ日本ではほとんど紹介されていなかったフランス現代思想を、森は直接、現地で原語で吸収している。にもかかわらず、彼は自分の思索を表現する時に他の人間が編み出した用語を流用しない。フランス思想で長年培われたフランス語をそのまま転用しない。
また、彼は新語を作らない。新しい言葉によって新しい概念を表わすことはしない。すでにある言葉を使い、その言葉によって表わされる意味内容を磨くことに専心する。
彼は、日記をはじめ多くの文章をまずフランス語で書き、日本語で発表する際には自ら翻訳もした。そこにはフランス語の単語がそのまま残されるようなことはほとんどない。彼の思想の鍵概念は、経験、促し、変貌。いずれも彼の母語である日本語で表現されている。
森はいわゆるナショナリストではないとしても、少なくとも日本語主義者であったとみることはできるかもしれない。つまり、フランス語、日本語というように個別に存在する言語体系としてとらえているから、フランス語で思考、日本語で表現という切り分けができるし、また、そうしてしまう。
今日、個人のあり方はもっとクレオール的、あるいは、エクソフォニー的。一つの言語は、多くの言語と重なり合っているし、一人の人間は、さまざまな言語を少しずつ吸収している。完全な母語と不完全な外国語を身につけているわけではない。誰もが一つの自分の言葉をもっているにすぎない。
だから、日本語での表現に対する過度のこだわりについては森の考えは批判されるべきだろう。あるいは、森が生きていた時代はともかく、いま、エクソフォニーな世界に生きている私は、彼のように複数の言語の間を顔をしかめながら往復する必要もない、と言うべきかもしれない。
好むと好まざるとにかかわらず、すでに混沌とした言葉の世界に、私たちは生きている。
そのように考えると、すでにある言葉によって考え自分の文脈で使うことにより、その意味を深め、そうして言葉を磨く、という森のスタイルは、言語の壁を越えて一つの模範になるように思われる。
最初に引用しておいた思想の定義は、まさに既存の言葉を磨きあげて自分にとって特別な意味を生み出す、森の表現方法の真骨頂といえる。
とすれば、自分が知っている言葉で考えて、表現したことだけが、その人の言語世界をつくる、という松本亨の考え方を、森は思索において充分に理解し実践していた、と言えるのではないだろうか。
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