最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

東京駅内壁

5/22/2016/SUN

川端康成コレクション 伝統とモダニズム、東京ステーションギャラリー、東京都千代田区


中身の濃い展覧会だった。

  • 美術館じたいが歴史的建築で、美術的価値も高い。階段の壁は歴史的遺構。
  • コレクターが気に入ったものだけを選んだ個性的な作品群
  • コレクションと作家の創作との関わりに注目した展示。
  • 川端の「初恋」を相手からの手紙で展望。のちの創作の原点を見る。

白状すると、川端康成は『伊豆の踊子』と『掌の小説』しか、読んだことがない。

それでも、十分に楽しめる展覧会だった。大正時代の恋愛事情や浅草の風俗なども垣間見ることができた。「奇形児の大集団」や「熊女」を宣伝する見世物小屋のチラシに目が留まった。


展示された作品でよかっ作品。

東山魁夷、高井貞二、黒田辰秋(木工)。ほかの作品も見てみたい。

東山の「冬の花」と「北山初雪」は、友人として病床にいる川端に贈ったもの。買ったものではなく、まったくの私物というのだから言葉も出ない。

いったい、どれだけ稼げば、これほどの美術品を買えるのだろう。昭和初期の小説家は、それほど儲かる仕事だったのだろうか。


かつての「文士」は、最近の「ヒルズ族」のようなものだったのかもしれない。成功と失敗の差が非常に大きい。

出口近くに太宰治が川端康成に送った手紙が展示されていた。「芥川賞」に推薦してほしいと懇願する手紙で、生活も困窮していると泣き言のようなことを書いている。

若くして成功した人は国宝級の骨董品を蒐集できるほど稼ぐ。一流の文士は一流の芸術家と交際し、私的に貴重な作品を譲り合ったりしている。その一方で、帝国大学を卒業しても賞を取っていなければ、生活もままならない。

新田次郎は、直木賞の賞金で吉祥寺に家を建てた。『小説には書けなかった自伝』(1976)にそう書いてあって驚いた。今は毎年二回、数人ずつ選ばれるのだから、文学賞の価値も希薄になっている。

今、原稿料で暮らしている人で、あれほどの美術品を買える人はほとんどいないだろう。


現代で、成功して一財を成し、道楽三昧できるのは、テレビタレントかミュージシャンか、引退後のスポーツ選手か。私が知らないだけで、作家や画家でもそんな人がいるのだろうか。


ところで、作品をほとんど読んではいない川端康成の残したもののなかで、気に入った文章が一つある。近代文学館の川端康成記念室で見かけた「希望」という一文。

書かれたのは、昭和5年(1930)、川端、31歳のとき。

この文章は、日本文学史上、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』にも匹敵する、正直な心情の吐露と思っている、決して皮肉ではなく。

      「希望」
一   妻なしに妾と暮らしたいと思います
二   子供は産まずに貰い子の方がいいと思います
三   一切の親戚的なつきあいは御免蒙りたいと思います
四   家は今の所、二階一間、下一間で用は足りますが、食べ物は贅沢で、
      同居の女は教養の無いのがいいと思います
五   自分の家に建てたくない代わりに月のうち十日は旅にいたいと思います
六   仕事は一切旅先でしたいと思います
七   原稿料ではなし、印税で暮らせるやうになりたいと思います、
      せめて月末は困らないやうに
八   風邪をひかず、胃腸が丈夫になりたいと思います
九   いろんな動物を家一ぱい飼いたいと思います
十   横になりさへすれば、いつでも眠れるやうになりたいと思います
   昭和五年                  私の生活(3)
   新文芸日記               上野桜木町