硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2012年12月


12/1/2012/SAT

平和について

インターネット上で文章表現をはじめて10年経った。

『烏兎の庭』というウェブサイトを開いた頃、親しい友人に読んでもらった。彼の反応は「オマエは何の話を書きはじめても、最後に戦争と国家になるな」。

確かに2002年から2004年、「第一部」として文章を書いていた「あの頃」は拙いなりにも社会科学的な思考に傾いていた。この数年は自分の心境ばかりを書いている。それもまた極端な傾向ではある。

文章を書くことは、私に取って擬似的な自傷行為ではないか、そう思うことがある。自虐的な書き方で自分を貶めながらも、核心を突き刺すことはない。

ここしばらく、ウェブ上で文章を書くことをやめることを考えていた。心身の調子もずっとよくないし、10年という区切りも悪くない。

今日のところ、まだやめる決心はついていない。かといって、10周年を機にもっと書こうという意欲が湧いてくるわけでもない。

こういう中途半端な気持ちがしばらくは続いていくのだろう。


久しぶりに散歩に出た。家のすぐそばで色鮮やかな銀杏を見つけた。ふだんは朝夕、足下ばかりを見て歩いているせいか、気づかなかった。


12/8/2012/SAT

3年前、今の会社にはいってからいろいろ助けてもらってきた人が2名、レイオフされた。数ヶ月前に閑職に追われていたので、本人たちも予測はしていた。私も心配しながらも、もう止められないだろうと悲観的にみていた。これが米系企業で働くということなのか。

少しずつ、そういうことに慣れている。今年は、モチベーションがなく、遅刻欠勤を繰り返す人に辞めてもらう画策に私も加担した。

外資系企業、とりわけ私のいる業界では日本支社でもアメリカにある本社でも転職や解雇は頻繁にある。株主は短期的な業績を求めるので、経営者は儲かると増員し、減益になると批判を受ける前に先手を打って人減らしをする。

買収も頻繁にある。嫌になって辞めて転職した先が元いた会社に買収されるという笑えない話も珍しいことではない。

だんだんそういうことに慣れていっている。慣れて、うまく泳いで同じ業界で生き残れていることが「スキル」と勘違いするようにもなっている。

実際のところ、私にはこの業界で通用するスキルも知識ももっていいないし、ゴルフもせずに毎週末寝込んでいるような怠け者は、一般的な意味でも営業職はまったくのミスマッチではないかと思う。

それでもいまはこの仕事しかないのだから、この仕事に勤めるほかないあと何年続けられるか、わからない。いまは目標もなく、キャリアプランもない。

仕事どころではない。自分が自分の感情を制御して、きちんとした個人として生きていける自信も薄らいでいる。自分自身を制御することができなくなれば、自分の精神はもとより自分の肉体も生命も失うことになるかもしれない。近頃、そんな不安が増してきている


12/21/2012/SAT

最近、読んだ、というより眺めた本の感想をすこし。先にブクログに書いておいたもの


昭和遺産探訪、藤木TDC、宝島2012

私にとっての「昭和」は1973年あたりから1989年までの約四半世紀。本書を見るととくに懐かしく思うのは1970年代後半

とりあげられたもののなかで、私にとっても「昭和」を強く感じさせるもの。ラジカセ、野球帽、野球盤変形学生服(中ラン)赤本……。


ヨーロッパ聖地巡礼: その歴史と代表的な13の巡礼地(Pilgrimage: A Spritual and Cultual Journey, 2009)、Ian Bradley、中畑佐知子・中森拓也訳、創元社、2012

わずか30年ほど前の1980年代に「巡礼地」となったメジュゴリエを知った。スペインのファティマにマリアが現れたのは第一次大戦のさなかだった。メジュゴリエにマリアが現れたのも戦乱の時代。そのような過酷な時代に人々は救いを求めるのだろう。

多くの聖地は巡礼地というよりは、物見遊山ででかける観光地となっている。それでも「信」を求めて巡礼する人々は少なくない


12/25/2012/TUE

非業の死、無念の死をとげた人の誕生日を、その人が亡くなったあとにも祝う気になれるか。

あんな死に方をした。あんな人生だった。いやいや、それでも、生まれてきてよかったんだ。「おめでとう」。そう自信をもって言えるか。

キリスト教に少し興味をもつようになってから、毎年、この時期になると同じことを考える。

年が明けても、同じ問いが胸を離れない。そして、答えは見つけられていないのに、春になるとだんだん気に留めなくなっていく。そして、寒い季節になるとまた同じことを問い返す。そうして一年がめぐる。

そういえば、息子を亡くしたマイケル・ローゼンは絵本『悲しい本』の最後のページで誕生ケーキに灯るろうそくの火を見つめていた。その表情は悲しみとも安らぎとも見える不思議な微笑だった。

多くの文学者の没日が記念されている。遺族からは記念するなら誕生日にしてほしいという声があると聞いたこともある。

生まれてきたこと、それだけでも幸福と思えるようになりたい。


12/28/2012/FRI

録画しておいた福原愛の出演した『徹子の部屋』を見る。この番組を見ることじたい久しぶりだった。黒柳徹子は話すことがかなり辛そうに見えた。永六輔と同様に同じ世代の人々には、いつまでも現役でいること、またそれが認められていることが励みにもなっているのだろう。

インタビューは、よく準備されていた。「卓球は100mを走りながらチェスをするような競技です」という言葉があった。ここはぜひ、この名言を残した人、何度も世界チャンピオンになり、卓球を国際スポーツにすることに尽力した荻村伊智朗の名前も紹介してほしかった。ともあれ、いい番組だった。

実は、以前から福原が公の場でも「お母さん」と呼ぶことが気になっていた。今回の番組のなかでは「母は」と話していた。誰がか助言したのもしれない。

番組の最後「次回のゲストはタモリさん」という予告があった。そうだった。毎年一回、タモリは仮装して『徹子の部屋』に出ていた。今でも続いていたとは驚いた。残念ながら、この回は見られなかった。


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uto_midoriXyahoo.co.jp