硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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9.8.12

つぶやき岩の秘密(1972)、新田次郎、新潮文庫、2012

小説には書けなかった自伝(1976)、新田次郎、新潮文庫、2012


これまで文庫になっていなかった新田次郎の作品が二つ、文庫化された。生誕百周年の記念。一つは、「NHK少年ドラマシリーズ」の原作になった、いわゆるジュブナイル小説、もう一つは自伝。自伝は10年近く前、図書館で借りた全集で読んだことがある。その図書館は彼の住んでいた街の中央図書館で、本名である藤原寛人の署名が入っていた。

『つぶやき岩の秘密』は1972年に発行された「新潮少年文庫」が家にあった。好きな作品なのでドラマのDVDも持っている


新田次郎の文章はとても読みやすい。まわりくどい表現や余計な装飾もない。こういう文章を写生文と呼ぶのだろうか、状況を説明する文章が詳しく、丁寧に書かれている。新田は山岳小説や冒険小説の名手で知られている。作品の冒頭に地図が掲げられていることも多い。『つぶやき岩の秘密』の文庫本にも、舞台となった三浦半島の地図がついている。

『自伝』のなかでも、自宅近くの散歩コースが詳細に書かれている。同じ街を知っていると彼が歩いている街角が目に浮かんでくる。

地図があり、状況が詳しく書き込まれていて、一読すると素っ気ない報告書の文章のように見えることがある。ともかく、ドラマの舞台は詳しく書き込まれているので、読んでいるとまず風景がありありと浮かんでくる。

登場人物の心情は、詳細な状況報告のあとでひかえめに書かれることが多い。読み手はすでに物語の風景の中にすっかり入り込んでいるので、簡潔な表現でも登場人物の気持ちはよくわかる。

中学三年生のころ、新田次郎に熱中した時期があった。『孤高の人』『栄光の岸壁』『銀嶺の人』『アラスカ物語』『珊瑚』『八甲田山 死の彷徨』など、たてつづけに読んだ。彼の作品にとりつかれたのは、物語の魅力はもちろんのこと、まず文章が読みやすく、中学生にも容易に理解できたことも大きな理由だろう。


むかし「読んでから見るか、見てから読むか」という文庫本と映画の宣伝文があった。『つぶやき岩の秘密』の場合、どちらから入っても、それぞれに味わい深い。私の好みでは、どちらかといえば映像作品のほうを気に入っている。もちろん、原作あっての映像。原作の風景描写が詳しいので、映像作家は作りやすい面と自分の表現を打ち出すことが難しい面とおそらくは両方あっただろう。

「少年ドラマシリーズ」版の映像作品のほうに魅力を感じるのは、原作に込められている主題を展開し、物語を深めているから。つまり、まず第一に、脚本を書いた鎌田敏夫は原作を実に深く読み込んでいたことが想像される。

十代の読者を対象に想定した『つぶやき岩の秘密』の主題は、一言で言えば「少年の成長」。それを支える柱としてドラマのほうでは「大人との交流」と「両親の亡霊」を小説よりも前面に出している。

小説では隠されていた金塊は想像していたよりずっと少なく、そのため命をかけ、他人を犠牲にしてまでそれを守り続けてきた白髭さんたちは愚かで、人生を無駄にした人たちと紫郎は思う。紫郎にすっかり感情移入している読み手もそのような感想に導かれる。おそらく、原作を書いた新田次郎は「隠された金塊」というモチーフを戦争の愚かさの象徴として描こうとしたのだろう。

ドラマ版の中で、白髭さんは分別のある大人として描かれている。彼は自分の半生を後悔する老人であるとともに、紫郎が大人へ成長することを促すメンターでもある。この点で、白髭さんはドラマのほうがより奥行きと深さのある人間に描かれている。これは、ドラマの方を何度も見て、小説は数回読んだだけの私の感想。


ドラマ版の最終回は、何度も見る。すこしさみしい気持ちになった夜に一人で見ることが多い。石川セリの歌う主題歌「遠い海の記憶」が長い長い前奏のあと流れる。

。紫郎ほど身近ではないにしろ、私も海を眺めながら育った。

ラスト・シーン、「さようなら、お父さん、お母さん」という紫郎の台詞は、いつ聴いても心に沁みる。

紫郎よりずっとずっと年をとり大人になってしまっているにもかかわらず、私には、まだこの言葉が言えない。



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