「国内国際高校記録」について


新聞によると留学生によってつくられた高校記録が抹消され「国内国際高校記録」という扱いになるという。いずれそうした愚挙がどこかの分野でされるだろうと思っていた。今さら国境や出生で人を区別する意味などどこにあるのだろう。

アフリカからの留学生の作った記録は日本記録ではないのだという。では、アフリカから日本に移住した夫婦から生まれて、日本に住んでいる外国人登録者のつくった記録はどうなるのか。日本国籍を持つ夫婦から生まれた後外国の高地にずっと住んでいた人が、マラソンで驚異的な記録を出したら日本記録と呼べるのか。日本で生まれ、アメリカのリトルリーグで活動した後、日本の高校野球、プロ野球で活躍する選手は助人というのか。

こうした事例はすでにあるだろうし、これからもっと増えるに違いない。滞在期間など条件を細かく決めることは不可能ではないかもしれないが、そうした規則を意図的に抜ける人もいれば、意図せずにはみ出す人もでてくる。さらに細かい基準で人を区別しようとすれば、必ず肌の色とか、生まれた場所とか、結局、差別的、恣意的な区別を持ち出すことになる。


競技者からみれば、記事にもあるように「(生まれながらの国籍保有者としての)日本人が勝てないと決めつけられているようで情けない」という気持ちにもなるだろうし、大会や記録の権威も落ちるだろう。記者の質問に答えた高校生の返答にいみじくも露呈されているように、このような愚策は、いわゆる「日本人」を勝たせるための奇策でしかない。日本に住んでいても、日本国民でない人、あるいは日本国民であっても多くのいわゆる日本人とは風貌が違う人のことは、まったく考慮されていない。

大会の権威を貶めないようにするのは簡単。オープン大会にすればいい。予選を勝ち抜いたり、標準記録を突破したりすれば、どんな人でも出られて、競技に勝てば、どんな人でも称えられる、そんな大会にすればいい。記録は、大会記録と世界記録だけを認定すればいい。ウィンブルドンもオーガスタも、オープン大会だからこそ、世界中の競技者が目指す舞台になったのではないか。


矛盾を避ける、まったく正反対の案もある。日本国籍をもっている、つまり法的に日本国民といえる人だけに参加資格を与える方法がそれ。

日本プロ野球でシーズン最多本塁打記録を今も保持する王貞治は、その理由で国民体育大会に出場できなかった。日本スポーツ史の汚点。


碧岡烏兎