アウグスティヌス神学における歴史と社会(Saeculum: History and Society in the Theology of St. Augustine、Cambridge University Press, 1970)、R. A. Markus、宮谷宣史・土井健司訳、教文館、1998


アウグスティヌス神学における歴史と社会』は、偶然見つけた。『告白』を読み終えてから、もう少しアウグスティヌスについて知ってみたいとは思っていたものの、これという本には出会えないでいた。本書はかなり専門的で全容を理解できたとはとても言えないけれど、いくつか興味深いことを学んだ。

歴史には、進化と進歩という考え方がある。進化には最終地点はなく、ただ現在より前に、あるいはより善に進むだけ。進歩は、最終目的地が決まっていて、歴史はそこへ向かって進んでいく。

一般的には、キリスト教は進歩史観と思われているけれども、本書で解説されているアウグスティヌスの終末論は少し違う。最終目的地である「神の国」は確かにある。でも生きている人間は誰もそこにたどり着けないし、それを知ることもできない。

この考え方は、この世の一切に対するあきらめをもたらしかねない。『社会契約論』の最終章「市民の宗教について」にあるルソーのキリスト教批判は、この論理に基づいていた。ルソーによれば、キリスト教は死後に関わる宗教であり、現世で活きる宗教ではない。

ところが、アウグスティヌスの歴史観、いわゆる終末論は違う。マーカスは一見すると現世をあきらめるような歴史観から、現世を変革する力を導き出す。


力の源は、人間の生命が有限である事実に由来する。人間は、肉体の死に向かって一方通行に進む時間を生きているので、進化的に生きることはできない。生きることは死に向かうことであり、また生きることは、過去が広がることでもある。

過去とは、罪のこと。人間の弱さと言ってもいい。死に向かう時間を自覚できる人は、過去を忘れない。過去を忘れないことが、死へ向かう一歩を力強いものにする

しかし、神の言葉、福音を知ることは、同時に、自分の弱さを思い知らされることでもある。神の国に近づいているように感じれば感じるほど、同時にそこからあまりに遠い自分を感じないではいられない。人間は、いつまでも同じ場所で、近づきながら遠ざかるような、高く積み上げながら同時に掘り下げるようなことを続けるしかない。その場所が近づくほど遠ざかるほど、また高いほど深いほど、自己と呼ばれる、譲り渡すことができない場所になる。

人間は生きているかぎり、神の国に近づくことはない。その距離は、いつも同じように遠い。そこから、現世、地の国のことは、すべて人間に委ねられている、人間に責任があるという考えが出てくる。


著者は、アウグスティヌスがアフリカ人だった事実を重視する。ヨーロッパ精神の真髄のように思われているキリスト教の、本流とも言われるカトリックの中心は、北アフリカでそこにいる人々に宛てて書かれた文章や説教に影響を受けている。アウグスティヌスは辺境の一司祭で、教会組織のなかで必ずしも本流ではなかった。こうしたことを踏まえ著者は、キリスト教に多面的な源泉を見出しながら、アウグスティヌスから政教分離の原則を導き出す。

ローマに対抗して「真の教会」を主張するアフリカのドナトゥス派に対し、アウグスティヌスは、この世に神の国を体現する組織はありえないと反駁する。この言葉はそのままローマ帝国とローマ教会に対する批判になる。

アウグスティヌスの終末論的視野においては、唯一の真のキリスト教的社会と過去、現在、未来のいかなる歴史的な社会であれ、それとの間にある隔たりは無限であった。(「第五章 アフリカ人宛に書くアフリカ人」)

重要なのは、等しく無限に隔たっているという点。より神の国に近いという組織も人もない。より積極的にそこへ近づくこうとする人々はいるとしても、それは近いことを示していない。

すなわち、キリストの到来から世の終わりまで全ての歴史は同質であること、それは聖なる歴史から引き出された範型との関係で位置づけされないこと、そしてもはや聖なる歴史の中で深い意味を与えられる決定的な転換点を含み得ないということである。あらゆる瞬間は、人間の業と苦しみについての究極的な神の劇的場面の中では独自なまた神秘的な意義を持っているかも知れない、しかしそれは神の啓示が解決の鍵を与えてはくれない意義である。(「第一章 歴史—聖と俗」)

つまり、現世(著者の術語では「世界」)の出来事はすべて人間の技であり罪であるという意味で業となる。人間は先があることはわかっていても、先への道が見えない旅の途上にある。モルトマン、ボンフェッファー、バルトなど、これまで名前だけは聴いている現代の神学者を、著者は同じ文脈で引用している。なかでも、ユルゲン・モルトマンの『希望の神学』から引用された《旅人の状態》(status viatoris)という言葉は、業務といえ一人旅のあいだに読んだ言葉だけに、強く重く心に沈んだ。