1/1/2022/SUN
2022年のアクセス解析
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- 精神健康の基準について、「つながり」の精神病理(中井久夫コレクション2)、ちくま学芸文庫、2011
- 山村良橘先生のこと
- 梅の残り香 - 烏兎の庭 第七部
- 烏兎の庭
- 「終わりの始まり」について
- モンスリーのPTGとして『未来少年コナン』を見る
- 庭師 - プロフィール
- 山村良橘先生のおまじない
- 山村良橘先生語録
- 教養主義の没落――変わりゆくエリート学生文化、竹内洋、中公新書、2003
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2023年にしたいこと。
第一に、手書きで文章を書きたい。
この数年、ほぼ毎日ブログを更新してきた。そのすべての文章はパソコンで書いた。
下書きのメモやツィートもMacやiPhoneで書いている。
そこで心配されるのが漢字力。読んだり、パソコンで正しい漢字に変換したりすることはできても、手書きでは書けない漢字が出てきた。
これは良くない。
だから今年は手書きを増やそうと思う。毎日は無理でも、週に一度は万年筆で書く。漢字力の低下を防止するとともに、機械に頼らず「筆触」(石川九楊)を感じたい。
文字を書くことも下手になっている。パソコンやスマホがない時代には、手紙もよく書いていた。もちろん手書きで。
文字は同じ大きさで、同じ傾きで。サイズは今書いている文章よりも小さかった。それでも書けた。書けていた。
あの頃の感覚を取り戻したい。
手はじめに100ページのノートを買ってきた。右側のページにだけ書いていけば、週一回でちょうど一年になる。
このノートを使い切ることを今年の目標にする。
去年は心身は安定してはいた。強い抑うつ状態になることもほとんどなかった。今年は、その次の一歩を踏み出したい。新しいことに積極的に取り組んでみたい。
在宅勤務になって通勤時間の分、3時間が自由に使える時間になった。有効に使いたい。
以下、実現性の高いものから書いておく。
英語はかつて毎日仕事で使っていた。営業職を辞めてからも、ニュースだけは聴いていた。その習慣も昨年途切れた。読んだり聴いたりを趣味として楽しみたい。
フランス語は、何度も「始めては挫折」を繰り返している。テキストや参考書、音源はたくさん持っている。少しずつでも続けるようにしたい。
長編小説はすでに用意してある。『永遠の都』(加賀乙彦)。文庫本で全七巻。寝る前に少しずつ読み、夜の楽しみにする。
ピアノは前からしたいと思っていたこと。子どもが練習していた電子ピアノもやさしい教則本もある。夕方、退勤後、夕飯までのあいだの習慣にしたい。
今日まで休み。今年も、実家で呑んで食べて寝るだけの怠惰な時間を過ごした。
そのせいで加山雄三のラストパフォーマンスも見逃し、駅伝は上り坂の区間のあいだ眠っていた。初詣にも行かず、本も読まず、テレビもほとんど見なかった。2日の夜はいつも通り、10時に寝ていた。
映画だけは『シン・ウルトラマン』を小学六年生の甥っ子と見た。面白かったようで紹介したこちらもうれしくなった。もっとも私自身はこの作品に対し、何度も見返したいほどの思い入れはない。「よくできている」という冷めて見方をなぜかしてしまう。
連休最終日。のんびりしている。本の感想の下書きを書いたり、長編小説を読み始めたりしている。午後には今年最初のカレーを作るために玉ねぎ9個を炒めはじめた。
写真は実家の庭で見つけた万両と、母が作ってくれたお雑煮。鶏肉、大根、にんじん、ほうれん草だけ(+お餅)のシンプルなレシピ。継承したい我が家の無形文化財。
さくいん:ウルトラマン
今年も美術展案内の雑誌を買って、計画を練っている。
ちょうど3月に家族で箱根の温泉へ行く予定なので、ポーラ美術館には行かれそう。今年は美術館目当てで遠出をしたい。
昨年は、トーハクに一度も行かなかった。『国宝展』も混雑を恐れてあきらめた。今年は行きたい。
さくいん:東京国立博物館
在宅勤務は電気代が自己負担。会社は在宅勤務手当も物価高騰手当も出してくれない。
もちろん昇給はない。
なので節電のため暖房はつけずに膝に毛布をかけている。
今日はそれでも寒い。
昼休みは布団の中。
妻がクリスマスに電気ひざ掛けを贈ってくれた。軽くて暖かい。チェック柄もいい。今までひざに掛けていた毛布は、布団用を折りたたんで使っていたので重かった。
その毛布は掛け布団下に敷いた。掛け布団は少し重い方がよく眠れるとどこかで聞いた。
手書きにこだわりたいという今年の目標にぴったりの本を見つけた。
いろいろな手書き文字が紹介されている。甲骨文字から顔真卿の楷書までの手書き文字の歴史もわかる。付録には歴史上の有名人の手書き文字がずらりと並んでいる。
とくに注目したのは、70年代から現在まで、主に十代の少女たちに広がった手書き文字の流行史。80年代の丸文字がなつかしい。
本編39ページとは思えない充実した内容。
手書き文字と言えば、私のお気に入りは、東洋文庫ミュージアムにある科挙の合格答案「殿試策」。まるで印刷したように均整がとれていて一つ一つの文字も丁寧に書いてある。
私が手本にしているのは姉の手書き文字。70年代末から亡くなった81年2月までの日記に残っている。小さくて、少し角ばっている。字の大きさは揃っている。
写経のように文字を真似しながら書く。これも一つの「喪の作業」(グリーフ・ワーク)と言えるだろうか。
『たくさんのふしぎ』は、大人でも大満足する内容であることが多い。『シュヴァル 夢の宮殿をたてた郵便配達夫』がその好例。
今回は偶然Twitterで本書を知ることができた。この雑誌は毎月チェックしておかなければいけない。
本書は、年末に吉祥寺へ出かけたときに購入した。表参道から移ってきた児童書専門店、クレヨンハウスでは売り切れで、ジュンク堂にもなかった。ダメ元でサンロードにある老舗、ルーエでようやく見つけた。かなり売れているらしい。大人も楽しめる絵本なのだろう。
さくいん:70年代、80年代、東洋文庫ミュージアム、悲嘆(グリーフ)、フェルナン・シュヴァル
日経新聞、2022年10月22日、書評欄「あとがきのあと」で紹介されていた本。
本と言葉に関心のある人におすすめしたい。一冊の本が、これほどの時間と労力と知恵を注いで作られているとは、正直、知らなかった。
本書には本と言葉への愛情が詰まっている。世に出る本を少しでもいいものにしたいという仕事への矜持を感じる。著者は「天職ではない」と謙遜しているけれど、興味のない仕事をやる気のない働き方でこなしているだけの私から見ると羨ましくて仕方がない。
著者の本に対する愛情は本文だけでなく、奥付にもよく表れている。装丁、DTP、印刷・製本に関わった人たちの名前がちゃんと書いてある。あとがきには校正・校閲の担当者への謝辞もある。
本への愛情にあふれた本を読んでいたら、一度は消えた「本を作りたい」という願望がふつふつと湧いてきた。
20年間、ネット上で書いてきた。その間、校正・校閲、リンク・チェックをずっと自力でしている。これまでに書いた文章を読み返すと、いまだに誤字脱字や事実誤認、そしてリンク間違いが見つかる。行末を文節で区切ることも書くときに注意していても、あとからできていないところがしばしば見つかる。
編集から、校正・校閲、印刷、装丁・製本まで、信頼のおける人たちを見つけて、セルフ・プロデュースで本を作ってみたい。
還暦の記念はどうだろう。それならば時間はまだある。資金も作れるかもしれない。
本も映画や音楽のように関わった人の名前を表示すべき。本は著者の作品であると同時に多くの人が関わり完成する商品でもあるのだから。
『本のエンドロール』(安藤祐介)という小説では巻末に関係者が列挙されていた。あれくらいは巻末に記載してほしい。
作品を上梓した功を著者が独り占めするのは間違っていると思う。
追記。本書を読んでから、本を読むとき、固有名詞やモノの名前が出てくると、どんな風に校閲したのか、本筋よりも気になるようになった。
さくいん:日経新聞
2002年から2005年まで正月休みのあとはラスベガスへ出張していた。勤めていた会社がCES(Consumer Electronics Show)に出展していたから。
ラスベガスでの仕事は楽ではなかった。一日中、立っていて来訪者に製品の説明をしたり、予め約束しておいて日本の顧客を本社の幹部に引き合わせたりしていた。
財布のゆるい会社だったので(だから結局倒産した)、毎晩豪華な食事を楽しんだ。成功するとは思っていなかったけど、よもや倒産するとは思ってもいなかった。
仕事の合間に、当時ベネチアンにあったエルミタージュ美術館の分館を観ることができたのはいい思い出。ギャンブルはやらなかった。
正月休みのラスベガスは展示会の来客と重なり大混雑だった。あの喧騒と人混みに疲れてしまい、仕舞いには空いた時間は部屋でイグナチウス・ロヨラの自伝を読んでいた。
ラスベガスには何でもあった。ニューヨーク、パリ、ベネチア、エジプト。どれもアメリカ資本主義流に解釈されて醜悪だった。
あの街へは、もう二度と行くことはないだろう。本社があったシリコンバレーには、もう一度行ってみたい。夢を見て、夢に負けた街。
さくいん:ラスベガス、イグナチオ・デ・ロヨラ、シリコンバレー
日曜日、少し早い気がするけど梅林の様子を見に小金井公園まで出かけた。
思っていた以上に咲いていた。咲いていると思っていたロウバイが一分咲きで、白梅や紅梅には5分ほど咲いている木もあった。
梅林を散策したあと、久しぶりに江戸東京たてもの園に行った。残念なことに私の好きな居酒屋、鍵屋が修復中で見られなかった。
それから武蔵小金井駅まで歩いて、タンメンを食べて帰宅した。13,000歩以上歩いたのでとても疲れた。帰宅して1時間、昼寝をした。
過去の文章を読み返してみると、2021年1月10日に小金井公園へ、昨年は1月15日に神代植物公園へ行っている。この時期、梅を見たくなる習性があるのだろう。
「弁当を使う」という言葉は最近では使われなくなったのか、とエッセイストの森まゆみさんがツィートで疑問を呈していた。
この言葉、どこかで聞いたことがあると思い、探してみたら見つかった。
ダイスがモンスリーを昼食を持って見舞う。
「ちょっと弁当を使わしてもらおうと思ってな」
1978年の作品。私自身、ふだん使うことはないけど、消滅したわけではなかった。
このツィートは珍しくよく読まれたので書き残しておく。
さくいん:『未来少年コナン』
年末、東京駅近くの丸善で購入した。新刊本を買うのは久しぶり。
国際平和と歴史。それは、まさに私が学びたいと思っていたこと。研究したいと思っていたこと。修士課程修了とともに終わった夢。
夢の跡をたどることができると期待して、最新の歴史研究、主に高校生に向けた入門書を紐解いた。とても勉強になった。
学んだことを一言でまとめると「歴史を複眼的に見よ」ということになる。
歴史を複眼的に見ることによって、初めて歴史を理解することができ、現代への示唆を得ることができる。本書を読み終えてそういう感想を持った。
大学院にいた頃、自分が研究したいことがわからなくなった。制度や理論の歴史なのか、思想の歴史なのか。視点は現代にあるのか、過去の同時代にあるのか。どの問いにも答えることができず、結局、何を究めたいのかわからなくなり、私は学問の道をあきらめた。
30年を経ていま思う。平和を構想、もしくは夢想した人たちの「思想」を、私は研究したかった。もう一歩踏み込んで言えば、どんな人間が平和な世界を作るのか。そういう人間はどのように育まれるのか。そういうことに興味があった。いまになってようやくわかる。
当時は分からなかった。しかも、自分の内側にある心の平和も築けていないのに、自分の外側にある社会の平和について研究しようという矛盾を私は抱えていた。まずは心の平和を確立すべきだった。
その心の平和を見出すためにそれから30年かかった。だから当時、自分の研究心の焦点が絞られていたとしても、研究を続けることはいずれにしても無理だった。それについて今さら後悔はしない。
ところで、「複眼的に歴史を見る」という言葉は高校三年生のときに、代ゼミで山村良橘先生から聞いていた。山村先生の講義は受験対策以上の含蓄があったとあらためて思う。
さくいん:山村良橘
若い時の苦労は買ってでもしろ
中学生の頃、一番粗暴で暴力的な国語科教員の口癖がこれだった。
反抗できないひ弱な優等生だった私は心の中で毒づいていた。
お前が与えているのは苦労じゃなくて苦痛だよ
この教員は一年生のとき担任だった。
暴力教員は彼一人ではなかった。部活の顧問もひどかった。突然怒鳴り出したり、大した理由もないのに殴りつける教員は少なくなかった。
だから私はいまでも、誰かが不満そうな顔をしていると、怒鳴り出したり殴りかかってくるのではないかという恐怖を感じる。
このあと、私が彼から受けた不条理な暴力について書くつもりでいた。でも、書くことができない。
筆舌に尽くしがたい、と言うものか。言葉にすることができない。
忘れることが一番の解決策ということはわかっている。わかってはいても、そう簡単に忘れられるものではない。私の全身が記憶しているから。
言葉にできないことは私にとって苦痛。でも、仕方ない。いまはまだ書けるときではない。
いまは、言葉にできない悔しさと苦しみをかみしめるとき。いつか言葉にできるまで。
ハラスメントを告発できる人たちの勇気に頭が上がらない。
さくいん:体罰
先週末、横浜の実家に帰省した帰り、みなとみらい地区にある日産ブローバル本社ギャラリーと京急ミュージアムに寄り道した。
日産ギャラリーではスカイラインGT-Rのドライバーシートに座ってみた。
止まっているクルマでさえ乗るのはかなり久しぶり。
晴海の東京モーターショーに行き、興奮しながら次々と運転席に座った小学生の頃を思い出した。
京急ミュージアムでは精巧に再現された各駅のジオラマが楽しい。我が家の最寄駅、金沢八景駅も再現されていた。電車の運転シミュレーションは恥ずかしいので遠慮した。
ひとり、童心に帰るひとときだった。
月曜日の夕飯がおでんだった。
おでんなのに呑まないという手はないので、純米酒を買ってきて燗して呑んだ。ずっと前に『夏子の酒』(尾瀬あきら)という漫画を読んだ。それ以来、日本酒は純米酒だけ。醸造用アルコールを加えた酒は口にしてない。麦とホップ以外の原料を使ったビールを呑まないのと同じ。混じりものの多い人工的な酒は呑まない。
「月曜から呑んで」と小言を言われることは承知で呑んだ。月曜におでんを用意する方に責任がある。そう思っただけで口にはしない。ふだんは火曜日と週末以外は飲まないようにしている。たまにはいいだろう。
ほろ酔いかげんで床についた。目が覚めたときよく眠れた気がして時計を見るとまだ4時。
10時に寝たから睡眠時間としては十分に取れている。とはいえ4時ではまだ寒いので起きる気にはならない。しばらく布団のなかでぼんやりしていた。
5時に起き上がり、上だけ暖かい服装に着替えて、読みかけの『永遠の都』(加賀乙彦)の第一巻を開いた。ページをめくっているうちに第一巻を読み終えてしまった。昭和初期の上流階級の暮らしぶりが描かれていて興味深い。
一年かけて全七巻を読むつもりだったけれど、こんなペースでは半年くらいで読了するかもしれない。面白いので、先が気になる。
追記。今日、加賀乙彦の訃報に接した。たとえ読んではもらえないとしても、健在のうちに読み終えて感想を書きたかった。残念でならない。
さくいん:加賀乙彦
『図説 旧約聖書の考古学』の続編。新約聖書、すなわちキリスト教の成立を歴史的事実を検証しながらたどる。その意味では、『聖書時代史 新約編』(佐藤研)を補完する資料集として読むこともできる。
これらの書を通して示してきたことは、聖書は現実の人々や文明の大きな動きを背景に歴史として記されていることである。(あとがき)
本書の執筆意図はこの一文に端的に示されている。聖書は空想の神話ではない。
生没年の特定はできないものの、イエスが実在したことや何か特別な能力があったことは複数の資料から実証されているという。非常に興味深い。ヤコブが天国への梯子を見た石も特定されているという。これには驚いた。
そうなると、次に関心が向くのは、イエスの教えの一体何が多くの人を惹きつけたのか、ということ、そしてローマ帝国の国教となったときに何を得て、何を失ったか、ということ。
信仰の組織化と同時に、砂漠の修道士のように孤独のなかに信仰を求める人がいたことは容易に想像がつく。宗教とは、同じ信仰を持つ者の共同体を築くものであるし、信仰とは、究極的には超自然(神)と自己一人の対峙だから。
宗教が持つこの両面は共存しうるだろうか。それとも対立するものだろうか。
さくいん:佐藤研
まずは在宅勤務のあいだ、NPR Newsを流すことにした。
しばらく英語から遠ざかっていたので、まずは耳慣らし。集中して意味は追うことはせず、英語の発音やリズムに耳をなじませる。
英語ニュースは、リスニングのスキルだけではなく、ニュースの内容を理解できるスキルも必要。言葉を換えれば、ニュースの内容を知っていれば、英語ニュースの聞き取りに苦労することはない。ウクライナ情勢は日本語のニュースで状況を把握しているので聞き取りやすい。その一方で、アメリカのローカルなニュースは理解するのがなかなか難しい。
フランス語はまったく初級のままなので、一から出直し。テキストの音声を聴き、真似をして音読する。
まず「第1章」を暗唱できるようになるまで練習する。暗唱できるようになったら次の章へ進む。このとき、第2章から始めず第1章から始める。
大学受験のとき、英語はこの方法で勉強した。退勤後、夕食の支度まで時間がある。この時間を勉強に充てる。
今のところ、三日坊主で終わらずに継続できている。あまりルールを細かく決めない方が長続きするという話を最近聞いた。細く長く続けたい。
さくいん:英語
今の家に住んで13年になる。10年以上経つとあちこち修繕が必要になる。まず、数年前に外壁を塗り直した。
そして、今年、リビングのフローリングが剥がれてきたので、貼り直すことになった。
作業は水曜日の朝に始まった。火曜日の夜はリビングを片付けるために大忙しだった。
食器棚の中身をすべて取り出し、隣の和室へ運ぶ。テーブルにある上の古い雑誌やテレビの説明書は紙袋に入れて2階にあげる。これだけの片付けは大掃除のときにもしたことがない。一昨年に買ったソファも和室に移すとリビングが広くなった。これを機に部屋の模様替えをするのもいいかもしれない。
これから一度出した食器類を棚に戻す。このとき、全部を戻すのでなく、いらないものは容赦なく捨てる。捨てなければならない。「心がときめく片付けの魔法」が必要になる。
写真は貼り替えのビフォーアフター。同じ色と形状のものがなかったので、できるだけ近いものを選んだ。カーテンが黒でテーブルが濃い木目なので床は明るい色にした。新古の建売で販売されていたときもそういう配色だった。ここはプロのコーディネートに従う。
次の修繕は給湯器。風呂を沸かすときに異音が発生するようになった。注文したものの、半導体不足で半年近く待たされる。そのあいだに壊れないように願っている。
その次は冷蔵庫。娘が就職とともに独立するので、二人暮らしになる。冷蔵庫も10年以上使っているので、消費電力が小さく、サイズも二人用のものに買い替える。今年は物入り。
今日は6年前に亡くなった父の誕生日、健在ならば91歳になる。父はウィスキー派だった。私はウィスキーも呑むけど、最近はジンの方が好き。
去年の年末、忘年会で立ち寄ったバーのメニューにあり、長い間呑んでいなかった味を思い出した。
The Botanistを初めて口にしたのはずっと前のこと。確か大阪で常宿にしていたホテルのバーで教えてもらった。毎週大阪へ出張していた2003年から2006年頃のこと。
このジンは香りはもちろんのこと、加えて喉ごしがいい。アルコール度は高いのに、喉元を過ぎるときにカーッと熱くなることがない。サラッとしている。これはスイスイ呑めるということでもある。これはノチェロ以上に危険。調子に乗ると一晩で空けてしまいそう。
大事に呑むように、ふだん呑むジンは別に用意する。この一本は特別な日にだけ開ける。
乾杯。
土曜日は新年初診察。この4週間は半分くらい休みだったので、とくに相談しなければならない困り事はなかった。強いて言えば、両方の親が日に日に年老いていくのでこの先始まる介護が心配と伝えた。
他人のことが心配なってきたのは、自分のことが落ち着いてきたからかもしれません。
私がS先生にそう伝えると「それはいい考え方だ」と返答された。
いつものハンバーガーはやめてお昼には牛丼を食べた。そして、11時の開店と同時にカラオケ店へ。
6時間歌った。アニメ(「勇者ライディーン」)、特撮(「爆竜戦隊アバレンジャー」)、テレビドラマ(「カリフォルニア・コネクション」)。いろいろ歌った。
今日、6時間歌って気づいたことがある。私は山川啓介作詞の曲がかなり好きらしい。何気なく好きな曲を選ぶと画面に山川啓介作詞と出る。
「勇者ライディーン」「帰らざる日のために」「銀河鉄道999」「帰郷」(久保田早紀)「海を抱きしめて」(中村雅俊)「戦士の休息」(町田義人)など。
今日は「帰郷」を見つけて初めて歌った。ヒット曲ではないけれど好きな曲がカラオケで見つけられるとうれしい。
最後はいつもの通り、"HANABI"と”HIMAWARI"(Mr.Children)。それからもう一曲、追悼の想いを込めて"Saravah!"(高橋ユキヒロ)を歌った。
さくいん:S先生、山川啓介、久保田早紀、Mr.Children、高橋ユキヒロ
先週、阪神大震災の被災者を追悼するニュースを見た。
被災者が、亡くなった人や災害の記憶を次の世代へつなぎたいと語りたいと話していた。
私はどうか。
私に姉がいたことは子どもたちも知っている。
でも、子どもたちに、叔母さんにあたる人について何も伝えられないでいる。
その人がどんな人で、どんな風に生きて、どんな風に苦しんで、どんな風に亡くなったか。
伝えたい、という気持ちと、秘密にしておきたい、という気持ち。両方ある。
話さない、と決めたこともある。それでも、こんなニュースを見ると迷いはじめる。
もう40年も過ぎているのに。どうすればいいのか、心が定まらない。
Twitterで「#フォロワーさんみんな何学部なの 」というタグが流れてきた。
答えようと思ったけどためらった。
珍しい名前の学部で、調べたかぎり、その名前の学部のある大学は全国に5校しかない。
身バレの元になりそうなので、このタグには応答せず、黙っておくことにした。
ここでは、通ってきた学校の名前をそのまま書くことはしていない。ただ、写真はいくつか貼っているので、わかる人にはわかるだろう。
大学と大学院は違う学校に行った。大学は一大学2学部だけ受験した。運よく両方合格したので浪人はしなかった。理数系科目がまるでダメだったのでセンター試験は受けなかった。いわゆる私立文系。
大学院は一年浪人した。学費を稼ぐための仕事が多忙になり、試験を受けられなかった。入学後も仕事に忙殺され、勉強に集中できず本末転倒の院生生活を送った。学部時代よりは勉強したと思う。でも、研究者になる準備としてはまったく不十分だった。
結果、進学も留学もできず、28歳で一から就職先を探すことになった。4月から就職活動を始めて、仕事が決まるまで3ヶ月かかり、7月から米系のハイテク製品メーカーの日本支社に営業職として採用された。
昨日のこと。何かいつもと違っていた。
いつもなら昼食はゆで卵とコーヒーで済ませる。それだけでも夕食まで空腹にはならない。
それが昨日はいつになくお腹が空いて昼にコンビニの肉まんを食べた。午後、またお腹が空いて、今度はコンビニでカスタードクリームのデニッシュを買ってきて食べた。
このデニッシュは私の好物で会社の1階にあるコンビニで売っていたので、在宅勤務となる前はおやつによく食べていた。でも、ある日、袋に印刷されたカロリーの異常な高さを見て驚き、それから控えるようにしていた。
今も標準値のBMIを目指して減量中。ご飯は減らして、筋トレも毎日している。
それなのに昨日は我慢できなかった。何だか平日に酒を呑むよりも罪悪感が大きかった。
空腹の原因は何か、考えてみた。思い浮かんだのは寒さ。記録的な寒波のなか、昼休みに自転車で図書館に行き、午後はスーパーへ買い物に出かけた。寒かった。この強烈な寒さを耐えしのぐためにエネルギーを消耗していたのではないだろうか。
空腹のあいだには「今年は生涯初めての恵方巻を食べようかな」などということも夢想していた。
夕飯は〆さばと豚汁。異常な空腹はおさまっていて、いつもよりも多く食べるということはなかった。
今日も余計なおやつは食べていない。
昨日は何かが変だった。寒さのせいにしてしまおう。
2週間前、百貨店のセールでラグビージャージを一着買った。在宅勤務なので、ネクタイを締めることはなくなったし、スーツを着ることもない。ふだんはもっぱらラグビージャージで過ごし、寒ければフリースを重ね着している。足元は厚い生地の防寒用スェットパンツに軽い電気毛布をかけている。着込んでいるので、暖房の設定は18℃でも寒くない。
数えてみると、ラグビージャージを何枚も持っている。青、黒、青とピンクのストライプ、緑と白のストライプ、黄色と黒のストライプ。今回買ったのは、春に買った紺とピンクのストライプの色違い。肘にパッチが付いているところが少し違う。
どれも洋服屋で買ったものでホンモノのラグビージャージではない。一着だけ、黒いものはオールブラックスのロゴが付いている。でも、実際に選手が着ているものとは違う。
いま選手が実際に試合で着ているのはほとんど半袖で、生地も伸縮する化学繊維のものがほとんど。ラグビー観戦を熱心にしていた30年前は長袖の木綿生地で、そのまま普段着にもできた。いま、選手が着ているユニフォームはフィールドでの格闘にはちょうどいいかもしれないが、普段着ににするには機能的すぎる。そもそも半袖なので冬には着られない。
それにしても、スーツを着る機会が減ったのは残念でならない。ずっとスーツにネクタイ、という"きちんとした"装いが好きだった。最近では会社に行ってもスーツを着ている人はほとんどいない。営業職が顧客を訪問するときにだけ着ている。スーツを着ていての社内ではネクタイを外している人も少なくない。ネクタイ専門店はさぞかし苦労しているだろう。
ほかの人は皆、いわゆるビジネスカジュアル。ノーネクタイで、なかにはジーンズを履いている人もいる。さすがにポロシャツやラグビージャージの人はいない。
今日は用事があり今年初めて出社した。着てあげないと可哀想なので、悪目立ちするのを承知でスーツを着てネクタイを締めて出社した。
アニメ版は何度も見ていて実写版にも感動したのに、なぜか原作を読まないでいた。ふと思いついて図書館で借りた。2022年発行の41刷。ずっと読み継がれている作品ということがわかる。
とてもいい話だった。もっと早くに読めばよかった。アニメ版や実写版に込められているピュアでストレートな気持ちが後から作られた映像作品以上にぎっしりと詰まっている。
たった一巻の物語なのに、さまざまな感情が込められていてとても密度が高い。原作には宝石の原石のような底深い輝きがある。この作品を映像化したいと考えた人がいたことにも納得がいく。
中学三年生というと『優しい音』を思い出す。あの物語もさわやかな結末だった。
中学三年生にはいい思い出がないので、物語のなかの二人がとてもうらやましい。こんな中学生活だったらよかったなと思う。中学三年生の私は、暗くて憂うつで、いつも悲しくて淋しくて、そして孤独だった。
話を戻す。
久しぶりに漫画を読んだ。楽しかった。図書館、猫、地球屋、バロン、自転車、朝焼け。どれも映像作品に活かされている。
『シン・ウルトラマン』を観たときにも思った。さまざまな派生作品を作り出した人々はすごい。でも、本当にすごいのは、最初のアイデアを考えた原作者。この原作がなければ、アニメ版も実写版もなかった。中身が濃い一冊。
追記。立ち寄った書店に在庫があったので購入した。
金曜日はスーツを着て出社した。
朝のバスで見た占いに「忙しくなる、自分のペースで」とあり、その通りの一日になった。
昼前のグループ・ミーティングでちょっと面倒な依頼事を受けた。昨年と一昨年のデータの集計。
指定されたデータをダウンロードするのにずいぶん時間がかかった。落としたファイルを開いてみると3万行あった。コピー&ペイストやピボットはタイムアウトになったり、できる場合でもかなり時間がかかる。このデータを加工して集計するのは面倒な仕事になる。
来週は久しぶりに忙しくなりそう。
会社では手が空いて困ることはなかったものの、相変わらず疎外感を強く感じて、とても疲れた。
4時前に退社して母の待つ上大岡駅へ向かった。
先週末は横浜の実家に帰省していた。土曜日の午後、母を連れて出かけた。
まずは梅を求めて鶴岡八幡宮へ。数は多くはないものの白梅がきれいに咲いていた。若宮大路を鎌倉駅まで歩いた。
それから海が見たくなったので江ノ電に乗った。鎌倉高校前駅で下車。しばらくのあいだホームで黄昏にたたずむ江ノ島を眺めた。広い海を眺めているとそれだけで心が安らぐ。今年初めての汐風療法。
最近、江ノ島はこの駅から眺めるだけで上陸はしていない。富士山が見えるような晴れた日にまた行きたい。
最後は横須賀線に乗り逗子へ。いつものイタリア料理店で今年初めての夕食。佐渡産の焼きカキが美味しかった。
最初に出会った作品の印象が強すぎたために、別の作品がなかなか読むことができない、ということが私にはある。以下はそういう作家と作品。
『草の花』(福永武彦)、『破戒』(島崎藤村)、『橋のない川』(住井すゑ)、『塩狩峠』(三浦綾子)、『君の膵臓をたべたい』(住野よる)。
なかには次の作品に進めた作家もいる。島崎藤村は中学時代に『破戒』を読んだあと40代手前で再読、そのあと『随筆集』『夜明け前』と進んだ。『春』や『新生』は内容を知ってしまったので未読のまま。
『塩狩峠』(三浦綾子)は中学三年生の頃に仲良くしていた女の子にすすめられて読んだ。読後感が重すぎて長いあいだ次の作品が読めなかった。『泥流地帯』を読んだのは数年前のこと。『氷点』は未読。
こうして長い合間を開けて次の作品に進める作家もいる一方で、次に進めない作家もいる。福永武彦はその一人。いや、「廃市」を読んだ覚えがある。『短編集』も読んだ気がする。『草の花』の印象が強すぎて、あとで読んだ作品の記憶はかなり曖昧。
『橋のない川』も中学時代に読んだ。再読しようと思い、実家で探しまわっている。
さくいん:福永武彦、島崎藤村、住井すゑ、三浦綾子、『君の膵臓をたべたい』