向き合おう。語り合おう。――いま、問われるハンセン病の過去と未来、厚生労働省・日本広報協会、2003

写真真集 ハンセン病を撮り続けて、趙根在(Cho Kun-je)、草風館、2002


図書館では、無料の広報誌が状差に入って置いてある。何気なく目に止まった厚生労働省が企画した小冊子。新聞報道で知ったつもりでいたけれど、体験手記は知識と想像を絶する内容だった。おそらく謝罪と真相究明の一部としてつくられたものにちがいない。薄い冊子だけれど、情報が豊富で、さまざまな立場の人からの体験記が寄せられていて、問題の深さ、裾野の広さを感じさせる。

医療分野の書棚を歩いてみると、外国人、患者という二重の差別を受けた人たちを映した写真集があった。自らが貧しく、差別を受ける苦しい境遇にありながら、さらに苦しい境遇にある人々にいたわりの目を向ける精神の強さと優しさに胸を打たれる。

知らないことは罪。少なくとも、私は有権者の一人としてこうした人権を陵辱する政策が長年放置されていたことも知らず、従ってそれを是正しようという候補者を支持することもなかった。何をしていたのだろう。

学校ではナチスの強制収容所やガス室のことを教わっていたにもかかわらず、自分の国でまったく同じことが、しかもつい数年前まで行われていたなんて。日中戦争、太平洋戦争、空襲、戦後復興、高度成長、オイルショック、バブル。国民が苦しんだりうかれたりした何十年もの間、ずっと閉じ込められた人がいたなんて。


恐ろしいのは、被害を受けた人たちも「知らなかった」ということ。彼らの多くは、理不尽だと思いながらも、それが間違っている、正さなければならない政策であると知らなかった。そう思いもつかなかった。なかには耐えるべき試練と思う人や、家族や身の回りに迷惑をかけた自分を責める人すらいた。

権利の上に眠る者。中学校の公民でも、高校の現代社会でも、そう習ったように記憶する。権利は行使して意味があるのだから、行使しない者は法的な利益を得ることはできない、という意味として。人権は不断の努力によって保障されるという表現も、何度となく聞いた。それでは孤島に強制収用された人たちは権利の上に眠っていたのか。

彼らは、自分の権利が侵害されていることに思いを到らせることすらできなかったのではないか。一方的に権利が侵害され、しかも強引な論理でまるでそれが合理的であるかのように信じさせられて、その上、権利が侵害されていると思うならば、権利を行使せよ、訴えでろ、というのはいくらなんでも無理、無茶。


民事的な救済は、これからいくぶんか進むに違いない。それでは倫理的な問題は解決できるのだろうか。被害者の家族の多くは、泣く泣く家族を手放した。社会の差別に屈し、縁を切った人も少なくない。患者はもちろん被害者。それでは、病人と家族の縁を切るに及んだ人たちは、差別の加害者なのか、被害者なのか。

直接の被害者である患者、元患者が心に受けた傷は言うまでもないが、自分の手で家族を収容所へ送り込んだという家族の自責の念も浅くはない。彼らの罪は裁かれるのか、彼らの傷は法的に、政治的に和らげられることがあるのか。そして倫理的な救済はあるのだろうか。

ハンセン病の問題には、極端に言えば、人間の業というのだろうか、人間世界のもつすべての光と闇がある。それは家族の自責の念のように一面的な考察では理解できないことを多く含むという意味である。例えば、ハンセン病医学の専門医として一生を捧げ、また同時に隔離政策を推進した光田健輔について、善悪安易な評価を下したところで、ハンセン病問題、ひいては人間の光と闇を正しく理解することにはならないだろう。

ハンセン病について、これ以上私に論評する資格などない。そうかといって、自己満足の懺悔で文章を締めくくることは許されまい。知った以上、機会をみてより深く知ること、より深く考えてみることしかない


ハンセン病から離れて付け加えておきたいこと。ハンセン病の伝染性の低さや隔離政策が人権を侵害していることは、一部の専門家や国際会議で長い間周知の事実となっていたようだ。にもかかわらず、一国の行政と司法はまったく動かず、一般の人も偏見と無知に沈んだままだった。こうした問題は他にもたくさんあるに違いない。

もちろん、新聞などの報道、専門家による告発、被害者の叫びなどにより、日々新たな問題が知られるようになっている。では、被害に会っている人さえ気づいていない問題はどうだろう。まして、被害とも気づかず、自分の能力の低さや運のせいにしているような問題は、誰が気づかせてくれるのだろうか。


碧岡烏兎