はるふぶき加藤多一文、小林豊絵、童心社、1999


はるふぶき

現代社会では、困難を克服した者にばかり賛辞が与えられる。困難を前に退却した者は「弱虫」「負け犬」でしかない。でも、ほんとうは違う。

「ちょっとむかし」の物語のなかでは、マサルを責める者はいない。村では誰でも木の声を知っているから。何がほんとうに勇気ある行動か、知っているから。

木の声が聴こえない都会では、そうはいかない。マサルは「弱虫」扱いされるだろう。自分はどうか。マサルを暖かく迎える村人のようになれるか。

小さな子どもで、自然のなかに生きるマサルには木の声が聴こえた。都会に馴れた大人にはもう聴こえない。それでは、絵本から聴こえる声は誰の声だろう。作者の声、画家の声、それとも読み聞かせている自分の声か。

声が聴こえているならば、それが誰の声でも、木の声でなくても、マサルと同じ行動をとるには、十分ではないか。いったい、いつまで、「はるふぶき」のなかを積荷にしがみついているのか。

これから大人になる人よりも、大人になっている人が真剣に読む絵本。読んだあとの行動が真剣に問われる絵本。絵本からが聴こえているならば。