白いねこ(La Chatte Blanche)、Madame d'Aulnoy原作、こみねゆら文・絵、偕成社、1994


狩野富貴子は気に入っている絵本画家の一人、と書いたあと、他に気に入っている画家は誰がいるか考えてみた。最初に思いついたのは、こみねゆら。画風は違うけれども、女性で、繊細で可愛らしい絵という点で共通しているからかもしれない。

最近、こみねゆらの作品を読んでいない。ふだんは行かない図書館でフランス語の絵本を読んだのはずいぶん前。そのあと、『くつなおしの店』(THE COBBLER'S SHOP、Alison Uttley文、松野正子訳、福音館、2000)と『おばあさんのうちへ』(こみねゆら文、福音館書店「こどものとも」2003年12月号)は読んだ。前者は、好みの幸福な幻想譚。

いつも通っている図書館で調べなおしてみると、未読の作品がいくつかある。書棚に並んでいる絵本を一冊と、書庫から小学校高学年向けの物語を一冊、借りてきた。


『白いねこ』は、17世紀の童話。ペローやグリムにも通じるおとぎ話の世界。こういう物語の基本のような作品について何か書くのは難しい。料理については何かいえても、材料である野菜や卵については、せいぜい、おいしいかまずいかしか言えないように。もちろん、この作品には、おもしろい以外に言うことが思いつかない。

一つ、印象に残ったこと。昔話や古典的な童話では、死が身近にある。簡単に人が死に、また簡単に生き返る。現代人には死を特別なもので、腫れ物にさわるようにしか扱えない。思うことは、そういう言い古されたといってもいい、ありきたりな現代社会批判ばかりではない。


『グリム童話』のなかで私が好きなのは、「忠臣ヨハネス」。「汝殺すなかれ」どころか、殺すことで愛を知る物語。

キリスト教は、生と死と復活とに新しい意味づけをしたかもしれないけども、それを深遠すぎるものにした一面もある。ヨーロッパの古い童話では、死は生のすぐとなりに、あたりまえのようにある。キリスト教が伝来する前からあった、素朴で豊かな死生観が感じられる。

その意味で思い切っていえば、ヨーロッパの哲学はこの素朴な死生観を、そのあとで獲得したキリスト教と合理主義と和解させる試みの歴史かもしれない。


気に入った絵は、「この世のすべての鳥、動物、魚、木、果実、草だけでなく、岩、星、そして、すべての王の肖像、その妃、王子、家臣にいたるまで、布には、なにもかもがえがかれていました。」の一文に添えられた絵。細かく、色も説明の難しい淡い紫と桃色。

今週は、三ヶ月ぶりでシリコンバレーに五日間出張した。いつも行く大型書店では、Allen Say,“Allison”(Houghton Mifflin, 1997)を読んだ。養子になった子が、拾った猫に名前をつけて、自分も迷い子でなくなる話。ふいに立ち寄った古書店では、“The Cat who loved Mozart”(written by Patricia Austin, illustrated by Henri Sorenson, Holiday House, NY 2001)を見つけて、気まぐれに買った。ピアニストをめざす少女の緊張をときほぐすのんびり屋のねこ。

犬ほど好きでもないし、動物の絵本はまず買わないのに、なぜか猫づいているのは、きっと、王女をねこに変えた妖精の魔法が、この絵本に残っているから。