まぼろしのデレン 間宮林蔵の北方探検、関屋敏隆、福音館、2005

地球のてっぺんに立つ! エベレスト、(The Top of The World: Climbing Mount Everest, 1999)、Steve Jenkins、佐藤見果夢訳、評論社、2001


冒険探検の本を好んで読む。はじまりはどこだろう。植村直己『青春を山に賭けて』を読んだのは高校生の頃。その前に新田次郎の登山家三部作『孤高の人』『銀嶺の人』『栄光の岸壁』も読んでいた。ほとんど本を読まなかった小学生時代にも、アムンゼンの伝記は読んだ覚えがある。

二年前、『やまとゆきはら 白瀬南極探検隊』で関屋を知った。布地版画という技法もそのときに知った。出たばかりの新作は楽しく読んだけれど、書評は書けないでいた。印象に残ったことは、前作同様に取材から制作まで絵本をつくる過程が詳しく書かれたあとがきで、影響を受けた冒険家の一人に植村直己があげられていたこと。

翌週、別の探検絵本を一冊借りてきた。世界最高峰の図鑑絵本。知っているようで知らないことは多い。地球で一番高い山は英語でエベレスト、チベットではチョモランマ。そこまでは知っていたけれど、ネパールではサガルマータと呼ばれていて、大英帝国のインド測量局が19世紀初めにつけた名前がピーク15だったとは知らなかった。その頃のインド測量局の長官がエベレスト卿だった。

『地球のてっぺん』は地質学、登頂の歴史、登山の様子などを詳しく伝える。写真や絵ではなく、コラージュによる挿絵がかえって想像をかきたてる。

間宮林蔵のことは、ほとんど何も知らなかった。冒険や探検は今でもある、しかも今では間宮の時代よりもずっと過酷な条件に挑戦しているけれども、現代ではスポーツやエンターテイメントの一部となっており、社会的な意味合いはかつてとはかなり異なっている。本人にとって極限への挑戦という意味は残っているとしても、そのような実存的な意味付けこそ現代的といえる。

間宮林蔵にとって、探検は鎖国継続の可能性をさぐる幕府の命を受けた職務の一環だった。現代では便利な装備をわざと捨てて過酷な環境をつくるけれども、当時はただ旅するだけで十分に危険だった。気候の厳しさばかりではない。通り抜けていく地域に住む人々は、言葉も気持ちも通じない“蛮族”かもしれなかった。緊張度は肉体的にも心理的にも現代の比ではなかっただろう。

関屋は、間宮の探検が多くの人々の助けによってなされたことに焦点をあてて描いている。そうすることで、彼の探検には現代にも通ずる彼自身にとっても実存的な意味があったかのように描き出している。

間宮がアイヌや樺太、さらに遠いアムール河沿岸に住む人々と、どのような気持ちで交流したかはわからない。わからないところを関屋は思い切って歴史物語として描く。

絵本は伝記というジャンルに適している。偉人の一生をわかりやすい物語に仕立て上げる一方で、デフォルメされた挿絵は物語は資料を元にしたフィクションであることを意識させる。その人物の生きた場所や時代について想像力をかきたて、もっと知りたくさせる。

間宮林蔵というと、実は何も知らなかったわけではなく、思い出すことがある。森忠明『きみはサヨナラ族か』(金の星社、1975)にでてくる不思議な少年、有明くんが、自分の祖先は間宮林蔵と話していた。それを聞いたときの主人公の気持ちと有明くんの反応。

 江戸時代の探検家が先祖だなんて、ちょっと差をつけるな。ぼくの先祖は、五日市のおじいちゃんのおじいちゃんまでぐらいしか、わかっていないらしい。それも、戦に負けた落武者が先祖だって。有明くんは、ショルダーバッグを肩にかけると、
「ぼく、思うんだ。ぼくの先祖が、寒くて凍え死んじゃうような所を命がけで探検して、大発見して、世界地図に名前が載ってもさ、この地球も人間も、いつかは必ず、、流れ星みたいに消えて無くなっちゃうんだし、もし、戦争が起こればだよ、核爆弾で人類絶滅でしょ。これから何やったってムダなんじゃないかって思うんだ……ガリ勉して、一流大学にはいって、幸福になっても、ぼくらみんな死んで消えちゃうんだもんね。」

探検に実存的な意味を見出そうとする人がここにもいた。探検に憧れるのは、そこに自分とは何かを教えてくれるものがあると信じているからかもしれない。しかし探検家にとっては探検が日常であり職務であって、彼らからみれば私が平凡極まりないと思っている日常こそ冒険の連続に見えるのかもしれない。

植村直己は最後の冒険となったマッキンリー挑戦の直前、「勇気ある人」に贈られるバラー賞の受賞スピーチでこのことを話していた。植村は、人々が働くことを最優先する経済復興期に、冒険という一見ムダに見えることに挑戦し続けた。国境を見定めるとか極点を探るとか、そんな社会的な意味よりも、極地に挑まずにはいられない冒険精神に牽引されていた。関屋が、ずっと昔の、それも職務から探検をしていた間宮林蔵に同じ気持ちを見出そうとしたのは、植村の冒険精神を重ね合わせているからかもしれない。