土を掘る 烏兎の庭 第三部
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4.21.07

遅読のすすめ、山村修、新潮社、2002

<狐>が選んだ入門書、山村修、ちくま新書、2006

書評家<狐>の読書遺産、山村修、文春新書、2007

気晴らしのすすめ、山村修、新潮文庫


去年の暮れ、<狐>が亡くなっていたことを知った。<狐>の名前は日刊ゲンダイの書評で知った。彼の書評に導かれるようにして、シェンキェビチ『クオ・ヴァディス』(吉上昭三訳、福音館書店、2000)を手にとった。2001年に読んだこの一冊から、いまの読書生活がはじまった。

その意味では、<狐>は私のメンターだったし、恩人ともいっていい。その<狐>が亡くなった。

<狐>のほんとうの名前は山村修だったこともあとから知った。大学図書館で働いていたこと、その仕事を辞めて、文筆に専念しはじめた矢先に亡くなったことなども、あとで知った。

山村修の名前で検索をして、新聞の書評集以外の作品を借りてきた。彼には、仕事を辞める前から、<狐>ではない名前で書いた本もあった。

その一冊、『遅読のすすめ』を読みはじめてみると、中身は前にどこかで聴いたことがある話。確かに聴いていた。もう4年以上も前、ラジオで荒川洋治がこの本をとりあげていて、メモも残している

そのとき荒川の話には感心したものの、『遅読のすすめ』を手に取ることはなかった。<狐>が山村修とそのとき知っていたら、そのとき読んでいただろう。ところが、ラジオを聴きながら書いた最初のメモでは、山村を山室と聞き間違えたまま、記している。名前もきちんと覚えないまま<狐>は一度遠ざかり、この世からいなくなった今になって再び、私のところへ戻ってきた。

『遅読のすすめ』から『書評家<狐>の読書遺産』まで、彼は一貫して働きながら読むということを考えている。

働きながら読むということの意味は、必要に迫られて、あるいはなにか明確な目的のためではなく、好きなように、読書そのものを楽しむために読めるというところにある。

好きなように読めるとはいっても、勤め人は好きな時間に読めるわけではない。でも、この点でも、研究者や評論家のように職業として本を読む人たちに比べて、働きながら本を読む人は有利な立場にあると山村は考える。

   一方、あたりまえのサラリーマンであれば、露伴でも一葉でも鏡花でも、いわば特権的に読むことができる。時間は、与えられるものではありません。つくりだすものです。そして、本を読むくらいの時間は、意外につくりだすことができる。職業的な拘束がないからです。読書において、サラリーマンは自由です。それを知ったのは、書評を書きはじめてからのことでした。(「私と<狐>と読書生活と――あとがきにかえて」)

本の感想を書くことが、読むことをさらに能動的な行為にする。そういうことは、いまの私にはわかる。

山村にとって読書の楽しみは快楽ばかりを意味しない。『入門書』を読むと、楽しみはときに学ぶ楽しみとともに学ぶ厳しさも含まれているし、『気晴らしのすすめ』を読むと、彼の生活じたいが楽しみばかりではなく、苦痛や不安にあふれていたこともわかる。

楽しみも苦しみも、おそらくは喜びも悲しみも、読書を通じて味わいつくされる。味わいなおされる。山村の読書は、生活に密着している。日常に溶け込んでいる。

彼の選ぶ本には、分野も時代も価格や版元も、無差別といっていいほど脈絡がない。それはかえって、彼の読書が、彼の関心事や生活感と密接だったことを証明している。

宗教書を読んでいるから宗教的で、思想書を読んでいるから思想的な人間というわけではない。むしろ、一つの世界の本ばかりを読んだり書いたりしているのは、職業のためとか、余暇の楽しみとか、ある特定の目的をもっているからということが多い。

日常生活はそんなに単純なものではない。即物的な部分もあれば、精神的な部分もある。文学もあれば、科学もある。もちろん、そこには気晴らしもある。そして日常生活のなかで、読書は、たんに現実からの逃避ではないし、もちろん現実を処するための実用ばかりでもない。

読書のある暮らし。山村修の本を読んでいると、そういうことを考える。

一時期、自動車通勤をしていた。そして、しばらく前からまた電車に乗って職場へ通うようになった。見回すと、熱心に本を読んでいる人もいる。

山村も、こんな風に電車のなかで本を広げていただろうか。もう少し彼が生きていたらいつか隣り合わせになることもあっただろうか。そんな想像をしながら、電車で本を読むようになった。

彼の文章を初めて読んだのも、電車のなかだった。

追記

『気晴らしのすすめ』のなかで詩人、菱山修三を知り、図書館で『菱山修三全詩集Ⅰ』『Ⅱ』(思潮社、1979)を借りてきた。<狐>の思い出とともに記憶される本が、もう一冊増えた。



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