最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

旧早稲田教会

1/30/2016/SAT

第13回 特別展「アジア解放の美名のもとに - インドネシア・日本軍占領下での性暴力、アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam)、東京都新宿区

日本軍「慰安婦」問題 すべての疑問に答えます、wma、2013
証言と沈黙:加害と向き合う兵士たち、wma、2010

旧早稲田教会 スコット・ホール

政治思想研究者である岡野八代の近著『戦争に抗する』(岩波書店、2015)を読みはじめた。迫力のある本で密度が高い。気になった文章をメモし、感想を断章にして書き出している。久しぶりにじっくりと時間をかけて取り組んでいる。


本のなかで、「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」が取り上げられている。知らなかったが、資料館の場所は行ったことのある場所だったので、行ってみることにした。

いわゆる「慰安婦」については、ある程度知っているつもりだった。ただ、問題は日韓のあいだだけの問題と誤解していた。これほど広範囲に、これほど多くの人が、これほどに過酷な被害を受けていたとは知らなかった。

岡野が勧めているように、壁一面に被害者であり、勇気をもって告発をした女性たちの写真と言葉が掲示されている。できるだけ多くの人の言葉を読むようにしばらく資料館にいた。

「慰安婦」という用語は戦時中に使われていた言葉で、公娼のような制度を思わせる。しかし、実態は、拉致され、強姦され、逃げることもできない「性奴隷」だった。「性奴隷」という言葉に置き換えるだけでも、被害の深刻さと罪の大きさがわかる。


先月、韓国と日本の両政府は、「慰安婦問題」の「最終的かつ不可逆的な解決」に合意した。合意と言っても、それは政府間のものであり、被害者は蚊帳の外に置かれている。極言すれば、韓国政府にとって「慰安婦問題」は、対日外交のカードでしかなかったことが今回の合意で露呈した。公式の謝罪を求めることと被害者の尊厳を回復することは二の次になっている。

政治とは、政府と政府が合意すれば済むことなのだろうか。この疑問も『戦争に抗する』で論じられている。


資料館は小さい。建物は前は結婚式場だった。その宴会場をプロテスタント系の団体と分けあって使っている。椅子とテーブルがあり、資料館が発行した冊子が置いてある。そこで『証言と沈黙:加害と向き合う兵士たち』を見つけた。

これまで、慰安所で働かせられた人の話は聞いたことがあるが、自分は行ったという話は聞いたことがない。水木しげる『総員 玉砕せよ!』は、慰安所に兵士が並ぶ場面から始まる。戦場にいた人は知らなかったはずはない。とはいえ、よほどの勇気がなければ、「自分は慰安所に行きました」という元兵士はいないだろう。

『証言と沈黙:加害と向き合う兵士たち』、この冊子に多くの「加害者」の証言があった


元兵士の証言は、驚くものばかりだった。言葉にするのも憚られる、ひどい悪行の数々。戦場では、「どうせ、ここで死ぬのだから」という投げやりな気持ちになることは想像できないものではない。しかし、死と隣り合わせの極限状態にあると、人はここまでの蛮行をしてしまうものなのか。「いつの間にか、罪悪感はなくなっていた」と証言した人もいる。


自らの蛮行を告白した人たちに証言を促した経緯が興味深い

満州で捕虜となった日本兵は一部はシベリアに抑留され、一部は中国へ連行された。中国は彼らに食事と医療を提供し、「人間的に」扱った。これで、まず兵士たちは驚いた。

彼らには、時間も与えられた。自分が戦場で何をしたか、証言することを求められた。しかし、締め切りはない。中国側は、時間をかけて兵士たちが自ら語り出すことを待った。

拘留の責任者は周恩来。彼らは、一方で日本軍の戦時法を逸脱した行為について捜査をして証拠を集める一方で、それを伝えないで、日本兵が書いた証言を何度も突き返し、彼らに深い自省を促した。

日本兵が拘留されていた時代は、国民党との内戦が終わり、中華人民共和国が成立した頃。建国したばかりの中国共産党、とりわけ周恩来には、人道的な理想主義と未来志向があったと言える。まだ中国国民のあいだで、過酷で悲惨な「文化大革命」が始まる前のこと。


ある兵士は語り出すまでに2年以上、それを報告書に書き上げるまでにさらに数年を要したという。報告書が集まると、兵士たちはほとんどが懲役刑なしで日本に返された。その後、彼らは「中国帰国者連絡会」を設立し、自分たちがしたこと、日本軍がしたことを日本でも話しはじめた。

日本にも「ネルソンさん」はいた。

周恩来が発案したという「証言の促し」は、ハンナ・アーレントの言う「全体主義との和解」の好例と言えるのではないだろうか。岡野は『戦争に抗する』のなかで、「和解」という概念について、次のようにまとめている。

アーレンとは和解を論じるさい、ドイツ人を赦す、あるいはドイツ人が赦される、といった議論をしない。被害者、とくに組織的犯罪、国家的犯罪、つまり構造的な暴力に巻き込まれてしまった被害者の和解にとって重要なのは、何よりも、なぜこうした前代未聞の犯罪が起こり得たのかを構造的に明らかにすることだからだ。
(第3章 修復的正義 第3節 修復的正義と和解)

何が起きたのか、なぜ起きたのか、なぜ防げなかったのか。「中国帰国者連絡会」の活動は、それを「証言する」活動だった。彼らの「証言」を理解することで、聞いた人たちが、将来、二度と同じようなことが起きないように施作を講じる。彼らはそれを期待していただろう。


ところが、日本では彼らの行動を不満に思う元兵士も少なくなかった。多くの元兵士は戦中に自分がしたことを語らず、沈黙した。それどころか、「連絡会」は中国共産党に「洗脳」され偽りの過去を埋め込まれたと非難する人もネット上で見かける。

強制収容所で働いていた人のなかで、精神に異常をきたす人はあまりいないという話を聞いたことがある。それは、自分が犯した大罪から目を背ける自己防衛の生理的な反応なのかもしれない。

罪と向き合うことは、それほど苛烈な体験なのだろう。証言を促されるあいだに、自害したり、狂ってしまった人もいたと言う。

しかし、帰国後も戦争の実態を証言し続けた人もいる。彼らは罪と正面から向き合い、強烈な自己否定の末に、謝罪と証言に生きる目的を見出したのだろう


戦争とは、ここまで人を残酷にするものなのか。もしも、戦場のような極限状態に置かれたら、私も野蛮な行為をしてしまうのだろうか。恐ろしい。

そして、強く促されない限り、その事実に頬被りをして、自分が犯した大罪から目を逸らして、平然と暮らしていくのだろうか。それは、さらに恐ろしい。


展示の内容があまりに衝撃的で、感想を何か書こうと思っても進まなかった。ここまで、まるで他人事のように書いている。私は自分の罪と向き合っていない。名乗り出た元慰安婦のように、自分が受けた被害を告発することもできていない。

この資料館で見たことを真剣に考えたら、こんなに短い間に感想文を書くなど、到底できないだろう。


旧早稲田教会 2

写真は、資料館のあるビル横にあるスコット・ホール。かつては早稲田教会という名前の教会だった。ここで結婚式を挙げたという人を知っている。戦後の一時期、早稲田大学の理工学部が実験室として使っていたという話も聞いたことがある。