最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

東京スカイツリー

4/16/2016/SUN

男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学、田中俊之、KADOKAWA、2015

男が働かない、いいじゃないか!、田中俊之、講談社+α新書、2016

男性学に興味を持つようになったのは、『父子消費』を読んだ頃。父親としてどうあるべきか、男性としてどうあるべきか、いつまでも考えがまとまらない。

まとまらないと言えば、男性学の本の感想もそう。何冊か、読んできたものの、感想文は書けないでいた。なぜ感想がまとまらないのか。その理由を考えているうちに、男性学が抱えている困難がわかってきた。


フェミニズムには、明確な「敵」があり解決すべき「問題」もはっきりしている。差別を失くして、男女平等を実現する、男性と同じように学びたい、働きたい、という明確な目的がある。

ところが、男性学の場合、戦うべき敵がはっきりしない。あえて言えば、敵は男性自身にある。男性を捕らえている魔法をまず解かなければならない。魔法、というのは、「男らしさ」や「男なら当然すべきこと」などの偏見。

「女らしさ」の偏見に捕らわれている女性もいないではない。従来の女性観に執着して、それが女性のあるべき姿と主張する女性もいる。女性の敵は女性とも言われる。しかし、フェミニズムは自らを縛っている偏見について議論を重ね、自分たちの権利を主張をしてきた。

一方、男性の方は、自分が偏見に捕らわれている自覚がまだない。にもかかわらず、男性を取り巻く状況は勢いをつけて変化している。そのため、男性は自分を包む偏見にも気づかずに、状況の変化にも対応できないという意味で、二重に困難な状況に置かれている。

だから、男性学の研究者、田中俊之は『男がつらいよ』を、「まずは落ち着いてください」という呼びかけから始める。

   理想の男性イメージと現実の男性とのギャップは、かつてなく広がっているようです。なぜこんなことになってしまったのかと犯人探しもできますが、男女についての議論は水掛け論になることが多く、あまり有意義ではありません。
   それよりも、男性が自分の問題に向き合い、見栄っ張りを辞めて、凝り固まった生き方をほぐしていく方がよほど建設的です。社会のあり方や他人の考えを変えるのは難しいですが、自分の価値観や行動は自らの意思で修正できるはずです。
(はじめに 男たちよ! 自分に向き合うときがきた)

近著『男が働かない、いいじゃないか!』では、男性を蜘蛛の巣のように縛りつけている偏見を一つ一つ、バッサリバッサリ、一刀両断していく。なので、出版された順に二冊を読めば、男性が置かれている困難な状況を理解したうえで、どんな偏見に捕らわれているのか、どうすればそのような偏見の呪縛を打ち破ることができるかを理解できる。


著者の主張に異論はない。むしろ、ようやくこういうことをはっきり言ってくれる人が現れた、と喜んでいる。というのも、私自身が無職だったことが過去にあり、今も収入があるとはいえ、働かない状態が一年以上続いている。主夫だった時期もあるから。

そういう点では、私は「男子かくあるべし」という偏見からは比較的離れた暮らし方をしてきた。


少し違う話題。

下世話な興味から「発言小町」をときどき見る。読売新聞には人生相談の欄があり、専門家が相談に答えている。発言小町は、投稿された相談にネット上で回答が寄せられる。言わば、公開人生相談。

読んでいて少し驚いたのは、多くの人が賃金労働をしている人の方が偉くて、専業主婦は、「働いてもらっている」受動的な立場ととらえていること。「誰の金で暮らしていると思ってるんだ」という男性の発言が肯定的に受け止められている。

これはおかしいと思う。専業主婦は会社で働いていないだけで、働いていないわけではない。確かに家事は、手を抜こうとすれば、いくらでも手を抜けるものではあるけれど、やりはじめればキリがない仕事でもある。

外で働いている人は、家で働いている人がいるから安心して働けるという見方もできる。私の場合、国内外の出張が多い仕事をしてきたので、妻が専業主婦だったおかげで、時間や体力のやりくりができた。もちろん、多くの人は共働きをしなければ家計が成り立たないから働いていることは知っている。

私の場合、仕事の負荷が大きい分、収入も多かったことは幸いだった。もっとも、それを続けることができなくなったから、企業社会から脱落してしまった。これからは、二人で働かなければ、暮らしは成り立たないだろう。


要するに、私の意見は、原則として、共働きか、専業家事か(主婦でも主夫でも)、ということはそれぞれの家族が決めるべきことであり、外で働いている人が家事をしている人を見下していいとは思わない。つまり、著者が「男が働かない、いいじゃないか!」と言うのであれば、そもそも、「女が働かない、いいじゃないか!」という主張も成り立つということ。

おそらく、著者もこの考え方に反対しないだろう。「常識」にとらわれず、自分の生き方は自分で選ぶ、ということが、彼の根本的な主張だから。


最初の問題に戻る。男として、父親として、私はどうあるべきか、男性学の本を二冊読んでも答えはまだ得られていない。あえて答えを見つける必要はないかもしれない。「かくあるべし」という「常識」が人を縛りつけるのであれば、「常識」にとらわれず、岐路に立つたび、自分で考え、自分で選んでいくしかないし、その方が自由な生き方ができるだろう。

そうして、ずっと後になって、自分はこういう父親だったと振り返ればいい。


4月18日追記。

著者は、男性にまとわりついているさまざまな固定観念——男性は定年まで休まず勤め上げなければならない、恋愛をリードしなければいけない、デートの費用を持たなければいけない、などなど——を分解し、もっと自由に生きることを勧める。そして、「高らかに宣言」する。

働く、働かないは自分が決める。

なるほど、「男性の働き方についての『常識』を一度リセット」したい、という著者の主張は、よくわかる。

しかし、この「宣言」を、特に著者が想定している若い賃金労働者に向けて発するとき、二つのことが気になる。


一つは、将来のリスクについて。

「今、働く、働かない」は各人が決めればよいかもしれない。ただし「働かない」を選んだ場合のリスクも十分に伝える必要がある。貯金もない、公的年金ももらえないことを熟年以降に知らされるのでは、残酷としか言いようがない。

もう一つは、労働に関する原則論、すなわち、憲法で規定された国民の「勤労の義務」と「納税の義務」についても、考慮に入れる必要がある。

何のために税金を払うのか。それは、国民や外国籍の住民も含めて日本に住む人が共通で利用するインフラを整備するため。

もし「働く、働かない」を各人が自由に決めてよくて、たくさんの人が「働かない」方を選んだら、道路も堤防も下水道も新規はもちろん、すでにあるものの整備もままならない。警察も、議論はいろいろあるにせよ、緊急事態の救援だけに目的を絞っても自衛隊も維持できない。

おそらく、著者も「フリーライド」を勧めているわけではない。彼が若者に伝えたいことは、疑問も持たずにサービス残業を続けるような働き方に、まず疑問を持とう、そして、変えられるところから変えていこう、ということだろう。


だから、「宣言」はすこし手直ししたほうがいい。

どう働くかは自分が決める。そして社会をどうしていくかも、自分たちで決める。

4月23日追記。

本を読みなおして、上の追記について別の考えが浮かんできた。

著者は、政策を提言しようとしているのではなく、社会をもっと広くとらえて、もっとラディカルな改革を問いかけようとしている。上記の追記は、著者の視点からは、近視眼的に見えるかもしれない。

もっと広い視点で、もっと根源的な変革を訴える、とすれば、社会学のなかでも、思想と呼ぶべき領域に進んでいくことになる。今後の仕事に注目したい。


6/4/2016/SAT、追記。

将来のリスクについて、若者のことを心配している場合ではない。私こそ働いていない男なのだから。