ze 大川美術館、群馬県桐生市

最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

水道山公園から桐生市を望む

11/27/2016/SUN

特別企画展 №100 松本竣介と野田英夫―大川美術館収蔵品を中心に―大川美術館、群馬県桐生市


大川美術館、入口 松本竣介と野田英夫展 入口

「松本竣介と野田英夫展」を見るために群馬県桐生市にある大川美術館を訪ねた。

ここには7年前の2月に来た。整理解雇されたあと、次の仕事が始まるまでの「猶予期間」に。今回は2年間の離職期間の最後に。人生の節目に来たくなる場所の一つ。


大川美術館へ登る坂道 水道山公園の紅葉

家を7時半に出て、到着したのは正午過ぎ。前回は東武特急りょうもうで来て、新桐生駅からタクシーに乗った。今回、JR両毛線で来てみると桐生駅からは徒歩で15分程度。ただし、小高い山の中腹にある美術館までの登り坂はきつい。

あんまり天気がよいので、桐生駅でわたらせ渓谷鉄道に乗る誘惑にかられた。歩いて来ると美術館のある水道山でも鮮やかな紅葉が見られた。


信濃デッサン館から借り出された野田英夫の絶筆「野尻の花」、初披露となる「ポキプシー」がよい。とくに後者は高架鉄橋や黒煙で工業国、米国の表裏を活写している。景色としては絵本『ちいさいおうち』で家の周囲が都会化していく場面に似ている。

松本竣介の「街」を見るのは三度目。一度目は前回、大川美術館へ来たとき、二度目は葉山美術館で大回顧展を見たとき。三度目の今回、螺旋階段を下りて作品が目に入ったとき、なぜなのか、思わず手を合わせて拝みたくなるような気持ちになった。

それほど、7年前に出会ったときの印象が強かったのだろう。再会した喜びは大きかった。

美術館のコレクションを創った大川栄二は、「ワイドな社会性」を野田に、「ディープなヒューマニズム」を松本に見た。両者に共通しているのは、時代の閉塞感を鋭敏な線とやわらかな色で描いたこと。もっとも、松本の青には「やわらか」とも「深く暗い」とも言える複雑さがある。

戦後生まれの私は二人が描いた都会の景色を見ていると、70年代の閉塞感を感じる。管理競争格差、オイルショック、過激派、公害、冷戦⋯⋯。

上記の作品以外に今回、印象に残った作品。

クールベは写実的と思っていた。近づいてみると、塗り方は意外に大雑把だった。そんな塗り方が少し離れてみると写実的に見える。

先日見た現代の写実画家、山本大貴の作品は、近づいて見ても髪の毛一本や服のひだ一つまで丁寧に描き込んであった。


二人と同時代の作品を展示した部屋で野田英夫の言葉が掲げられていた。

野田英夫の言葉

この言葉は、そのまま大川美術館に飾られている作品について語っている。


大川美術館は雰囲気がとてもいい。

首都圏から少し離れていて、しかも平日に訪問するととても静か。かといって、誰もいないわけではなく、各展示室に数人ずつ来訪者がいる。

各室に椅子や座り心地のよいソファがある。他の人がいなくなると、お気に入りの作品の前で誰もいない時間を過ごすことができる。

大川美術館の居心地の良さはちひろ美術館に似ている。

コレクションと作品という違いはあれど、「個人」を基にしている点は同じ。誰もいない部屋でも「主人の住まい」の気配がある。

とりわけカフェの雰囲気の良さは両者に共通する特筆すべき点。到着してすぐに食べたサンドイッチがとても美味しかった。


翌日は祝日なので一泊してわたらせ渓谷鉄道に乗ろうかとも思ったけれど、やめた。

美術館だけで心が満たされたので、ほかの観光をする気になれなかった。感受性が衰えたのだろうか。

そうとも言えない。一つの美術館を堪能するためだけに一日全てを費やすことができるのは、大人になったからではないか。

初めて外国へ行ったとき19歳だった私は、ワシントンDC、ボストン、ニューヨークで美術館を次々見てまわった。いくら見ても飽きることのない、本で言えば濫読のようなことをしていた。

そんなことはもうできないし、もうする必要もない。


駅に戻ると一本発車したばかり。次の電車までの待ち時間に改札前にある立ち食い店で名物「ひもかわうどん」を食べた。

平たく幅の広いうどん。ほうとうよりも薄い。知らなかった食感で美味しかった。今回は図録を買わなかったので、家族への土産に買って小山行の電車に乗り込んだ。