12/4/2016/SUN
松本竣介 創造の原点、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館、神奈川県鎌倉市
仕事が始まる前に、両親の家に泊りがけで出かけた。しばらく自分の健康を最優先することになるので、誘い出して歩くこともできないかもしれない。
ふだんは金曜日の夜に行くので、出かける土曜日に名所は混んでいる。今回は月曜日の夜に行ったので、火曜と水曜は休日には混んでいるところへ行ってみた。
月曜の夜は、行ったことがないという回転寿司で夕飯、火曜は鎌倉まで行き、美術館を見た。
松本竣介は、先週、大川美術館でも見た。あちらは油彩中心、こちらは代表作と素描中心。
展示室に入ると、目の前に「立てる像」がある。あまりの迫力に弾き返されそうになった。大川美術館で見た「街」には吸い込むような引力がある。「立てる像」は視線を跳ね返す迫力がある。人が大きく見えるのは地平線が低くあるから。習作の段階からだいぶ下げたという。
もう一つの代表作、「Y市の橋」にも圧倒的な存在感がある。こちらは、ずっしりとした重量感。これは、私が松本を知るきっかけになった作品。実家にあった「昭和の洋画100選」展の図録のなかで引きつけられた。14年前のこと。
それから松本作品をたずねて大川美術館へ行き、生誕百年記念の回顧展へも行った。
いつしか、松本竣介は私にとってかけがえのない存在になっている。
本展では、松本が影響を受けた画家を紹介している。
ルオーからは太い線を、野田英夫からはモンタージュの手法を、そして藤田からは白い肌を、それぞれ影響を受けているという。
なるほど、横に並べてみると影響を受けていることがわかる。
「街」は、野田英夫の影響を受けていることは明らか。「Y市の橋」と「立てる像」では、明らかな影響はわからない。松本竣介の画風はこの二作品で確立されたと言えよう。もちろん、「街」にも松本の独創性があり、模倣ではない。
「街」は1936年の作品。当時の閉塞した時代状況を反映していると解説される。1930年代を直接知らない私には、閉塞状況という点で70年代の雰囲気を感じる。
具体的に言うと、70年代に私が触れた児童文学作品の挿絵に、「街」や松本竣介の人物画の影響を感じる。
例えば、中山正美が描いた『大きい1年生と小さな2年生』(古田足日文)、藤川秀之が描いた『少年時代の画集』(森忠明文)。
天真爛漫とは程遠い、鋭い眼光と襟を正した姿勢。黒だけで、しかし細かく描かれた表情。
松本竣介に惹かれた理由は、私がかつて読んだ絵とのあいだに接点があるからではないか。そう思われてならない。
同時に、松本竣介が描いた30年代と同じではないにしても、私が少年時代を過ごした70年代には、「街」に漂う重苦しさとどこかしら似ている、居心地の悪さや、光化学スモッグを吸い込んだときのあの息苦しさを感じないではいられない。
美術館を見たあとは、私のいつものコース、江ノ電に乗り鎌倉高校前駅で下車、ベンチに座りしばらくのあいだ江ノ島を眺めた。平日だったので、七里ガ浜高校と鎌倉高校の生徒でホームも電車も満員。休日とは違う、ふだんの江ノ電を見た。
夕陽を眺めてから反対方向の電車に乗り、稲村ヶ崎で見つけたイタリアン・レストランで、これまたいつもの通り、マルゲリータを食べた。珍しいので食べてみた蝦夷鹿も美味しかった。
水曜は話題になっている映画『この世界の片隅に』を見て、子どもたちに土産を買ってもらい、別れた。次は年末に会う。
写真について。左上は江ノ電で唯一のトンネル、極楽洞。先頭車に乗れたので撮影することができた。右上は、鎌倉を出発して鎌倉高校前駅の手前、上下線がすれ違う場所。
左下は鎌倉高校前駅から眺めた黄昏の江ノ島。右下は路地から見える稲村ヶ崎の海。写真は拡大可。
最上段の写真は、神奈川近代美術館、鎌倉別館。設計は前川國男門下の大髙正人。今回の展覧会が終わると無期限の改修期に入る。