少年時代の画集、森忠明文、藤川秀之挿絵、講談社、1985


図書館のリサイクル文庫で手に入れたのは一年前。読み終えたのは数ヶ月前。できればまとまった感想を書きたいと思っていたのだけれど、何も書き出せない。このままでは最初の感想が薄れていくので、一言でも書き残しておく。

森忠明は、NHKの少年ドラマシリーズ でドラマ化もされた『きみはサヨナラ族か』(金の星、1975)の原作者。ドラマのほうは覚えていない。原作を読んだのは高校生の頃。なぜか覚えてはいないけれども、題名だけはその前から知っていた。それ以来、何度か読み返している。

『サヨナラ族』の後に書かれた本書は、同じように少年時代を描いた短編集。時代や舞台は同じ。1960年前後の東京西部。中央線と団地、大通りと歩道橋、商店街と喫茶店、遠くに見える山々と雑木林。そんな風景は、『大きい1年生と小さな2年生』(古田足日、1970)に始まった、私にとって児童文学の一つの典型。


登場人物も似ている。学校ではさえないけれども、自我に目覚め、試行錯誤をはじめる小学六年生、しっかりもので、ちょっと気になる女の子、風変わりな友人たち、そして息が詰まりそうな学校。題名にもあるように、絵や写真も何度も登場する。

何より決定的な共通点は、どの物語の底にも流れている、生き残ってしまった後ろめたさ。もう少し詳しく言えば、その気持ちの中身は、喪失感や悔恨、記憶だけに残る映像、そして、前向きとはけっして言えないけれども、何とか生きていこうとするかすかな希望。

希望という言葉を信じることも、一種の偶像崇拝かもしれない。中学生のとき国語の教科書で読んだ魯迅「故郷」の終わりにそう書かれていた。森の作品は、絵や写真というイコンに託しながらかすかな希望を描く。

生き残ってしまった後ろめたさを感じてしまう時、つまり、この物語に描かれるような、痛ましく、切ない、多感な少年時代には、偶像が希望を描き出すのかもしれない。いや、描き出していたにちがいない


碧岡烏兎