トンデモ本女の世界、と学会編、メディアワークス、1999

トンデモ本1999 このベストセラーがトンデモない!!、と学会編、光文社、1999


ここのところ生活に笑いが足りないような気がして、笑える本を探してみた。と学会の本は最初の頃から読んでいるので、私を笑わせるという点で実績がある。今回読んだ2冊も確かに笑える。紹介されている本も確かに荒唐無稽だけれど、それを笑える文章で紹介する技量はたいしたもの。

南沢十七「緑人の魔都」、大藪春彦「餓狼の弾痕」などは、紹介文だけで大笑いした。そこで戦前の少年向けSF、大藪春彦という点でも興味があったので読んでみたけれど、と学会の紹介がなければ、それほどトンデモと思いはしなかっただろう。間違いなく紹介文の方が笑える。その意味では、と学会の紹介自体がトンデモを創り出していると言ってもいい。

もちろん彼らは確信犯であり、同時に書評の愉快犯でもある。と学会は、本書でとりあげられている「ノストラダまス予言書新解釈」(頭脳組合編、彩文館出版、1997)と同じ手法を使っている。「ノストラダまス」は究極の予言パロディとも言える本。抽象的な予言から、トンデモ研究者たちが人類滅亡や世界大戦の勃発と解釈するところをタレントの栄枯盛衰や社会風俗の変遷として読み込んでしまう。と学会はこの手法でどんな本でも好き勝手に解釈する。その解釈とそれを紹介する文体に笑わせる秘訣がある。

ところが、読んでいると笑えないところがでてくる。例えば「女の世界」で紹介されている企業の人事担当者が書いた若者の生態(田畑興治『女性社員が会社を変える』毎日新聞社、1999)。本よりもずっと現実のほうがとんでもないので、笑うに笑えない。年々ひどくなる新入社員に常識以前のことから面倒をみている生真面目な担当者の嘆息には悲哀さえ漂う。

さらに、笑えないどころか、腹立たしくなるのが、猿岩石のヒッチハイク・ツアーの暴露本。この無銭旅行がヤラセだったことを徹底的に暴いた本に対して、テレビ局の社長は「良識ある若者はまねをしない」と開き直ったという。テレビに良識がないことなど、今さら声高に言うことではない。この発言から、と学会の意図するところと出版界の矛盾が見えてきた気がして、笑えなくなった。

と学会が意図するのは、トンデモ本の糾弾ではない。むしろ彼らが望んでいるのは、どんなにとんでもない本でも自由に出版される世の中、また本が自由に読まれ、好きなように解釈される世界だろう。心に思うことを書くことは自由であるし、書かれたことをどう読み取るかも自由だというのが、彼らの基本信条だと察する。

問題は、そうした一種の遊び心を利用してトンデモ本で金儲けとデマゴギーを目論む第三の権力としてのメディア。いわゆるトンデモ本を出版している出版社には、そうした本ばかり出しているところもある。宗教団体の付属出版社と同様、中身を信じてやっているのかもしれないし、小さな会社が話題づくりのつもりでやっているのかもしれない。

そうした出版社のトンデモ本に問題なしとは言わないけど影響力はまだ大きくない。問題なのは、学術書や専門書も出版する大手出版社が、そうした本を出していること。これまで出版してきた真面目な本の業績を根底から否定し、それらを読んでいる読者がまじめに読めばトンデモだと気づくような本を、海外でベスト・セラーになったという理由だけで、素知らぬ顔で出版しているのにはあきれるほかない。そういう確信犯は愉快ではない。

結局、笑うために読みはじめたのに、笑うどころか、怒りがこみあげてきた。ついつい難癖をつけるように読んでしまうのは、読書に対する私の気質のせいかもしれない。

腹の底から笑うためには、読書以外の方法を探したほうがいいかもしれない。


碧岡烏兎