最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

蓮の花

8/31/2015/MON

昭和天皇、原武史、岩波新書、2008


昭和天皇について、もっと知るために、新書を一冊借りてきた。『昭和を「点検」する』でも言及されていることから、前の著者二人と原のあいだに基本的な立ち位置の違いはない。いわゆる「自虐史観」と非難されるグループの一人。原武史は、鉄道に関する新書自らの十代を政治・社会学的に回想・考察した本を読んだことがある。

初めからまるで反対の立場の本を読むより、同じ立場でいながら、微妙な差異がないものか、探してみた。果たして、微妙な相違点が、それも昭和史にとって決定的な場面にあることに気づいた。


『点検』での保坂と半藤、二人の昭和天皇観は非常に肯定的。天皇は若い頃に英国流の立憲君主制を学んだ。そこで「君臨すれども統治せず」の原則に従うことを基本としていた。しかし、二・二六事件と終戦(「ポツダム宣言の受諾」)だけは、政治的行動を発揮した。前者の場合は、軍の最高司令としてクーデタを止めるため。後者は、内閣、陸軍、海軍、いずれも決断することも合意することもできないため、自ら「聖断」を下した、と保坂と半藤は考えている。

ところが、昭和天皇の政治的行動をどう見るか、という点で、『点検』と原武史とは意見を異にする。


ところで、ネットで本書の感想をみると、本書に対し厳しい批判が多い。本書は、以下の三点を強調する。昭和天皇は、宮内祭祀を重要視していた、伊勢神宮と三種の神器とを死守することを国民の安全よりも優先した、そして、戦争の行方については、政治的思考ではなく、神頼みになっていた。この三点、すべてに批判は向けられている。

原を批判する人の多くは、戦前の日本では国民は「天皇の赤子」とみなされていたのだから、天皇が神に祈ることは、すなわち国民の安寧を祈ることで、自己中心的なものではなかったと考えている。そういう見方もあるだろう。

少なくとも戦前、天皇は主権者であると同時に現御神だったから、天皇の公の行動は、すべて国と臣民のためと解することは奇異ではない。原は戦後の象徴天皇制の視点から戦前の天皇を見ているという批判は成り立つと思う。


上記の三点については、『昭和天皇実録』が刊行されはじめているので、学問的な研究により新しい知見が得られるだろう。門外漢の私は、論争を見物するしかない。

それよりも、本書を読んでいていちばん驚いたことは、サイパン陥落(1944年7月)のあとも、天皇自らが戦争の継続を積極的に支持していた事実。

それは、負けるにしても、出来るだけ不利ではない条件で負けるために、敵にもう一度痛手を与えてから和平交渉を始めるためだった(第4章 戦争と祭祀)。

この考え方は本書では使われていないが、「一撃講和」と呼ばれる。


そもそも、昭和史と昭和天皇論を読むきっかけが、この「一撃講和」という言葉だった。

この夏、NHKテレビで「特攻」についての特集番組があった。番組は、「一撃講和」の「一撃」を行うため、人間である兵士をそのまま爆弾にするという途方もない作戦が考え出された、と解説していた。

「特攻」を考え出したのは、もちろん、昭和天皇ではない。しかし、すでに敗戦濃厚な状況で、なお「一撃講和」を支持したことで、さらに多くの若い人命が徒らに失われたことに、昭和天皇に責任はないとは言えないのではないか。公共放送の特集番組も暗にそれを指摘していた。

そもそも昭和天皇は、「特攻」についてどの程度知っていたのだろうか。つまり、軍は「特攻」について、どの程度、天皇に上奏していたのか。それによっても、多くの若者の生命を徒らに失うことになった昭和天皇の戦争責任の重さも違ってくる。


9月13日追記

古川義久『昭和天皇―「理性の君主」の孤独』(中公新書、2011)に昭和天皇がもらした「特攻」についての言葉が書かれていた。

十月二十五日、ついにフィリピンのレイテ島で海軍航空隊による敵艦体当たりの特攻攻撃が始まった。十一月十三日、昭和天皇は梅津美治郎参謀総長に「命を国家に捧げて克くやつて呉れた」と述べている(「真田日記」)。 (第四章 苦悩の「聖断」 四 終戦の「聖断」 一撃講和論をとる)

他にも、驚いたことがある。一つは、昭和天皇は「日本国憲法」を理解していなかったかもしれない、という指摘。言葉を換えれば、昭和天皇のなかで、戦前と戦後は地続きだった。基本的に立憲君主制の「君臨すれども統治せず」の立場にあるが、国難の際には、政治的意思を明確にするべきで、さらに必要であれば政治的行動を行う。そういうことが戦後もできると昭和天皇は思っていたようにみえた、と二、三の証言を原は挙げている。

さらに昭和天皇は、アメリカによる沖縄占領を進んで望んでいたという。侍従長、入江相政が回想する1979年の昭和天皇の言葉。

アメリカが〔沖縄を〕占領して守ってくれなければ、沖縄のみならず日本全土もどうなつたかもしれぬ」(第5章 退位か留位か)
(原文に(入10)とあるのは、入江相政日記の第10巻ということか、不明。)

1979年の発言ということは、主にソ連を頂点とする社会主義国とのあいだにある冷戦を意識しての発言だろう。

これらが事実とすれば、昭和天皇の戦争責任は軽くないばかりか、戦後日本のあり方についても、大きな責任が帰せられることになる。

しかし、上記の言葉は国家元首の単なる本音ではなく、今も続いている事実でもある。巨大な基地も、横暴な兵士も、訓練の大騒音も、今、紛争が多発している中東へ向かう戦略爆撃機も、沖縄に集中している。


原は、政教分離を明確にした日本国憲法の「国民の象徴」である天皇が、今でも神道祭祀を継続している矛盾を指摘して、「昭和は終わっていない」と本書を結んでいる。

私は、政治的権力を持たないはずの昭和天皇が希望した「沖縄を本土の防波堤にする」という事態が継続している点において、「昭和は終わっていない」と思う。


新書を二冊読んだだけで「昭和史」がわかったとは、いくら馬鹿の私も思っていない。これは、始まりに過ぎない、これからの読書反省思索の。