ビジネスのプロ・スポーツ化


ビジネスの世界はプロ・スポーツ化しつつあるのではないか。とくに米国型多国籍企業から、その傾向が強まりつつあるように感じられる。

従来、ビジネスの世界では、そしてかつてはスポーツの世界でも、一流やトップと言われる水準に達するためには、知識や技術をもったうえでその世界で何年か熟練していくのが一般的だった。ところがここ数年、非常に若い、デビューしたばかりの新人が突如として頂点を極めてしまうことが、スポーツだけではなく、将棋などの世界でもしばしば起こっている。

これは専門化と技術の高度化が進んだためと考えられる。高度で最新の専門知識を集中的に吸収し、これに肉体的、精神的な若さが加わると、知識を経験によって高い技能に発展させてきた従来型の熟練世代ではかなわないことがある。

ビジネスの世界はこれまで従来型の熟練方式が支配しており、こうした傾向とは無縁であったけれど、そうとも言えなくなってきている。最近の経済記事で驚くのは経営者の若さである。統計的な平均値はわからないが、急成長ともてはやされる企業では四十代の社長が多い。

彼らの多くは超高学歴。修士号はもちろん博士号をもつ経営者もいれば、なかには理工学や金融論など商品やサービスの分野と経営の分野で複数の学位をもつ者もけっして少なくない。さらに肉体的、精神的に若い。そして、それこそプロ・スポーツの一流選手がするように、時間と労力と情熱を惜しみなくビジネスに注いでいる。経営者ではなくても、五十歳すぎまで遮二無二働き、貯蓄をして、残りは趣味や社会活動に費やすという働き方が一部のエリート・ビジネスマンのあいだで理想になっているというのは、しばしば聞く話。

プロ・スポーツ化とは、専門化であると同時にピラミッド型の構造とその頂点を目指す排他的な競争原理(トーナメント方式)とを意味する。プロ・スポーツの世界は頂点を目指す者の戦場である。勝った者が賞賛され、負けた者は黙って立ち去る。勝ち続けた者が頂点を極め、栄冠を手にする。

これに対してビジネスには、より多くの利潤を生み出すというスポーツに似た目的だけでなく、個人にとっては賃金労働を通じて日々の生計を立てるという継続する目的がある。この目的は勝ち抜き戦で達成されるようなものではない。

生活は、人が生きている限り、細く長く続けられなければならない。メジャー・リーガーになることを諦めても生きていくことはできるけれども、日々の生活からは立ち去ることはできない。

サラリーマン生活が専門化することに利点がないわけではない。従来無批判に前提とされていた「年長者はより人間的に偉い」という年功序列的な認識は、「仕事のできる人が仕事において偉い」という機能主義的な認識にとってかわられている。管理者は管理をする仕事を請け負っているだけであって、それ以上の意味はない。このような考え方が広がれば、仕事を離れた主従関係などの悪弊は取り除かれていくだろう。

年功序列という考え方は、年をとれば経験が豊富になり、仕事を進めたり人を使ったりすることが上手になると認められているから成り立つ。ところが、今や人を使うことすら専門化している。例えば年齢の若い者が部門長として多くの人を配下に置くようなこともあれば、人材派遣や就職、転職を専門にする企業にも新入社員がいる。

この場合、部門長や人材専門会社は、加齢による豊富な経験でなく、その職種についての専門的な知識と客観的な職務遂行能力を持っていることが何より求められる。このようにビジネスのプロ・スポーツ化は、従来、暗黙のうちに了解されていた労働観、組織観、企業観などを覆す可能性を潜在させている。

それでもこの傾向が、ビジネス全体、賃金労働者の世界全体を覆ってしまうとすれば、やはり問題だといわざるを得ないだろう。すでに述べたように、働くことは勝負である以上に、生活と人生にとって必要不可欠な行為だから。その上、高齢化社会は避けられない現実。

体力が充分にあり、気力も充実し、知識も能力もある世代は次々と現れてくる。ただしその数は多くない。プロ化が不均衡に進めば、ごく一部の人だけが異常に高い収入と大きな権力を持ち、残りは人生から退去する日をただ耐えて待つような事態にならないとも限らない。

努力したい人は好きなだけ努力でき、勝負したい人は誰でも試合に参加できて、それでいてトーナメントで勝ち残ることに興味のない人も、勝負に出ないだけで敗者とみなされることがないような、労働に対する多様な受け皿は用意できないものだろうか。

こうした悲観的な予測は、まだまだ現実的ではないと言われるかもしれない。見渡せば、まだまだ年功序列にしがみつき、若い世代の知識も能力も活用できなければ、しようともしない企業や、既得権を離さないよう必死になっている中年世代ばかりが目につく。

この国の労働事情は現在、ひたひたと迫るプロ・スポーツ化を背後に、足元は形骸化した年功序列が裏支えする若年層の失業、無職という岩場でぐらつているのに、高齢化と少子化が津波のように押し寄せるのをじっと眺めている、そんな風に見える。


碧岡烏兎