<国内写真集>
日本、にしてなる光景
[2005年~09年編]
(The RARE and STRANGE scene, Japan)

-- 2006.07.28 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.12.02 改訂

※注意:このページは写真が多く、読込みに時間が掛かります。
★---暫くお待ち下さい(Wait a minute)---★

 ■はじめに - 珍にして奇とは

 何を以て珍(rare)とし、どの様な観点から奇(strange)とするかは、人それぞれです。似た様な単語で妙(fantastic)と言うのも在り、これらの単語は少しずつニュアンスを異にし乍ら、「珍奇」「奇妙」「珍妙」などと言う熟語を形成して居ます。関西では俗にケッタイとも言いますね。
 ここでは私の断固とした「独断と偏見」で、「珍にして奇なる」と感じた光景を羅列的に掲載して行きます。このファイルは大きく成ったので2010年5月5日に2010年度以降は
  日本、珍にして奇なる光景#2(The RARE and STRANGE scene 2, Japan)

に掲載する事にしました。
 尚、各節の<××.××.××:○○○○>は××.××.××が撮影日、○○○○が撮影場所です。又、引用文の漢数字はアラビア数字に変換しました。

  ●年度別目次(Yearly-menu)
    2005年
    2006年
    2007年
    2008年
    2009年
    2010年以降は別ページ

 ところで、私が旅先で訪れたり記事をサイトに掲載すると、それに関連する場所や人物に後から事件や天変地異が起こることが多いのですが、これは奇妙且つ不思議(mysterious)な現象です。例えば、03年に私が横浜を分析したら「タマちゃん」騒動が持ち上がったり、同じく03年に私が埼玉県の埋没感を揶揄して居たら埼玉県人が変な事件を次々に起こしたり、と言った具合です(→「東西三都物語」を参照)。
 そこで07年10月17日に、このページで採り上げた話題に絡んで

    ▼後から起こった不思議な現象の目次(Mysterious-menu)▼
 07.09.07:「ナワテやんドリーム」に言及したらナワテの社長が首吊り自殺
 07.10.12:国立新美術館を撮影したら設計者の黒川紀章が死亡
 07.10.16:加古川を訪れたら加古川で女児が通り魔に殺害される
 07.11.15:昭和航空の禾本機長が恵那山で墜落死、私は直前の10.12に恵那山を撮影
      (05年に禾本機長が操縦するセスナで大阪の古墳上空を飛ぶ)

を付けましたが、これはほんの一例です。怖~いですね。
 私はこれもエルニーニョ現象(※1)ではないかと考えて居ますが、或いは私がモットーとする「先見性」の所為かも知れませんな。皆さんはどう思われますか?、ムッフッフ!!

 ■2005年

  ◆水無瀬川でバグパイプを吹いている人を見付けた

 <撮影日=05.02.06:撮影場所=大阪府三島郡島本町水無瀬>この日は「関西歴史散歩の会」(会長:下村治男)の例会で大阪府の水無瀬(※2)に来ました。水無瀬は後鳥羽上皇の離宮(今は水無瀬神宮(※2-1)) -後鳥羽上皇は最後は隠岐に配流された- が在った所です。
 因みに、大阪の止止呂支比売命神社(とどろきひめのみことじんじゃ)(住吉区沢之町1)には「後鳥羽天皇行宮址」の碑が建って居ます。何でも上皇は生涯に28度も熊野詣を行って居るそうです。


 離宮跡を見た後で、水無瀬川(※2-2)の上流に在る「水無瀬の滝」迄を、水無瀬川の右岸を徒歩で上って行く途中でバグパイプ(※2-3)を吹いている人を見付けて仕舞いました。多分、水無瀬川で練習しているのでしょう、ブカブカ鳴らして居ました(右の写真)。
 例会の内容とは全然関係無いのですが、この様に私には”余所見癖”が有って見付けて仕舞ったのです。川べりでトランペットとかトロンボーンを練習してる人は大阪城公園内の淀川(大川)で時々見掛けますが、バグパイプは非常に”珍”ですので、このページで採り上げる事にします。右の”おっさん”です。
 「関西歴史散歩の会」の人で何人がこの”おっさん”に気が付いたでしょうか?、...余り居なかったのでは、と思います。皆さんは真面目です。しかし、この”おっさん”がスコットランドの軍楽隊の様に赤いチェックのスカートを穿いてる所を想像すると面白いですね、否々ちょっと気持ち悪い、アッハッハッハ!!

 この後、有志はサントリーの山崎工場を見学しビールを飲んで、ウィスキーの小瓶の詰め合わせを御土産に買って帰りました。

  ◆名古屋「タワケ(戯け)」文化圏の「ひちや」

 <05.04.06:愛知県岡崎市>矢作町旧東海道界隈を歩いて居た時に目に入った「ひちや」の文字は珍です。勿論「質屋(しちや)」のことで、「○に質」のロゴは良く見ますが「ひちや」は大阪文化圏では見掛けません。今では名古屋文化圏に密度濃く、東京文化圏で偶に残存して居る様です。
写真050406-1:名古屋地方独特の「ひちや」の看板。
 「し」「ひ」の逆転や混同は元々は江戸弁で、例えば「布団を敷()く」「東(がし)」「羊(つじ)」「潮干狩り(がり)」などなどです。それがラジオ放送の普及と共に標準語なるものが出現し江戸弁・東京弁が標準語に吸収されるに連れ「し」と「ひ」の混同は東京では可なり是正されました。しかし、戦国の傑物を立て続けに輩出した為か、徳川宗春の反骨精神の故か、或いはトヨタのカンバンの御利益か、尾張・三河の名古屋文化圏では今尚「ひちや」が健在です。珍を超えて天晴れ也!!
 まぁ、言葉で比較すると東京の「バカ(馬鹿)」大阪の「アホ(阿呆)」に対し名古屋は「タワケ(戯け)」の文化(△1のp32)ですので、探せばこの様な例は他にも在ると思います。名古屋文化に疎い私も名古屋駅の表玄関である東口に古いネーミングの儘で堂々と構える「大名古屋ビルヂング」(後出)も天晴れと前から思って居ますが。{「「タワケ(戯け)」の文化」へのリンクは2011年1月17日に追加}

  ◆八丁味噌の本場にケバブサンド

 <05.11.29:愛知県岡崎市>私は訳有って05年は旧三河国の岡崎を集中して訪ねましたが、又々岡崎です。
写真051129-1:八丁味噌の本場にケバブサンドの広告。 左の写真は名鉄の岡崎公園前駅外の自動販売機で、この駅は愛知環状鉄道の中岡崎駅(高架)と交差して居り、八丁味噌(※3)の発祥地の最寄駅です。にも拘わらず庇に書かれた「トルコのケバブサンド」は「奇」であり場違いでありオモロイですな。ケバブとはシシカバブ(※4)のことで、羊肉の串焼きです。これのサンドイッチということですが、そういう料理を出す店が近くに在るのか単なる落書きなのか、定かで有りません。中近東やシルクロードではケバブは定番料理で、これと一緒にナン(=パンの一種、※4-1)を食うのが庶民の味です。ケバブは瀋陽や北京に迄浸透して居て、私も好きです。
 しかしケバブは確かにトルコが本場です(※4
)が、私らの世代は「トルコの」と言うと今で言う「ソープランド」を連想して仕舞います。
 名古屋文化圏ではカツや「おでん」や饂飩やスパゲッティなど全て味噌味仕込み名古屋風ですので、その上ここは天下の八丁味噌の本場ですから、是非とも味噌ケバブの珍味で戴きたいですな、ブォッホッホッホ!!
 新疆ウイグル自治区でケバブサンドを食いました、尤もここはファーストフード店ですが。ウイグル族はトルコ系です。
 この日は八丁味噌も訪ねて居ますので次節で扱いましょう。

  ◆これが八丁味噌だ!

 <05.11.29:愛知県岡崎市>岡崎城 -三河の守護代・西郷稠頼が康生元(1455)年に築城し、松平(後の徳川家康天文11(1542)年この城で生まれて居ます(△2のp156)- の西に岡崎市八帖町(現在は八帖北町と八帖南町)が在り、天下に名高い八丁味噌(※3)はここで生産されます。今は大抵の味噌は米麹などを使ってますが、八丁味噌は大豆だけを原料」とし、この地方で生産する純正味噌なのです。それで地元の人は「豆味噌」とも呼びます。因みに、ドイツのビールも1516年純正令が守られて居てホップモルト(=大麦麦芽)とだけを原料」とした純正ビールなのです。
 大豆は矢作川地域で取れる矢作大豆、塩は知多地方の塩を使い、水は矢作川系地下水を使い八丁村で作られていた伝統を今も守って居ます。八丁村は岡崎城を「西に八丁」(※3-1) -1丁は約109m、8丁は約870m- 行った所に在るからと言います。

 現在、八丁味噌を製造しているのは2社で、左下のモダンな建物が通称「カクキュウ」「合資会社 八丁味噌」です。

 看板の拡大が右。上から
  宮内庁御用達
  登録商標
  □に
  八丁味噌
  合資会社 八丁味噌

と書いて在ります。
 早川家に拠れば「カクキュウ」は正保2(1645)年の創業です。そして1901年に宮内省御用達を拝命して居ます(←当時は宮内庁では無く宮内省でした)。

 移動します。途中に「八帖橋」が在りました(左下)。
 右がもう一つの製造元の(株)まるや八丁味噌です。
 中央が看板の拡大で「○にと書き、小さく「味噌」と書いてます。家内工場的です。
 大田家の口伝に拠れば創業は延元2(1337)年とされて居ます。ここは家康の出身地なので徳川家の三葉葵(※3-2、※3-3)の紋所も見えます(右上の写真)。そういう関係で八丁味噌は江戸に出荷されて居ました。早川家と大田家は江戸時代からの老舗です。尚、八丁味噌を造る側は「八丁味噌」を登録商標したいのですが、「八丁味噌」は一般名詞だという考え方が浸透して居る様で「八丁味噌」の登録商標は認可されて居ません。

 私は八丁味噌の「味噌煮込み饂飩」を1980年代後半に1度だけ食べましたが、これが滅茶旨い。饂飩が少し固めで、つまりアルデンテ(※3-4)なのです。以来「味噌煮込み饂飩」のファンに成り、大阪で「味噌煮込み饂飩」を遣っている店を天神橋商店街の天神橋2丁目で見付けましたが、大阪は饂飩を柔らかく煮込むので大阪の「味噌煮込み饂飩」はナイデンテです。味噌も八丁味噌では無く普通の赤味噌です。まぁ、仕方無いですね。この天神橋商店街の店は今も在ると思います。

  ◆東京巣鴨の赤パンツ店

写真051127-1:東京巣鴨の赤パンツ店。 <05.11.27:東京都豊島区巣鴨>巣鴨には東京では名の知れた「とげぬき地蔵」(=曹洞宗の高岩寺の俗称)の門前に在るので「地蔵通り商店街」と命名された通りには、手焼き煎餅屋や団子屋などが立ち並び”お年寄りの表参道(或いは原宿)”と通称され独特の雰囲気で活気付いて居ます。
写真051127-1-1:赤パンツ店の正札。 左の写真の赤パンツ店(右が赤パンツの拡大)も”お年寄り御用達店”の一つで、他の街では見掛けないのでと言えます。客寄せの文句が好いですね。曰く

  日本一の赤パンツ
  びっくり価格で健康生活を応援します!!

と。すると、この赤パンツは健康商品?!、それは奇妙です。

 今、問題点は2つ在ります。即ち、

  [1].何故「赤」か?
  [2].何故「健康」か?

です。これを順番に解いて行きましょう。
 [1]に関しては、還暦を迎えた人に贈った「赤いちゃんちゃんこ」(※5)に起源が在ると私は考えます。「ちゃんちゃんこ」は【脚注】に在る様に「子供用の綿入れ袖無し羽織」ですが赤色は赤ん坊用です、多分「赤子」に引っ掛けたのでしょう。十干十二支が一巡りするのが10と12の最小公倍数の60、人間満60歳に成ると生年の干支に還るので60歳を還暦と言う事は皆さんもご存知ですね。そこから還暦には「赤ん坊に還る」、即ち「再生」「第二の人生の出発点」という意味が付加されお目出度い事とされました。そして還暦を迎えた人は赤ん坊に還って「赤いちゃんちゃんこ」を着て祝う慣習が昔は在ったのです、今の都会では廃れましたが。祝いの衣類としては他に赤い頭巾赤い腹巻赤い座布団などが在り、これが赤パンツに拡張されたのです。更に今では右上の写真の様に赤Tシャツ赤タオルなどなどと”変種”が増え、これに日本古来の赤褌も加わり壮観です。
 [2]については、お年寄りには健康が一番という販売側の戦略です。「健康」という言葉に楯突く人は誰も居ませんが、赤い物を腰に纏うと下半身が温まり保温効果に依って下の病に罹らないという民間信仰が昔は在った様です。

 以上で問題点は解決しましたが、女性には冷え性が多い上に江戸時代迄の日本女性はノーパン、つまり明治の外来文化輸入以前の日本女性はズロースやショーツやパンティの類を身に着ける習慣が無かったので嘸(さぞ)や冷えて大変だったろうなと思いきや、昔の女性は真っ赤な腰巻(※5-1)や真っ赤な長襦袢(※5-2、※5-3)を身に纏って居ました。あれは男を悩殺する欲情効果だけで無く保温効果も有った訳ですね。因みに「襦袢」という語はポルトガル語起源(※5-3)です。フーム、色々と勉強に成りました。
 ところで昨年、日本のプロ野球界はストライキを決行し大騒動を引き起こしましたが、騒動の火元の一つは関西系赤パンツ球団でした。ひょっとして彼等は保温力抜群の巣鴨の赤パンツの重ね着でもしたんでしょうかね。だとしたら、それはチン妙な作戦ミスです。何故ならば男子のチンは冷やして鍛えるのが常識だからです、ブワッハッハッハ!!

  ◆姫路西部の揖斐川沿いに「イボキン」

 <05.12.17:兵庫県たつの市揖保川町(旧揖保郡揖保川町)>JRの姫路を過ぎ竜野駅に到着する少し前に、2、3年前から変な名前の会社が有るのは気付いて居たので「2003年・萩と山陰の旅」でも紹介してますが、この日遂に写真を撮りましたので、ご報告します。
 左下の写真をじっくりとご覧下さい。工場のロゴの
  IBOKIN

という綴りが確認出来ますね。何?!、「イボキン?」、...「疣キン?」「疣金?」(←所謂一つの「大人のおもちゃ屋」には、その様な商品がチン列されてますが)。この辺はあの揖保素麺(そうめん)で有名な揖保川(いぼがわ)という川が流れて居るので、多分「揖保川金属」とか何とか言う会社だと思うのですが、それにしても「イボキン」というロゴを正々堂々と掲げて居る根性には脱帽です!!

 この会社は案の定、揖保川金属(株)でしたが、平成15(2003)年10月株式会社イボキンに改名して居ます。所謂平成の大合併(住所は肥大化)に依り2005年頃に市町村が合併したりして、ここも揖保郡から「たつの市」に成りましたが、株式会社イボキンもそれに合わせたかの如くに名称変更した訳です。{「平成の大合併」へのリンクは06年12月25日に追加}
 

  >>>★その後

 この話は「2003年・萩と山陰の旅」の「その後」の章にも、より詳しく載せてます。
    {この記事は05年12月20日に追加}

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 ■2006年

  ◆大阪黒門市場の刺青屋

 <06.05.05:大阪市中央区>左下は大阪の黒門市場近くで見付けた刺青(入れ墨)屋の看板(※6~※6-3)です。
写真060505-1:黒門市場近くの刺青屋の看板。 実はこの看板に気が付いたのは3月頃で、写真を撮ったのが5月5日だった訳です。もっと前から在ったのかも知れません。この看板の右側に灰色に見えているのが電柱の一部なんですが、その電柱の脇にひっそりと立っていて目立ちません。
 しかし、今時の刺青屋は珍しいと思いませんか?、公衆浴場(=銭湯)などには必ず「刺青お断り」の貼り紙が在り、刺青を入れて居る人は現代の嫌われ者、極め付きのアウトロー(※6-4)に違い有りません。看板には

  「二代目彫常」
  「現代刺青倶楽部・新日本刺青研究所」

と書いて在ります。で、この看板の後ろの民家(現在は飲み屋)がその刺青屋かと思いきや、そうではありません。看板の下に赤い矢印が見えますね、その上に「一ツ目辻左入る」と書いて在ります。その「一ツ目辻」とは、この矢印の方向に民家を2軒飛び越えた先の人がやっと1人入れる位の狭い路地のことです。その奥に小さな暗い2階家が2~3軒在り、どうやらその奥の家らしいのです。その2階で刺青を彫るのでしょうか?
 この狭い路地を入ると、その儘アウトローの世界に通じて仕舞う様です。しかし「現代刺青倶楽部」なるものが存在して居るとは知りませんでした。
 江戸時代~昭和初期に掛けて刺青を彫る彫師が浅草界隈に大勢住み着いて居ましたが、関西ではこの付近や尼崎(阪神電鉄の尼崎駅付近)に多かった様です。確か名人と言われた二代目・彫宇之も関西で修行を積んだ筈です。
 ところで、この近くに末広湯と言う銭湯が在りますが、午後3時~5時頃に行くと、必ず龍などを彫った人が1~2人居ます。大和郡山の大門湯でも居ましたね。してみれば、現代に彫師が存在しても全く不思議は無い訳です。「江戸の華」であり粋(いき)の象徴であった刺青を今に伝える彫師が、現在どの位”現役”で居るのでしょうか?

  錦絵と呼ばれる多色刷浮世絵版画が江戸芸術の典型であるとすれば、その絵を生身の人肌に彫った刺青こそ江戸芸術の極致である

、と言うのが私の持論です。
 ところで、ネットで検索したら『文身 二代目彫常の世界』(山本将文著、白夜書房)(※6-3)と言う本が出されて居ます。二代目彫常は腕の良い職人なんでしょうか?!

  >>>★その後

 09年に入り4月初めに、ふと気が付くとこの刺青屋が無くなって居ました、残念。色々情報収集したら二代目彫常は他界した様です。
    {この後日記事は09年4月17日に追加}

  ◆大阪淀川のヌートリア

 <06.08.04:大阪市淀川>先ず下の写真を見て下さい。私が良く行く淀川左岸の入江(大阪市都島区毛馬町)で見付けました。鼻先から尻迄が目測45cm、そして尻尾がやはり40cm位です。泳いで居ます。初めカワウソかな?、と思いましたが良く見ると尻尾が細長く体形は鼠(ネズミ)そっくりです。川水の中に薄らと黒く見えている後脚には水掻きが有ります。帰って図鑑で調べたらヌートリア(※7)でした。
 成る程、広辞苑に拠るとネズミ目ヌートリア科原産地は南アメリカ東部で、軍用毛皮獣として移入飼育され西日本各地で野生化しました。夜行性とのことですが、撮影時刻は午後2~3時頃です。単独で生息して居るとは考え難いので、家族とか数匹は潜んで居るのかも知れません。見付かると駆除されるそうです、悲しきヌートリア!
写真060804-1:淀川を泳ぐヌートリア。
写真060804-2:ヌートリアの顔。
 右がヌートリアの顔です。
 『Microsoft エンカルタ総合大百科』では、「今は荒川下流域に僅かに生息するのみ」と記されて居ますが、トンデモナイ記述です。多分エンカルタのヌートリア執筆者は東京中心主義者なのでしょう。と言うよりも辞典の執筆者たる者が広辞苑にも当たって無いとは、百科辞典を執筆する資格が無い者です。
 ネットで検索したら特に岡山県に多い様で、大阪では伊丹の昆陽池や淀川各所で目撃されて居ます。
 

 実はこのヌートリア、私が第1発見者ではありません。例に依って自転車でここを通り掛かった時、やはり自転車で来ていた人から、「ちょっと、変な動物が居るよ。」と声を掛けられたのでした。
写真060804-3:ヌートリアが食べていたウォーターレタス。

 その人の話に拠ると、川面に浮かんで居る水草の葉を食べていた、ということです。どの水草か訊くと、直ぐ近くに群生して浮かぶウォーターレタス(右の写真、※7-1)でした。これもアフリカ原産の帰化植物です。
 ところで『フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)』に拠ると、ヌートリアが希少価値の高いベッコウトンボ(※8)の生息地を壊滅させる被害を出して居るらしく、そうなるとこの撮影地は淀川のトンボの生息地のド真ん中、トンボ好きの私にとってヌートリアは”招かれざる珍客”です。ヌートリアはトンボの生息地を好む様です。

 実は私は05年2月26日にも篠山川 -加古川の支流で丹波篠山の市街地の南を東から西に流れる- で、”泳ぐ大鼠”を目撃して居ます。最初に発見したのは一緒に牡丹鍋を食いに行った仲間で、やはり「変な動物が居るぞ!」と言う声で岸迄走ったのですが、残念乍ら大鼠も直ぐに岸に上がり姿を隠して仕舞いカメラに収めることは出来ませんでしたが、チラッと見ることが出来ました。今考えればこれもヌートリアでした。

  >>>★その後

 このヌートリアの後日談は、この入江の生態系と合わせて別に新たなページ「”生きている”淀川の入江」を設けましたので、そちらを参照して下さい。
    {この後日記事は06年8月21日に追加}

  ◆大阪淀川で訓練する自衛隊

 <06.08.04:大阪市淀川>淀川で自衛隊らしき部隊を見掛けたのは上述のヌートリアを発見する少し前(=午後1時45分頃)、場所も同じ淀川左岸の入江(大阪市都島区毛馬町)から淀川本流に眼を遣った時でした。私はこの日ここでチョウトンボの静止姿を撮影しようと、飛翔するチョウトンボが草木に止まるのを追い掛けていたのです。その時、沖合いにボートが2艇いたので、ズームでパチリと言う訳です。背後の草地は対岸の河川敷です。
 この写真では2艇のボートは接触して居ますが、初め見た時は離れて居て淀川の下流の方からここに来ました。ヘルメットを被った男たちが11人確認出来ます。何をして居るのかは判りません。私は又チョウトンボの姿を追い、5分~10分後に見たらこの場から消えて居ました、上流に行ったのか下流に戻ったのか未確認。
写真060804-4:2艇のボートに乗る自衛隊員。

 <06.08.23:淀川>2度目に淀川で自衛隊らしき部隊を見たのは8月23日の、やはり午後1時30分頃。この日も例の入江でイトトンボの撮影をして居た時に迷彩服を着た4人が河川敷を下流の方から歩いて来たのと擦れ違いました。彼等は上流の方に歩いて行きました。私は気にも留めなかったのですが、擦れ違ってから10分位経った時、ふと沖合いを見るとボートが上流から下流へゆっくりと進んで居ました。それが下の写真です。カーキ色の救命胴衣の下は先程の迷彩服です。
写真060823-1:ボートに乗る4人の自衛隊員。


写真060823-1-2:先頭の自衛隊員の拡大。 先頭の人物とボート側面の文字の拡大が左の写真です。手に持っているのは何でしょうか?、側面の白い文字は
  272MG 又は 272MC
と読めます。

 ここで、彼等は何処からこのボートに乗り込んだか?、と言う疑問が湧いて来ます。私と擦れ違って10分後に水上に現れたからには、然程遠く無い地点にボートを用意して居たと思われます。ヌートリアの棲み家が在る入江の茂みの中に隠して置いた可能性が非常に高いということですね。
 次はその辺りを探索してみようかしら、オッホッホ!

  >>>★その後

 事情通氏(=横浜野毛に出没する”一発屋”の御仁)に拠ると、これは陸上自衛隊河川は陸自の縄張だそうですが、魚やトンボや鴨やヌートリアなどの野生動物の縄張を荒らさないで欲しいですね。
 ところで、陸自のボートの隠し場所と思しき辺りを探索しましたが、痕跡を発見出来ませんでした。この記事はこちら
    {この後日記事は06年9月22日に追加}

  ◆名古屋のマンホール蓋

 <06.11.10:名古屋市>左下は名古屋駅近くで何気無く見付けて仕舞ったマンホール蓋の変な紋様です。「何気無く」と言ったのは、別に私がマンホール蓋に特に注意して歩いて居た訳では無いと言う意味ですが、思わず足を止めて仕舞ったのです。
写真061110-1:名古屋のマンホール蓋。
 勿論私が珍奇に感じたのは蓋の真ん中の部分の紋様で、足が6本有るので昆虫の様ですが、前脚と中脚の先で渦を巻いているのが何か?、バッタ又は蝶の翅の様にも見えますが、結局良く判りません。
 「尾張名古屋は城で持つ」と言われる様に、マンホール蓋だけで無く名古屋では名古屋城名物の金の鯱(しゃちゅほこ)がデザインに良く使われますが、この時以後足元に注意して居たら、この”変な昆虫”のマンホール蓋には市内で結構出会(でくわ)しました。
 そこで後日ネットで検索したら有りました、「名古屋市上下水道局」公式サイトに。これはアメンボ(※9)をキャラクター化したものだったのです。とすれば渦巻き紋様は水の波紋に成りますが、どう見てもアメンボには見えません。アメンボは胴が細く中脚と後脚が極端に長いのに、このキャラクターはそうなって無いからです。まぁ、しかし兎に角「名古屋市上下水道局」の弁を拝聴しましょう。公式サイトに拠ると

 『アメンボは水のあるところへ素早く飛んでいきます。また、渓流など流れのある水域にも生息し、水道・下水道のイメージにもぴったりではないでしょうか。
 このマークは、名古屋市の下水道が大正元(1912)年11月15日に供用開始されてから、80周年にあたる平成4(1992)年から下水道のイメージマークとして活用してきました。』


とのことです。そのお考えは尊重しますが、しかしアメンボには見えませんね、どう見ても!!
 ところでアメンボがカメムシ(亀虫)の仲間で、しかも肉食性で吸血鬼擬きに体液を吸う昆虫 -注射針構造の吸収管型口吻はカメムシ目の特徴- だ、と言う事実は意外と知られて無い様です。

  >>>★その後




 しかし、その時の写真は雨上がりで見難かったので、07年3月31日に撮り直したのが左の写真です。
 この名古屋のマンホール蓋が切っ掛けで「ちょっと気になるマンホール蓋」を特集しましたので、そちらを参照して下さい。
    {この後日記事は07年4月2日に追加}

  ◆奈良県高取山・その1 - 麓の町の助産婦

 <06.11.13:奈良県高取町>好天のこの日、戦国の山城として名高い高取城址 -日本三大山城の一つ- を訪ねて標高584mの高取山(奈良県高市郡高取町大字上子島、飛鳥の南約5km)に行きましたが、最初に高取山の麓の江戸時代にタイムスリップした様な下土佐の古い町並み(高取町大字下土佐)を散歩し乍ら進みました。その時に見付けたのが左下の助産婦の看板(※10、※10-1)を掲げた家です、つまり昔の「お産婆さん」(※10-2)ですね。
 今は猫も杓子も大病院に入院して機械やらシステムやら時間やらに”管理”されて子供を出産しますが、私が幼少の頃はお金持ちは別にしても、普通の庶民の家では近所の「お産婆さん」を呼んで家 -又は母方の実家- で出産したものです。斯く言う私も貧乏人の例に漏れず、家に於いて「お産婆さん」のお世話に為りました。
 自分が生まれた時は覚えて居ませんが、家で子供を産んだ当時の母親は精々1日眠って休むだけで次の日からはヘッチャラで炊事などをして居ました。猫だって子供を数匹産んだ後直ぐに動き回って居ます。
 僅か50年位(=約半世紀)で世の中は随分と変わったものです。その所為で助産婦の数は激減し今では絶滅危機に瀕する珍奇な存在に成って仕舞いました。
写真061113-J1:助産婦の家。写真061113-J1-2:助産婦の看板の拡大。
 看板(或いは表札)を拡大したのが右の写真で「助産婦」と書かれて居るのが読めると思います。軒先に檜の葉と短冊を吊るして居ますが、これはこの地域に共通した習俗です。
 【脚注】※10-1に記す様に01年以降は助産婦では無く助産師と呼ぶそうです(看護婦→看護師と同様)が、07年現在では男性は認められて無いので事実上「助産師=助産婦」です。国の資格を得れば、この家の様に開業出来ますが『フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)』に拠れば助産師が医師無しで単独で行える助産行為(分娩介助、臍帯の切断など)は正常な経過の妊娠分娩に関してのみで、それ以外は産科医の参加が必要ですから、果たして助産で産もうと言う妊婦がどの位居るのか?、生計が成り立つ程居るのか?、が助産師にとっては大問題です。その様な制約から助産師は激減したのですが、今現役の助産師は何人位居るのでしょうか?

 そこで厚生労働省の統計を調べてみると、04年時点で就業助産師総数は約2.5万人(病院勤務が約1.75万人)、つまり開業助産師は約0.75万人=7500人と言う数字が得られました。又05年度の助産師国家試験合格者は1619人です。

  ◆奈良県高取山・その2 - 山腹の鄙びたキリスト教会

写真061113-K1:高取山麓のコイン精米所。 <06.11.13:奈良県高取町>前節の下土佐の町並みを通過後、私は高取山を目指して「七曲り道」から登りましたが、途中の農道に沿って小川が流れ対岸に在った「コイン精米所」(左の写真)は鄙びて長閑でした。

 そして人気の無い農道を更に暫く登り砂防公園下の水車小屋を過ぎて直ぐの所に、実に鄙びたキリスト教会(左下の写真、高取町大字上子島)を見付けて仕舞いました。粗末な平屋造りのトタン屋根に取り付けられた白い十字架だけが、周囲の風景とそぐわず酷く”場違い”で珍奇です。
 私はこの家を通り越して左下の写真を撮った位置で十字架を見て初めてキリスト教会だと判ったので、道を戻り家の正面に回って見たら表札(中央下の写真)と集会案内(右下の写真)が掛かって居ました。表札には読み難い字で「宗教法人 基督聖協団上子島教会」と書いて在ります。集会案内には礼拝・伝道会・祈祷会・早天・日曜学校・聖書研究・ハイフルクラスなどの開始時刻が書いて在ります。
 窓際には折り畳み式の椅子が立て掛けて在ったので中は洋間か土間みたいです。私は段々とこの教会が愛おしく思えて来ました。

        白い十字架
          ↓
 写真061113-K2:高取山麓の場違いなキリスト教会。写真061113-K3:高取山麓のキリスト教会の表札。写真061113-K3-2:高取山麓のキリスト教会の集会案内。
 基督聖協団(本部:千葉県千葉市中央区椿森)は、日本福音同盟に加盟する福音主義のプロテスタント(※11、※11-1)で、1958年に26の教会で結成され66年に宗教法人化して居ます。聖書福音書(※11-2)に忠実なのは当然ですが、特に聖霊(※11-3)を崇め祈祷を重視するのが特徴です。

 集会案内の祈祷会がその特徴を表して居ますが、何人位集まるのでしょうか?
 それにしても教会のトタン製の暖房用煙突は何とも言えない侘しさです -ここは街中より寒い- が、ネットで検索したら「奈良県のキリスト教会を紹介します」と言うページにちゃんと住所と電話番号が登録されて居ました、”歴(れっき)とした教会”なんですね!

  ◆奈良県高取山・その3 - 山頂付近の大ミミズ(シーボルトミミズ)

 <06.11.13:奈良県高取町>前々節で述べた様に、戦国の山城として名高い高取城址を訪ねて標高584mの高取山(奈良県高市郡高取町大字上子島)に「七曲り道」から登りました。きつい七曲りの登りを終え、「猿石」と「二の門跡」を過ぎて国見櫓跡の標識の少し手前を歩いて居た時、足元を群青色に白の横縞をした気味の悪い物が動いて居たのでした(この辺りは高取町大字高取)。それが下の写真で、右の枯葉の下に鈍々と潜って行こうとして居たのでした。つまり枯葉の下に隠れて居る部分、写真の右の先端が頭です。緑色の葉の下の部分は側面が橙色をして居て、どう見てもミミズ(※12、※12-1)です。
 実物は目測で体長は35cm以上、太さは直径1.2cm位で、この写真は実物の約1/2です(→★実物大で鑑賞したい、と言うマニアックな趣味をお持ちの方は▼下の写真をクリック▼して下さい)。
写真061113-1S:奈良県高取山の大ミミズ(実物の1/2)。
 ぬめぬめとした光沢は大変気味悪く、【脚注】※12に在る「地竜」と言う中国伝来の呼称にリアリティを感じます。元々鬱蒼とした杉林の下のじめじめした所に、前日は少し雨が降ったので這い出して来たものと思われます。調べてみるとシーボルトミミズ(※12-2、※12-3)と言う種らしい事が解りました。

 ところで、この大ミミズが這って来た方を見ると、この写真を撮った所から50cm位の地点に小さな黒ネズミ?(実はモグラです)の死骸を発見しました(左下の写真、ほぼ実物大)。写真の左側が頭部で、下側に手(=前脚)、右側に毛が抜け掛かった尻尾が見えて居ます。顔の部分を倍に拡大したのが右下の写真で、フラッシュを浴び白く光る髭が見えます。
写真061113-2:大ミミズの傍の黒ネズミの死骸。写真061113-2-2:黒ネズミの顔の拡大。
      ↑            ↑             ↑
      前脚           尻尾           顔(拡大)

 黒モグラが何故ここで死んでるのか?、中々興味深い状況です。実はモグラはミミズの天敵(※12-4)なのです。つまり通常は天敵モグラがミミズを食い殺すのですが、ご覧の様に全く逆です。この状況から推理して私は、黒モグラが大ミミズを食おうとして近付いたが逆に大ミミズに睨まれ殺された、という常識外れの他殺説を唱えました。しかし凶器が見当たらないのが私の説の弱点です。警察は例に依って”事勿れ主義”、自殺又は事故死で片付けることでしょう、ブワッハッハッハ!!

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 ■2007年

  ◆名古屋駅東口に出現中の捻じれビル

 <07.01.29:名古屋市>本題に入る前に05年にチラと話題に載せた大名古屋ビルヂングを撮影しましたので、名古屋序でに先に掲載します(左下の写真)。
写真070129-1-1:大名古屋ビルヂング屋上のビル名ネオン。
      ↑
写真070129-1:名古屋駅前の大名古屋ビルヂング。 「ビルヂング」という綴りは戦前迄は可なり在ったと思いますが、高度成長を成し遂げ先進国の仲間入りした以後の”今時”の「ヂ」は珍です。しかも名古屋駅の表玄関 -名古屋駅東口(=桜通口)- にデンと構えて居ますから尚更です。そう言えば(株)ブリヂストンも「ヂ」の儘ですね。
 何しろ現在では「ヂ」「ぢ」の用法は「痔」以外には中々思い当たらない状況で有ります(→更なるの話題)。

写真070331-1:名古屋駅東口に出現途中の捻じれビル。 <07.03.31:名古屋市>左が本題のモード学園スパイラルタワーズ(設計:日建設計、中村区名駅4丁目27番地、地上36地下3階)で、現在建設中です。この場所は今紹介した大名古屋ビルヂングの少し南、西柳公園の西です。現在は地上20階位迄の骨組みが建ち、下から10階位迄は外壁をガラスで囲って居ます。スパイラル(spiral)とは螺旋のことで捻じれは螺旋の一部を成しますが、それにしても捻じれた骨組みは奇っ怪、即ちグロテスク(grotesque)です。
写真070320-1:東京の国立新美術館。 最近は全面ガラス張りが流行りらしく、東京の新築ビルや建設中のビルは殆ど全面ガラス張りでした。07年1月21日に開館した東京の国立新美術館(設計:黒川紀章と日本設計、右の写真(07年3月20日撮影))も全面ガラス張りで曲面でしたので、ポスト・モダン様式(※13)が受けている様です。
 名古屋は今、日本で一番パワフルな都市で至る所で再開発が進み目下は名古屋駅 -JRの新幹線と在来線、私鉄(名鉄、近鉄)の総合ターミナル- 東側が新ビル・ラッシュですが、スパイラルタワーズが完成した時(=08年2月の予定)の写真と見比べたら面白いでしょう。

 建物の発注元は学校法人モード学園(本部:名古屋市)で、ここはファッション系専修学校のモード学園と情報系専修学校のコンピュータ総合学園HALを運営して居て、ビルが完成したら両系の学生がここに結集します。曰く「螺旋状の外観は、ファッションの最先端を目指し、異種の学生たちが互いに絡み合い乍ら交流し社会に向けて上昇して行く姿を表す」のだそうで、何やらDNAの二重螺旋構造を彷彿とさせます。

  >>>★その後

  ●鬼才・黒川紀章逝く

 私が07年3月20日に訪れて外観を撮影した国立新美術館の設計者である建築家の黒川紀章氏07年10月12日に心不全で死亡しました。この人、最後は都知事選やら何やらに立候補して居ましたが、政治向きでは無かったと思いますね。合掌!

                (-_-)
                _A_

 私が行くと後からこういう事が良く起こりますゾ、ムッフッフ!
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    {この後日記事は07年10月19日に追加}

  ●完成した捻じれビル
写真080517:名古屋駅東口に完成した捻じれビル。
 <08.05.17:名古屋市>07年に紹介した建設途中の捻じれビルが完成して居ましたので、比較の為に完成後の写真を載せます。黒く競り上がった捻じれの窪み部分に白い文字で

  MODE HAL ISEN

と記されて居ます。完成して仕舞うとグロテスク感は薄れますが、デザインはやはり奇抜です。このビルは豊橋方面からJRや名鉄で名古屋駅に到着する直前に、進行方向右側の車窓からチラと見ることが出来ます。
 「捻じれ」が新傾向なのかどうかは解りませんが、昨年夏の参院選以後は国会も衆議院と参議院で与野党が逆転する捻じれ国会に成りましたので、このビルがそれを先取りして居たのかも知れません。世間ではこうした”捻じれ構造”を本来的で無い事、悪い事の様に考え勝ちですが、必ずしもそうでは有りません。捻じれ国会で初めて「無用の長物」に堕していた参議院のチェック機能や存在感を回復し国会本来の機能を果たし得ている事実に”国民”たる皆さんは気付くべきですね。生物のDNAは本来的に捻じれているのです。
    {この後日記事は08年5月19日に追加}

  ◆美空ひばりはユダヤ系か?!

 <07.07.22:横浜市磯子区滝頭>この日は横浜(通称:ハマ)の滝頭や横須賀(通称:スカ)を私の弟子(=横浜黄昏に出没した”一発屋”の御仁、当ページにも写真が在る)に真っ赤な「フェラーリ」で案内させました。ハマの磯子区滝頭は黄昏れたハマの中に於いてさえもマイナーですが、私が滝頭に来た目的は美空ひばり(※14)です。
写真070722-0:横浜市立滝頭小学校の校章。 滝頭は昭和の歌姫と言われた美空ひばりが生まれ育った地で彼女が出た横浜市立滝頭小学校は今も健在です(左の写真が校門の表札)。それで彼女所縁の旧地を訪ねる為に遥々大阪から遣って来た訳ですが、滝頭小学校の校章は意味深です(右の写真)。これはどう見ても「ダヴィデの星」と言われるユダヤの魔除けの六芒星と同形です。そして星型の真ん中に「瀧」の字が収まって居ます。
 ここから滝頭小学校は日系ユダヤ人の為の秘密教育機関ではないか?、美空ひばりはユダヤ系ではないか?、と面白半分な噂が色々飛び交って居ます。私はついこういう所に目が行って仕舞う性分です!

 それではユダヤ人の国家であるイスラエルの国旗を見てみましょう(右の写真)。どうです?、これ、「ダヴィデの星」が国旗のド真ん中に鎮座してますね、ムッフッフ!!
 まぁ、「ダヴィデの星」は置いといて美空ひばりの生家を訪ねましょう。「ひばり」は昭和12(1937)年、滝頭の丸山市場の魚屋「魚増」で生まれます。父は加藤増吉、母は喜美枝、「ひばり」の本名は加藤和枝です。「魚増」は近年迄、親戚の者が遣って居た様ですが今は表札も外され、もう遣っている店は有りません(左下の写真)。
 私たちは周りをウロウロ探したら中央下の様な空き地を見付けました。そこに在る立て札の拡大が右下の写真です。
 「82年の長きに渡り地域の皆様に御愛顧いただきまして誠にありがとうございます
 多くの方々に御支援をいただき厚く御礼申し上げます
    滝頭市場一同」

と書いて在りました。

 2007年から「82年の長きに渡り」という事は、この市場が出来たのは1925年です。「ひばり」が生まれる12年前の年です。私は「魚増」が在ったであろう所で写真を弟子に撮って貰いました。

        (-_@)

 「ひばり」は横浜を大事にしていて、子供の頃正月に、確か日の出町の映画館だと思いますが予告も無く突然来て「東京キッド」 -これはマンホールの歌です- を歌って喝采を浴びてた事を今でも思い出します。

 磯子や屏風ヶ浦は戦後暫くは遠浅の良好な海水浴場でしたが、京浜工業地帯(※14-1)の名に踊らされた横浜市が埋め立てて仕舞い、横浜から「浜」が消失したのです、これって矛盾ですよね!
 私の子供の頃は毎年夏には「潮干狩り」が出来てアサリがバケツに一杯獲れたのです。御蔭で私は「アサリの味噌汁」が非常に好きです、アッハッハッハ!!

  >>>★その後

 「ダヴィデの星」について別ページに纏めましたので、興味有る方は是非ご覧下さい。
  ダヴィデの星(Star of David)

    {この後日記事は2009年3月4日に追加}

  ◆横浜滝頭の八幡神社境内の機雷と、横須賀港の戦艦三笠の機雷

 <07.07.22:横浜市磯子区滝頭>横浜はJR根岸線根岸駅の西700m位の地点に無人の八幡神社(磯子区原町)が在り、近くには八幡橋(やわたばし)が堀割川(大岡川の運河)に架かっていて、地元では八幡橋八幡神社(又は滝頭八幡神社)と呼んで居る様です。境内の由緒書に拠れば「欽明天皇12(551)年以前にこの地に祀られ」と在りますが、この文はここから北東の磯子区西町に移った根岸八幡神社(主祭神:八幡皇大神=応神天皇)の由緒です。当社はその跡地に滝頭村の鎮守として明和3(1766)年に、鎮座主の八幡宮(主祭神:誉田別命=応神天皇)に近隣の三島明神(大山祇神)と氷川明神(素戔嗚尊又は須佐之男命)を合祀して創建され、安永5(1776)年に東照宮(徳川家康)を勧請して現在に至って居ます。樹齢数100年の古木は根岸八幡時代のものです。

写真070722-1:横浜の八幡橋八幡神社の球形の遺物と奇妙な台座。写真070722-2:横浜の八幡橋八幡神社の球形の遺物。 これだけでは単なる郷社ですが、境内に奉られた球形の遺物は奇妙(→後で行く横須賀港で判明) -台座の形も奇妙- です(左の写真)。直径1m位の球体の外壁は錆の生じた鉄板をリベットで接合して居ます(右の写真)。奇妙な形の台座には「御大典記念 正三位勲二等有志」(※15)と刻まれて居ますので、昭和天皇の即位の年に建てられたと思われます。と言うのはこの神社は大正末期の関東大震災で倒壊し、その復興時期が昭和天皇即位 -1926(昭和1年)年12月25日に大正天皇の死去で皇位を継承し、28年に即位- と重なるからです。
 台座には又「磯子二業組合有志」(※16)、「磯子藝妓屋組合有志」の名前が刻まれて居るので、嘗て付近で芸妓屋が頑張っていたことを窺わせます。

 八幡橋から南は昔は海で、付近には飛行艇専用の根岸飛行場が在り敗戦の年(=1945年)迄南洋のパラオ方面に飛行艇が飛び立って居ました。北東の根岸は開港と共に外人居留区と成り1967(慶応3)年には根岸競馬場(現・根岸森林公園)で日本初の洋式競馬が開催されて居ます。

 <07.07.22:横須賀港>この日はこの後、弟子の運転する真っ赤な「フェラーリ」で横須賀港に行きました。横須賀港で日露戦争で活躍した戦艦三笠(※17)を見学したのです(左下が大砲の上から撮った戦艦三笠、中央下が横須賀港)。
 右下が手動式大砲です。弟子はこの大砲に負けない様に「28cm股間砲」を日夜奮い立たせて居るのです、ウォッホッホッホ!!
  

写真070722-3:横須賀港の戦艦三笠の機雷。 そして球形の遺物の正体が判りました。この球体の正体は機雷(※17-1~※17-3)でした。戦艦三笠の脇に機雷を展示して在ったのです(右の写真)。説明板には「機械水雷」(※17-1、※17-2)と在り「日露戦争当時、日本海軍が使用した機雷で旅順港外に敷設しました。」と書いてます。
 日露戦争に於いて小国日本が大国ロシアを、旅順港口閉塞作戦や日本海海戦で打ち破り国際社会で名を上げたので、それに肖(あやか)り機雷の”玉”を祀り上げ国威発揚に寄与せん、としたのでしょう。そう考えると先程の滝頭の機雷の台座の形が流動的で砕ける波の様に見えるのも一応理解出来ます。しかし結果は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の諺通りに終わりました。
 

  ◆ハマ&スカを走る「なにわナンバー」の改造フェラーリ

 <07.07.22:横浜市、横須賀市>最初に「ハマ&スカ」とは「横&横須賀」の事です。ところで、この機雷の”玉”を発見したのは私ではありません。ここや軍港・横須賀を得意に成って案内したのは、バブル崩壊後不景気な大阪に見切りを付け「ナワテやんドリーム」を抱いて上京した”一発屋”の御仁です、”G主”です(左下の写真)。彼は不純な人間です。
写真070722-4:改造フェラーリと”一発屋”の御仁。写真070722-4-2:なにわナンバーのプレート。 日頃から”馬の様な一物” -私は見て無い!- を自慢して居る彼が御して居るのが真っ赤な「跳ね馬フェラーリ」(左の写真)、しかも「なにわナンバー」とはお笑い(右の写真)です。
 差し障りが無い様に彼の顔を隠したのが却って人相が悪く成り目立ちますな、横浜のページには素顔が載っているので隠した意味は余り無い、ウワッハッハッハ!
 彼は風俗街の暴れん坊ですが軍事オタク -旅順港口閉塞隊を指揮し尋常小学唱歌に歌われた広瀬中佐をマジに崇めている- で私の弟子でもありますので、この日は非常に嬉しそうにこの車でハマとスカをぶっ飛ばしました。
写真070722-5:改造フェラーリの空冷ダクト。写真070722-6:座席から見た空冷ダクト。 しかし別名「じゃじゃ馬」と呼ばれるフェラーリは頭が空っぽな我儘女と同じです。イタリア人気質宜しくカッコ付けばかりで性能不全です。この車も後部のエンジンが過熱するので時々止めて冷やす必要が有り、そこで彼が考案し取り付けたのが市販の漏斗(じょうご)と蛇腹管で作成した奇妙奇天烈な空冷ダクト(左右の写真)で、これをブルブル震わせ乍ら走る姿は世界で1台のみの珍妙さ -本人曰く「宇宙一の安っぽさ」- です。
 彼は運転席からこのダクトに手動で水滴を吹き込む半自動水冷機構の付加を目指して居ます。この車は普段は横浜の某駐車場に留め置かれて居ますが、欲しい方はどうぞ盗み出して下さい。彼は盗難保険が下りるのを望んで居ますゾ、ブワッハッハッハ!!

  >>>★その後

 ”一発屋”の御仁と同じ「ナワテやんドリーム」を夢見た引っ越し会社の社長が本社で07年9月7日に首吊り自殺しました。
 私が話題にすると後からこういう事が良く起こりますゾ、ムッフッフ!
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    {この後日記事は07年10月19日に追加}

  大阪の「コスプレ焼肉&しゃぶしゃぶ」の動向

写真070820-1:大阪の「コスプレ焼肉&しゃぶしゃぶ」の広告板。 <07.08.20:大阪市北区>先ずは右の写真をご覧下さい。大阪市の扇町交差点の電柱に掛かっていた広告板で「コスプレ焼肉&しゃぶしゃぶ」(略称:コスしゃぶ)(※18、※18-1)と謳って居ます。別に「コスしゃぶ」が珍奇と言う訳では無いですが、前世紀の末に同系の「ノーパンしゃぶしゃぶ」(略称:パンしゃぶ)の有名店が”日本版ビックリバンク”事件で閉店に追い込まれて以来久し振りに見たので採り上げました。
 広告板にはスケベ系コスプレ店定番の「セーラー服、ナース etc.」と書いて在ります。お値段は「食べ放題」でサン・キュッ・パ(=¥3980)だそうですが、まぁ、この種の店に”満腹”目的で行く客は皆無で、皆コスプレ嬢と「おしゃべりして」と言う文句に誘われ”マン足”を求めて蛾の如く集まるのです。この店はミナミの西に在り、店の公式サイトに拠ると女の子のコスチュームは20種類位、客用のコスも揃って写真サービスも行って居ます。
 そもそも「パンしゃぶ」の事件後に再び「コスしゃぶ」が台頭して来た背景には01年9月に日本初の狂牛病(BSE)の牛が千葉県で発見され以後牛肉の売り上げが激減したことが挙げられます。こういう時の”スケベ系の工夫力”は大した物で、あのメイド喫茶 -非スケベのオタク系(※18-1)- 登場(=02年)以前に大阪で開店、その後東京に進出し今は神田の店がその道で知られて居ます。
 ところで男の欲望と言うのは最終的には女の股座に行き着くのが自然の道理、これらの「コスしゃぶ」から再び悪名高き「パンしゃぶ」 -スケベ業界では悪名は勲章- が再勃起して来るかも知れませんゾ!

  ◆赤エイの御利益と痔の奇妙な関係

 <07.09.02:神戸市>この日は「関西歴史散歩の会」の例会にボケッと参加してたのですが...。そもそも案内人が懇切丁寧に案内して呉れる時は何時もボケッとして仕舞う不謹慎な私ですが、この日は数日前から急性中耳炎を患い地に足が着かない感じでした。が、長田神社境内摂社(長田区長田町3)の楠宮稲荷社(くすみやいなりしゃ)の立て札(左下の写真)を見て俄かに眼が冴えて来ました。
写真070902-1:神戸の楠宮稲荷社の「エイ心願成就絵馬授与」の立て札。写真070902-1-2:エイの絵馬の拡大。 描かれて居るのはエイ(鱏、※19)で、「エイ心願成就絵馬授与」と書かれてるので、このエイに御利益が有る事は確実です(右がエイの絵馬の拡大)。
 左の立て札に拠れば御利益の中身は商売繁盛・開運招福・家内安全・病気平癒・心願学業成就etcです。では何故、当社のエイに御利益が有るのか?
写真070902-2:「神木と赤エイの由来」の立て札。 その答えがもう一つの立て札に書いて在りました(右の写真)。それに拠れば御神木の楠(←社殿背後に在る)は瀬戸内に生息し刈藻川(←境内西側を流れる)を遡った赤鱏の化身であり、以来常食であった”美味な赤鱏”を断って願を懸けると成就すると、特に痔病に格別の御蔭有りと。
 私の眼が冴えたのは、この”美味な赤鱏”という文言でした。赤エイ(アカエイ)に限らず居酒屋で酒の肴に乾燥させた「エイの鰭(ひれ)」を炙って食った以外にエイの料理を”それと認識”して食った経験が無いので、この文言に大いに興味をそそられました。
 そこでアカエイ(※19-1)です。概略は【脚注】を見て下さい、夏季美味と在ります。更に【参考文献】△3に拠れば、遊泳力は強いと在るので川を遡った話も肯け、日本では底引き網で捕りぬた/煮付け/焼き物にして食ってた様です。
 更に赤エイ食ととの関係も奇妙ですね。赤エイを断って心願するとに格別の御蔭有りという事ですから、何らかの因果関係が有る筈です。そこで調べてみると、【脚注】の如く赤エイの尾部の有毒棘に刺されると激痛が走り、その痛さは痔の痛さにも似ているそうで、漁師達は赤エイを捕獲すると先ず最初に尾部を切り落とすそうですが、これを「赤エイ[の尻尾]を断つ」と言います。これに「赤エイ[の食]を断つ」を引っ掛けて、赤エイ食を断ち祈願するとを始めエイの棘に刺された様な痛みを伴う疾患に効くという民間信仰が生まれたのです。エイ類にはシビレエイ(痺れ鱏、※19-2)なども居り、一般に体の側面や尾部に電気器官や毒棘を持ちます。しかし軟骨魚である為に鰭(ひれ)を乾燥させ炙って食ったりする訳ですが、エイ鰭はガンギエイ(※19-3)を原料にするみたいです。
 因みに大阪市浪速区の広田神社では赤エイが神使とされ赤エイの図柄入りの絵馬が奉納されますが、その御利益はここと同様です。こう見て来ると神戸や大阪の昔の人々は赤エイを好んで食ったらしいですが、珍味を好む私は赤エイ料理を食ってみたく成りました刺身で食えるんでしょうか?!、オッホッホ!
 ”G持ち”では無い私には赤エイに刺された痛さ痔の痛さとの類似や違いが解りませんので、”G持ち(=G主)”の弟子に聴いて置きましょう。一度赤エイに刺され”体験学習”して貰うのが最善の方法ですな、ブワッハッハッハ!!

  ◆三木市の「ナメラ商店街」

 <07.09.10:兵庫県三木市>初秋の9月10日(月)、私はJR加古川線周辺のローカル鉄道に乗る小旅行をしましたが、神戸電鉄の三木一の丸駅から三木城址に行こうとした時...。
写真070910-1:三木市の「ナメラ商店街」の看板。写真070910-1-2:「専門店街」の標識。 左の写真をご覧下さい。神鉄のガードに「ナメラ商店街」と書いた看板が掛かって居ます。それにしても「ナメラ」って一体何だ??
 城址はガードを潜って石畳の道を少し進んで左側の急な石段を登り切った所に在りますが、専門店街と銘打った商店街の各商店は殆どがシャッターを下ろし閑散として居ます。時折人が通りますが、通行するだけで買い物をする人は居ません。「ナメラ」は”眠った街”の様でした。
 三木市は人口7万8千、「金物の街」として知られた城下町です。ネット検索でやっと解ったことは「ナメラ」とは滑原(なめら)です。この辺りは今は本町ですが旧は滑原町(なめらちょう)だったんですね。
 ナメラ商店街の詳細は▼下▼を
  2007年・加古川沿岸ローカル鉄道の旅(Local railway trip along Kako-river, Hyogo, 2007)

クリックして下さい。{このリンクは2015年6月14日に追加}

  >>>★その後

 私が07年9月10日に久々にJR加古川線三木鉄道(←三木鉄道は来年の08年3月で廃線が決まって居ます)に乗り、10月11日には北条鉄道を乗る為に再びJR加古川線に乗り、この時は加古川駅で下車し駅の喫茶店でコーヒーを飲みました。すると、07年10月16日7歳の女児が加古川市別府町の路上で通り魔殺人で死亡しました。
 私が行くと後からこういう事が良く起こりますゾ、ムッフッフ!

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    {この後日記事は07年10月19日に追加}

  桑名・その1 - 青銅鳥居

 <07.11.16:三重県桑名市本町>晩秋の11月に私は桑名市を散策し日が暮れそうに成ったので帰る途中で街中にデンと構える変な色の鳥居(左下の写真)に出会しました。鳥居脇に立つ説明板には「県文 春日神社の青銅鳥居」と書いて在ります。鳥居は通常は木か石ですが青銅鳥居は珍です。「県文」とは県指定文化財の略です。
 尚、春日神社は通称で桑名神社(主祭神:三崎大明神(=地元の神で稲荷神))と中臣神社(主祭神:春日大明神(=中臣・藤原氏の氏神))が正式名称です。又、両社が同一境内に在るので合わせて桑名宗社とも呼びます。
写真071116-1:桑名宗社の青銅鳥居。写真071116-2:青銅鳥居の紋。 字が掠れて見難い説明文に拠れば、慶長7(1602)年に初代桑名藩主・本多忠勝に依って建てられた木製鳥居が台風で倒壊した為に、寛文7(1667)年に第3代桑名藩主・松平定重に依って慶長金250両を費やして青銅鳥居として再建した由。様式は台輪春日様式で辻内善右衛門種次という鋳物師の手に成るもので、彼はこの事業の成功で藤原姓を賜って居ます。その後暴風雨や火災の災厄に数度見舞われて居ますが、鋳匠辻内家で修復し今日に至って居ます。
 笠木の高さ8.1m、両柱間隔4.7mは日本随一で鳥居の島木部分には「七宝に花菱紋」(右上の写真)が鋳込んで在ります。建立に当たっては寛永年間に建立された日光二荒山神社の青銅鳥居の先例を参考にしたものと考えられます。

  勢州桑名に過ぎたるものは 銅(かね)の鳥居に 二朱女郎

と俗謡に唄われた往時を偲ばせます。
写真071116-3:青銅鳥居脇の標石。
 左上の写真にも見えてますが、鳥居脇に置かれた標石(しるべいし)も今では珍しいもので四隅に鉄枠が施されて居ます(左に拡大写真)。明治18(1885)年製で側面には

  「志褸べ以志」
  「たづぬるかた」
  「おしへるかた」

と刻んで在ります。標石は迷子石とも言い、人が大勢集まる場所に設置され迷子の特徴や情報などを記した紙をこの標石に掛けたそうで、言わば”迷子の掲示板”でした。
 この場所は宗社から30m位南の往来のT字路の辻で、江戸時代迄は旧東海道筋で人通りが多かった場所です。弥次さん・喜多さん -十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(△4)の主人公- もここを通った筈ですが未だ標石は有りません。二人は桑名に着くなり名物の焼蛤(※30)に食らい付いて居ます。『膝栗毛』には「来往の渡船難なく、桑名につきたる悦びのあまり、めいぶつの焼蛤に酒くみかはして、...」と在り(△4のp12)、真っ先に焼蛤と酒です、堪りませんね!

 昔は名古屋の熱田の宮から船で桑名に来たんですね。航路が7里(=28km)なので「七里の渡し」 -でも海が荒れると7里では済まない- と言い、揖斐川河口に桑名湊が在りました、現在桑名城の蟠龍櫓が残ってる所です。広重『東海道五十三次』の「桑名宿」に描かれてるのが七里渡口の帆船と蟠龍櫓です(△4-1のp141)。
 しかし鉄道が開通した後は桑名駅が表玄関と成りました。『膝栗毛』を道案内に桑名ステーションに降り立ったのが泉鏡花の『歌行燈』(1910(明治43)年)の主人公で、「川口の湊屋と言ふ旅籠屋へ行くぢや」と駅から人力車を促します(△5のp9)。この湊屋というのが久保田万太郎の解説に在るモデルの船津屋で揖斐川に面して居ます(△5のp98)。主人公はこの湊屋で酒を飲み乍ら自分を語り明治末期の桑名の街の様子が描写されます。解説には『膝栗毛』は鏡花自身の愛読書である事が載って居ます(△5のp98)が、この様に『歌行燈』の主人公には鏡花自身が投影されて居ます。又、

 「世の中にゃ、こんな炭火があると思ふと、里心が付いて尚ほ寒い。堪らねえ。女房(おかみ)さん、銚子を何うかね、ヤケと言ふ熱燗にしておくんなさい。些(ちつ)と飲んで、うんと酔はうと云ふ、卑劣な癖が付いてるんだ、お察しものですぜ、えゝ、親方。」
 「へゝゝ、お方、それ極熱(ごくあつ)ぢや。」


と在る描写(△5のp14)も正しく鏡花自身の投影です。鏡花は極度の黴菌恐怖症(=潔癖症の一種)で饅頭は自分の手が触れた所は捨てる話は文人仲間の間では有名です。酒は好きでしたが徳利が持てない位に極熱(△5-1のp97)にしました、そうする事に依って煮沸減菌効果が有ると信じて居たのです。
 ところで久保田万太郎は『歌行燈』の解説で、船津屋で老妓に「ストトコドンの石取まつり」 -石取祭春日神社の祭礼です- の最後に「滅法高いが春日の山門、金の鳥居に米相場、十日観音にひきあみだ、赤字に黒地にあんまさん」という文句が付いて居たそうです(△5のp98~99)が、この「金の鳥居」は俗謡に在った「銅(かね)の鳥居」の事だと思います(←久保田は老妓が唄った文句をメモに取ったのです)。因みに『歌行燈』は主人公が実は能役者というのが話の縦糸で、それに「あんま(按摩)さん」が横糸として絡みます。

  >>>★その後

 泉鏡花の『歌行燈』にはカワウソの話が出て来ます(△5のp15)が、2011年11月1日にカワウソの話を纏めました。興味有る方は河童考を参照して下さい。
 又、カワウソの別の話が「日本、珍にして奇なる光景#2」に在ります。
    {この後日記事は2011年11月1日に追加}

  ◆桑名・その2 - 桑名にも「有楽町」が在る!

 <07.11.17:三重県桑名市有楽町>翌日も私は桑名を訪ねました。そしたら交差点で「有楽町」と書いてる標識を見付けて仕舞いました。読みも「Yurakucho」で、東京の有楽町と同じです。帰阪して住所を調べると「三重県桑名市有楽町」です。東京の有楽町(※31)は織田有楽斎(←信長の弟の一人、※31-1)に因むと言う名称ですが、この名称由来を知ってる人は少数で一般にはフランク永井が歌った「有楽町で逢いましょう」(1957年)で知られて居ます。
 桑名の有楽町は如何なる由来が有るのでしょうか?、『フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)』に拠れば、一番有名な「東京都千代田区有楽町」の他に、現在▼下▼の自治体に

  秋田県秋田市有楽町
  栃木県足利市有楽町
  埼玉県所沢市有楽町
  岐阜県高山市有楽町
  福井県福井市有楽町
  愛知県豊橋市有楽町
  愛知県半田市有楽町
  三重県桑名市有楽町  ← 私が見付けた桑名の有楽町
  山口県周南市有楽町

「有楽町」が在るそうです(東京を除いて9自治体)、いやはや!
 「いやはや」(※32)は私が呆れた時に発する声ですが、何方か上の「有楽町」の謂れを調べて戴けませんか??

  >>>★その後

 「何方か上の「有楽町」の謂れを調べて戴けませんか??」と言って置き乍ら、その後すっかり忘れて仕舞いました。しかし、全体を見直して思い出しました。いやぁ、こういう事は良く在るのです。しかし思い出したからには謂れの調査を始めましたが、これは別ファイルで扱いますので、是非御一読下さい。
  地名「有楽町」の由来(The origin of place name 'Yurakucho', 'Urakumachi' etc.)

    {この後日記事は2015年12月2日に追加}

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 ■2008年

  ◆九州のケッタイ - 独特の生活習慣

 「所変われば品変わる」と言いますが所変わればゲテモノも変わる「珍にして奇なる光景」も変わる、という見本をご覧戴きましょう。私は今年から九州プロジェクト -古代山城などを中心に九州を集中的に歩く旅- を開始して居ますが、九州は中々に”刺激的”でっせ!
写真080408-1:西鉄の駅のホームのゴミ箱の注意書。 <08.04.08:福岡県柳川市>先ず左の写真をご覧下さい。これは西鉄の柳川駅のホームのゴミ箱に書いて在った注意書です。「お願い」として家庭のごみを捨てないで下さい。 西鉄電車」と書いて在ります。ということは駅のゴミ箱に家庭のゴミを捨てる人が多いのです。この注意書は近畿圏でも東京でも名古屋でも見た事無いですね、つまり九州特有の珍妙な傾向と言えます。
写真080409-1:九州地区のJRの車内注意書。
 <08.04.09:福岡県、大分県>更に私の目を引いたのは右の写真です。これはJR久大本線の久留米発日田行き普通列車のドアに貼り付けられた注意書ですが、人が床にしゃがんでる絵の上に赤い○禁マークが施されて居ます。そして「床に座らないでください JR九州」と書いて在ります。ということは列車の中で床に座る人が多いのです。大阪でも床に座る高校生など時々見掛けますが、このマークと注意書は近畿圏でも東京でも名古屋でも見た事無いですね、つまり九州特有の珍妙な傾向と言えます。
写真080409-2:JR鹿児島本線普通列車の円状吊革。
 <08.04.09:熊本県、福岡県、佐賀県>右はJR鹿児島本線の熊本発鳥栖行き普通列車のドア付近の円状吊革で、これも初めて遭遇しました。円状に14個、円の中軸に直線状に3個の吊革が並んで居ます。
 通勤時に車内で円卓会議でも遣るんでしょうか?!、兎に角オモロイ吊革です。

 九州プロジェクトは元々”崇高”な目的を持って始められたのですが、どうも私には”余所見癖”が有る様で、有らぬ方向に脱線して仕舞う事がしばしば在るのです。この円状吊革などは正にその好例ですね、ワッハッハ!!

  >>>★その後

 「床座り禁止」の○禁マークや円状吊革の記事を切っ掛けに「九州のケッタイ」を特集しましたので、そちらを参照して下さい。
    {この後日記事は08年10月15日に追加}

  ◆三次駅近くの♀猫「卑弥呼」

 <08.04.10:広島県三次市十日市南>上の九州の旅の帰りに私は”寄り道癖”を出して広島から芸備線に乗り終点の三次(みよし)駅に行き、又広島に引き返しました。別に目的も当ても無く。それで三次駅で降り駅の周りを少し散歩しました、目的も当ても無く。そしたらトンデモナイ物を見付けて仕舞いました、左下の写真をご覧下さい。
 三次駅脇の路地裏の「cafe 卑弥呼」という店の猫だらけの”怪し気”な壁画です。ペンキが剥げ掛かった屋根には
  MY HEART'S CAKE BOX SINCE 1977
     卑弥呼    and COFFEE

と書いて在ります。そして右端には縦書きで
  春の風のように
  夏の海のように
  秋の空のように
  冬の陽ざしの中で
   こんにちわ
  卑弥呼のCakeです。

と在ります。
 猫の壁画を拡大したのが左下の写真で、壁画は中々好いですね。そして猫の壁画の左隣に営業日を書いた案内板を拡大したのが右下。右下の写真では営業時間は午後6時~10時(休みは土~月と第3火)なので、10日は木曜ですが未だ遣ってません、残念。そして右下の写真で上の猫が"Pool♀"、下の子猫が"kotaro♀"と書いて在ります。子猫は♂みたいな名前ですが♀。
  

 この壁画に暫し見惚れて居た時です。何処からか猫の鳴き声が聞こえたので振り向くと右の灰色トラが線路の方から出現し近付いて来たので、さてはお前が卑弥呼か!、と思わず叫びました。それで私が勝手に卑弥呼と名付けました。人には馴れて居る♀猫です。この猫は右上の"Pool"(黒トラ♀)とは違います。卑弥呼は駅の観光案内所で餌を貰って居る様で餌皿 -右の写真の青いポリタンクの奥に見えて居る- が置いて在りますので半ノラです。だから”寄り道癖”は止められない。私は「ノラ猫百態」の#92に卑弥呼を登録しました!
 

  ◆新山口駅で見たテンダー(炭水車)

 <08.09.07:新山口駅>下の写真は新山口駅で見たSL「やまぐち」号で、石炭を目一杯積んでこちらへバックでゆっくり近付いて来るのを望遠で撮影したもので、ご覧の様に灰色の煙を吐いて居ます(←蒸気機関車(SL)は煙を吐いている所に居るのですが、この角度では見えません)。私はSL「やまぐち」号の事は一応知っては居ましたが、やはり今時の石炭車は少し異様でした。実はこれ、専門用語でテンダー(炭水車)(※33)と言います。
 しかし、バックする石炭車に乗ってる小父さんは恰も自分が1人で列車全体を制御しているかの様に見え、小父さんカッコええやんけ!
 列車正面には「C571」というプレートが見えますが、それを拡大したのが右上の写真です。SL「やまぐち」号は快速列車で新山口駅~津和野駅を結び、時刻表を見ると新山口駅10:36~津和野駅12:37ですから、この後約1時間で乗客を乗せて津和野に向けて出発です。
 私は夕べは下関に泊まり、下関駅駅8:08~新山口駅9:20で新山口に来て、この後新山口駅9:46~横川駅12:17に行くのですが、その途中の9:41頃新山口駅でこの写真を撮ったのでした。
 山口駅~仁保駅間の峠越えは25/1000の急勾配を登りますが、インターネットで見ると黒い煙をモクモク吐いて居ます。大井川鐵道(=大井川鉄道)のSLに乗った時は無煙化ということで余り煙は吐かなかったですがSL「やまぐち」号は半端じゃ有りません。
 C571というのは、動輪3軸でテンダー機関車(※33、※33-1)C57型の最初の製造番号です。1937年に川崎車輌に依って製造されました。

  ◆広島西部の可部駅のオニヤンマの大写し

 <08.09.07:広島西部の可部線>その後私は横川駅12:31~可部駅13:04の可部線に初めて乗りました。を走るローカル線ですが周りは住宅地で、全線が電化されて居り結構本数が在りますが、単線区間も在ります。こういうのを都市近郊路線と言うそうです。
 しかし、ほんの数年前迄は可部駅から先へ三段峡駅という駅迄路線が延びて居ました -但しこの区間は非電化- が、2003年に廃止されました。
 その名残が今でも見れます(左の写真)。これは電車を降りて可部駅から先を少し弄(まさぐ)って見た写真ですが、未だ先へ延びていた線路の趾が見て取れます。

 後は元へ帰るだけですが、可部駅に戻るとオニヤンマの♀私のTシャツに止まったので、傍に居た高校生に撮って貰いました。もっとオニヤンマを大きく写して呉れれば良かったものを、私の全体を視野に入れた(左の左の写真)ので、これが目一杯の拡大です(左の写真)。でも、高校生には有難う。
 

 そこで私が手で捕まえて -トンボや蝶は捕まえ方が在る- 自分で写真を撮ったものをご覧に入れましょう。どうだ(下の2枚)!!

 左の写真は略実物大です。オニヤンマは♀の方が♂よりも少し大きいのです。産卵管が有ります。これを水中の砂泥に深く突っ込んで、水生植物の茎に卵を産み付けます。

←産卵管
 勿論、写真を撮った後は逃がして遣りました。でも余り遠くには飛んで行かず駅の電線に直ぐ止まりました。この♀は多分産卵も終え天寿を全うするのを待っているのでしょう。今日は9月7日、そろそろ寿命です。オニヤンマが活動するピークは7月上旬~8月上旬です。

  >>>★その後

 2010年8月3日に私は愛知県豊橋市の葦毛(いもう)湿原(左下の写真)で偶然オニヤンマの♀の産卵写真(右下の写真)を撮る事が出来ましたので、ここに紹介します。
 実はこの日は鷺草(さぎそう)(※34、中央下の写真で略実物大)の撮影が主目的でした。ラン科で本当に鷺が飛んでいる様に見えますね。しかしご覧の様に可憐な花は小さくて、訪れた人も殆どこの珍しい花に気が付きませんでした。

 オニヤンマの♀も林の中の人目に付かない池で、黙々とそして何度も何度も水中の砂泥に産卵管を深く突っ込んで神聖な儀式とも言える産卵を繰り返して居ました。右上の写真は産卵管を引き抜いたタイミングでしたが、尾部の半分以上を砂泥に突っ込み産卵します。オニヤンマの産卵に出会す事は初めてだったので深い感動を覚えました!!
    {この後日記事は10年9月1日に追加}

  ◆横浜で見付けた奄美産の蝶

 <08.09.26:横浜市西区>私は所用が有り9月26日の早朝横浜に行きました。午前中はフリーなので横浜市中央図書館で調べ物をすべく野毛山に行きましたが、未だ早朝だったので時間潰しの為に野毛山公園の池で昆虫の様子を見ることにしました。私は横浜に来た折には、この池を時々観察して居ますが、その理由はココをクリックしてご覧下さい。
 この日は曇天でしたが思わぬ獲物(左下の写真)を撮影出来ました、池に注ぐ水を吸いに来たのです。後翅に赤い斑点が有る美しい姿は図鑑で見た覚えは有りますが実物にお目に掛かったのは初めてで、後で図書館で調べたら案の定タテハチョウ科のアカボシゴマダラ(♀)でしたが、この蝶が横浜なんぞに居る事が奇妙なのです。
 図鑑に拠ると、食草はクワノハエノキ(ニレ科)で、国外では中国大陸・チベット・朝鮮半島・台湾に分布し国内では奄美諸島に局限される蝶準絶滅危惧種(※8-1)に指定されて居ます。何故この蝶が横浜に居るのか?
写真080926-1:横浜野毛山公園に居た奄美産のアカボシゴマダラ。
 ネットで調べたら、業者或いはマニアが奄美で手に入れた蛹などを飼育し放蝶したらしく、主に関東で90年代からチラホラ観測され出し、元々本州に棲息しエノキを食草とする近縁種のゴマダラチョウとは微妙に「棲み分け」して居る -アカボシゴマダラは奄美では比較的人家周辺に棲息、ゴマダラチョウは人家から離れた所に棲息- 様で年々増えて居ます。飛び方はゴマダラチョウ程敏捷では無くフワフワと舞う様に飛翔します。関西では未報告です。
 ホソオチョウ(細尾蝶)も同様で、こうした人為的な定着は本来的には好ましからざる事ですが、現在の各生物の分布も古い時代に人為的に齎されたものが数多く有るとも推測出来ますので一概に非難も出来ません。それにしても私が偶々行った先で珍しい蝶を撮影出来たのは幸運です。この日は都会では希少なネキトンボの♂も撮影出来ました。

 ところでこの日、横浜市中央図書館に行ったら出入口に征服を来た警備員が2人立ち出入りする人を視線でチェックして居る模様で物々しさを感じました。本を”万引き”する人を監視してるのでしょう。因みに大阪市中央図書館は磁気か何かのセンサーで自動チェックする”改札口”が在ります。

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 ■2009年

  ◆鳥栖市曽根崎町のオモロイ標柱

 <09.03.28:佐賀県鳥栖市曽根崎町>大阪の曽根崎町は近松の浄瑠璃『曾根崎心中』で有名で、今は心中の主人公に因んだ「お初天神」の商店街を中心にゴチャゴチャと賑わった所ですが、九州は佐賀県鳥栖市にも「曽根崎」という地名が在ります。私は昨年の年初から九州プロジェクトを開始し九州各地を経廻って居ますので、私は3月28日(土)にちょっと鳥栖の曽根崎町を覗いてみました。
写真090328-1-2:鳥栖市曽根崎町の全面ピンク色のプレハブの宣伝用幟。 鳥栖市曽根崎町は国道や県道に囲まれ、車の数は多いのに町を歩く人の数は極めて少ない閑散とした町です。車中心社会の中の「眠った様な町」というのが第一印象でしたが、県道を歩いて居たら”灰色の町”の紅一点、否、ピンク一点のプレハブに出会しました(左の写真)。
写真090328-1:鳥栖市曽根崎町の全面ピンク色のプレハブ。 宣伝用の幟(右の写真)には「セレブ御用達!!」(※35)と在り、岩盤陶板浴用の「アース君」なる商品を売ってるらしいのですが店は閉まって居ました。何しろご覧の様に全面ピンク色という感性 -この感性は私の感性と同じ- は、ひっそりと静まり返った”灰色の町”の中では一際怪しく異彩を放つ存在です。
写真090328-2:鳥栖市曽根崎町のオモロイ標柱。

 次に県道と直交する国道3号線沿いを少し歩いて居たら、国道から住宅地に入る細い道の入口に大人の背丈位のオモロイ標柱(左の写真)が立って居ました。国道の車の通行量が多いので子供に急な飛び出しなどを注意する為だと思われますが、書かれた文句が珍妙です。曰く

  「キオツケロ、車はみんな怪獣だ」

は中々笑わせます。特に「気を付けろ」では無く「キオツケロ」としたセンスは◎(二重丸)です。
 「眠った様な町」に住む人々は正にここに”寝に帰る”だけ -そういう町をベッドタウンと呼ぶ- で、地元の人は平日も休日も昼は車で何処かに出掛けるのでしょう。逆に町を貫通する道路は余所者の車がブンブンと排気ガスを垂れ流して疾走して行きます。この様なひっそりとした小さな町を”我が物顔”で通過する余所者の車の群れを、町を踏み潰さんと侵入した怪獣に譬えた点に、車中心社会の矛盾が良く表現されて居ます。

 ベッドタウンに於いては往々にして地元の由緒が住民に忘れられ勝ちですが、翌3月29日(日)に催された老松神社の獅子舞は良かったですね。それについては何れ別ページで紹介する予定です。

  ◆芦屋の外交官免税のガソリンスタンド

写真090416-1:芦屋市の「外交官免税」のガソリンスタンド。写真090416-1-2:「外交官免税店」の看板。 <09.04.16:兵庫県芦屋市>関西随一の高級住宅街の芦屋を散歩中に見付けたのが左の「外交官免税店(diplomat tax free)」の看板を掲げたガソリンスタンドで、右が免税看板の拡大です。別に「奇」では無いですが「珍」である、と思ったのでここに掲載します。流石は芦屋ですね、通天閣界隈ではお目に掛かれません。

 この店で「特権」を享受出来るのは日本に駐在する外国の外交官で、殆どの日本人には無関係です。外交官は国際法で定められた外交特権(※36)を有し、治外法権などの他に日常的な消費税やガソリン税の免除も「特権」の一つです、羨ましいですね。つまり、この店は”駐日外交官御用達”という訳で、前出の”セレブ御用達”な御仁(※35)が着飾って行っても相手にされませんので、念の為。この手の店は”羨ましい階級”の外国人が住む地域 -東京では西麻布辺り- にしか存在せず、それ故に「珍」なのです。
 因みに、単に「免税」と言っても二通り在り、この様な "tax free" と私たちが海外に行く時に空港で見掛ける "duty free" とは異なります。即ち

  tax free:消費税やガソリン税の免除
  duty free:輸入品に賦課される関税(customs duties)の免除

です。
 ところで酒税(※37)は消費税の一種ですが、「外交官免税の酒店」は在るんですかいな?、酒税免除されたら安く酒飲めまっせ、ブワッハッハッハ!!

 実はこの日は小池さんと松岡さんと私の3人が、「雲南桃源倶楽部」会長の北山塞翁の家を訪ねる途中だったのです。芦屋のドン・キホーテを自認する北山塞翁は私に電話を呉れる時には常に芦屋の北山です」と最初に言います。その話を道々したら小池さんも「そう言われたら確かに芦屋の北山です」と言うな。」と言いました。そして「芦屋だから言えるんや、俺みたいに枚方じゃアカン。「枚方の小池です」なんて言ったら却って馬鹿にされるよ!」と言って皆で大笑いをしました。
 そうなのです。「芦屋」という言葉にはそういう特権的な響きが有り、それは東京にも知られて居ます。その特権が上の看板に端的に現れて居る、という訳です。

  ◆西宮の砲台跡

 <09.06.27:兵庫県西宮市西波止町>西宮の砲台跡(※38)には私は興味が有りました。ここは06年5月7日(日)「関西歴史散歩の会」で私の友人の楠瀬昇氏が「夙川から幕末の西宮砲台を歩く」と題して案内した所です。私も午前中は参加していたのですが昼頃からが段々本降りに成ったので午後は止めたのです。「散歩の会」の案内は続けましたので雨の砲台跡を見た方も居る筈です。
 実はその前の月(06年4月2日(日))が私の担当(「桜の園で花見はいかが?!」)でしたが、やはり午後からが激しく成って来たので案内及び花見を中止しました...(>_<)。
 という事で、先ず06年5月7日の「関西歴史散歩の会」の有志の別行動を書きましょう。

  <<<★以前のデータ挿入開始

 <06.05.07:兵庫県西宮市夙川>「関西歴史散歩の会」の別働隊は夙川駅から帰ったのか、と言うとそうでは有りません。
 別働隊は阪急夙川駅近くの「お好み焼き屋」に入り昼からビールを飲みました(右の写真)。香嶋さん(左端)、稲垣さん(その右)、?さん(その右)、赤畑さん(右端)、私(一番手前)です。この日は特に稲垣さんと赤畑さんが、会の有り方案内講師について激論/珍論を交わして居ました。実は赤畑さんは大の議論好きなのです。{赤畑さんへのリンクは2015年10月12日に追加}
 多分「散歩の会」に最後迄参加したメンバーよりも遅く帰ったのではないか -別働隊は13:30頃~18:00過ぎ迄店に居ました!- と思いますね、私は不良会員です、アッハッハ!!
                <<<★以前のデータ挿入終了

 上に記した理由に依り私は砲台を見逃して仕舞ったのです。それで楠瀬昇氏(左下の写真)に頼み改めて砲台を案内して貰ったのが09年6月27日(土)です。
 午後1時に夙川駅で待ち合わせ、ぶらぶらと海岸迄歩いて行きました。何故砲台に拘泥るか?、と言えば何処と無く廃墟に連なるイメージが有るからで、「夙川から幕末の西宮砲台を歩く」の写真を見て以来西宮砲台を一度訪ねてみたいと思って居たのです。私は廃墟が大好きなのです。尚、楠瀬さんの写真は10.10.03の「関西歴史散歩の会」で飛行神社などに行った時の写真を転用しました。
 左が西宮砲台です。手前は砂地 -御前浜公園と言う- で直ぐ西宮港です。
 右が西宮市教育委員会の説明板で、「国指定史跡 西宮砲台」と在ります。説明板の最後には実際には使われることなく、明治時代をむかえました。」と在ります、そうですか。
 

 「夙川から幕末の西宮砲台を歩く」のp18から西宮砲台の記述を引用すると、「幕末、幕府は勝海舟の意見をいれて、大阪湾に面する各地を防衛するため、天保山・今津・西宮・川崎・和田岬・舞子に砲台を築いた。安政元(1854)年9月、ロシアの軍艦(=プチャーチン)が天保山に来たため、尼崎藩は西宮の波止場神社を、砲台のかわりにして、大砲二門を据えて警備に当たった。その後、文久3(1863)年、勝海舟の指導で砲台がつくられた。石材は近くの山や岡山県笠岡市あたりの島から運ばれた。英国ポーツマス軍港のスピットバンク要塞をモデルにしたといわれる。大砲2門を置いて試射したが、砲台内には煙が充満して、到底、使用に耐えられるものではなっかたといわれている。」と在ります。
 幕末の砲台台場(※38-1、※38-2)は鎖国政策と密接に結びつき随分造られましたが、最早鎖国は維持出来ず大政奉還に依って明治の文明開化へ突入しましたので、我が国の砲台や台場は殆ど実戦で使われた事は無いのです。
 左は西宮砲台を先程の裏側から見たものです。高さ約12m直径約17m、外観は2層(内側は3層)、周りの砲眼は11個、窓1個です。慶応元(1865)年に完成して居ますが、やはり実戦では使われて無いことは既に述べました。尚、砲台跡は「明治41(1908)年に時価1万1千円余りで阪神電車に払い下げられた。」そうです(「夙川から幕末の西宮砲台を歩く」より)。
 この日も砂地を小中学生が遊んで居ましたが西宮砲台の見学者は我々だけでした。特に黒く変色して、どっしりと重量感が在り、中々格好エエ~、中に入って見たいですね。これぞ幕末の大いなる無駄の効用です!!

 この後、西宮の宮水(※39) -西宮は近世以来、酒造業が盛んで白鷹大関日本盛菊正宗沢の鶴などの宮水が在ります- や西宮神社などを案内して貰いました。楠瀬さん、有難う!!

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 ■結び - 取り敢えず写真を貼り付ける

 「珍奇」「奇妙」「珍妙」な光景も可なり充実して来ました。今は取り敢えず当ページに写真を貼り付けて置いて、後で別稿を起こすかも知れません。その時は関連リンクから「補完ページ」としてリンクを張ります。
 尚、2005年の事例から始めた当ページは09年迄の事例で満杯に成った為にこれで区切りとし、10年5月5日に2010年以降の続編ページを新設しました。

 [日本、珍にして奇なる光景]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)

-- 続く --

【脚注】
※1:エルニーニョ現象(―げんしょう、ElNino effect)とは、(エルニーニョはスペイン語で「男の子」、特に「神の子(=幼な子イエス)」の意。元は南米ペルー沖の海面水温がクリスマス頃に高くなる現象に言った語)ペルー沖の太平洋東部赤道域の海水温が数年に一回1~2度上昇し、半年から一年半程度続く現象。
 反対に、太平洋東部赤道域の海水温が平年より低く成る現象をラニーニャ現象(La Nina effect)(ラニーニャとはスペイン語で「女の子」の意)と言う。
 エルニーニョ現象やラニーニャ現象が発生すると、大気の流れを変え、世界各地に異常気象 -異常な高温や低温、多雨(=洪水)や少雨(=旱魃)、冷夏や暖冬など- を引き起こし、経済活動にも大きな影響を及ぼす。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>

※2:水無瀬(みなせ)は、摂津国(大阪府)三島郡島本町広瀬の地の古称。後鳥羽上皇の離宮が在った。
※2-1:水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、水無瀬の地に在る元官幣大社。祭神は後鳥羽/土御門/順徳天皇。元後鳥羽上皇の離宮水無瀬殿に御影堂を設けたもの。水無瀬宮。
※2-2:水無瀬川(みなせがわ)は、大阪府三島郡に在る川。島本町広瀬で淀川に注ぐ。川の南を水無瀬の里と称する。〔歌枕〕「下」に掛かる
※2-3:バグパイプ/バグパイプ(bagpipe, bag-pipe)は、皮袋に数本の音管を付けた吹奏楽器。皮袋に満たした空気を押し出し乍ら吹き鳴らし、旋律持続音を同時に吹奏することが出来、音色はオーボエに似る。ヨーロッパに広く見られ、特にスコットランドの民族楽器として知られ、民謡やダンスの伴奏に用いられる。風笛。袋笛。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 補足すると、スコットランドの軍楽隊男が赤いチェックのスカートを穿いて演奏することは有名。

※3:八丁味噌(はっちょうみそ)は、愛知県岡崎市八丁(現、八帖町)から産出され始めた味噌。大豆だけを原料とした赤褐色の堅い辛味噌(からみそ)で、旨味と渋味に特徴が有る。岡崎味噌。三州味噌。
※3-1:丁/町(ちょう)は、この場合、距離の単位。1町は60間。約109m強
※3-2:三葉葵(みつばあおい)は、紋所の名。円形の中に三つの葵の葉の先が中心で出合う様にしたもの。徳川氏などの紋所。三つ葵。葵巴(あおいどもえ)。
※3-3:葵巴(あおいどもえ)は、徳川氏などの紋所。賀茂葵の葉を巴形に組み合せたもの。三葉葵
※3-4:アルデンテ(al dente[伊])とは、歯応えの有る食感。パスタの茹で加減の丁度好い程度。

※4:シシカバブ/シシュケバブ(shish kebab)とは、(シシは「串」、カバブは「焼いた肉」の意)トルコなど中近東諸国の料理。羊肉の角切りを串焼きにしたもの。現地では単にケバブ(kebab)と言う。
※4-1:ナン/ナーン(naan[印])とは、インド/西アジア/中央アジアなどの平焼きパン。小麦粉を水で捏ねて発酵させ、薄く伸ばして壺形の竈の内側に貼り付けて焼いたもの。

※5:ちゃんちゃんこ(padded sleeveless kimono jacket)は、(子供用の)袖無し羽織。多く綿入れで防寒用。袖無し。季語は冬。
※5-1:腰巻(こしまき、waistcloth)は、女性が和服の下に腰から脚部に掛けて纏う布帛。湯巻、湯文字。御腰(おこし)。
※5-2:長襦袢(ながじゅばん)は、着物と同じ丈の、長い襦袢。
※5-3:襦袢(じゅばん、underwear [worn with a kimono])は、(「襦袢」はgibao[葡]「ジバン」の当て字)肌に着けて着る短衣。和服用の肌着・間着(あいぎ)。垢取り。汗取り。肌襦袢・半襦袢・長襦袢が在る。

※6:刺青(いれずみ/しせい、tattoo)は、入れ墨。彫物。
※6-1:入れ墨(いれずみ、tattoo)は、
 [1].肌に文字・絵画などを彫り付けること。又、そのもの。針や刃状の道具で皮膚を傷付け、墨・朱・ベンガラ・カルミン・インジゴなどの色料を刺し入れて着色する。先史時代から行われ、日本では近世にも流行。鳶などの職人や遊び人の間に行われた。彫物。我慢。文身刺青タトゥー(tattoo)
 [2].五刑の一。顔又は腕に墨汁を刺し入れて前科の印(しるし)としたもの。江戸時代には庶民の窃盗罪に対し、単独又は追放・敲(たたき)に付加して行われた。黥(げい)
 [3].筆を加えること。入れ筆。加筆。
※6-2:五刑(ごけい)とは、この場合、[書経舜典]中国、周代の5種の刑罰。大辟(死刑)/(男子は去勢、女子は幽閉)/(足切り)/(鼻切り)/(いれずみ)を言う。
※6-3:文身(ぶんしん、tattoo)とは、(「文」は模様の意)身体に彫り物(入れ墨)をすること。又、そのもの。入れ墨/刺青(いれずみ)。「黥面(げいめん)―」
※6-4:アウトロー(outlaw)とは、(「法の埒外」の意)社会秩序から食(は)み出した者。無法者

※7:ヌートリア(nutria[スペ], coypu[英])は、(カワウソの学名ルートラの訛)ネズミ目ヌートリア科の哺乳類。頭胴長50cm、尾長40cm程。毛色は褐色で、水中生活に適応し後足の指間に水掻きが有る。夜行性で水草や貝類を捕食。南アメリカ東部の草原や湿地の原産だが、毛皮獣として養殖され、世界各地で野生化して居る。日本では軍用毛皮獣として移入飼育されたものが、西日本各地で野生化。水辺の作物を荒らすのと、堤防に大きい巣穴を掘り危険な為、駆除される。沼狸。海狸鼠(カイリネズミ)。コイプ。
※7-1:ウォーターレタス(water lettuce)は、宿根性の水草。観賞用。単子葉類サトイモ科。高さ10~15cm。葉の表面はビロード状で群生する。夏の高温期に開花し、夏の間良く繁殖する。原産地はアフリカ牡丹浮草(ボタンウキクサ)。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※8:鼈甲蜻蛉(べっこうとんぼ)とは、トンボ科の昆虫。体長4cm内外。翅に鼈甲色の斑紋が有る。生息地が水生植物の多い古い沼に限られる為に激減し、1991年、絶滅危惧種に指定。
※8-1:絶滅危惧種(ぜつめつきぐしゅ、endangered species)とは、急激な環境変化や乱獲などに因り、絶滅に瀕している生物の種又は亜種。現在では、レッドデータ・ブックに登録刊行されて居る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※9:水黽(あめんぼ/アメンボ、water strider)は、(「黽」はカエルの意)カメムシ目アメンボ科の昆虫の総称。体は細長く棒状で、5~30mm。脚は長く、先には毛が生えていて水上に浮んで滑走し、小昆虫を捕食する。飴の様な臭いを出す。アメンボウ。カワグモ。水馬。季語は夏。

※10:助産婦(じょさんぷ、midwife)は、2001年以降は助産師に改称。→助産師を参照。
※10-1:助産師(じょさんし)とは、妊産婦への健康指導や出産時の介助、産後間も無い褥婦・新生児の保健指導、育児相談などを行う人。国家資格で看護師国家試験の合格者、又は看護師国家試験の受験資格を得た後に助産師養成施設を卒業した者。助産師は「助産院(助産所)」の開業が可能。
 2001年(平成13)の法律改正に伴い将来的な男性助産師の導入を視野に入れて助産婦から助産師に改称。しかし現在は男性は認められて居ない。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※10-2:産婆(さんば)とは、出産を助け、産婦や生児の世話をするのを業とする女性。助産婦の旧称。取り上げ婆(とりあげばば)

※11:福音(ふくいん、evangel, Gospel, evangelion[ギ], Evangelium[独][ラ])とは、(ギリシャ語「良い知らせ」の意味で、Gospel[英]は古代英語 godspell から)
 [1].喜ばしい知らせ。
 [2].イエス・キリストの説いた神の国と救いの教え。ゴスペル。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※11-1:福音主義(ふくいんしゅぎ)とは、[1].Evangelicalism。聖書中心のプロテスタンティズム的思想。
 [2].Evangelism。一般に、キリストの十字架に依る罪の赦しの福音を中心とし、伝承と祭儀の代わりに敬虔な心情と実践とを重んずる運動・考え方。
※11-2:福音書(ふくいんしょ、Gospels)とは、新約聖書中でイエス・キリストの生涯・言行を記録したもの。即ち、マタイマルコルカヨハネの4書。
※11-3:聖霊(せいれい、Holy Spirit)とは、キリスト教で三位一体(父・子・聖霊)の第3位を占める位格。教会の誕生を助け、神意の理解を齎(もたら)し、カリスマ的な活動の鼓吹力と成るもの。助け主。慰め主。

※12:ミミズ/蚯蚓(earthworm)は、ミミズ綱(貧毛類)の環形動物 -環形動物貧毛綱に属する動物- の総称。釣餌。又、生薬としても用いる。体は細長い円筒状で多くの体節から成る。各体節は剛毛を持ち運動に役立つ。体の前端に口が有り土中の腐植質を食べる。雌雄同体。卵生。陸上・海水中・淡水中に棲み、世界で約2,700種が居る。赤竜(せきりゅう)、地竜(じりゅう)。メメズ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12-1:環形動物(かんけいどうぶつ、Annelida)とは、無脊椎動物の一門。左右相称で細長く多くの体節(環節)から成る。閉鎖血管系で血液は血色素を持って赤い場合が多い。ミミズ・ゴカイ・ヒルなど。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12-2:シーボルトミミズ(Siebold earthworm, Pheretima sieboldi[学名])は、貧毛綱フトミミズ科の環形動物大型な種類。シーボルトが日本で採集し、この標本をホースト(R.Horst)が1883年に発表した際にシーボルトの名を冠したもの。本州中部以南に分布し、山地に生息する。大きいものでは体長45cm、太さ1.5cmにも成る。濃い青黒色をしていて生殖時には第14~16体節に環帯が生ずる。環帯上には背孔や剛毛は無い。俗称ヤマミミズ。
※12-3:シーボルト(Philipp Franz von Siebold)は、ドイツの医学者・博物学者(1796~1866)。1823年(文政6)オランダ商館の医員として長崎に着任、日本の動植物・地理・歴史・言語を研究。又、鳴滝塾を開いて高野長英らに医術を教授し、実地に診療。28年帰国の際、荷物の中に国禁の地図が発見され -今で言うスパイ罪- を問われた。59年(安政6)再び来航、幕府の外事顧問と成る。62年(文久2)出国。著「日本」「日本動物誌」「日本植物誌」など。
 補足すると、シーボルトは中々日本贔屓で、長崎の愛人・滝との間に生まれた娘は後に女医と成る楠本いね。
※12-4:土竜・鼴鼠(もぐら、mole)は、広くは哺乳綱モグラ目(食虫類)、又、その内モグラ科の総称。10数属約30種を含み、日本には4属6種が居る。代表的な種は東日本ではアズマモグラ、西日本ではコウベモグラで、前者は体長10~16cm余り。後者はそれよりはやや大きい。毛色は黒褐色。手は外を向いて、手の平は大きく、頑丈。眼は退化。地中にトンネルを作り、ミミズ昆虫の幼虫を食べ、土を隆起させ、農作物に害を与える。むぐら。うぐら。もぐらもち。うごろもち。田鼠(でんそ)。

※13:ポスト・モダン(post-modern)とは、1979年イギリスの建築史家C.ジェンクスが機能主義・合理主義に基づくモダニズム建築に対して抒情的な、より人間的な「遊び」の有る様式を指す用語として提案したのが切っ掛け始まった運動。建築に始まり芸術一般やファッション・思想の領域に広まり、一般にモダニズム(近代主義)を超えようとする傾向を指す。ポスト・モダニズム。脱近代。<出典:一部「現代用語の基礎知識(1999年版)」より>

※14:美空ひばり(みそらひばり)は、第二次大戦後の代表的流行歌手(1937~1989)。本名、加藤和枝。横浜生れ。「悲しき口笛」「東京キッド」「リンゴ追分」など、主演映画と共に次々にヒット。他に「港町十三番地」「柔(やわら)」「悲しい酒」「川の流れのように」など。「歌謡界の女王」と呼ばれ、1989年死後に国民栄誉賞を受賞。
※14-1:京浜工業地帯(けいひんこうぎょうちたい、Industrial zone in Keihin)は、東京/川崎/横浜を繋ぐ臨海工業地帯。又はそれを核として東京都/神奈川県に広がる工業地帯。重化学工業、特に電機/自動車/精密機械工業の比率が高い。

※15:大典(たいてん)とは、
 [1].重大な儀式。盛典。盛儀。「即位の御―」。
 [2].重大な法典。大法。「不磨の―」。
 [3].律令制で、大宰府の主典(さかん)の内、少典の上に位するもの。

※16:二業(にぎょう)とは、芸者屋と料理飲食店との営業。

※17:戦艦三笠(せんかんみかさ)は、日露戦争に於ける連合艦隊の旗艦。1902年イギリスで完成した戦艦。常備排水量1万5140英トン、速力18ノット。30cm砲4門などを備える。26年から横須賀白浜海岸に固定保存。
※17-1:機雷(きらい、mine)とは、機械水雷の略。水中に固定したり放流して艦船を爆破する武器。起爆装置爆薬を備える。起爆方式に依り直接艦船に触れて爆発する触発機雷、艦船の磁気に感応する磁気機雷、艦船の水圧に感応する水圧機雷、艦船の発する音を探知する音響機雷などが在る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※17-2:水雷(すいらい、torpedo and mine)とは、多量の爆薬を強固な容器内に充填し、水中で爆発させて敵艦を破壊する装置の兵器。攻撃用の魚形水雷(魚雷)、防御用の機械水雷(機雷)など。「―艇」。
※17-3:魚雷(ぎょらい、torpedo)とは、(魚形水雷の略)攻撃を目的とする水雷。発射すると、水中を自走、艦船に命中すれば頭部に装置した火薬が爆発し、これを破壊する。「―艇」。

※18:コスプレとは、コスチューム・プレー(costume play)の略語。略称のコスプレは以下の[2][3]の意味に使われる。
※18-1:コスチューム・プレー(costume play)とは、[1].(その時代の衣装を着て演じる衣装劇が原意)時代劇
 [2].日本では、性風俗産業の新商売の一つで、店の女性に色々な衣装を着せて客を楽しませること。この種の店としてコスプレ・マッサージや性感マッサージ、コスプレ・キャバクラ、コスプレ焼肉(「ノーパンしゃぶしゃぶ」も含む)など。
 [3].又1980年代からはオタク産業としてマンガやテレビゲームのキャラクターの仮装などが登場。この種の店としてゲーマーズ・カフェやメイド喫茶など。
<出典:一部「現代用語の基礎知識(1999年版と2004年版)」より>

※19:鱏・鱝・海鷂魚(えい、ray)は、エイ目の軟骨魚の総称。体は菱形で平たく細長い尾が有る、鰓孔は腹面に開く。海底に生息し、貝類や底生性の小動物を捕食。アカエイ/ガンギエイ/イトマキエイ/シビレエイの科が在る。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※19-1:赤鱏(あかえい、stingray)は、アカエイ科の海産の軟骨魚。全長1m~2mに達する。体は菱形で、尾部は鞭状、背鰭・尾鰭は無い。背面は緑褐色、腹面は黄色。尾部の背面に両縁鋸歯の毒腺を持つ棘が有り、これに刺されると激痛を感じ腫れることも有る。胎生。本州中部以南から朝鮮半島/台湾/中国の沿岸に分布。夏季美味で、フランス料理ではレ(raie)と言い良く使われる。季語は夏。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※19-2:痺れ鱏(しびれえい、electric ray)は、シビレエイ科の海産の軟骨魚。全長約40cm。背面は褐色、腹面は白色。体板両側に1対の発電器官が有り電気 -80ボルト(V)前後の起電力- を発する。胎生。南日本沿岸の水深200mの海底に棲み、底生性の小動物を捕食。食用としない電気鱏。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※19-3:雁木鱏(がんぎえい、flat back, skate)は、ガンギエイ科の海産の軟骨魚。全長約1.5m。体は菱形で尾部は細長い。尾部に小さな発電器官が有る。背面は褐色。腹部は白色。青森県以南、東シナ海や南シナ海に分布し、20~90mの砂泥底に棲み、エビなどを捕食。夏、美味。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※30:焼蛤(やきはまぐり)は、蛤を殻の儘、火で炙った料理。又、蛤を剥いて串に刺し、付け焼きにした料理。やきはま。桑名の名物で、「その手は桑名の―」(「その手は食わない」を洒落て言う言葉)と言われた。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※31:有楽町(ゆうらくちょう)は、東京都千代田区の一地区が一番有名。銀座に接する繁華街。名称は織田信長の弟、有楽斎(うらくさい)の屋敷が在った事に因むと言う。有楽町という町名は他にも在る
※31-1:織田有楽斎(おだうらくさい)は、織田信長の弟(1547~1621)。名は長益。大坂冬の陣に豊臣方に与(くみ)したが、後に堺・京都などに隠棲、茶人利休十哲の一人)として知られ、有楽流を興した。

※32:「いやはや」とは、〔感〕驚き呆れて発する語。まことにはや。いやもう。「―呆れた事だ」。

※33:テンダー(tender)とは、蒸気機関車の後部に連結する石炭・水を積載する車両炭水車
※33-1:テンダー機関車(―きかんしゃ、steam locomotive with tender)とは、テンダーを後方に付けた蒸気機関車。テンダーの無いものはタンク機関車と言う。

※34:鷺草(さぎそう、fringed orchis)は、ラン科の多年生草本。湿原に生え、地下に球茎が在る。茎は直立し線形の葉を互生、高さ20~40cm。8月頃、茎の先に1~4個の純白の花を付ける。唇弁は直径3cm程で3裂し、左右は深く切れ込んでサギが飛ぶ姿を思わせる。観賞用に良く栽培もされ、斑(ふ)入り葉などの品種も在る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※35:セレブとは、(セレブリティ(celebrity)の短縮語)元来は名声・名士・有名人を指す言葉。日本では拡大解釈・曲解されて、豪華で派手な服装でパーティーに現れる様な女性を総称した流行語の一。最近では、上辺志向を揶揄した意味が加味され、男性にも言う。「セレブな」は、名士的・有名人的な/一流の/高級な/派手な/俄成金的な、などの意。<出典:「現代用語の基礎知識(2004年版)」>

※36:外交特権(がいこうとっけん、diplomatic privileges)とは、大使・公使など外国に派遣された外交使節が、駐在国(=接受国)に於いて認められる国際法上の特権。身体・名誉・館舎・文書などの不可侵権や治外法権など。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※37:酒税(しゅぜい、liquor tax)は、酒類に課する消費税。製造場からの移出量、保税地域からの引取量に応じて、製造業者・引取人から徴収する。

※38:砲台(ほうだい、artillery site, battery)は、野戦や海岸要塞での砲戦の為、火砲及び関連施設を強固に防護した築造物。
※38-1:台場(だいば)は、江戸末期、要害の地に設けて大砲を据え付け、海防に備えた砲台
※38-2:御台場(おだいば)は、江戸幕府築造の東京湾品川沖の砲台、品川台場のこと。1853年ペリー来航の際に、江川太郎左衛門らの献策に依って造られたもの。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※39:宮水(みやみず)は、兵庫県西宮市の海岸に近い浅井戸から湧出する水。江戸後期以降、灘酒の醸造に用いられる。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『全国アホ・バカ分布考(はるかなる言葉の旅路)』(松本修著、太田出版)。

△2:『日本の名城・古城』(井上宗和著、角川文庫)。

△3:『食材図典』(小学館編・発行)。

△4:『東海道中膝栗毛(下)』(十返舎一九作、麻生磯次校注、岩波文庫)。主人公の弥次さん・喜多さんは有名で、「弥次喜多道中記」と俗称されます。
△4-1:『太陽浮世絵シリーズ 広重』(鈴木重三監修、福田英雄編、平凡社)。

△5:『歌行燈』(泉鏡花作、岩波文庫)。
△5-1:『文人悪食』(嵐山光三郎著、新潮文庫)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):先見性は当サイトのコンセプトの一つ▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
参照ページ(Reference-Page):横浜の日の出町や旧根岸競馬場跡や
野毛山公園の地図▼
地図-日本・横浜市(Map of Yokohama city, Kanagawa -Japan-)
参照ページ(Reference-Page):日本でアカボシゴマダラ原産の
奄美諸島の地図▼
地図-日本・南西諸島と沖縄
(Map of South-West Islands and Okinawa -Japan-)

参照ページ(Reference-Page):感染症や免疫関連の用語集▼
資料-最近流行した感染症(Recent infectious disease)
参照ページ(Reference-Page):アメンボの分類学と特徴▼
資料-昆虫豆知識(Insect Trivia)
参照ページ(Reference-Page):日本の大地震の資料▼
資料-地震の用語集(Glossary of Earthquake)
参照ページ(Reference-Page):SLの歴史や型式番号について▼
資料-SL発達史と日本SLの型式番号(The history and naming rule of SL)
参照ページ(Reference-Page):ウイグル族(中国の少数民族)▼
資料-中国の55の少数民族(Chinese 55 ETHNIC MINORITIES)
参照ページ(Reference-Page):十干十二支や還暦について▼
資料-十干十二支(Chinese zodiacal signs and 60 years cycle)
サブページ(Sub-Page):実物大の大ミミズ▼
大判写真-大ミミズ(シーボルトミミズ)
(LARGE PHOTO - Big earthworm(Siebold earthworm))

補完ページ(Complementary):ヌートリアが居た淀川入江の生態系▼
”生きている”淀川の入江(Live CREEK in Yodo-river, Osaka)
補完ページ(Complementary):マンホール蓋特集や
美空ひばりのマンホールの歌(=「東京キッド」)▼
ちょっと気になるマンホール蓋(Slightly anxious MANHOLE COVER)
補完ページ(Complementary):ダヴィデの星について▼
ダヴィデの星(Star of David)
補完ページ(Complementary):地名「有楽町」の由来の調査▼
地名「有楽町」の由来
(The origin of place name 'Yurakucho', 'Urakumachi' etc.)

補完ページ(Complementary):九州のケッタイ特集▼
九州のケッタイ(Strangeness in Kyushu)
横顔(Profile):雲南桃源倶楽部や雲南桃源旅行について▼
雲南桃源倶楽部(Yunnan is Shangri-La)
関西弁の「ケッタイ」について▼
浪速のケッタイ(Strange spots in Naniwa, Osaka)
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05年に乗った昭和航空の禾本機長は07年に恵那山で墜落死▼
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2005年・空から大阪の古墳巡り(Flight tour of TUMULI, Osaka, 2005)
大阪市住吉区には「後鳥羽天皇行宮址」の碑が在ります▼
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私の余所見癖について▼
初歩的な神道の神々(The gods of rudimentary Shinto)
男がスカートを穿くスコットランドの軍楽隊▼
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東海地方の「ゆでピー」好み(Boiled peanuts in Tokai region)
新疆ウイグル自治区で食ったケバブサンド▼
外国のコーヒー事情(Coffee circumstances in foreign country)
ドイツの純正令と純正ビール(八丁味噌は純正味噌)▼
2007年・ドイツでビールと音楽の旅
(Travels with BEER and MUSIC, Germany, 2007)

還暦の意味について▼
2006年・年頭所感-十二支と猫
(Chinese zodiacal signs and Cat, 2006 beginning)

04年のプロ野球スト騒動の火元に成った関西系赤パンツ球団▼
赤パンツ野球の成れの果て(Red pants caused baseball to quake)
「IBOKIN」「イボキン」の第1報▼
2003年・萩と山陰の旅(Hagi and San'in, 2003)
揖保川や揖保素麺の里▼
2005年・伊和神社初詣で(Iwa shrine, Hyogo, 2005 beginning)
平成の大合併(住所は肥大化)とは▼
2006年・井川線あぷとラインの旅
(Ikawa Abt-line, Oi-river Railway, 2006)

ヌートリアが出没する淀川の入江の風景▼
私の淀川(My Yodo-river, Osaka)
彫師が大勢住んで居た浅草▼
ぶらり浅草(Drift in and trip out Asakusa, Tokyo)
大阪淀川で訓練する自衛隊や28cm股間砲▼
風船爆弾は雅(みやび)な兵器(Balloon bomb is the elegant arms)
浅草のポスト・モダン建築▼
浅草、もう一つの風景(Another scene of Asakusa, Tokyo)
DNAの捻じれ構造の妙▼
2004年・年頭所感-業を宿したDNA
(Sinful structure of DNA, 2004 beginning)

野毛に出没する”一発屋”の御仁▼
[横浜物語#2]野毛([Yokohama story 2] Noge)
”一発屋”の御仁は”G主”▼
超甘コンプレックス論(Super sweet theory of COMPLEX)
”一発屋”の御仁は軍事オタク▼
接頭語ダッチについて-蘭学オメ始
(The 'Dutch', let's start Dutch language)

「ノーパンしゃぶしゃぶ」の”日本版ビックリバンク”事件▼
戦後日本の世相史(Shallow history of Japan after World War II)
メイド喫茶や”超多忙な閑人”のO氏▼
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
「ナメラ商店街」が在る兵庫県三木市(神戸電鉄の三木一の丸駅の近く)▼
2007年・加古川沿岸ローカル鉄道の旅
(Local railway trip along Kako-river, Hyogo, 2007)

桑名のカワウソの話が出て来る泉鏡花の『歌行燈』▼
河童考(About the Kappa, that is, water imp)
所変わればゲテモノも変わる▼
民族変わればゲテモノ変わる(About the bizarre food)
猫の卑弥呼を「ノラ猫百態」に登録▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)
大井川鐵道(=大井川鉄道)のSL乗車▼
2006年・大井川SL道中記(Go by SL, Oi-river Railway, 2006)
私が横浜野毛山公園の池を観察する理由▼
私の昆虫アルバム・日本編-トンボ類
(My INSECTS album in Japan, Dragonflies)

本州産のゴマダラチョウ▼
私の昆虫アルバム・日本編-チョウ・ガ類
(My INSECTS album in Japan, Butterflies and Moths)

赤畑さんとは▼
齢延寺での「坐禅の会」(Zen meditation party in Reienji, Osaka)
全面ピンク色という感性は私の感性と同じ▼
ようこそ【エルニーニョの世界】へ(Welcome to ElNino's world)
「関西歴史散歩の会」のサイト▼
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