[横浜物語#2]野毛
([Yokohama story 2] Noge)

−− 2003.01.14 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2008.02.29 改訂

 ■はじめに − 野毛という所

 野毛というのは古い街ですね。野毛で直ぐ思い出すものは、焼鳥屋場外馬券売り場仏壇屋、そしてやはりラーメン屋 −野毛では特にタン麺(※1)、サンマー麺(※2)− ですね。そしてあのウラ寂れた雰囲気ですかね、何処か小便臭い様な。街がこんなですから当然客ダネだってそれに釣り合っている訳で、要するにウラ街人生そのものですね、街も人も。
 しかしあの柳ヶ瀬(岐阜県)だって似た様なものですよ、オカマ歌手の歌で名前だけは有名ですけど、柳ヶ瀬に飲みに行ったことが有る人は薄野(すすきの)に比べればずっと少ないと思います。そう、札幌で言えば北24番街辺りがウラ寂れてH(エッチ)感が漂って居ますね。この場末感、ウラ寂れ感では似た雰囲気が有ります。ですから柳ヶ瀬が好きな人なら屹度野毛も好きに成ると思います。そう言えば岐阜も結構焼鳥屋が繁盛して居ますね。
 でも野毛はウラ寂れてはいるんですが、結構活気が有ります、それも夜中の12時を過ぎた頃から。多分これはラーメン屋や中華食堂が遅く迄遣っているからでしょう。”普通の人”が居なく成った後に、何処から出て来るのかゴソゴソと涌き出て来る様な感じで、丸でゴキブリの様な人たちです。場所柄かヤーさん系の人もチラホラ居たりして、アナーキーな雰囲気が漂って居ます。ま、これは浅草とも共通して居ますかね。

 ■「野毛」の分析


図1:野毛近辺のイメージ図。 ということで話を進めて行きますが、土地鑑の無い方の為に左の野毛近辺の概略地図を先ず見て貰いましょう。正確な地図ではありませんが、この方がイメージを掴み易いと思います。以下の説明はこの概略地図を見乍ら読んで下さい。
写真0:「土日 競馬放映中」の張り紙。 野毛の最寄駅はJR桜木町駅京浜急行日の出町駅です。例えば日曜日の昼前に桜木町に着くと、若者は駅の東の黄色いゾーンに行き、オッサンは駅の西の場外馬券売り場へ行きます。そこで野毛はこれら日がな一日競馬で明け暮れる人々の為に食料と場所を解放します。右上の写真は、そんな店の貼り紙「土・日 競馬放映中」と書かれて居ます。
 夜はと言うと若者は帰ります。競馬のオッサンも大抵は帰りますが、野毛で一杯引っ掛けて帰る客が先ずいます。入れ替わりに夜福富町で「一発」という御仁(オッサンが殆ど)が夕方からノコノコ出て来て、野毛で勢いを付けて出陣します。


写真1−2:野毛を徘徊する一発狙いの御仁。 ところで、”一発屋”の御仁とは見て判るのか?、と言うと大体が右下の写真の様なニヤけて崩れた感じの人ですね(実は彼は私の弟子です)、アッハッハ!
 こういう御仁たちは深夜頃に”戦い終えた”後、再び野毛でスタミナ補給をします。メニューはギョウザとニラレバとタン麺が定番みたいです、何故ってコスト・パフォーマンスが最高だから、即ち最低の支払いで最大のスタミナを補給出来るという訳です。
写真1:怪しいラーメン屋。 左の写真、見えますかねえ、看板に「チンチン」とか「チョメチョメ」とか、中国歴代有名人の名前を書いて在る怪しいラーメン屋「三陽」です、客は店の外に食み出て食べます(屋台に毛の生えた様な店)。如何にもスタミナ付きそうですね!!

 [ちょっと一言]方向指示(次) 更に値段が張っても良いと言うお客さんの為には犬鍋の店(韓国式)も在ります。朝迄遣って居ます。韓国式はやたら葫(ニンニク)を効かせますね。中国式は極普通のスープ味で、毎日の様に食べて居ますね。私はこんなのヘッチャラです、チャーシューと大して変わりませんよ。

 冒頭に書いた様なゴキブリ現象はこういう具合に起こるのです、これが私の動物行動学的、生態学的、或いは変態学的な「野毛」の分析結果です。
 斯くして場末でウラ寂れた野毛が一向に寂れず、長い間オッサンに好かれる雰囲気を保ち続けているという昭和・平成の不思議は、一重にも二重にも「日の出町の場外馬券売り場」と「福富町の風俗営業店」の御蔭なのです。昔から言うでしょう、「飲む、打つ、買う」って、つまりこうです。

    飲む:野毛
    打つ:日の出町
    買う:福富町

という訳です。野毛から日の出町迄約5分、福富町も約5分という立地条件の賜です。
写真1−3:野毛坂名物の仏壇屋。
 これは「飲む、打つ」が浅草、「買う」が吉原(厳密には新吉原)、という昔の吉原と浅草の関係と同じですね。何のことは無い、これは法則通りなのです!!

 こういうアナーキーな”一発屋”たちの厄祓いの為では無いでしょうが、野毛の飲み屋街の北の野毛坂通りには仏壇屋(右の写真)が軒を連ねて居ます。遊び疲れたら精々先祖の供養をしてあげて下さい。{この写真は05年5月26日に撮影、6月11日に追加}
 

 ■横浜にぎわい座と野毛大道芸

 こんな野毛に2002年4月に所謂大衆演芸ホール「横浜にぎわい座」(中区野毛町3−110−1)が野毛大通りの北側にオープンしました。今は廃れ掛かっている「落語・講談・浪曲・漫談等の寄席芸を始めとする、伝統的な大衆芸能を振興する為のホールで、客席数は410席」という触れ込みです。上のイメージ図をご覧下さい。JR桜木町駅から2〜3分の所で、立地は良いのですが、上でも述べましたが若者(バカ者?)はみなとみらい21(MM21)の方へ行って仕舞って、オッサンか競馬好きしか来ない方角に在ります。

 [ちょっと一言]方向指示(次) みなとみらい21(MM21)地区は、元々は三菱重工やNKK(旧日本鋼管)などの重厚長大産業の工場地帯だった −その元々は海で、高島嘉右衛門(※3)らが埋め立てた所で、今も高島台とか高島町という地名が残って居ます− のですが、日本の産業構造の変化と共に工場群が撤退した跡地を再開発したものです。ですからMM21のシンボル的存在のランドマークタワーは三菱の所有です。大阪のUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)などと同じ発想です。

 「にぎわい座」は何でもあの玉置宏が初代座長に就任したみたいで、「みなとみらいに来る若者たちがこちらに足を運んで貰えるかがテーマ」と宣ったそうです。どうですかねえ、オープン時は桂三枝や立川談志などを呼んで好評だった様ですが、そうそう大物ばっかりが続く訳では無いですから、持続的に客足を確保出来るかですね、心配な部分も有りますが、まあ頑張って貰いましょう。

写真2:野毛大道芸で演技して居る外人さん。 尤も野毛では何年も前(=1986年)から、地元の商店会などが企画して、毎年4月後半からゴールデンウィーク前に掛けて、野毛大道芸を野毛本通りや路地裏で催して、結構自前で継続的に活動して居るので、「横浜にぎわい座」の様な大衆演芸ホールもあながち捨てたものでは無いかも知れません。
 左が外人さんが大道芸を演じている所です。{この写真は04年4月17日に撮影、28日に追加}
写真2−2:パパジョンのマスターと息子。
 私は「横浜にぎわい座」にしろ野毛大道芸にしろボチボチ続いて行けば良いと思って居ます。こういうのは何と言っても「継続は力なり」ですからね、ま、野毛の皆さんの心意気に期待しましょう。
 右の写真が「ジャズと艶歌」の店・パパジョン(Papa John)のマスター(右側、「その後」の章を参照)と息子さんです。マスターは野毛の心意気の象徴です。

 さて、野毛でジャズと言えば、ジャズ喫茶にして純喫茶の「ちぐさ」は、ジャズ・ファンには有名ですが、「ちぐさ」は▼下のページ▼で紹介して居ます。
 → 懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
    {このリンクは06年9月15日に追加}

 ■野毛の焼鳥屋

 さて、先程から野毛のことを場末でウラ寂れた所と何度も述べて来ましたが、このウラ寂れ感をいやが上にも増幅して居るのが野毛大通りの南側に在る焼鳥屋街です。何でこんなに多いんでしょうか、焼鳥屋が。表看板で「焼鳥屋」と書いて無い「おでん屋」や「お好み焼き屋」でも、店の中に入ると焼鳥のメニューが在ります。かと言って横浜の人がめっぽう焼鳥が好きかと言うとそうでも無いので、これは野毛の不思議の一つです。
 野毛の焼鳥屋街には柳通りから入るのがお薦めです。黄昏時の柳通りは左下の写真の様に名称起源の柳の木の枝が如何にも疲弊した様に垂れ下がり、道行く人も疎らで侘しさ満点です。
写真3:柳通りの風景。
 通りには下の写真の様な各店の案内板も在ります。
写真3−2:柳通りの店舗案内板。
写真3−3:「鳥芳」の大将。写真3−4:焼鳥屋で飲む私。 野毛の焼鳥屋物語を書かないと行けませんが、これも調べないと解らないので今はここ迄。今度野毛に行ったら「鳥芳」の大将(左の写真)にでも聞かないと行けませんね。「鳥芳」の大将はもう40年もこの野毛で焼鳥屋を遣っていて昔のことを良く知っていて、非常に上品な感じのする人です。ここはカウンターだけですが、鳥以外にも貝の串焼きとか、ゴマ油を掛けたカツオの叩きなどが旨いですね。
 右上の写真は昔の仲間と「やじきた」で飲んで居る所です、ここの親父は全く無愛想です。

 序でに言うと、「鳥芳」を始め野毛の焼鳥屋では発泡酒の元祖・ホッピーを出す店が結構在り、これが場末のウラ寂れ感を一層高めて居ます。ホッピーは夏の暑い時などスキッとして旨いですよ!!

 ■結び − 野毛の「ウラ寂れ感」は希少価値

 04年に東急東横線がMM21を通り中華街や元町と直結しました。MM21(みなとみらい21)は皮肉にも港に未来が無くなった結果出現した街ですが、昔の伊勢佐木町や今のMM21の様なマスメディアが作り出す流行とは無縁に、ゴキブリの様に過去も未来も飲み込んで吐き捨てて来た町が野毛です。そういう意味に於いて野毛の様な空間は現代では希少価値です。流行り廃れの付加価値を追わず、この拗(す)ねた個性を保ち続けて欲しいですね。
 付加価値は見せ掛けの価値に過ぎず、真の価値は希少価値に在るのです!

 >>>■その後

 08年2月14日(木)、野毛で希少価値を発揮して来たパパジョンのマスター・島村秀二さん(本文の写真は02年4月17日撮影)が亡くなりました、享年70歳だそうです。私は大阪で訃報を聞き葬儀には行けないので香典を持って行って貰いましたが、ご冥福をお祈りします。カウンターの中で客のウィスキーを相伴し乍ら落語などに絡めた話をして居た姿が思い出されます。
 数年前に阪神タイガース・ファンの奥さんに先立たれた後は、ちと元気を失くして居た様子でしたが...。今は息子さんが店を継いで居ます。
 『マイ・ファニー・バレンタイン』で合掌!

                (-_-)
                _A_

    {この記事は08年2月29日に追加}

φ−− おしまい −−ψ

【脚注】
※1:湯麺(たんめん)は、同名の麺は大阪にも有りますが、タン麺はやはり横浜。先ず麺が違います。麺は平たい麺(きし麺程幅広では無く、丁度モジュラージャックが付いている電話線ケーブル位です)で、これを固茹で(=アルデンテ)に湯掻きます。豚肉とニラと白菜などをニンニクを効かせて炒めたものに、その店秘伝の塩味スープを加え軽く煮て先程の麺に掛けます。ニンイクの香りと野菜の新鮮さを失わない様にするのがコツです。白く透明なスープなので湯(タン)麺と言うのでしょう。ですからサッポロラーメン系の塩ラーメンとは違いますし、トンコツラーメンとは大いに違います。ラーメン系では、私は横浜のタン麺が一番好きですね。

※2:サンマー麺(―めん)は、これも横浜にしか無いのでは、と思って居ますが全国を調べた訳ではありません。これは普通の醤油味のラーメンの上に、モヤシを中心とした野菜を炒めカタクリでとろ味を付けたものを掛けたもので、このとろ味の野菜と細い固茹での麺を一緒に食べると大変旨いですね。広東風ですね、こういうのは。因みにサンマーとは漢字で「生馬」と書くそうです。

※3:高島嘉右衛門(たかしまかえもん)は、幕末から明治の実業家易学家(1832〜1914)。号は呑象。江戸の生れ。初め建築請負など実業に従事、横浜で貿易にも関与。京浜間の鉄道敷設にも尽力。後、高島易断を創設し知られる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):横浜の野毛や日の出町や
高島嘉右衛門所縁の地やランドマークタワーの地図▼
地図−日本・横浜市(Map of Yokohama city, Kanagawa -Japan-)
吉原と浅草の「飲む、打つ、買う」の関係▼
ぶらり浅草(Drift in and trip out Asakusa, Tokyo)
浅草にも出没した”一発屋”の御仁▼
浅草、もう一つの風景(Another scene of Asakusa, Tokyo)
中国の犬鍋▼
中国のヘビーなお食事−”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
ジャズ喫茶にして純喫茶の「ちぐさ」▼
懐かしの「純喫茶」(Nostalgic 'Pure coffee shop')
ホッピーの写真▼
日本、形有る物を食う旅(Practice of active meal, Japan)


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