§.2006年・年頭所感-十二支と猫
[十二支事始]
(Chinese zodiacal signs and Cat, 2006 beginning)

-- 2006.01.05 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2011.11.01 改訂

 ■はじめに - 廻り来る十二支
 今年は戌年(いぬどし)です。旧暦(陰暦とも言う)や日本古来の祭事が段々と忘れられて行く中で、毎年廻り来るこの「×年」とか「×年生まれ」いう言葉だけは未だ生きて居ます。若い人には動物占いの一種(→後述として受け止められて居るのかも知れません。
 ところで言う迄も無く、この「×年」という言葉は十二支、即ち下記の
    子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥
    ね う と う た み う ひ さ と い い
      し ら   つ   ま つ る り ぬ
                  じ


に基づいて居ます。皆さん良くご存知の十二支ですが、今年は「十二支事始」として先ず十二支の成り立ちから述べます。
 十干や十二支については▼下のページ▼を参照して下さい。
  資料-十干十二支(Chinese zodiacal signs and 60 years cycle)

 この十二支を中国では時刻方位に適用したのです。そして更に十干(=甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)と組み合わせて十干十二支又は干支(=甲子・乙丑・丙寅...)(※1)としてを表す様に成りました。十干の10と十二支の12の最小公倍数は60ですので、60年毎に同じ干支が廻って来るのです。六十干支表は既に殷(※2)の時代(前16~前11世紀)の甲骨文(※2-1)の中に見出されて居ます(△1のp145、306)。
 日本も中国の十二支を採り入れ満60歳に成ると還暦(※3)と言って、昔は赤いちゃんちゃんこ(※4)を着ました。つまり60歳で生まれた時と同じ干支に還るので、生まれ変わった(=再び赤ん坊に成った)と見做し、赤ん坊が着る衣装を着せたのです。
 今年は廻り来る十二支について、そして私が好きなが何故十二支の仲間に入れなかったのかについて述べる事にします。尚、星や天文学や占星術の用語は▼下▼を参照して下さい。
  資料-天文用語集(Glossary of Astronomy)

 ■十二支と木星、そして十二支と黄道十二宮の不思議な類似
 十二支は古代中国の天文学(←当時は占星術)に発し、惑星中最大で黄道に沿って12年で天を一周する木星の運動に基づき天を12分割して考えたのが始まりの様(△1のp138)で、中国では木星のことを歳星と呼びました。{木星の写真へのリンクは2011年11月01日に追加}
 ところで天を12分割する考え方は西洋占星術の黄道十二宮(△2のp64、△3のp240)に通じ、根源的な所に共通の考え方が横たわって居る様に思えます。それは占星術(=古代天文学)がメソポタミア辺り(※5)に起源を持ち東洋と西洋に伝播して行ったことを窺わせます(△2のp50~55、△3のp39~40とp180)。星座を考案したのがメソポタミアの遊牧民という事もそれを補強します。
 私は随分前から、通常は10進法で数える事が多いにも拘わらず時刻角度が殆ど汎世界的に6進法で表されて居るのを”不思議な世界的一致”と思って来ました。即ち、秒や分の60、1日=24時間、1年=12ヶ月、1回転=360度、十二支や十二宮の12、還暦の60などは何れもの倍数ですが、その6進法の起源はバビロニア暦(※5-1)に在るらしいのです(△1のp300)。バビロニアは古代にメソポタミア中南部に栄えましたが、暦法を決めるには精確な天体観測のデータと天文学の知識が必要不可欠で且つ占星術発祥地の一つとされて居ます。そして特に新バビロニアを建国したカルデア人(※5-2~※5-4)はセム系遊牧民族(※5-5)で星座占星術を生み出したと目されてる民族ですが、英和辞典を引くとカルデア人を指す "Chaldean"(※5-3) には原意の他に「占星家」「占星術の」という意味が有ります(△3のp40)。

 ■私は人間被りの猫
 ところで私は、皆さんの様にサルから進化したのでは無く、猫の末裔の猫族の様な気がして為りませんね、しかも猫から余り進化して居ません。猫が人間の皮を被(かぶ)っただけの人間被りの猫なのです。猫被り(※6)という諺が在りますが、それと反対なんですね。そう言えば今年の初夢で猫から生まれた夢を見ましたよ、ウワッハッハッハ!!
 これが招福の初笑いですね、「笑う門には福来たる」です。まあ、そんな訳ですから戌年が来ると私は少々警戒しますね。犬という動物はどうも猫を”目の敵”にして居る様で、これは我が猫族の誇りと私が予々(かねがね)尊敬して居る牡猫ムル氏(Mr. Murr)も語ってる事(△4のp152、172)ですが、犬は猫を見るとやたらと吠えて来るので困り者です。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 牡猫ムルとは、ドイツのE.T.A.ホフマンの小説『牡猫ムルの人生観』の主人公で1819年に突如としてヨーロッパの文壇を席巻し、約85年後の1905年に日本で持て囃された夏目漱石の『吾輩は猫である』中の”名無しの吾輩”のモデルとも目される偉大な先輩です。E.T.A.ホフマンの『牡猫ムルの人生観』については▼下▼
  牡猫ムルと”吾輩”(Katers Murr and 'Wagahai')
を参照して下さい。{このリンクは10年7月7日に追加}


 何しろ自由な身の我々猫と違って、向こうは「犬のお巡りさん」を気取っては居ますが首を鎖に繋がれ、言わば”囚われの身”です。お巡りさんが”囚われの身”とは、此は如何にゃん?!、です。囚われの犬に吠えられても私は一向にヘッチャラですが安眠妨害では有りますな。その上犬は散歩の途中で道端にウンコして、しかもそれを飼い主に始末して貰って居ます。猫はちゃんと土や砂に穴掘ってした後、臭いを嗅ぎ乍ら上から砂や土を掛けるので、人間はこれを猫糞(ねこばば)と呼んで居ます。
 それなのに、日本の十二支の中に「犬」は居るのに「猫」が居ないのは、何故ニャン?

 ■十二支の並びの由来と十二支獣の配当
 (1)十二支の並びの由来
 十二支の「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」に「鼠・牛・虎・兎・竜・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪」という動物(=十二支獣)の割り当て(配当)が行われたのは、ずっと後の戦国時代(前403~前221)頃の様で後漢の西暦100年頃成立の『論衡』(※7、※7-1)が文献的な初出です(△3のp180)。何故これらの動物がこの順番で並んで居るのか?、について伝わっている話は凡そ以下の様な内容です。

 昔、王様(又は神様)が正月を迎えるに当たって、元旦の朝に新年の挨拶に来る様動物たちに号令し、「先着12名」を1年間動物の頭(かしら)にして遣ると言いました。ところが猫は行く日を忘れたので鼠に訊ねたら、鼠はわざと2日だと教えました。牛は自分の足が遅いと思っていたので元旦の朝未だ暗い内に密かに出発しましたが、これを見ていた鼠は牛の背中に跳び乗って仕舞いました。他の動物たちは夜が明けてから出発しましたが牛に追い付くことは出来ませんでした。
 牛が一番乗りで宮殿の門に着いた時、鼠は牛の背中から跳び下りて真っ先に王様(又は神様)の所に駆けて行き挨拶をして仕舞い、牛は2番に成りました。その後他の動物たちが虎、兎、竜、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順で宮殿に着き挨拶をしました。
 1日遅れで出発した猫は着外で、それ以来鼠を恨み鼠を獲る様に成った、と言うのです。更に一説に拠ると、王様(又は神様)が猫を「顔を洗って出直して来い!」と叱ったので、猫は何時も顔を洗う仕草をする様に成った、とか。


 (2)具体的な十二支獣の配当 - 広く漢字文化圏の大衆に浸透
 フーム、中々面白い話ですね。上の『論衡』の話は中国からチベット/モンゴル/タイ/ベトナム/朝鮮半島/日本などの周辺国に伝わり、忽ちの内に中国のみならず周辺国の民衆の間に浸透しました。即ち、十二支が定着している地域は中国の漢字文化圏と重なるのです。そして抽象的な「子・丑・寅・卯...」という記号的順列に、誰でも知ってる十二支獣が具体的なイメージを与え、丁度今日のアニメ・キャラクターの様な役割を果たしたのです。これが具体化です。それを裏付ける様に朝鮮半島や日本の古墳内部の天井画から、四神(※8)の他に十二支獣も描かれて居るのが発掘されて居ます。
 その例として『オルドス口碑集』 -オルドス(※9)とは中国の内モンゴル自治区(※9-1)の都市名- という本には我々日本人に馴染みの十二支と全く同じ十二支獣が出て来ます(△5のp193~194)。又、『トゥバ紀行』という本にはモンゴル(※9-2~※9-4)とシベリアの間の辺境地が1921~1944年迄23年間だけ独立国として存在したトゥバ人民共和国(←以後はソ連に併合)日本と全く同じ十二支獣が記録されて居ます(←但し中国では猪がに成る)(△6のp227~228、291)。
 [ちょっと一言]方向指示(次) トゥバ人は文化的にはモンゴルの影響を強く受けて居ます。例えばラマ教(=チベット仏教)(△6のp150~151)、相撲取り(△6のp96~97)、上で述べた十二支獣、ユルタというゲル(※9-5、△6のp109~110)などです。そして中国のに支配されますが、上述の様に第一次世界大戦直後のドサクサにソヴィエトが”横取り”して仕舞いトゥバ人民共和国という見掛け上の独立国と成りますが、1944年以後はソ連に併合されます。しかし91年暮れにソ連は解体、1992年以降はトゥバ共和国です。私は『トゥバ紀行』という奇書(△6のp291)に言い知れない感動を与えられました。
 トゥバ人は文字は無く、元々はシャーマニズム(※10) -シベリア地方はシャーマニズムが一般的- を信奉する狩猟民だった様ですがモンゴルの影響で遊牧を始めた様です。農耕はしません(△6のp93)。唐代の史書にはトゥバは都波都播として、『元朝秘史』にも禿巴思という名で登場します(△6のp306~307)。又、トゥバの日本語表記もトゥーバ/トゥヴァ/トゥワなどが在ります。


 この様な具体化は西洋でも同様で、十二宮の多くには動物が配された為に十二宮が取り巻く天球上の帯を獣帯と呼びます。考えてみれば道教の四神東洋の十二支獣西洋の十二宮獣密教の曼荼羅(又は曼陀羅)(※11)も現代風に言えば宇宙観をアニメ・キャラクターで表現したもの、と言えます。

 (3)地方との同化と十二支獣の変容
 こうして中国から周辺国に伝わった十二支は、以後はオリジナルがそれぞれのローカリズムの中に融合・同化する過程で変化して行きます。これが変容です。この変容の一例が、次の様な日本でのイタチ(鼬、鼬鼠)の話の付加です(平塚市の俗話より)。

 神様 -日本では必ず神様に成る- への挨拶競争で、惜しくも着外に落ちたイタチが、自分も何とか頭(かしら)の仲間に入れて下さい、と神様に懇願すると、神様は思案の末に毎月の初めの日を朔(ついたち)と名付けてイタチの日にして遣ると仰いました。

 これなどは日本語の「語呂合わせ」から生まれた話です。同様な変容はそれぞれの国で少しずつ起こって居ます。中国でも多分今日伝わっている逸話はオリジナルから進化して居ると思われます。
 そんな変容の一つとしてベトナムでは兎の代わりにが列せられて居ます。因みに、ベトナムは中国の長江以南の越人として長い間漢字文化圏に属し(△7のp58)、又中世~近世には中国や日本から安南と呼ばれて居ました。

 ■十二支占い
 西洋の黄道十二宮に実在の黄道十二星座を当て嵌めた西洋型の[簡易]星座占い(horoscope)が現在若い女性などの間で根強い人気を保って居て、朝のテレビやラジオの番組では誕生日の星座毎の「今日一日に関する一口占い」を放送して居ますし、週刊誌には星座毎の「今週の運勢」が毎週載って居ます。12の星座は生まれた年では無く月日に対応します。西洋占星術については▼下の論考▼をお読み下さい。
  ホルスト「組曲「惑星」」(Suite 'The Planets', Holst)

 (1)星占いとして
 星座占い程では無いですが十二支占い(twelve zodiacal signs fortune-telling)も時々会話に上ります。これは生まれ年(=生まれ星)の干支(えと)を基準にしますので、西洋型星座占い九星占いと同じく星占いの一種と考えて良いでしょう。高島嘉右衛門(※12)が創設した高島易断が毎年年初に向け発行してる『神宮館運勢暦』なる本にも生まれ年の十二支毎の運勢が書いて在ります。これに拠れば、昔の神仏混淆時代の名残で十二支には仏教の菩薩などが「守り本尊」(※13)として対応して居ます。私が日本型と言ったのは神仏混淆を指して居ます。参考の為に手元に在る昨年の平成十七年版(2005年版、△8のp142~145)から対応表を載せる事にします。

    <生まれ年の十二支に対応する仏教の「守り本尊」>

  生まれ年の十二支 守り本尊    本尊の御利益・霊験
    子年     千手観音菩薩  千の慈手・慈眼
    丑年     虚空蔵菩薩   広大無辺の福徳・智慧
    寅年     虚空蔵菩薩     //
    卯年     文殊菩薩    仏の智慧
    辰年     普賢菩薩    仏の理法・修行
    巳年     普賢菩薩      //
    午年     勢至菩薩    智慧の光を以て衆生の迷いを除去
    未年     大日如来    宇宙の光明
    申年     大日如来      //
    酉年     不動明王    大日如来が教化し難い衆生に忿怒
    戌年     八幡大菩薩   八幡神(応神天皇を主座)の御利益
    亥年     八幡大菩薩     //

 これは例えば今年の戌年生まれの人は守護本尊の八幡大菩薩を特に参拝し”御布施”を奮発すれば運勢はより開け易く成るでしょう、みたいな事です。信じる方は実行するのも良いでしょう。西洋にも守護聖人(※13-1)というのが居て、西洋占星術の星座にも守護惑星(支配星)が対応して居ますので、同じような発想ですね。

 (2)動物占いとして
 一方、十二支占いには十二支獣に依る動物占い(animal fortune-telling)の側面も有り「誰々は巳年生まれだから蛇の様に執念深い」とか「あの女はきついと思ってたら、やっぱり寅年だった」とか「この子は頭の回転は鈍いけど、丑年生まれだから牛の様に反芻してじっくり考えるタイプなんです」とか、この場合は血液型占い(△9のp463~475)と同様に性格判断的意味合いが出て来ます。
 こう成ると私の脳裏に浮かぶのはルネサンス後期のジャン・バティスタ・デラ・ポルタ(1538~1615)というナポリの医者の自然魔術というもので、彼は博識を総動員して宇宙全体を調和的 -調和はルネサンスの基本テーマ- に大系付け尚且つそれを実践しようと試みた人で、その勢いは人相学にも及び遂には「或る人間が或る動物(又は植物)に似てるならば、その人間の性格はその動物(又は植物)に似る」という”奇抜な法則”に到達しました。つまりは「牛顔の人は牛の様な性格」という訳です。これ以上は深入りしませんが、【参考文献】△10のp142~144には絵入りで原著『自然魔術』からの引用が在り非常に面白いです。
 もう一つ連想する書は、進化論で万人に知られてるダーウィンの『人及び動物の表情について』という殆ど”1万人に1人位にしか知られて無い”です(△11)。これは占いの本では無いですが人と動物の表情を子細に観察し「言葉には時に虚偽あれど、表情運動は他人の思想や意図を、言葉よりも一層正直に表はす。」と記して在り(△11の420)、人相の一部を成す顔の表情を人間と動物の間で比較考察して居る点でポルタの著作と一脈通じます。このポルタの人相学やダーウィンの表情学を遡源すると、どうもギリシャのアリストテレスに行き着く様ですが、当ページではこれ以上深入りしないニャンです。
                (=^・^=)

 さて、星座占いも十二支占いも、個々人の近未来や性格を12のパターンに類型化して予測や判断をしてる訳ですから”極度な単純化”ですが、占いの類型化は10パターン位が適当な様で、余り細分化したら却って複雑で解り難く成り面白味が半減します。そういう意味でエルニーニョの「おみくじ」は単純な4つの類型です。
 これら簡易的な星座占いや十二支占いは当たる当たらないというよりも寧ろ何人か集まった時の雰囲気を盛り上げる「話のネタ」として役立って居る様に思えます。そういう意味では私の提唱した「民族占い」も同様ですが「民族占い」には少々棘が有るかもですね、ムッフッフ!
    {西洋占星術へのリンク及び守護惑星の記事は06年7月10日に追加}

 ■本物の動物で占う本格派「動物占い」
 まぁ、色々な占い方が在るものですが、ここで”取って置き”の、本物の動物で占う本格派「動物占い」(genuine animal fortune-telling)をご紹介しようと思いますが、それは「補遺ページ」で扱います。「補遺ページ」は▼下をクリック▼してご覧下さい。
  2006年・年頭所感|補遺(2006 beginning, SUP.)
 尚、「補遺ページ」に於いて最下行の蛙(カエル)のアイコン(the icon of Frog)をクリックすれば、ここに復帰します。
                (-_*)/

 さて、如何でしたか?、最初に挙げた甲骨文も本格派「動物占い」の一種だという事がお解り戴けたと思います。
    {「補遺ページ」へのリンクは06年1月24日に追加}

 ■年頭のご挨拶 - 自由に優雅に楽しく生きる
 という訳で猫が十二支獣に入って居なくても猫族の王者のが入っているので、我々猫族も余り卑下せずに犬のウンコなどに構わずに、ヒゲ(髭)をピンと立てて自由に優雅に、そして旨いモン食って楽しく生きた方が宜しいのだニャン!{このリンクは10年1月8日に追加}
 その虎ですが、今年の虎虎タイガースはどうでしょうか??、ちと心配ではありますが...。タイガース・ファンで暇な方は占ってみて下さい。因みに私の予想は毎年”外れ”です、どうも贔屓心が出て来て眼が曇りますな。
 皆様もどうか健康で楽しく遣って下さい。今年も宜しく!!
                (^o^)/

--- 完 ---

【脚注】
※1:干支とは、
 [1].(かんし、干は「幹」、支は「枝」の意)と音読みして、十干十二支。十干と十二支を組み合わせた60通りの組合せ中国に始まる紀年法で、甲子(きのえね)・乙丑(きのとうし)など60種を年と日に割り当てて用いる。
 [2].(えと、「兄(え)弟(と)」の意)と訓読みして、十二支、特に生年や方位・時刻に当てる。「今年の―は丑(うし)だ」。

※2:殷(いん)は、中国の古代王朝の一(BC1600~BC1100頃)。「商」と自称(←「殷」は後代の周が名付けた)。史記の殷本紀に拠れば、湯王が夏(か)を滅ぼして創始。30代、紂王に至って周の武王に滅ぼされた。領域は黄河下流域が中心。殷の王は神の意を甲骨で卜占し、その結果を基に政治を行った。高度の青銅器と文字(甲骨文)を持つ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2-1:甲骨文字(こうこつもじ、characters on animal bones and tortoise carapaces)とは、亀甲・獣骨などに刻まれた中国最古の体系的文字で、漢字の字形を示すものとして現存最古。骨を火で焼いて表面に出来る割れめの形で吉凶を占い、結果をその骨に記録したもの。殷代に多く、西周前半にも在る。中国河南省の殷墟から多数発見。甲骨文殷墟文字卜辞(ぼくじ)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※3:還暦(かんれき、one's 60th birthday)は、(60年で再び生れた年の干支に還るから言う)数え年61歳(今では満60歳)の称。華甲。本卦還(ほんけがえり)。「―の宴」。

※4:ちゃんちゃんこ(padded sleeveless kimono jacket)は、(子供用の)袖無し羽織。多く綿入れで防寒用。袖無し。季語は冬。

※5:メソポタミア(Mesopotamia)は、(ギリシャ語で「川の間の土地」の意)西アジアのチグリスとユーフラテス両河川間の地現在のイラクに含まれる。メソポタミアの北部をアッシリアと呼び、南部をバビロニアと呼ぶ。更にバビロニアの内の北部をアッカド、南部をシュメール地方と言う。新石器農耕の開始はジャルモなど北部が先行したが、BC3000年頃シュメール人が南部に来住しエジプトと並ぶ最古の都市文明を発祥させた。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※5-1:バビロニア(Babylonia)は、チグリス川とユーフラテス川下流域シュメールとその上流域アッカドを含む、メソポタミア中南部の1つの歴史的な世界。中心市バビロン。南部のシュメールでは、BC3400年頃からウルやラガシュなどの諸都市が形成され、BC2800年頃初期王朝時代に入った。BC24世紀、上流域のアッカド人が全メソポタミアを統一(アッカド王国)。次いでBC22世紀末に始まるウル第3王朝時代を経てBC2000年頃からアモリ人が活躍しBC19世紀バビロン第1王朝が成立、その第6代ハンムラビ王BC18世紀メソポタミアの支配者と成った(バビロニア王国)。その後の変転を経てBC7世紀後半には、南部のセム系カルデア人がアッシリアの支配を覆し、バビロンを首都に新バビロニア(カルデア王国)を建てた。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※5-2:カルデア人(―じん、Chaldean)は、セム人の一。前12世紀頃から南バビロニアに定住。前626年バビロニア地方の支配権を得、アッシリア帝国を滅亡させてカルデア王国(新バビロニア)を建てた。正確な天体の観測を行うなど、天文学に優れる。→新バビロニア。
※5-3:Chaldean は、
 [名][1].[a].(古代)カルデア人(バビロニア南部の王国)。
     [b].カルデア語。
   [2].占星家
 [形][1].カルデア(人)の。
   [2].占星術の。
<出典:「研究社 新英和・和英中辞典」>
※5-4:新バビロニア(しん―)は、前7世紀末カルデア人がバビロニアを中心に建てた王国。ネブカドネザル王の時、空前の発展を遂げたが、急速に衰えて前539年ペルシャ帝国に滅ぼされた。カルデア王国
※5-5:セム語族(―ごぞく、Semites)とは、〔言〕アフロ・アジア語族の一語族。北アフリカから西南アジアに掛けて分布。現在用いられているヘブライ語アラビア語などの他に、古代フェニキア語が含まれる。
 セム(Sem)は、旧約聖書の創世記の中のノアの長男。大洪水後、親に孝を尽くした。アッシリアアラムイスラエルユダヤ又はヘブライ)人の祖先とされる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※6:猫被り(ねこかぶり)は、本性を包み隠して、大人しそうに見せ掛けたり、知って居乍ら知らない振りをすること。又、そういう人。猫っ被り。

※7:論衡(ろんこう)は、後漢の王充撰。30巻。元100編と言うも、今本は85編(第44編を欠く)。当時の有らゆる学説・習俗に対し独自の批判を記したもの。
※7-1:王充(おうじゅう)は、後漢の学者(27~101頃)。字は仲任。会稽上虞の人。百家の言に通達。「論衡」30巻を著した。反俗精神に徹し、虚妄を憎み真実を愛した。

※8:四神(しじん)とは、天の四方の方角を司る神、即ち東は青竜、西は白虎、南は朱雀、北は玄武の称。四獣。

※9:オルドス(鄂爾多斯、Ordos)は、中国内モンゴル自治区の一部、黄河の湾曲部に囲まれた部分で長城以北の地域。東部の草原以外は殆どが砂漠で、塩湖が広く分布。古くは河南と呼ばれたが、明末、蒙古オルドス部がこの地を占拠して以来オルドスと称。1635年、清の支配下に入る。河套。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9-1:内モンゴル自治区(うち―じちく)/内蒙古自治区(うちもうこじちく)は、(Neimenggu Zizhiqu, Inner Mongolia autonomy district in China)1947年内蒙古地域に成立したモンゴル族の中華人民共和国の自治区。省に相当する。面積約120万k㎡。人口2237万(1995)。大部分が草原・砂漠で、牧畜業が盛ん。黄河流域の河套(ホータオ)平原は古くから灌漑農業が発達。包頭(パオトウ)市は同国有数の鉄鋼基地。区都はフフホト(呼和浩特)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9-2:外モンゴル/外蒙古(がい/そと―[もうこ])は、モンゴルのゴビ砂漠以北(=今のモンゴル国)の地。→モンゴル
※9-3:モンゴル(Mongol)は、中国の北辺に在って、シベリアの南、新疆の東に位置する高原地帯。又、その地に住む民族。13世紀にジンギス汗が出て大帝国を建設し、その孫フビライは中国を平定して国号をと称し、日本にも出兵した(元寇)。1368年、明に滅ぼされ、その後は中国の勢力下に入る。ゴビ砂漠以北の所謂外モンゴルには清末にロシアが進出し、1924年独立してモンゴル人民共和国(首都はウランバートル)が成立、92年モンゴル国と改称。内モンゴルは中華人民共和国成立に因り内モンゴル自治区と成り、西モンゴルは甘粛・新疆の一部を成す。蒙古
※9-4:モンゴル国(―こく、Mongolia)は、外モンゴルの大部分を占める共和国。1921年中国より離れ、初め活仏を元首とする君主国を樹立、24年共和制とし、18の部(アイマク)で構成、モンゴル人民共和国となり、92年現名に改称。首都はウランバートル。面積157万k㎡。人口241万(1995)。モンゴル族が90%、他にカザフ人、中国人、ロシア人など。言語はモンゴル語、宗教はチベット仏教(ラマ教)。政体は共和政。元首は大統領通貨単位トゥグリク(tughrik, Tg)。大陸性気候で寒暖の差が激しい。主な産業は石炭、モリブデン、金、畜産。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9-5:ゲル(gher[蒙], Mongolian yurt)とは、モンゴル族が遊牧生活に使う移動式天幕。円筒形の側壁に傘状に屋根を載せた形で、折り畳んで持ち運び出来る木製の骨組みとそれを覆うフェルトから成る。ジェルユルタパオ(包)。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※10:シャーマニズム(shamanism)とは、シャーマンを媒介とした霊的存在との交渉を中心とする宗教様式。極北/シベリア/中央アジア、北米の先住民に一般的で、類似の現象は南アジア/東南アジア/オセアニアなどにも見られる。しかし世界観/超自然観や社会的背景を反映し、一様では無い。中国/朝鮮/日本では巫術巫俗巫女等の名で知られる。

※11:曼荼羅/曼陀羅(まんだら、mandala[梵][英])とは、(輪円具足・道場・壇・本質などと訳す)諸尊の悟りの世界を象徴するものとして、一定の方式に基づいて、諸仏・菩薩及び神々を網羅して描いた図。四種曼荼羅・両界曼荼羅など多くの種類が在る。元々密教のものであるが、浄土曼荼羅や垂迹曼荼羅、日蓮宗の十界曼荼羅の様に、他にも転用される。おまんだら。

※12:高島嘉右衛門(たかしまかえもん)は、幕末から明治の実業家易学家(1832~1914)。号は呑象。江戸の生れ。初め建築請負など実業に従事、横浜で貿易にも関与。京浜間の鉄道敷設にも尽力。後、高島易断を創設し知られる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※13:守り本尊(まもりほんぞん、guardian Buddhist saint)は、身の守りとして信仰する仏。守り仏。
※13-1:守護聖人(しゅごせいじん、patron saint)は、キリスト教で、信者個人・教会・都市・国などを保護すると崇敬されて居る聖人。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『現代こよみ[読み解き]事典』(岡田芳朗・阿久根末忠編著、柏書房)。

△2:『魔術師の饗宴』(山北篤と怪兵隊著、新紀元社)。

△3:『暦と占いの科学』(永田久著、新潮選書)。

△4:『牡猫ムルの人生観(上・下)』(E.T.A.ホフマン作、秋山六郎兵衛訳、岩波文庫)。

△5:『東洋文庫59 オルドス口碑集(モンゴルの民間伝承)』(A.モスタールト著、磯野富士子訳、平凡社)。

△6:『トゥバ紀行』(メンヒェン・ヘルフェン著、田中克彦訳、岩波文庫)。

△7:『地域からみる世界歴史年表』(宮崎正勝著、聖文社)。

△8:『平成十七年神宮館運勢暦』(平木場泰義・神宮館編集部編、(株)神宮館)。

△9:『占いを始める人のために』(國生稔貴著、池田書店)。

△10:『黒魔術の手帖』(澁澤龍彦著、河出文庫)。

△11:『人及び動物の表情について』(ダーウィン著、浜中浜太郎訳、岩波文庫)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):中国の内蒙古自治区のオルドスや
モンゴルに近いロシアのトゥバ共和国の地図▼
地図-モンゴル国と中国の内蒙古
(Map of Mongolia and Neimenggu, -Mongolia, China-)

参照ページ(Reference-Page):日本の旧暦について▼
資料-「太陽・月と暦」早解り(Quick guide to 'Sun, Moon, and CALENDAR')
参照ページ(Reference-Page):十干や十二支について▼
資料-十干十二支(Chinese zodiacal signs and 60 years cycle)
参照ページ(Reference-Page):木星や星や占星術の用語▼
資料-天文用語集(Glossary of Astronomy)
参照ページ(Reference-Page):今年の虎虎タイガースはどうか?▼
エルニーニョの「六甲おろし(六甲颪)」(The Rokko-Oroshi)
補遺ページ(Supplement):本物の動物で占う本格派「動物占い」▼
2006年・年頭所感|補遺(2006 beginning, SUP.)
補完ページ(Complementary):西洋占星術や守護惑星や
ホルストの『組曲「惑星」』の中心楽曲に成った木星▼
ホルスト「組曲「惑星」」(Suite 'The Planets', Holst)
遊牧民族や占いの類型化の数や「民族占い」について▼
民族占い(Comparative Ethnologic approach)
私は猫族▼
ノラ猫狂詩曲(What's new PUSSYCATS ?, Japan)
木星の写真とデータ▼
写真-木星(PHOTO - Jupiter, Japan)
招福の笑いの効用や進化論について▼
2005年・年頭所感-幸せ保存の法則
(Law of conservation of HAPPINESS, 2005 beginning)

夏目漱石の『吾輩は猫である』中の”吾輩”のモデルとも目される
『牡猫ムルの人生観』について▼
牡猫ムルと”吾輩”(Katers Murr and 'Wagahai')
我が猫族の十二支獣▼
2010年・年頭所感-吼えよ若者!(Roar, YOUNG MEN !, 2010 beginning)
エルニーニョの「おみくじ」▼
ようこそ【エルニーニョの世界】へ(Welcome to ElNino's world)


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