モンゴル(Mongol)は、中国の北辺に在って、シベリアの南、新疆の東に位置する高原地帯。又、その地に住む民族。13世紀にジンギス汗(※1、※1−1)が出て大帝国を建設し、その孫フビライ(※2、※2−1)は中国を平定して国号を元と称し、日本にも出兵した(元寇)。1368年、明に滅ぼされ、その後は中国の勢力下に入る。ゴビ砂漠以北の所謂外モンゴルには清末にロシアが進出し、1924年独立してモンゴル人民共和国(当初は社会主義国、首都はウランバートル)が成立、92年社会主義を放棄しモンゴル国と改称。内モンゴルは中華人民共和国成立に因り内モンゴル自治区と成り、西モンゴルは甘粛・新疆の一部を成す。蒙古。
・外モンゴル/外蒙古(がい/そと―[もうこ])は、モンゴルのゴビ砂漠以北(=今のモンゴル国)の地。→モンゴル。
●モンゴル国(―こく、Mongolia)は、外モンゴルの大部分を占める共和国。1921年中国より離れ、初め活仏を元首とする君主国を樹立、24年共和制とし、18の部(アイマク)で構成、モンゴル人民共和国となり、92年現名に改称。首都はウランバートル。面積157万ku。人口241万(1995)。モンゴル族(※3)が90%、他にカザフ人、中国人、ロシア人など。言語はモンゴル語(※3−1、※3−2)、宗教はチベット仏教(ラマ教)(※4)。政体は共和政。元首は大統領。通貨単位トゥグリク(tughrik, Tg)。大陸性気候で寒暖の差が激しい。主な産業は石炭、モリブデン、金、畜産。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
モンゴル人(=モンゴル族)は人種の三大区分の一つであるモンゴロイド(Mongoloid)(※5〜※5−2)の代表種を形成し、日本人もモンゴロイドです。
▼モンゴル国と北京・朝鮮・日本の位置関係の地図
(Map of position of Mongolia and Beijing, Korea, and Japan)
ウランバートル(Ulan Bator)は、(蒙古語U.B.khoto:「赤色英雄の都」の意)モンゴル国の首都。1650年ラマ廟の本山を建設。18世紀末から行政・商業の中心地として発展。革命後の1924年より首都。旧名ウルガ(Urga)。漢名は庫倫(クーロン)。人口68万(1994)。
▼ウランバートル市の地図(Map of Ulan Bator city)
●ハラホリン − 旧カラコルム(Kharakhorum)
旧カラコルム(Kharakhorum)は、モンゴル帝国の太宗・定宗・憲宗時代の首都。オルホン河の右岸、モンゴル国の西クーロンに近いエルデニ・ゾーにその遺跡が在る。1235年に元のオゴタイが建設したモンゴル帝国の首都に当たり、イスラム教・キリスト教の寺院も建てられ国際的に繁栄した。フビライ(※2〜※2−1)の北京遷都以後は寂れ、明の度重なる北伐で滅んだ。哈剌和林。和林。和寧。現在名ハラホリン。
▼ハラホリン(旧カラコルム)の地図
◆エルデニ・ゾー
エルデニ・ゾーは、アフタイ・ハンが青海にてダライ・ラマ3世 −ダライはモンゴル語で「大海」、ラマはチベット語で「師」の意で、ダライ・ラマ(※4−1)は「大海の師」を表す− に拝謁し、1586年に建立した寺院建築群。ゾーは寺院を表す。16世紀末にはサキャ派が優勢だったが、ダライ・ラマ4世がモンゴル人のアルタン・ハンの孫に転生(※4−2)すると、モンゴル人は悉くゲルク派に帰依したと言う。
▼エルデニ・ゾーの地図
エルデニ・ゾーは正方形の外壁で囲まれて居る。中央に白いソボルガン仏塔が在る。これは釈迦の遺骨の墓標だが宇宙の象徴として礼拝の対象。漢様式のゴルバン・ゾー(三寺)、チベット様式のラブラン寺、勤行をするツォクチン(大講堂)などが配されて居ます。この附近で発掘された花崗岩の亀趺(きふ)(※6) −日本では亀石と呼ぶ− もエルデニ・ゾーの近くに在ります。
1908(明治41)年に第2次大谷探検隊の橘瑞超(※7)がエルデニ・ゾーを調査で訪れて居ます。
●内モンゴル自治区(うち―じちく)/内蒙古自治区(うちもうこじちく)は、(Neimenggu Zizhiqu, Inner Mongolia autonomy district in China)1947年内蒙古地域に成立したモンゴル族の中華人民共和国の自治区。省に相当する。面積約120万ku。人口2237万(1995)。大部分が草原・砂漠で、牧畜業が盛ん。黄河流域の河套(ホータオ)平原は古くから灌漑農業が発達。包頭(パオトウ)市は同国有数の鉄鋼基地。区都はフフホト(呼和浩特)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
▼内モンゴル自治区(内蒙古自治区)の地図
*:上図の1〜30迄の数字は少数民族の分布を表して居ますが、ここでは省略します。
{地図の出典は『地球の歩き方』より}
【脚注】
※1:成吉思汗(ジンギスかん)/ジンギス・ハン/ジンギス・ハーン(Chinggis Khan)は、モンゴル帝国の創設者。元の太祖(在位1206〜1227)(1162〜1227、1説に1167〜1227)。名は鉄木真(テムジン)。父はエスゲイ、母はホエルン。幼時に父を失ったが、ケレイト部長ワン・ハン(Wang Khan、王罕)の助力で部族の長と成り、対抗者を次々に倒し、1204年ナイマンのタヤン・ハンを破ってモンゴル高原のモンゴル族を統一、1206年ハン(汗)の位に付き成吉思汗と号した。次いで、金(キン)を攻略する一方、西夏に侵入、19年以降、西征の大軍を発し、ホラズムを滅ぼし、27年西夏を滅ぼしたが、負傷が元で陝西で病没。征服した地域を諸子に分封、遊牧社会を優れた国家に迄高め、諸汗国の基礎を築いた。渾名は「蒼き狼」。チンギス汗。チンギス・ハン。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1−1:汗(かん)/ハン/ハーン(khan)とは、韃靼・モンゴル・トルコなど北方遊牧民の君主の称号。可汗(かがん、かかん)。
※2:フビライ(忽必烈/忽比烈、Khubilai)は、元帝国の初代皇帝。世祖(在位1260〜1294)(1215〜1294)。モンゴル帝国第5代の皇帝。ジンギス汗の孫。金を滅ぼし、宋を併合し、都を大都(北京)に移し、1271年国号を元と定めた。越南・占城・ジャワ迄併呑を企図。日本にも2度遠征軍を派遣 −元寇(文永・弘安の役)− したが失敗。クビライ。
※2−1:元寇(げんこう)とは、鎌倉時代、元(=モンゴル民族が建国)の軍隊が日本に来襲した事件。元のフビライは日本の入貢を求めたが鎌倉幕府(←北条時宗が執権)に拒否され、1274年(文永11)元軍は壱岐・対馬を侵し博多に迫り、81年(弘安4)再び范文虎らの兵10万を送ったが、二度とも大風 −日本は神風と呼んだ− が起って元艦の沈没するものが多く、日本は侵略を防ぐことが出来た。しかし、この戦いは鎌倉幕府衰亡の切っ掛けと成った。蒙古襲来。文永・弘安の役。
※3:モンゴル族(―ぞく、Mongolian race)は、モンゴル/中国内モンゴル自治区/ロシアのブリヤート共和国などに分布するハルハ族/チャハル族/ブリヤート族、更に中国領内のトンシャン/ダグール/トゥ/ボウナンなどの少数民族をも含む総称。総人口は約600万。12〜13世紀にジンギス汗の下に諸部族が統合され民族としての基盤が形成された。伝統的には遊牧生活をし乍ら馬・羊・牛・山羊・駱駝の「モンゴル五畜」を飼育する。モンゴル相撲が在る。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※3−1:モンゴル語(―ご、Mongolian)は、モンゴル国の公用語。モンゴル語派に属する。1940年代の文字改革によりキリル文字が使用されて来たが、90年に蒙古文字の復活が認められる。
※3−2:モンゴル語派(―ごは)は、アルタイ語族の一語派。モンゴル語/カルムイク語/ブリャート語/オイラート語/モングオル語などの総称。
※4:チベット仏教(―ぶっきょう、Tibetan Buddhism, Lamaism)とは、仏教の一派。吐蕃王国時代にインドからチベットに伝わった大乗仏教と密教の混合形態。チベット大蔵経を用いる。後にモンゴル・旧満州(中国東北地方)・ネパール・ブータン・ラダックにも伝播した。主な宗派はニンマ派(紅教)・サキャ派・カギュー派・ゲルク派(黄教)の4派。俗称、ラマ教。
※4−1:ダライ・ラマ/達頼喇嘛(Dalai Blama)は、(ダライはモンゴル語で「大海」、ラマはチベット語で「師」の意)チベット仏教ゲルク派の法王。代々転生者が相続する。歴代法王の名がギャンツォ(大海)で終るので、ダライ・ラマと称される。1642年のダライ・ラマ政権樹立以後、チベットの首都ラサにポタラ宮を造営し、観音菩薩の化身として政教両面に亘るチベットの法王と成る。現在の14世テンジン・ギャンツォは、1959年以来インドに亡命中。ギェルワ・リンポチェ。
※4−2:転生(てんせい/てんしょう、reincarnation)とは、[1].[仏]迷いの生死を繰り返すこと。輪廻。「輪廻転生(りんねてんしょう)」。
[2].生まれ変わること。生活を一変させること。
※5:モンゴロイド(Mongoloid)とは、類モンゴル人種群。コーカソイド(白色)/ネグロイド(黒色)と並ぶ人種の三大区分の一。黄色乃至は黄褐色の皮膚と、黒乃至は黒褐色の直毛状の頭髪とを主な特徴として分類され、眼瞼の皮下脂肪の厚いこと、蒙古襞、乳児に蒙古斑の頻度が極めて高いことなども特徴。日本人/朝鮮人/中国人を含むアジアモンゴロイドの他、インドネシア/マレー人/ポリネシア人/アメリカ先住民が含まれる。
※5−1:蒙古襞(もうこひだ、もうこへき)とは、眼瞼皮膚に半月状の襞が有り、鼻梁に向かって内眼角(目頭)を覆って縦に走って居るもの。両側性であるが、左右は必ずしも等しく無い。
※5−2:蒙古斑(もうこはん)は、小児の臀部・腰部・背部・肩胛部などの皮膚に在る青色の斑紋。皮膚真皮層中にメラニン色素細胞が存在する為で、年齢が進むと消失する。モンゴロイドに出現率が高く、日本人の生後1年以内乳児での斑紋は99.5%に達するが、白色及び黒色人種では稀。小児斑。児斑。
※6:亀趺(きふ)とは、亀の形に刻んだ、碑の台石。中国に多い。亀が世界を支えて居るとする宇宙観に基づく。
※7:橘瑞超(たちばなずいちょう)は、探検家(1890〜1968)。浄土真宗本願寺派僧侶。名古屋生れ。大谷探検隊の第2次中央アジア探検に参加。著「中亜探検」。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『地球の歩き方14 モンゴル 2003〜2004年版』(「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社)。