60通りの組み合わせ(後述)の干支表は既に殷(※1)の時代(前16〜前11世紀)の甲骨文(※1−1)の中に見出されて居ます(△1のp145、306)。
(1)十干(Chinese 10 elements of the sexagenary cycle)
十干(じっかん)とは、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の総称。これを五行の「木・火・土・金・水」(後述)に配し、各々「陽」即ち兄(え)と、「陰」即ち弟(と)を当てて甲(きのえ)・乙(きのと)などと訓ずる。普通、十二支と組み合せて用いられ、干支(かんし)を「えと」(←兄(え)と弟(と)に由来する読み方)と称するに至った。
音(おん) 訓(くん) 五行
甲 こう きのえ 木の兄(陽)
乙 おつ きのと 木の弟 (陰)
丙 へい ひのえ 火の兄(陽)
丁 てい ひのと 火の弟 (陰)
戊 ぼ つちのえ 土の兄(陽)
己 き つちのと 土の弟 (陰)
庚 こう かのえ 金の兄(陽)
辛 しん かのと 金の弟 (陰)
壬 じん みずのえ 水の兄(陽)
癸 き みずのと 水の弟 (陰)
(2)十二支(Chinese zodiacal signs/12 zodiacal signs)
十二支(じゅうにし)とは暦法で、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の称。中国で十二宮(※2)の各々に獣を当てたのに基づくと言う。即ち、子は鼠、丑は牛、寅は虎、卯は兎、辰は竜、巳は蛇、午は馬、未は羊、申は猿、酉は鶏、戌は犬、亥は猪。その各々を年や時刻や方位・方角の名とする(→後出)。
音(おん) 訓(くん) 十二支獣
子 し ね 鼠(the Rat)
丑 ちゅう うし 牛(the Ox)
寅 いん とら 虎(the Tiger)
卯 ぼう う 兎(the Hare)
辰 しん たつ 竜(the Dragon)
巳 し み 蛇(the Serpent)
午 ご うま 馬(the Horse)
未 び ひつじ 羊(the Sheep)
申 しん さる 猿(the Monkey)
酉 ゆう とり 鶏(the Rooster)
戌 じゅつ いぬ 犬(the Dog)
亥 がい い 猪(the Boar)
普通、十干と十二支とは組み合わせて用いられ、干支(かんし)を「えと」と称する事は前に述べました。
◆十二支獣の割り当て
抽象的な子・丑・寅・卯...に具体的な十二支獣が割り当てられた事は、十二支が子供にまで受け入れられた上で非常に大きな意味が有ります。この割り当て(=配当)が無ければ十二支はこれ程は普及しなかった、と思われます。
この配当の話は後漢の『論衡』(※3、※3−1)に載って居ます(西暦100年頃)。この話が中国だけでなくチベット/モンゴル/タイ/ベトナム/朝鮮半島/日本などの周辺国に伝わり、中国では猪→豚、ベトナムでは兎→猫、タイやベトナムでは牛→水牛という細部の変容は在りますが、十二支獣は確実に周辺国で定着しました。
(3)十干十二支(Chinese sexagenary cycle)
干支(かんし)又は十干十二支(じっかんじゅうにし)とは、十干と十二支を組み合わせたもの。甲子(きのえね)・乙丑(きのとうし)など60通りの組み合わせを年・月・日に当てて用いる。
これを本人の年齢に当て嵌めると、60年で十干十二支は元に戻る −60年サイクル− 訳で、これを還暦と言います。そして還暦を迎えた人は”生まれ直す”意味から「赤いちゃんちゃんこ」を着る風習が生じました。
・還暦(かんれき、one's 60th birthday)は、(60年で再び生れた年の干支に還るから言う)数え年61歳(今では満60歳)の称。華甲。本卦還(ほんけがえり)。「―の宴」。
・ちゃんちゃんこ(padded sleeveless kimono jacket)は、(子供用の)袖無し羽織。多く綿入れで防寒用。袖無し。季語は冬。
(4)十二支の時刻/方位
十二支は時刻/方位にも使われました。「子(ね)の刻」とか「丑寅(うしとら)の方角」(丑寅=艮(うしとら))とかで、これらはお年寄りや昔のチャンバラ映画が好きだった人にはお馴染みです。十二支の時刻/方位は江戸時代迄は正式な時刻/方位だったのです。
十二支の時刻/方位図(△1のp137)
(1)陰陽(the Yin and Yang principles/the male and female principles)
陰陽(いんよう)とは、中国の易学(※4)で言う相反する性質を持つ陰・陽2種の気。万物の化成はこの二気の消長に因るとする。日・春・南・昼・男は陽、月・秋・北・夜・女は陰とする類。日本に伝来して陰陽道(※5)と成ったが、この場合は「オンヨウ」又は「オンミョウ」と読む。
(2)五行(Chinese 5 fundamental elements)
五行(ごぎょう)とは、中国古来の哲理に言う、天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水の五つの元気。万物組成の元素とする。木から火を、火から土を、土から金を、金から水を、水から木を生ずるを相生(そうしょう)と言う。又、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に剋(か)つを相剋(そうこく)と言う。これらを男女の性に配し、相生の者相合すれば和合して幸福有り、相剋の者相対すれば不和で災難が来ると言う。
(3)陰陽五行説(combination of Yin and Yang principles
and Chinese 5 fundamental elements)
陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)とは、古代中国に起源を持つ哲理。一切の万物は陰・陽二気に依って生じ、「木・火・土・金・水」の五行中、木・火は陽に、金・水は陰に属し、土はその中間に在るとし、これらの消長に因って天地の変異、災祥、人事の吉凶を説明する。
中国伝来の讖緯説(※6、※6−1)に基づく辛酉革命(※6−2)という考え方が在り、干支が辛酉(しんゆう、かのととり)の年には元号(※7)の改元が良く行われました。
そもそも十二支は古代中国の天文学(←当時は占星術)と密接な関連が有ります。即ち、惑星中最大で黄道に沿って12年で天を一周する木星の運動に基づき天を12分割して考えたのが始まり(△1のp138)で、中国では木星のことを歳星(=歳を数える星)と呼びました。
占星術の詳論(=西洋占星術/東洋占星術)については▼下のページ▼を参照して下さい。
資料−天文用語集(Glossary of Astronomy)
【脚注】
※1:殷(いん)は、中国の古代王朝の一(BC1600〜BC1100頃)。「商」と自称(←「殷」は後代の周が名付けた)。史記の殷本紀に拠れば、湯王が夏(か)を滅ぼして創始。30代、紂王に至って周の武王に滅ぼされた。領域は黄河下流域が中心。殷の王は神の意を甲骨で卜占し、その結果を基に政治を行った。高度の青銅器と文字(甲骨文)を持つ。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1−1:甲骨文字(こうこつもじ、characters on animal bones and tortoise carapaces)とは、亀甲・獣骨などに刻まれた中国最古の体系的文字で、漢字の字形を示すものとして現存最古。骨を火で焼いて表面に出来る割れめの形で吉凶を占い、結果をその骨に記録したもの。殷代に多く、西周前半にも在る。中国河南省の殷墟から多数発見。甲骨文。殷墟文字。卜辞(ぼくじ)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※2:黄道十二宮/十二宮([こうどう]じゅうにきゅう、the twelve zodiacal signs, the 12 signs of the
zodiac)とは、獣帯を、春分点を起点として12等分し各区間に付けた名称でそれぞれに星座位置が対応して居る。十二宮と星座は春分点から白羊宮(牡羊座)・金牛宮(牡牛座)・双子宮(双子座)・巨蟹宮(蟹座)・獅子宮(獅子座)・処女宮(乙女座)・天秤宮(天秤座)・天蠍宮(蠍座)・人馬宮(射手座)・磨羯宮(山羊座)・宝瓶宮(水瓶座)・双魚宮(魚座)。
補足すると、この星座との対応は春分点の歳差の為に現在はズレが生じて居て、白羊宮には寧ろ魚座が対応して居ます。
※3:論衡(ろんこう)は、後漢の王充撰。30巻。元100編と言うも、今本は85編(第44編を欠く)。当時の有らゆる学説・習俗に対し独自の批判を記したもの。
※3−1:王充(おうじゅう)は、後漢の学者(27〜101頃)。字は仲任。会稽上虞の人。百家の言に通達。「論衡」30巻を著した。反俗精神に徹し、虚妄を憎み真実を愛した。
※4:易(えき、divination)とは、[1].易経(周易)のこと。
[2].又、易経の説く所に基づいて、算木(さんぎ)と筮竹(ぜいちく)とを用いて吉凶を判断する占法。上古、伏羲が初めて八卦(はっけ)を画し、神農が八卦を組み合わせて六十四卦と成したのに始まると言う。陰陽二元を以て天地間の万象を説明するもので、陰を示す陰爻「--」と陽を示す陽爻「―」を3つ重ねた八卦を基本とし、八卦を組み合わせた六十四卦に万象を含むとする。中国古代の宇宙観を示すもの。易占い。易学。「易者・易占」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※4−1:八卦(はっけ/はっか、fortune-telling on divination)とは、周易で陰陽の爻(こう) −陰爻「--」と陽爻「―」− を組み合せた八つの形象(=八象)。自然界・人事界百般の現象を象徴する。
※4−2:八象(はっしょう、eight divination signs)とは、八卦(はっけ)のそれぞれが象徴するもの。陰陽の爻(こう)の組み合わせに因り、下の8通りの象(しょう)が存在する。
爻 卦 象
陽陽陽 : 乾(けん) → 天
陰陽陽 : 兌(だ) → 沢
陽陰陽 : 離(り) → 火
陽陽陰 : 巽(そん) → 風
陰陰陽 : 震(しん) → 雷
陽陰陰 : 艮(ごん) → 山
陰陽陰 : 坎(かん) → 水
陰陰陰 : 坤(こん) → 地
※5:陰陽道(おんみょうどう)とは、古代中国の陰陽五行説に基づいて天文・暦数・卜筮・卜地などを扱う方術。大宝令に規定が在り、陰陽寮が置かれたが、次第に俗信化し、宮廷・公家の日常を物忌・方違えなどの禁忌で左右した。平安中期以後、賀茂・安倍の両氏が分掌。
※6:讖緯説(しんいせつ)とは、中国古代の予言説。陰陽五行説に基づき、日食・月食・地震などの天変地異又は緯書に拠って運命を予測する。先秦時代 −前221年の秦に依る統一国家成立以前の時期を指す− から起り漢代から盛行、弊害が多いので晋以後しばしば禁ぜられた。三革(さんかく)の年 −革令(甲子の年)・革運(戊辰の年)・革命(辛酉の年)の総称− には変事が多いとする説など。
※6−1:緯書(いしょ)とは、経書に付託して禍福・吉凶・祥瑞・予言(=讖(しん))を記した書物。経書に対して言う。詩緯・易緯・書緯・礼緯・楽緯・春秋緯・孝経緯(以上七緯と言う)など。孔子の作と言うが、前漢末の偽作。後に禁書と成り、今は佚文(いつぶん)を伝えるのみ。←→経書。
※6−2:辛酉革命(しんゆうかくめい)とは、中国古代の讖緯説に基づき、干支が辛酉の年には天変地異や変乱が起こるとする説で、次第に変乱の元を断つ為に革命(=運命を変革)するという考えが生じ、又変乱を避ける為に改元を行なった。
日本では神武天皇即位は辛酉の年とされ、平安前期に三善清行の上奏に拠り901年を延喜と改元して後、僅かの例外を除き、辛酉の年には歴代改元が有った。
※7:元号(げんごう、era name)とは、年に付ける称号。中国で、皇帝が時をも支配するという思想から、漢の武帝の時(西暦紀元前140年)に「建元」と号したのに始まる。日本では645年に「大化」と号したのが最初。天皇が制定権を持ち、古くは辛酉・甲子の年の他、即位(代始)・祥瑞・災異その他の理由に依ってしばしば改めたが、明治以後は一世一元と成り、1979年公布の元号法も、皇位の継承が在った場合に限り改めると規定。年号。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『現代こよみ[読み解き]事典』(岡田芳朗・阿久根末忠編著、柏書房)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):占星術の詳論▼
資料−天文用語集(Glossary of Astronomy)