−− 2004.01.18 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2004.10.10 改訂
■はじめに − 「占い」とは
巷では良く「星占い」(西洋の「星座占い」や中国起源の「九星占い」)や「血液型占い」、或いは「十二支占い」や「動物占い」などが在り、運勢や男女の相性などを、一定の方式で導き出し当たったとか当たらないで一喜一憂して居ます(→各種の占いについては【参考文献】△1などを参照して下さい)。まあ、当たる当たらないは兎も角、何人かで集まった時の会話の話題としては、恰好のネタでしょう。
「星占い」は誕生日を起点とする一種のバイオリズムであり、「血液型占い」は血液型に依る類型化(=パターン化)、「十二支占い」や「動物占い」も誕生日を元にして動物を割り当てているものが多く、これらは多数のデータを主観か客観かは別にして、統計的に幾つかのパターンに類型化したものです。
これに対し「コイン占い」や「トランプ占い」、或いは当サイトにも在る「おみくじ」などは偶然性に基づいたもので、テレビゲームの様に画面上で偶然性を作り出す(=シミュレーション)には乱数を使います。これが単なる全くの偶然に過ぎないならば、「占い」には成り得ないのですが、”その時その場所でその結果”が発生したのは単なる偶然では無く、そういう結果を生む運命の糸と結ばれて居るのだ、と考える事に依って「占い」が成立します。こういう考え方を日本では縁(えん、えにし)と呼びます。
この様に統計的(=経験的)なものと偶然的(=即興的)なものとに大別されますが、何れにしても、「占い」とは、何が起こるか解らない近未来の無限に未知な事象の可能性を、経験や即興に依って有限の分岐パターンの中に類型化して見せることなのです。従って「有限の分岐」の数が余り多くては意味を成しません。西洋占星術でも12の類型、東洋占星術(九星術)が9つの類型、と大体は10前後の類型化が多いのもその為です。コイン占いなどはたった2つ(表か裏)です。類型の数が多過ぎると、「個々の特徴の差異」が曖昧に成り無意味なのです、類型化する意味は「個々の特徴の差異」を炙り出すことに在るからです。そういう意味でエルニーニョの「おみくじ」は単純な4つの類型なのです、ムッフッフ!
この「有限の分岐」に依拠して未来を確実に当てることは出来ませんが、”見通し”を付けることは出来ます、或いは”見通し”が付いたと安心出来る効果は有りますね、実際には後者の心理的効果の方が大きいと思えます。
さて、日本人は良く農耕民族と言われますが、各民族(※1)の持つ特徴(=民族性、※1−1)を比較文化学的に分析・抽出し類型化して、「血液型占い」や「県民性性格診断」と同じ様にパターン認識出来る様にして、そこから各民族のホンネ(本音)を引き出し共存共栄の付き合い方、即ち民族共生に役立てようと試みたのが、この論考です。
この方法論を取り敢えず私は「比較民族学(Comparative Ethnology)」(※1−2)と呼びますが、これから開示する分析と類推は勿論、私の”独断と偏見”です。従ってここで述べた事を皆さんに押し付ける気は毛頭有りませんが、今後私の論考の中で「××民族」という言葉が出て来たら、このページを参照して下さい。
■民族の特徴の類型化
民族を厳密に定義するのは大変難しい事で、分類法にも人種的なものや地理的なものや血統的なものなど、様々です。競馬のサラブレッド(※2)では血統的な分類が主流ですね。
難しい事は学者センセに任せて、ここでは世間で良く言われる生活様式から来る分類法である、狩猟民族(※3)/農耕民族(※3−1)/遊牧民族(※3−2)という3つの分類法に従って分析し類型化してみましょう。
狩猟民族は肉は原野の狩りで調達し、穀物は他人の土地に踏み込んで略奪するので古来から自分の行為が”泥棒では無い”と説明する必要が有り、その為に説明癖が付きDNAに定着した様に思われます。「生きることは制服すること」であり、常に「仮想敵」をイメージし武器の開発に余念が有りません。土地に執着は無く、交易で穀物を得る為に常に”豊かな土地”を求め積極的に移動し、しばしば原住民を奴隷化し植民地とします。その為”移動”が本分の様に成りますが生活は定住的です。近代的な「乗り物」を開発したのは彼等です。その所為か「武器付き乗り物」が大好きで、”オイシイ物”の在り処を探る情報収集力と行動力(=戦闘力)に長けて居ます。近代以降は生活は農耕民族と大して変わらなく成りましたが、上の諸特徴は彼等の本性(ほんしょう)(※4)なので抜けないのです。
農耕民族は”母なる大地”の一部である自分の土地から収穫するので、”口は物を食う為にだけ動かす”という、エネルギー消費極小化の原理が働いた為に説明下手に成ったとも思われます。その分土地への執着は大きく土地と祖先を結び付け神格化し、収穫出来ない土地でもしがみ付いて離れず飢え死にしたりします。生活は慎ましく自給自足的な点から考え方は閉鎖的です。種を蒔き耕すので忍従的で争いを好まず、武器は農具の転用で防衛的です。生活全般に於いて受動的・共生的で多神教的です。主食が米食か麦食かで違いを呈し、食の回路が米食民族(←主に東南アジア・東アジアに限定)は自己完結的ですが麦食民族は狩猟民族や遊牧民族と相互補完的です。エジプト人はハム語族(※5)の代表です。
遊牧民族は狩猟民族が”牧化”したもので、狩猟/農耕民族の両者の性格を合わせ持って居ますが、地(じ)の性格は狩猟民族的です。従って農耕民族の様に真面目に働くことは嫌いです。武器には執着しますが交易で狩猟民族から手に入れます。一番特徴的なことは家畜が主体だという事です。家畜に従い棲み処(すみか)を移動し移動範囲は可なり広いのです。彼等が執着するのは土地では無く家畜で、家畜は”財産”であり、それを守る為に同族意識が強く、更に”財産”への執着はやがて貨幣への執着に直結します。説明力は両者の中間で、狡猾な性格から外交よりも商人向きです。
又、騎馬民族(※3−3)という表現で呼ばれるユーラシア北部の民もここに属し、当然乍ら騎射(※6) −馬に乗り弓矢を放つ技− が得意です(△2のp17、81)。特にパルティア(※6−1)の騎馬兵の後ろ向きに射るパルティアン・ショット(※6)は有名で右の写真はパルティアン・ショットをデザインして居ます(△3のp21)。日本では流鏑馬(やぶさめ)(※6)が在ります。
遊牧民族の中でユダヤ民族だけは特筆に価します。貴金属以外には目も呉れず、貴金属に対する”嗅覚”は犬を遥かに凌駕し、彼等の鼻は鷲鼻(或いは鉤鼻、又は”ペニス鼻”とか”マネー探知機”)と呼ばれます。しかし犬の様に人前で探知することは無く、密かに探知し同族のみで富を独占します。その同族シンジケートの掟(おきて)がユダヤ教で、厳格な規律と選民思想(←裏返すと差別的)と独特の慣習(割礼・豚忌避思想など)に貫かれて居ます。近代以降はエネルギー資源も押さえ、しばしば「死の商人」と呼ばれるのも大方は彼等です。割礼・豚忌避思想などはイスラム教徒に受け継がれて居ます。ユダヤ人とかアラブ人をセム語族(※5−1)と呼びます。
以上が類型化した特徴で、信奉するトーテム(※7)に於いても鮮明な対照を示します。そして主に自給自足が成り立たない狩猟民族側の必要性から、これら3民族が互いに「交易」を始める様に成ると、武器を持ち交渉術に長けた狩猟民族が優位に立ち、やがて世界を支配する様に成りました。その結果、現在の世界は概ね以下の様な図式に括って表すことが出来ます。
<民族の特徴の類型化の図式>
狩猟民族 → 戦略的開拓者:[頭:情報]左手に武器を持ち右手で握手
(支配者・政治家)[主食:有らゆる肉、副食:麦と野菜]
[気質:進取的・指図的]消費型
[トーテム:鷲や鷹]父性原理、即断的
= 現時点の「世界の覇者」
遊牧民族 → 戦術的迎合者
(経営者・商人)
┌ユダヤは金融:[鼻:嗅覚]マネーを嗅ぎ当てる
└その他は貿易:[舌:二枚舌]右から左への横流し
ユダヤ人/アラブ人:セム語族
[主食:牛・羊の乳製品と肉、副食:麦と野菜]
[気質:二股的・懐疑的]交換型
[トーテム:牛・羊や馬]両性具有、日和見的
(外面は父性的)
農耕民族 → 農工業労働者:[全身や手足:労働]真面目で勤勉
(サラリーマン)[主食:米/麦、副食:豚・鶏・魚と野菜]
┌東南アジアは米食→食の回路が自己完結的
└その他は 麦食→非農耕民族と補完的
エジプト人:ハム語族
[気質:保守的・忍従的]生産型
[トーテム:蛇や龍]母性原理、優柔不断
そして上の類型が各民族の思考パターン(或いは発想法)の土台を形成して居ることが理解出来ると思います。
■考察 − 今日的文明の”在り様”の「民族占い」
上のパターン化は我乍ら良く出来ていると思いますね。世界の65億以上と言われる人間を全てこの3つのパターンに押し込めて仕舞う訳ですから、大雑把で荒っぽいにも拘わらず、中々それぞれの特徴を良く”炙り出して”いると思います。そこで、今日的文明の”在り様”を「民族占い」で占ってみましょう。
今日の”使い捨て”消費文明は、狩猟民族の”食い散らかし”の食習慣に端を発して居ます。狩猟民族は明日食料に在り付けるかどうか不確かな為、食える時に素早く食い、残飯を遊牧民族の様に家畜に与えるとか、農耕民族の様に肥料に利用するとかの「再生・循環」という発想が無いので”食い散らかし”たら直ぐに移動して行きます、そこには「勿体無い(もったいない)」という概念など無いのです。消費文明=先進国的と見做されて居るのは現時点の「世界の覇者」が狩猟民族上がりで、古来から消費が彼等のスタイルだったからです、そして戦争こそ窮極の消費活動なのです。
今日の世界が「力の論理」に依存して居るのも現時点の「世界の覇者」(=狩猟民族)が古来から力に依拠して来たからです。それは「弱肉強食」の論理であり、「感謝の心」や「知足の心」(※8)とは対極の”空腹の闘争心”です。そしてその闘争心を養うのが主食としての「肉食」です。格闘技の選手などは、試合の前日に肉を食って闘争心を高めて居ますね。
現時点の「世界の覇者」(=狩猟民族)が直ぐに”Yes/No”を迫るのも、狩猟民族の即断的な生活習慣に依拠して居ます。別のページで既に指摘して居る様に、言語構造は思考パターンの反映なのです。
現時点の「世界の覇者」(=狩猟民族)が常に「仮想敵」を想定して武器を開発し、現実にも敵を創り出しこれを攻撃するのは”狩り”の延長であり、それこそは狩猟民族の本能又は本性(ほんしょう)(※4)でしょう。現時点の「世界の覇者」(=狩猟民族)は古来から物を蓄えたりする習慣が無い為に戦いに感(かま)け過ぎると直ぐに財政赤字を来しますが、そうなると昔は農耕民族の田畑から武力で略奪して居ました(=ハードコア、※9)が、今では日本の様な国から政治的な手法で赤字を補填させます(=ソフトコア、※9−1)。
この様に見ると今日の文明の”在り様”は全て現時点の「世界の覇者」が狩猟民族であることの当然の帰結である、ということが容易に透けて見えて来ます。と同時にこの文明の”在り様”は狩猟民族が「世界の覇者」で在り続ける限りは変わらないということも理解出来るでしょう。
■結び − 民族心理学としての「民族占い」の有用性について
この様な文明の”在り様”を論じている学者や評論家の文章は、外国の文献を沢山引用し難しい言い回しで長たらしく論述した挙句、何処に結論が在るのか判り難い場合が多いのですが、上に提示した3パターンの類型化に依り意外と簡単に結論が導き出せます。荒っぽくても「結論を引き出せる」といのが大事な点で、ここに「民族占い」の有用性が在る、と考えますがどうでしょうか?!
「民族占い」の応用は今後の論考の中で機会有る毎に試してみる積もりです。私は更に同じ農耕民族の中での「漢民族と日本人」との考え方の違いについても論じて居ます。
皆さんの身の回りの友人たちの中にも、狩猟民族的な性格の人間や遊牧民族的な顔をした人間などが居ると思います。「百姓面(ひゃくしょうづら)」などという言葉も在る位です。色々な場面で”遊び”として試してみて下さい。
尚、私は「民族占い」ということで敢えて宗教を排除しました。余り前提を複雑にすると結論が引き出せなく成るからです。世界の宗教に関しては【参考文献】△4を挙げて置きます。
ここで提示した「民族占い」は、実は心理ゲームの一種で各民族の「深層心理」(※10)を”炙り出して”いるのです。そこにはそれぞれの民族の持って生まれた「本能」が投影されて居ます。人が何かの行動を決断する時は、口でどう言おうがタテマエ(建前)がどうであろうが、最後は無意識の「深層心理」で決断します。それは過去の歴史、特に「戦争の歴史」を辿ってみれば解るでしょう。そこでは数々の裏切りや同盟の破棄が行われて居ます。そこには何としてでも生き延びよう、勝ち抜こうとする、人間のホンネ(本音)が有るのです。「民族占い」が「結論を引き出せる」のはこのホンネの部分を照射して居るからなのです。
つまり「民族占い」は「民族心理学(Ethnical Psychology)」そのものであり、人種的に類型化を進めて行けば、既に掲示板で議論を展開した「人種心理学」も成り立つでしょう。従って「民族占い」は比較文化学と深層心理学(※10−1)を組み合わせた角度からの思考パターンの切断面を表に曝し、「タテマエの底に眠るホンネを炙り出す学問」です。そして用法を誤るか作為的に用いると民族蔑視や人種偏見に繋がる危険な学問とも言えますが、しかし冷徹に外国人の特性を把握しないと日本は国際社会で”舐められる”だけに成ります。今既に舐められて居るのは、この様な冷徹な眼を持たないからなのです。現時点の「世界の覇者」(=狩猟民族)は詳細にこの分野の研究を積み重ね、各国に応用して居ますよ!!
【脚注】
※1:民族(みんぞく、ethnic group)とは、文化の伝統を共有することに依って歴史的に形成され、同属意識を持つ人々の集団。文化の中でも特に言語を共有することが重要視され、又、宗教や生業形態が民族的な伝統と成ることも多い。社会生活の基本的な構成単位であるが、一定の地域内に住むとは限らず、複数の民族が共存する社会も多い。又、人種・国民の範囲とも必ずしも一致しない。
※1−1:民族性(みんぞくせい、ethnicity)とは、個々の民族に特有と見做される性格。
※1−2:民族学(みんぞくがく、ethnology)は、民族文化の特質を歴史的に、又は他文化との比較に依って研究する学問。個々の民族の起源・系統・類縁関係・影響関係などを究明する歴史民族学的な方法と、個別の民族文化の記述・分析を重視する方法とが在る。
※2:サラブレッド(thoroughbred)は、(「純血」の意)[1].イギリスで、16世紀にアラブ種(=アラビア馬)を基に作出した競走馬。体高約160cm。体形は優美で「走る芸術品」と呼ばれる。純血種。
[2].比喩的に、血統・家系の優れたもの。「政界の―」。
※3:狩猟民族(しゅりょうみんぞく、hunting tribe)は、野生の獣や鳥などの捕獲を生活の基盤とした民族。人類の歴史に於いて最も古くから在る形態。広義の採集民族の1つ。エスキモー(=イヌイット)/極北の北米インディアン/アフリカ原住民/南米原住民/オーストラリアの先住民(=アボリジニ)など。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※3−1:農耕民族(のうこうみんぞく、agricultural tribe)は、農耕を経済基盤とする生活を営む民族。主に温帯/熱帯地方に分布する。地域的に麦/稲/トウモロコシ/イモ栽培に大別され、その計画的な生産/技術の発達が都市/国家の形成を促した。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※3−2:遊牧民族(ゆうぼくみんぞく、nomadic tribe)は、ウシ/ヒツジ/ヤギ/ヤクなどの家畜を移動させ、遊牧し乍ら季節的/周期的に移動する民族。農耕生活を営む定着民族とは全く異なる文化圏を形成。その住地は農耕の営めない中央アジア/チベット高原/イラン/アラビアなどの草原/乾燥/半砂漠地帯。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※3−3:騎馬民族(きばみんぞく、equestrian people)とは、中央アジアなどに住み、馬の機動性を利用して遊牧と軍事力を発展させ対外進出を行なった遊牧民族。西方のスキタイ/フン、中央の烏孫(うそん)、東方の匈奴(きょうど)/烏桓(うがん)/鮮卑/突厥(とっけつ)/ウイグル/モンゴルなど。夫余(ふよ)/高句麗/渤海/女真などを加えることも有る。
※4:本性(ほんしょう、true character)とは、(古くはホンジョウとも)[1].生れ付きの性質。本来の性格。天性。源氏物語真木柱「―はいと静かに心よくこめき給へる人の」。「―を現す」。
[2].本心。正気(しょうき)。義経記7「程なく酒気(さかけ)には―をただすものなれば」。日葡辞書「ホンシャウヲウシナウ」。
※5:ハム語族(―ごぞく、Hamites)とは、エジプトを中心に北アフリカに広がる語族の旧称。エジプト語/リビア語/ベルベル語/クシ語などが系統的に密接に関連していると看做しての、セム語族に対する称。今日ではセム語族と合せてアフロ・アジア語族と総称される。
ハム(Ham)は、旧約聖書の中のノアの子の1人。エジプト人/クシュ人らの祖先とされる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※5−1:セム語族(―ごぞく、Semites)とは、〔言〕アフロ・アジア語族の一語族。北アフリカから西南アジアに掛けて分布。現在用いられているヘブライ語/アラビア語などの他に、古代フェニキア語が含まれる。
セム(Sem)は、旧約聖書の創世記の中のノアの長男。大洪水後、親に孝を尽くした。アッシリア/アラム/イスラエル(ユダヤ又はヘブライ)人の祖先とされる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※6:騎射(きしゃ、shooting on horseback)とは、騎馬で行う射術。古代、5月5日に朝廷で行われた馬弓(うまゆみ)や、武家で行われた犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)・流鏑馬(やぶさめ)の類。外国では、特にパルティア軍が用いたパルティアン・ショット(Parthian shot)と呼ばれる後ろ向き騎射法は有名。←→歩射(ぶしゃ)。
※6−1:パルティア/パルチア(Parthia)は、古代西アジアの王国(B.C.238〜A.D.226)。イラン系遊牧民の族長アルサケス(Arsaces)が、前3世紀中葉セレウコス朝の衰微に乗じて、カスピ海の南東岸地方に拠って独立。A.D.226年ササン朝に滅ぼされた。中国の史書では、安息国と記す。アルサケス朝。
※7:トーテム(totem)は、社会の構成単位と成っている親族集団が神話的な過去に於いて神秘的・象徴的な関係で結び付けられて居る自然界の事物。主として動物・植物が当てられ、集団の祖先と同定されることも多い。
※8:知足(ちそく)とは、[老子第三十三章「知足者富」]現状を満ち足りたものと理解し、不満を持たないこと。
※9:ハードコア(hard-core)とは、[1].中核。
[2].性的描写が極端に露骨な小説・映画。「―・ポルノ」。
※9−1:ソフトコア(soft-core)とは、小説・映画などで性描写が露骨で無く暗示的なもの。
※10:深層心理(しんそうしんり、deep psychology)とは、人間の精神活動の内、意識されて無い心的領域、即ち無意識の心の動き。ヨーロッパではフロイトが初めて注目。
補足すると、フロイトは無意識を特にリビドー(性欲衝動)との関連で解明を試みました。しかしアジアでは古代インドの唯識派が阿頼耶識(あらやしき)という言葉で無意識下の心を分析して居ます。
※10−1:深層心理学(しんそうしんりがく、depth psychology)とは、心理学の一分科。人間の精神活動の中に大きな部分を占める無意識の世界を研究し、日常の精神的現象をこの無意識に依って説明する。スイスの精神医学者ブロイラーの命名。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『占いを始める人のために』(國生稔貴著、池田書店)。
△2:『騎馬民族国家』(江上波夫著、中公新書)。
△3:『(総合)新世界史図説−十四訂版』(帝国書院編・発行)。
△4:『世界の宗教と経典 総解説』(自由国民社編・発行)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):星占いや占星術の用語▼
資料−天文用語集(Glossary of Astronomy)
@補完ページ(Complementary):民族心理学の食への応用
(イスラム教徒の割礼や豚忌避思想)▼
昆明の「清真」通り('Qingzhen' street of Kunming, China)
@補完ページ(Complementary):民族心理学の政治への応用▼
狩猟民族国家アメリカの本性(United States of Hunting people, America)
@補完ページ(Complementary):人種心理学の試み▼
日本産アヒルと米国産白鳥(Japanese duck and American swan)
猫が十二支に入れなかった理由▼
2006年・年頭所感−十二支と猫
(Chinese zodiacal signs and Cat, 2006 beginning)
主観と客観▼
客観主義のエルニーニョ的転回(ElNino-like change of objectivism)
私の「共生の哲学」▼
2003年・新型肺炎SARSとは?!(The SARS, new pneumonia, 2003)
流鏑馬(やぶさめ)の図▼
生国魂神社と上方芸能(Ikutama shrine and entertainments, Osaka)
ペニスに譬えられるユダヤ人の大きな鼻▼
ペニスの商人考(About the PENIS broker)
DNAの構造や「勿体無い」と思う心▼
2004年・年頭所感−業を宿したDNA
(Sinful structure of DNA, 2004 beginning)
”空腹の闘争心”と対極の「感謝の心」▼
2003年・年頭所感−感謝の心を思い出そう!
(Be thankful everybody !, 2003 beginning)
言語構造は思考パターンの反映▼
「言葉遊び」と遊び心(The 'play of word' and playing mind)
農耕民族同士の「漢民族と日本人」の考え方の違いについて▼
「肉を食らう」ということ(Carnivorous life)
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ようこそ【エルニーニョの世界】へ(Welcome to ElNino's world)