-- 2005.06.23 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2015.06.23 改訂
■討論内容と投稿者
本コーナーに私の論考が載る事は少ないのです。それ故に今回はシルクロード学会や看護婦協会の他、モサド、オデッサ機関、KKKなどの行動部隊が注目して居ます。しかし当ページは05年6月23日に「独言・その1」を書いた所で中断して仕舞い、その内に当ページを書き掛けである事を忘れて仕舞いました。まぁ、私の場合こういう事が良く在るのです。そして或る日突然思い出し2014年2月5日から「独言・その2」の前半と「独言・その3」を書きました。「独言・その2」の後半は14年10月10日から書き始め、漸く15年6月23日に書き終えました...(>_<);。
当ページは「超甘お喋り」(=「掲示板のおちゃらけ議論」)で良く熟考を重ねた貴重な、即ち希少なページと申せましょう。大体が「超甘お喋り」は「口から出任せ」、相手が「ああ言えば、こう言う」式に、話題を掻き混ぜ捏ね繰り回して、議論の内容よりもテンポとリズムで持っている様なものです。その点、今回の「超甘お喋り」は「独言」と称して、一人で黙考するスタイルを採って私の考えを披露している訳です。私の論考を発表する場は「激辛論考」と、この「超甘お喋り」(=「掲示板のおちゃらけ議論」)の2つが在ります。両者の使い分けは
激辛論考 あっちの水は辛いゾ
超甘お喋り こっちの水は甘いゾ
と成って居ます。
「ペニスの商人考」というのが今回のテーマですが、後宮/宦官/去勢/インドのヒジュダ/カストラート/スコプチ(去勢教)などを扱います。そしてナイチンゲール・ロードを提唱し、はたまた「シェークスピア=フランシス・ベーコン説」についても言及します。そして最後にシェークスピアの『ヴェニスの商人』の秘密についても語ります。当ページの様な内容は「超甘お喋り」で扱う方が断然扱い易い、という事は解って戴けると思います。
貴方(貴女)も心を開き超々甘い当ページで”知の遊び”を、ど・う・ぞ・お・楽・し・み・下・さ・い!!
投稿者▼
[1]:私
[2]:弟子(=T-SEX氏)
■独言・その1...(*_-)
◆◆◆話の前提
フムフム。
先ず予備知識として後宮(※1~※1-3)や宦官(※3)について説明しなけれなるまい。
(1)宦官と後宮
昔中国やアジアの専制国家で「宦官」 -閹官(※3-1)とか閹人(※3-2)とも言う- という宮廷に仕える去勢された男(※4)の官職が在ったことは皆さんも歴史の授業でご存知じゃろう。日本では一般には中国の宦官制度しか知られて居らんが、これはメソポタミアからエジプト、ギリシャ、ローマ、サラセン(※5~※5-1)、ペルシャ、インド、そして中国に掛けて、広範な地域で取り入れられた制度じゃった。因みに、元々去勢とは家畜の改良の為に開発された技術じゃ。宮刑(※3-3)に処せられた者も宦官にされたのう。
宦官の仕事の中心は後宮(=日本の大奥に相当)、即ち専制君主の妾たちの身の回りの世話や、その妾に成る人材 -少女(※1-4)に限る- を支配地域の全土から発掘しスカウトして来ることじゃ。妾と言っても2号や3号所じゃあ無い、数10人から数100人も居るのじゃ。しかも例え”性の戯れ”からでも”身籠れば女の勝ち”、更にその子が男で世継ぎにでも成ったら、その権力たるや正室(=正妻)以上じゃ。昔は君主の正式な妻だから”正妻”に成るのでは無く世継ぎを産んだが故に正妻に成るのじゃ。これは日本の大奥制度と全く同じじゃ。
日本では大奥の世話は女官が行ったのじゃが、古代~中世の専制国家では男性の宦官が後宮を取り仕切ったのじゃ。だから或る宦官がスカウトして来た少女が教養を身に付け君主に寵愛される様に成れば、その宦官の地位も向上し、万一その女性が世継ぎを産んだりしたら、その宦官の権力も絶大に成るという訳じゃ。何しろ「事実上の正室の後見役」じゃからのう。事実中国では一時期宦官が絶大な権力を奮い国を動かした時代も在ったのじゃ。
(2)去勢について
「去勢の詳細」については後で論ずることにしよう。ここでは、どんなものが有るか、項目を列挙するに留める。即ち去勢手術、宦官制度、インドのヒジュダ、カストラート、スコプチ(去勢教)etcじゃ。
◆◆◆宦官の生産と流通
さて以上が去勢手術、即ち宦官”生産”のあらましだが、古代の技術では1/2位が失敗し、その半分以上が死に至る、大変危険な手術だったのじゃ。その内、西アジアに「腕の良い去勢手術師」が居るという噂が広まり、やがて西アジア地域で宦官が一括”生産”されて、中央アジアの商人や人夫の手で”流通”されて来る様に成ったのじゃ。その内ギリシャ人(※7)が目を着け、今日のレバノンの北のサルディス/サルデス(※9~※9-4)というギリシャ人の入植地で宦官”生産”に乗り出したのじゃ。
[ちょっと一言] 『宦官(かんがん)』(△1)という本には次の様に書かれて居ます、即ち「この征服と合わせて考えられることは、種族の復讐によるものであろう。ヘロドトス(※11)によると、ギリシア古代のコリントの僣主ペリアンデルは、殖民都市であるコルキアの貴族の子を選んでサルデスに送り、去勢させたが、それはコルキアが彼に残虐をきわめた行為をなしたその復讐のためであったとされている。...<中略>...この反面、自己の血族は絶対に去勢しないという鉄則があったのである。...<中略>...その宦官特有な生理的変化とあいまって、そこに、人間社会に無縁な一箇の家畜的人間が出現するのである。」と(△1のp21)。サルディス(又はサルデス)(※9)は小アジア(※9-1)のリディア王国(前680頃~546年、※9-2)の首都でした(△3のp13)。
ヘロドトスの『歴史』からの引用部分を詳しく見ると、「ペリアンドロス(=僭主ペリアンデル)が、ケルキュラの上流の家庭の男児300人を、宦官にするためにサルディスのアリュアッテスの許へ送ったことであった。」と在る(△4のp313)。ここでアリュアッテスはリディア王国最後のクロイソス王(※9-3)の父王じゃ(△4のp12)。ワシは去勢する為にサルディスへ送られたのは10人位かと思って居ったのだが300人とは驚いたわい、やはり原典を当たるのが正解じゃな。このアリュアッテス王の許に子供を300人も処理する「腕の良い去勢手術師」が居ったのじゃ(△1のp6)。だが300人去勢手術をしても250人位が成功し、後は残念乍ら廃人に成るか御陀仏なんじゃ!{この「ヘロドトスの『歴史』からの引用部分」は05年7月14日に追加}
乗り出したと言っても、”労働嫌い”のギリシャ人が自分で働く訳が無い。ギリシャ人は西アジア人にヒポクラテス流医術を伝授し、自分たちの利幅を大きくさせる為、運び屋の人夫にはアフリカから奴隷を買って来て宛がい、中央アジアの商人には道案内だけをさせ、ユダヤ人(※12~※12-5)に”生産管理と流通”の一切をまかせたのじゃ。実はユダヤ人のディアスポラ(※12-6)は既に始まっていたのだが、このサルディスこそ「さ迷えるユダヤ人」の集落地だったのじゃ。当時100万人ものユダヤ人がここに居ったとも言われて居る。
ユダヤ人は根っからの商人じゃ、金(カネ)にはねちっこくしつこい。宦官一人一人を”安く生産して高く売り付ける”細かい技には長けてるのじゃ。ギリシャ人はああ見えてもやはりラテン人、「グロス(gross)で何ぼ」というアバウトな商売しか出来ん。それを自分でも充分承知して居たギリシャ人は細かい事の一切をユダヤ人に任せ、言わば資本家に徹して、果樹園でオレンジを食べたり、葡萄酒飲み乍ら少年愛に耽けり、ユダヤ人が宦官を売って帰るのをひたすら待つことにしたのじゃ。ワシはこれは賢明な選択じゃと思って居(お)るぞ、それぞれの得意分野で提携した方が良いのじゃよ。
序でにギリシャに苦言を呈して置こう。少し前に”労働嫌い”のギリシャ人と言ったが、あれだけの古典文明(※7) -四大文明(※8、△5のp6)に匹敵する程の都市文明、ギリシャも古典文明に先行してミュケナイ文明(※8-1~※8-2、△5のp11)が在ったのじゃ- を築き乍ら、以後は悉(ことごと)く低迷して居るのは偏(ひとえ)に”労働嫌い”だからじゃ。もっと必死に働かなくちゃアカン、あの世でソクラテスが泣いて居るゾ。日本を見よ、今日繁栄しているのは勤勉に働くからじゃ。尤も、それ以外は取得が無いがのう、ムニャムニャ...。
前置きが長く成ったが、「ペニスの商人」の話はここから始まるのじゃ。
◆◆◆ペニスの商人
サルディスを出発したユダヤ人をリーダーとする隊商は、宦官を連れ専制国家の国々 -その中にはペルシャやインドも含まれて居ったろう- を経て遥々唐の長安迄旅をしたに違い無い。途中後宮に入れる少女も物色し乍らのう。中には自分が”手を付けた”少女を売り付ける悪いヤツも居った様じゃ。しかし向こうもバカでは無い、少女を買う前に「未通女(をとめ、おぼこ)」 -「未通女」を「をとめ」と詠んでいる万葉歌が在る- かどうかの検査でバレて逆に首を切られたヤツも相当居るわい。ま、そんな事が無くても当時の旅、特に幾つもの異民族の間を縫って行かねば為らない長旅は命懸けだったのじゃ。
そして帰りも空の荷車引いて帰るのでは無く、宦官候補者を調達して帰るのじゃ。この方式を後に日本の近江商人が真似た訳じゃ、「持ち下り荷」と「登(のぼ)せ荷」と言ってのう(△6のp43、47~48)。「近江泥棒伊勢乞食」(△6のp11~12)という言葉を知って居るか?、ムッフッフ!
しかし”命を売って”旅した分、無事帰れればボロく儲かったのも肯ける話じゃ、あながち彼等を悪徳商人呼ばわりすることは不当じゃゾ。考えても見ろ、今の甘ったれたオタク社会の中で「命を売る」覚悟の出来てるヤツが何人居るのか?
こうしてペニスを切り取る商人、切ったペニスを売り歩く商人、ペニスを切られた男(宦官)を売り付ける商人、ペニスの様に高い鼻をしたユダヤ人に率いられる商人、として何時しか彼等のことを
ペニスの商人(PENIS broker)
と呼ぶ様に成ったのじゃ。
因みに、ユダヤ人の鼻は俗に鷲鼻(=鉤鼻)と呼ばれて大きい。天狗のモデルは猿田彦だとする説も有るが、日本の神道系オカルト学(※14)の一説では天狗のモデルはユダヤ人である、とも言われて居るゾ、ムッフッフ!
◆◆◆仮説「ナイチンゲール・ロード」の提唱
ところでじゃ、「ペニスの商人」は帰路は当時シルクロード(絹の道)として開けていて安全な天山南路などを通ったに違い無いが、往路は宦官を専制君主に売り付ける為、メソポタミアやペルシャや今日のアフガニスタンやインド北部へ寄ったのじゃ。インドから長安へは玄奘(※16~※16-1)がインドへ行った道を逆に辿ったのかも知れんが、兎に角ワシはインドから先はシルクロードとは異なる道を行ったに違い無いと思って居(お)るのじゃ。
ワシは「ペニスの商人」が宦官を売り捌いて歩いたこの道を
ナイチンゲール・ロード(Nightingale road)
と名付けたい!
ナイチンゲールと言っても「夜鳴きうぐいす」(※18)とか言う小鳥でも無く、あのクリミア戦争(※18-1)の看護婦(※18-2~※18-3)から採った名でも無い、お解りかの?、ムッフッフ。当サイトは@想像力のワンダーランド@、想像力を充分に膨らませて考えてみる事じゃ。
5分考えても解らない人は仕方が無い、下のボタン▼をクリックしなさい。
{この「独言・その1」は05年6月23日に書き始め、05年7月14日に最終更新}
■独言・その2...(*_-)
◆◆◆去勢の詳細
(1)去勢手術 - 完全去勢と不完全去勢
去勢(※4)についての詳細を述べることにしよう。皆さんに知って置いて貰いたい事は「独言・その1」で述べた通り「去勢とは家畜の改良の為に開発された技術」なのじゃ。例えば牛の雄(♂)は元気の良い少数の「種牛」(※4-1)を除いて、他は全て去勢するのじゃ。すると肉は柔らかく成り旨くなるのじゃ、雌(♀)は乳牛じゃな。羊や豚や馬など、家畜は肉質改良の為に日常的に去勢されて居るんじゃ。この事を頭に入れて以下の文章を読んで貰いたい。
人類が去勢の技術を開発したのは有史以前じゃよ。以下は人間の去勢について述べる事にしょう。男性は睾丸(キンタマ)と陰茎(チンボコ)、女性は卵巣と陰核(クリトリス)じゃ。睾丸と卵巣を除去すれば断種(※4-2)は出来るので、不完全去勢では陰茎とクリトリスは残すのじゃ。これを図式に表すと▼下▼の様に成る。
断種 完全去勢 不完全去勢
男性 睾丸除去 断種+陰茎(チンボコ)除去 断種+陰茎は残す
女性 卵巣除去 断種+陰核(クリトリス)除去 断種+陰核は残す
不完全去勢は後出のカストラートの場合など残す場合が多かったのじゃ。中国の宦官の中には不完全去勢の宦官が居ったらしい、即ち「玉は無いがチンボコは有る」パターンじゃ。これは玉が無いので射精は出来んがチンボコは勃起が出来て女性に挿入も出来るんじゃよ。これは皇帝の奥方の慰み者に成ったり、ませた貴族の娘などの”密かな需要”が在ったそうじゃ、何しろ妊娠する心配が無いからのう、ウィッヒッヒッヒ!!
(2)約1850年以前は麻酔が無かった
- 体がデカく手術が早いのが外科医の条件
ここで大事な事が有る。去勢は外科手術が必要なのじゃが我々人類が麻酔技術を手に入れたのは約1850年の事なのじゃ。『外科の夜明け』という本に拠れば、「1846年10月16日、ボストンのマサチューセッツ総合病院の手術室で行われた、麻酔法による最初の無痛手術の成功がそれです」と書いて在る(△7のp5)。その手術の詳細は△7のp132~140に書いて在る。そして麻酔薬は「硫黄性エーテル」と在る(△7のp139)。この頃は色々な麻酔薬が試され1844年には「エーテルと阿片との混合物」が試されて良好な結果を得て居る(△7のp112)。
そもそも麻酔薬が無い時代は外科手術と言ったら、体のデカい医師が1秒でも短く手術を終える事が”良い外科医”の証明だったのじゃ。その訳は明瞭だろう、外科は痛かったし患者が暴れるのを防ぐ為、医者の方も”体”が要求されたのじゃ。『外科の夜明け』にも図で示されて居る(△7のp19)。だから1850年以前は麻酔薬が無いのじゃ。因みにF.ナイチンゲール(※18-2~※18-3)は看護婦として1854年~56年、クリミア戦争(※18-1)で傷病兵の看護に当たったが麻酔無しの状態じゃった。
じゃから、一口に去勢手術と言うが去勢手術は大変危険が伴っていたのじゃ。それ故にサルディス(※9)の様な都市に「腕の良い去勢手術師」が居るという事が解れば、その情報は直ぐ広まるのじゃ。
(3)気絶は天然自然の麻酔
ところで気絶(※19)という言葉が在るが、ワシは気絶は天然自然の麻酔だと思うよ。何故ならば、△7のp19に在る様な腕の切断を麻酔無しで遣られて見よ。痛い!!、と声を上げて仕舞うゾ。ところが、こういう時に人間は気絶して仕舞う事が多いのじゃ。するとその間は気を失って居るから麻酔で寝ているのと同じ状態なのじゃ。多分、猫でも気絶すると思うゾ。この「気を失う」という事は実に素晴らしい事だと思わんかね。
尤も、何時正気に戻るか判らんので、正気に戻ったら又痛い訳じゃが...。
◆◆◆宦官の詳細
(1)宦官制度
宦官については「宦官の生産と流通」で大分述べたと思う。宦官制度はメソポタミア/エジプト/ギリシャ/ローマ/サラセン(=イスラム諸国)/ペルシャ/インド/中国と「古代~中世の専制国家在る所に宦官制度有り」なのじゃ。更に「エジプト、ギリシア、ローマ、トルコから東は朝鮮まで、地中海からアジアの全地域のわたって存在していた。そして朝鮮でも李朝の末期まで中国と同じように続いていた。」(△1のp2~3)と在る様に朝鮮も含まれるのじゃよ。
しかし一般には宦官と言えば中国と思われていて、【参考文献】△1-1などは中国中心じゃ。そして中国最後の宦官が1924年11月5日に紫禁城を追い出された情景が、橋川時雄博士の『宦官おぼえ書』から引用して「その日の昼過ぎ、紫禁城の北にある玄武門から、大勢の宦官たちが、行李とか口袋(カオタイ)を背負ったり、棒で二人でかついだりして、女のなくような細い声で泣きじゃくりながら出て行くのえお見た」と書かれて居る(△1のp2)。この時の最後の宦官は470人居ったそうじゃ。
ここで宦官の特徴として、精巣(=睾丸)(※4-3)を取る訳じゃから男の特徴としての力強さは失われるのじゃ。髭(くちひげ)/鬚(あごひげ)/髯(ほおひげ)が無くなり、ちょこまか歩き、声がか細く成るんじゃ。かと言って女の声では無く去勢者独特の声に成るんじゃよ。去勢とは元々家畜に施された技術と言ったが、何処と無く家畜的じゃわい。
(2)文献に出て来る宦官
中国以外で見ると、先ず旧約聖書の「イザヤ書」の第39章第5節~第7節に「そこでイザヤ(※12-7)はヒゼキヤに言った、「...<中略>...また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られて、バビロンの王の宮殿において宦官になるでしょう」。」と在るのじゃ(△10のp996)、これは前8世紀頃(※12-7)の話じゃ。又、「ダニエル書」の第1章第3節には「時に王は宦官の長アシペナズに、イスラエルの人々の中から、王の血統の者と、貴族たる者数人とを、連れて来るように命じた。」と在る(△10のp1221)。又、「エステル記」の第2章第3節には「どうぞ王はこの国の各州において役人を選び、美しい若い処女をことごとく首都スサにある婦人の居室に集めさせ、婦人をつかさどる王の侍従ヘガイの管理のもとにおいて、化粧のための品々を彼らに与えてください。」と在る(△10の687)が、ここで言ってる「婦人をつかさどる王の侍従ヘガイ」が宦官を指している事は明白じゃ。この様に旧約聖書には宦官が良く登場するのじゃ。
「歴史の父」と呼ばれたヘロドトスの『歴史』は既に見て来たが、他にも「この者が命令どおり果たしまして御子がお亡くなりになりましたときは、私の近習の宦官の内で最も確かなもの数人を現地にやりまして、この者たちに検分をさせた上、お葬い申しました。」(△4のp95)とリディア王国クロイソス王(※9-3)の義兄弟アステュアゲスの部下(△4のp60)が語って居る。ヘロドトスの『歴史』はペルシャ戦争(※11-1)を中心に書かれて居るゾ。
『千夜一夜物語』(=アラビアンナイト)(※20~※20-1)では沢山出て来るわい。例えば「鳥師は王宮へ鳥を持参しました。王はこれを見ると、その品のある、美しい容姿や、嘴や脚の赤い色がすっかり気にいってしまいました。そこで、王はひとりの宦官をやって、買いとらせることにしました。」と在る(△9のp236、第750話)。実はこの鳥は人間でペルシャの大王シャーリマンの世継ぎでバドル・バシム王だったのじゃ。又、こんなのも在る、即ち「宦官長らはアラジンに縄をかけ、両の肘を背中にくくりつけると、足枷(あしかせ)をはめて、都へひき立てました。」じゃ(△9のp298)。これは有名な「アラジンと魔法のランプ」の一節じゃ。
以上見て来た様に宦官は紀元前10世紀以上前には遍く広く浸透したのじゃ、しかも只浸透したのでは無く宦官制度が完備されていた、という事に驚くわいな。
(3)宦官の役割
宦官の役割は”不思議”な事に世界共通じゃ。
①は後宮の管理じゃな。性を失った宦官は「女の園」へ入って行けるのじゃ。
②は皇帝/王の秘書役じゃ。『史記』を著した司馬遷は宮刑に処せられたので宦官にされ、中書謁者令という前漢の武帝の秘書役を任じられたのじゃ。
③は全ての宦官という訳ではないが、特定の宦官は皇帝/王の”秘密の業務”を熟(こな)したのじゃ。これは現代の企業などでも有るだろう、表で処理出来ない事を裏で処理する。しかし、これが後の唐/明代の宦官の弊害に繋がるのじゃよ。
④は宦官の弊害とも密接に関係が有るのじゃが、要するに宦官とは皇帝/王の”家畜”なのじゃ、逆に言うと皇帝/王に徹底的に隷属するのじゃよ、つまり奴隷と同じ様な者じゃ。皇帝/王は宦官がしくじったら簡単に殺して仕舞い宦官はそれを唯受け入れるだけじゃ。この一方的に”家畜的”に隷属する所に専制国家と宦官の特殊な関係が有るのじゃ、解ったかのう!!
{この「独言・その2」のここ迄は2014年2月5日に追加}
(4)インドのヒジュダ - 第3の性
皆さん、ヒジュダ(Hijda[ヒンディ])(※21~※21-3)という所謂を御存知かね、まぁ知らんと思うが。ヒジュダは通常は女装して女言葉を用いている半陰陽(※21-1)、即ち二成(ふたなり)(※21-2)、或いは両性具有者なのじゃ。これを第3の性と呼ぶ訳じゃ。中には去勢手術を受けている者も在る。
【脚注】※21-1に在る様に、医学的には生殖器の奇形(畸形)なのでインドだけで無く有らゆる国に存在する訳じゃ(△11のp216~239、279~291)が、何故インドでだけ特別扱いされるのか?、これが「本質的な問い」と成るのう。
それにはインドのカースト制度(※22)を知る必要が有るのじゃ、名前位は知って居るじゃろう。その基本はヴァルナ(varna[梵])(※22-1)と言ってインドの種姓制なんじゃよ。即ちバラモン(祭官・僧侶)/クシャトリヤ(王族及び武士階級)/ヴァイシャ(平民)/シュードラ(隷属民)と言う古代から続いてる階級制度が有るんじゃが、実はその下にこの4つのどれにも属さない最下層の階級が在って、これを不可触民(ふかしょくみん)(※22-2)と呼ぶんじゃ。不可触民は英語ね言うとアンタッチャブル(untouchable)(※22-3)と言い、読んで字の如く「軽々しく口に出来ない階級」、即ち「奴隷以下の階級」を表すんじゃ。
実はヒジュダは不可触民として扱われて来た歴史がヴェーダ(※22-3)の古代からインドには在るんじゃ。大抵の場合ヒジュダは彼らだけで集まり集団生活をし、ヒンドゥー教の寺院などでは聖者として扱われ寺で行われる祭儀に参加したりして居る。しかし又一方では不浄者として扱われて居り、ニューデリーなどの都会ではヒジュダが男娼をして居るそうじゃ。ワシは男娼だから不浄とは考えんよ、全て需要と供給の関係じゃわい。
ところで不可触民は日本にも居ったのじゃぞ、所謂穢多/非人がそうじゃ。
◆◆◆カストラート
カストラート(※23~※23-3)
ヘンデル
△12:
◆◆◆スコプチ(去勢教)
スコプチ(※24)は中々オモロイ宗教で別名を去勢教とも言うのじゃ(△13のp296~298)。18世紀の帝政ロシアの無知な農民が最初の信者だったのだが、段々商人や軍人や貴族の中へ浸透して行ったのじゃ。その教義が振るって居り「諸悪の根源は性欲(肉欲)に在り。然るに信者諸君を去勢する。但し、夫婦者は子供を残してから去勢するので人類が滅びる事は無い。故に去勢してより高い次元の世の中を創ろう。」というもので面白い。
教祖のコンドラティ・セリワノフ(1732~1832) -彼は100歳迄生きた!- はロシアの農奴階級の人で、”あっちへ行ってる人”なのじゃ。彼が教義の根拠として居るのは新約聖書の「マタイによる福音書」の第19章第12節で、こう書いて在る、即ち「母の胎内から独身者に生まれついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」と在る(△10-1のp30)。ここで「独身者」とは性不能者=去勢者の事じゃ。
そして彼は去勢した信者の数が14万4千人に成ったならば新たな段階に入るとして居るのじゃが、それは新約聖書の「ヨハネの黙示録」の第14章に「また、14万4千の人々が子羊と共におり、その額に子羊の名とその父の名とが書かれていた。...<中略>...彼らは、御座の前、4つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた14万4千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、子羊の行く所へは、どこはでもついて行く。...<中略>...彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。」と在るのと見事に重なるのじゃ(△10-1のp399~400)。つまり14万4千人の「女に触れてない純潔な人々(=去勢者)」と1つの理想郷(=ユートピア)を創ろうとして居たことが伝わって来るではないか。
この考えが昂じて自ら去勢をしスコプチ(去勢教)を創ったのじゃ。それで上に書いた様な理想に燃え信者を徐々に増やし信者には去勢したのじゃ。「去勢の詳細」の所に書いた様に未だ麻酔は無いので、痛いゾ。しかも医者が手術する訳では無くセリワノフ -彼は去勢手術の知識が在ったのかも知れないが- や彼の信者の助手が、つまり”素人”が手術を遣るんじゃ、あぁ痛、痛たたた!!
セリワノフはスコプチを創ってから4年間で60人位去勢手術を行ったらしいゾ。しかもセリワノフの周辺には狂信的な信者がいて、去勢を逃れようとした信者は暗殺されたらしい。こう成るとスコプチはカルト教団(※24-1)じゃ。その内彼は自分はキリストの再来でピョートル3世だ、と言い出したのじゃ。ワシが”あっちへ行ってる人”と言ったのはそういう意味じゃ。彼に依るとイエス・キリストも去勢者なのじゃ。
このピョートル3世は自分の妻(=啓蒙絶対君主(※25)と言われるエカテリーナ2世(※25-1))に暗殺されたという”特異な御仁”じゃが、エカテリーナ2世が亡くなった翌年の1797年に息子のパーヴェル1世は自分の父の名を騙るセリワノフをペテルブルグに呼び謁見した -恐らくピョートル3世を名乗ったので興味が有った- のじゃが、セリワノフの去勢論は”あっちへ行ってる人”(=気が狂っている人)と看做され精神病院に放り込まれたわいな。以後、セリワノフは100歳迄生きるのじゃが、精神病院かシベリアの監獄の中で「しこしこと去勢を説き続けた」そうじゃ。尚、エカテリーナ2世は大黒屋光太夫(※25-2)が船が難破してロシアで謁見した女帝じゃゾ!
スコプチは体制が替わってソ連に成っても狂信的な信者が居り、ソ連政府からも目を付けられたそうじゃ、言わば”隠れスコプチ”じゃな。一時はルーマニアとかフィンランドにも教団(=”隠れスコプチ”)が出来たそうじゃが一掃されたらしい。じゃが、今でも”隠れスコプチ”が少数乍ら居るという話じゃ、クワバラ、クワバラ!!
ところで、去勢とかヒジュダとかカストラートとかスコプチ(去勢教)などは普段表に現れない領域じゃが、当ページではじっくりとこれらに取り組んだわい。この様な「文化の地下水脈」に光を当てることは、▼当サイトの重要なコンセプト▼なのじゃ。
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
{この「独言・その2」の後半は2014年10月10日に追加、2015年6月23日に最終更新}
■独言・その3...(*_-)
◆◆◆シェークスピア=フランシス・ベーコン説
フムフム。
ところで『ヴェニスの商人』(△14)には『ペニスの商人』というネタ本が在ったのじゃ。▼以下のページ▼は、
一卵性双子、又は玉子焼きの研究(About identical twins or omelet)
当ページへの宿題を課した形で終わって居る。その部分をここへコピーしよう。
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ところで弟子よ、シェークスピア=フランシス・ベーコン説(※28、※28-1)を知って居るかな。ま、これはオカルト学(※14)の初歩を学んだ人間なら誰でも知っていること(△15のp92)だが、ワシには秘めたる新説が有るということを教えよう。それは『ヴェニスの商人』 -ヴェニスはベニスとも表記するが- のユダヤ人のモデルには、『ペニスの商人』というネタ本が在ったのじゃ。これについては別に日を改めて語ろう、ムッフッフ!
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「ところで弟子よ」と呼び掛けているのはT-SEX氏じゃが
{この「独言・その3」は2014年2月5日に追加、2014年2月22日に最終更新}
【脚注】
※1:後宮(こうきゅう、seraglio)とは、[1].皇后/妃などの住む奥御殿。平安時代、天皇の住む前殿(仁寿殿(じじゅうでん))の後方に在った殿舎の総称。一条天皇の代から、皇后と並んで中宮が置かれ、その下に女御(にょうご)/更衣と呼ぶ妃(ひ)が在った。これらの后妃と尚侍(しょうじ)以下の女官をも後宮と総称する。太平記12「三十六の―には三千の淑女妝(よそおい)を餝り」。
[2].中国で、皇帝が営む私生活の場。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1-1:中宮(ちゅうぐう)とは、この場合、平安中期から南北朝時代、皇后と殆ど同格の正后。一条天皇の中宮藤原彰子(←中宮の彰子に仕えたのが紫式部)の時以降、皇后と並立。
※1-2:女御(にょうご)とは、この場合、(ニョゴとも)中宮の次に位し、天皇の寝所に侍した高位の女官。主に摂関の娘が成り、平安中期以後は女御から皇后を立てるのが通例と成った。
※1-3:更衣(こうい)とは、この場合、平安時代、後宮の女官の一。女御(にょうご)の次位に在って、天皇の衣を換える事を司り、天皇の寝所にも侍した。源氏物語桐壺「いづれの御時にか、女御(にょうご)・―あまたさぶらひ給ひけるなかに」。
※1-4:後宮に入れる為に調達する女性は、少女に限ります。何故なら後宮に入れる前に、言葉遣いや芸事や宮中での作法などの教育期間が必要なのです。勿論ここで篩(ふるい)に掛け「上玉」だけを後宮に入れる訳で、落ち零れは飯炊き女の様な下女に成るか、下級官吏の慰み者に成るか、それでも宮中に留まれれば良い方で、最悪は故郷に返されることに成ります。しかし一旦「甘い生活」の一部を垣間見て仕舞った少女は、田舎に帰っても百姓仕事などに戻れる訳は無く、結局場末の娼婦に堕ちて行きます。
※3:宦官(かんがん、eunuch)とは、東洋諸国で後宮に仕えた去勢男子。宮刑に処せられた者、異民族の捕虜などから採用したが、後には志望者をも任用した。古代エジプト/ギリシャ/ローマ、更にイスラム諸国の全域に行われた。特に中国で盛行、殷/周から清まで続き、常に皇帝に近接し重用されて政権を左右する事も多く、逆に後漢/唐/明代には弊害が著しかった。宦者。寺人。閹官(えんかん)。閹人。刑余。閽寺(こんじ)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※3-1:閹官(えんかん)とは、宦官に同じ。
※3-2:閹人(えんじん)とは、宦官に同じ。
※3-3:宮刑(きゅうけい)とは、古代中国の刑罰。男子は生殖機能を去り、女子は幽閉、若しくは卵管を除いたと言う。死刑に次ぐ重刑。五刑の一。宮。腐刑/宮割/淫刑とも称する。
※4:去勢(きょせい)は、[1].castration。動物の、殊に雄性の性巣を除去、又は働かなくすること。未成熟の内にこれを行うと、第二次性徴が発現しない。畜産では、性質を大人しくし、上質の肉を得る様にする為にしばしば行われる。
[2].enervation。比喩的に、抵抗・反対などの気力を奪って仕舞うこと。「―された現代人」。
※4-1:種牛(たねうし/しゅぎゅう、stud bull)は、畜牛の繁殖/改良の為に飼う牡牛。
※4-2:断種(だんしゅ)とは、[1].root out。種を絶やすこと。
[2].sterilization。精管、又は卵管を一部切除、又は結紮(けっさつ)して、生殖能力を失わせること。
※4-3:精巣(せいそう、testis, spermary)は、動物の精子を形成し、雄性ホルモンを分泌する器官。動物に依り位置や構造が異なる。ヒトや哺乳類では睾丸とも言い、普通成長した哺乳類では陰嚢(いんのう)内へ下がる。←→卵巣。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※5:サラセン(Saracen)とは、ヨーロッパで、古代ギリシャ/ローマではアラビアの遊牧民を指し、ヨーロッパ中世からはイスラム教徒に対する呼称。ウマイヤ朝やアッバース朝はサラセン帝国と呼ばれた。唐名、大食(タージ)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※5-1:タージ(大食)は、(Tazi[ペルシャ]の音訳)唐代にアラビア人を呼ぶのに用いた名称。広義にはイスラム教徒に対する呼称。
※7:ギリシャ/ギリシア(Gresia[葡], Greece、希臘)は、(「希臘」は Hellas(ギリシャ)の音訳)ヨーロッパ南東部、バルカン半島の南端と付近の諸島とから成る共和国。紀元前9~8世紀にアテナイ/スパルタなど多くの都市国家が成立、前5世紀にそれらが同盟してペルシャ戦争を乗り切り、アテナイを中心に前5~前4世紀前半に黄金時代(←ソクラテスやアリストテレスなどを輩出)を現出した。前4世紀後半にマケドニアに併呑され、次いでローマ帝国の支配下に置かれ、15世紀にはトルコに征服されたが、1829年独立の王国となった。第一次大戦後、一時共和国(1924~35年)、第二次大戦後、46年王政復古、67年軍部独裁、1974年共和制に復帰。古代ギリシャの生んだ哲学/科学/文学/美術はヨーロッパ文化の重要な源泉の一つとして人類の歴史に深甚な影響を与えている。面積13万2千㎢。人口1046万(1995)。首都アテネ。
※8:四大文明(よんだいぶんめい、4 great civilization)は、メソポタミア文明(チグリス川、ユーフラテス川)/エジプト文明(ナイル川)/インダス文明(インダス川、ガンジス川)/黄河文明(黄河)の4古代文明。何れも大河の流域で灌漑/治水工事を通じて成立した農耕に基礎を置く早期の都市文明。国家/階級/文字を生んだ。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※8-1:ミュケナイ文明/ミケーネ文明(―ぶんめい)は、前16~12世紀にギリシャ本土に発達した文明。エーゲ文明後期の中心で、ミノア文明の後を受けてペロポネソス半島のアルゴリス(ミュケナイ(Mykenai)が中心地)に成立。ギリシャ文明の先駆と成る。この文明は長らく忘れられて居たが、19世紀末シュリーマンの発掘に依ってトロイア文明と共に再発見された。
※8-2:エーゲ文明(―ぶんめい)は、前32~12世紀、エーゲ海周辺地域に栄えた青銅器文明。キクラデス文明(キクラデス諸島)/ミノア文明(クレタ島)/トロイア文明(小アジア北西部)/ミュケナイ文明(ギリシャ本土)を含む。
※9:サルディス/サルデス(Sardes)は、小アジアの古代都市。リディア王国の首都。クロイソス王(在位B.C.560~B.C.546年)の時栄えた。今のトルコ西部のイズミル近辺。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9-1:小アジア(しょう―、Asia Minor)は、地中海とエーゲ海/黒海に挟まれた西アジアの半島地域。アジアのトルコの大部分を占め、面積50万㎢。別称アナトリア。
※9-2:リディア/リュディア(Lydia)は、小アジア西部の古代王国。インド・ヨーロッパ語系のリディア人がアッシリア帝国の崩壊後独立して建国。都はサルディス。前7~6世紀最盛。前546年ペルシャに因って滅ぼされた。
※9-3:クロイソス(Kroisos)は、リディア最後の王。在位B.C.560~B.C.546年。小アジアを征服し栄えたが、ペルシャのキュロス2世の軍に敗れた。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※9-4:インド・ヨーロッパ語族(―ごぞく、Indo-European)とは、東はインド北部から西は大西洋沿岸に到り、北はスカンディナヴィアから南は地中海に及ぶ広い範囲で用いられている諸語の総称。先史時代に於いて一つの共通原語(印欧祖語)から派生したものと考えられる。この語族に属する語派は、インド・アーリア語派/イラン語派/ギリシャ語派/イタリック語派/ケルト語派/ゲルマン語派/スラヴ語派/バルト語派/アルメニア語派/アルバニア語派/トカラ語派/アナトリア語派で、形態的には屈折語であるのが特徴。印欧語族。→印欧祖語。
※11:ヘロドトス(Herodotos)は、前5世紀ギリシャの歴史家(B.C.485?~B.C.425?)。小アジアのハリカルナッソスの生まれ。エジプト/メソポタミアなどを旅行し、見聞を広めた。著書「歴史」はペルシャ戦争を中心に東方諸国の歴史/伝説、アテナイやスパルタなどの歴史を叙述、ヨーロッパ最初の史書。「歴史の父」と呼ばれる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※11-1:ペルシャ戦争(―せんそう、Persian Wars)は、アケメネス朝ペルシャ帝国とギリシャ諸市連合の戦争(B.C.500~B.C.449)。3回に亘ってペルシャがギリシャを攻撃し、一時ペルシャはアテナイ(=アテネ)を占領したが、前480年のサラミスの海戦、翌年のプラタイアイの戦で敗北。最終的な平和条約は前449年に結ばれた。紛争の発端と成ったイオニアのギリシャ人植民市の独立を認めた。この後、アテネは最盛期で迎える。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12:ユダヤ/ユデア(猶太、Judea)は、広義にはパレスティナ全土、狭義にはパレスティナ中部のエルサレムを中心とする古代ユダ王国の地。→イスラエル。
※12-1:イスラエル(Israel)は、(yisrael[ヘブライ]は「神と争う者」の意)
[1].旧約聖書に見えるヤコブとその後裔たる12部族の総称。パレスティナの南東方荒地に起り、前千数百年頃エジプトに居住した人々で、モーセに導かれてエジプトを出、カナンの地に至り、前1250年頃サウルに依ってヘブライ王国を建設、前926年(=ソロモン王の時)、北のイスラエル王国と南のユダ王国とに分裂。イスラエルは前722年に、ユダは前586年に滅亡、バビロン捕囚の体験を経て、イスラエルの宗教はユダヤ教として発展。
[2].シオニズム運動の結果パレスティナに流入したユダヤ人が1948年イギリスの委任統治終了と共に建設した共和国。この国家の存在は、中東紛争の中で焦点と成っている。首都はエルサレム(国際的には未承認)。公用語はヘブライ語とアラビア語。面積2万1千㎢。人口555万(1995)。
※12-2:エルサレム/イェルサレム(Jerusalem)は、パレスティナの中心都市。1949年ヨルダンとイスラエルに依って東西に分割、67年イスラエルは東エルサレムを占領し併合を宣言。イスラエル国は1980年同国の首都としたが国際的には未承認。ユダヤ教/キリスト教/イスラム教の聖地。人口57万3千(1994)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12-3:パレスティナ/パレスチナ(Palestine, Palestina[ラ])とは、西アジアの地中海南東岸の地方。カナンとも称し、聖書に見える物語の舞台。第一次大戦後、オスマン帝国からイギリス委任統治領。以後、シオニズムに拠るユダヤ移民が進展。1948年イスラエル独立と共にイスラエルとヨルダンとに分割されたが、67年イスラエルはヨルダン川西岸地域とガザ地区を占領。パレスティナ人に依る国家建設運動も盛ん。
※12-4:シオニズム(Zionism[英], sionisme[仏])は、パレスティナにユダヤ人国家を建設しようとする運動。19世紀末に興起し、1948年イスラエル国家を実現。シオン主義。
※12-5:シオン(Zion[英], Sion[ラ・仏])は、エルサレム市街の丘の名。ダヴィデ王の城や墓が在る。転じてエルサレムの雅名。シオニズム運動の象徴。シオンの丘。
※12-6:ディアスポラ(Diaspora, Diaspora[ギ])とは、(ギリシャ語「四散すること」の意)[1].離散。
[2].主にヘレニズム時代以降、パレスティナから他の世界に離散したユダヤ人。又、その共同体。
※12-7:イザヤ(Isaias[ラ])は、前8世紀のイスラエルの大預言者。神ヤハウェの正義と救い主の出現とを説いて王や民に神への信頼を説いた。
※14:オカルト(occult)とは、(ラテン語「隠された」の意)[1].超自然的なもの。神秘的なもの。隠れたもの。
[2].神秘的・超自然的な事柄を研究する一種の擬似科学。ヨーロッパの中世にはキリスト教とスコラ哲学が画一的原理と成った為、全ての異教的なもの・呪術的なものが広大なオカルトの世界を作り、占星術・魔術・悪魔学などを研究する学者が多く現れた。現代では、所謂心霊現象を始め科学的合理主義信仰に反する全てのものがオカルトと呼ばれる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※14-1:オカルティズム(occultism)とは、通常の経験や科学では認められない「隠れた力」の存在を信じ、それを研究すること。占星術・錬金術・神智学・心霊術などを言う。
※16:玄奘(げんじょう)は、唐代の僧。法相宗・倶舎宗の開祖(600~664、一説に602~664)。河南の人。629年長安を出発し、天山南路からインドに入り、ナーランダー寺の戒賢らに学び、645年帰国後、「大般若経」「倶舎論」「成唯識論」など多数の仏典を翻訳。「大唐西域記」はその旅行記。「西遊記」はこの旅行記に取材したもの。玄奘三蔵。三蔵法師。
※16-1:三蔵(さんぞう)とは、この場合、〔仏〕経蔵と律蔵と論蔵。又、経・律・論に通達した高僧の敬称。特に玄奘(げんじょう)を指す。三蔵法師。
※18:ナイチンゲール(nightingale)は、スズメ目ヒタキ科の鳥。ヨーロッパの中部から南西部に分布。小形で低木林に多く、春夏には早朝/薄暮、又は月明の夜などに鳴く。全長約16.5cm。全体が略褐色。落葉樹林や湿地の藪などに生息。昆虫/ミミズ/木の実などを食べる。チューチューチューピューピューピューと囀(さえず)る。夏はヨーロッパ、冬はアフリカに棲む渡り鳥。ウグイスと訳されることが多いが、ツグミに近縁。サヨナキドリ。ヨナキウグイス。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※18-1:クリミア戦争(―せんそう)は、1853年オスマン帝国領内の聖地エルサレムの管理権を巡ってロシア/オスマン両国が開戦、翌年後者に荷担したイギリス/フランス/サルデーニャがクリミア半島に出兵、セヴァストーポリを攻囲した戦争。56年パリで講和条約を締結、戦後ロシアでは大改革が始まった。
※18-2:ナイチンゲール(Florence Nightingale)は、イギリスの看護婦(1820~1910)。フィレンツェ生れ。クリミア戦争(1853~56年)に際し38人の看護婦を率いて傷病兵の看護に当り(1854~56年)、「クリミアの天使」と呼ばれた。帰国して1860年に看護婦学校を創立、看護組織の確立にも貢献した。→ナイチンゲール記章。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※18-3:ナイチンゲール記章(―きしょう)は、F.ナイチンゲールに因んで赤十字国際委員会が選考した優れた看護婦/看護士に対して与えられる記章。1920年制定。
※19:気絶(きぜつ、faint)は、一時的に気を失うこと。
※20:千夜一夜物語/千一夜物語(せん[や]いちやものがたり、alf layla wa layla[アラビア])は、インド及びイラン起源や近東諸地方の物語集。著者不明。シェエラザードという才女が面白い物語を千一夜に亘って続けるという形式を採る。初めパフラビー語で書かれ、8世紀後半頃アラビア語に訳され、以後増補。「船乗りシンドバッド」「アラジンと魔法のランプ」「アリ・ババと四十人の盗賊」など良く知られた話を含む。アラビア夜話。
※20-1:アラビアンナイト(Arabian Nights)は、原題「千夜一夜物語」の英語名。
※21:ヒジュダ/ヒジュラ(Hijda[ヒンディ])とは、(半陰陽/両性具有の意)インド/パキスタン/バングラデシュなどで、通常女装している半陰陽、又は両性具有の人。男でも女でも無い第3の性。寺院などで聖者として扱われる場合も在るが、不浄な存在ともされる。
※21-1:半陰陽(はんいんよう、hermaphroditism)とは、動物、特に家畜や人での間性(かんせい)。生殖器の奇形で、一個体に男女両性の生殖器が存在したり、外陰部がその個体の生殖腺と不一致に成ったりしたもの。半陰半陽。二成(ふたなり)。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※21-2:二形/二成(ふたなり、androgyne, hermaphrodite)とは、この場合、[1].二つの形を同時に具えるもの。二つ成り。
[2].男女両性を具える人(=両性具有者)。半月(はにわり)。半陰陽。
※21-3:半月(はにわり)とは、(「半割」の意)陰部が男性とも女性とも成るもの。又、男女両性の性器を持つもの。二成(ふたなり)。半陰陽。〈和名抄2〉。
※22:カースト(caste)は、(ポルトガル語で血統の意のcastaから)インドに見られる社会集団。儀礼的な観点から序列付けられて居り、各集団間は通婚・食事などに関して厳しい規制が在るが、弱まりつつ在る。2千以上の数が在り、多くの場合、世襲的職業を持ち相互に分業関係を結ぶ。インドではジャーティ(生れの意)と言う。カスト。真政大意「殊に往古印度やエジプトに、カストと申して」。→ヴァルナ。
※22-1:ヴァルナ(varna[梵])は、(色の意)インドの種姓制。バラモン(祭官・僧侶)、クシャトリヤ(王族及び武士階級)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)を言う。不可触民は第5のヴァルナとされる。5つのヴァルナの大枠の内部に多数のカーストが存在。四種姓。→カースト。不可触民。
※22-2:不可触民(ふかしょくみん、untouchable, pariah(パーリア), outcaste, achut[梵])とは、インドの四種姓(ヴァルナ)制の枠外に置かれた最下層身分。穢れたものと見做され、差別を受けた。ガンディーはカースト差別撤廃を目指しハリジャン(神の子)と名付けた。インド総人口の約15%を占め、400~500のカーストに分かれる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※22-3:アンタッチャブル(untouchable)は、(「不可触の」の意)[1].インドの不可触民。
[2].アメリカの連邦捜査局員。
※22-3:ヴェーダ/ベーダ(Veda[梵]、韋陀/吠陀)は、(ヴェーダは「知識」の意)インド最古の宗教文献。バラモン教の根本聖典。インドの宗教/哲学/文学の源流を成すもので、その起源は前1500年頃インドの北西方に移住したアーリア民族が多数の自然神に捧げた賛美に発し、以来前500年の間に成立。最古のリグ(Rg)、それに次ぐサーマ(Sama)/ヤジュル(Yajur)、及び異系統のアタルヴァ(Atharva)を四ヴェーダと言う。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※23:カストラート(castrato[伊])とは、17~18世紀のイタリアで盛行した、男性去勢歌手。変声期前に去勢され、成人しても独特の美しく力強いボーイソプラノを保つ。特にオペラ・セリアの男性主役として活躍し、一時期極めて重要な役割を果たして居た。現在ではカウンターテナーが代行。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※23-1:ボーイソプラノ(boy soprano)は、変声期前の男児の声。ソプラノの様な高い音域/音色を持つので言う。
※23-2:カウンターテナー/カウンターテノール(countertenor)とは、男声歌手がファルセット(裏声)に依って出す通常より高い声域。普通女声のアルトに相当。又、その歌手。
※23-3:ファルセット(falsetto[伊])とは、男声、特にテノール歌手が通常の声域以上の高い声を出す特殊な唱法。普通の発声に比べて軽く、音量が弱い。裏声。仮声。→カウンターテナー。
※24:スコプチ/去勢教(―/きょせいきょう、Skoptzy)とは、18世紀、帝政ロシアに出現した異端のキリスト教。開祖はコンドラティ・セリワノフ(1732~1832)。教義は諸悪の根源は肉欲に在るとし、全人類の去勢を目指した。但し、子供を残した後に去勢するので人類が滅びる事は無いと言い、開祖は獄中で死ぬ迄布教した。
※24-1:カルト(cult)とは、(ラテン語「耕作、崇拝」の意)本来は宗教上の礼拝を指したが、転じて熱狂的崇拝、更には熱狂的集団・邪教的な宗教集団を指す語と成った。神秘主義的教理、神や教祖への絶対服従、隔離性、洗脳などへの傾向が強い。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※25:啓蒙専制君主/啓蒙絶対君主(けいもうせんせいくんしゅ/けいもうぜったいくんしゅ、enlightened despot)とは、18世紀のヨーロッパ諸国で、啓蒙思想の影響の下(もと)に、絶対主義の枠内で富国強兵を目指す上からの近代化の為、若干の改革や進歩的政策を行なった開明的な君主。プロイセンのフリードリヒ大王、オーストリアのヨーゼフ2世、ロシアのエカテリーナ2世など。
※25-1:エカテリーナ2世(Ekaterina II)は、ロシアの女帝(1729~1796、在位1762~1796)。ピョートル三世の妃。1762年夫を倒して即位。外政面では、3回に亘るポーランドの分割と2度のロシア・トルコ戦争で領土を大きく西方と南方に広げた。又、フランス文化の影響を受け学芸を奨励。大帝と呼ばれる。→啓蒙専制君主/啓蒙絶対君主。
※25-2:大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)は、(名は幸太夫とも)江戸後期の船頭(1751~1828)。伊勢の人。1783年1月(天明2年12月)米を江戸に廻漕中に神昌丸で難船、アリューシャン列島アムチトカ島に漂着、その後ロシアに滞留、エカテリーナ2世に謁見した。92年(寛政4)外交官ラックスマンに伴われて帰国、見聞を具申。「北槎聞略」(桂川甫周著)はその記録。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※28:W.シェークスピア/W.シェイクスピア(William Shakespeare)は、イギリスの劇作家・詩人(1564~1616)。エリザベス朝ルネサンス文学の代表者。ストラトフォード・オン・エーヴォンの生れ。青年時代にロンドンに出て初め俳優、後に座付作者として約37編の戯曲を創作。四大悲劇「ハムレット」「オセロ」「リア王」「マクベス」を始め、史劇「リチャード三世」「ヘンリー四世」、悲劇「ロミオとジュリエット」「ジュリアス・シーザー」、喜劇「夏の夜の夢」(「真夏の夜の夢」とも)「ヴェニスの商人」、ロマンス劇「テンペスト」、その他に詩集「ソネット集」などが在る。晩年は故郷に隠退して平和な余生を送った。沙翁。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※28-1:F.ベーコン(Francis Bacon)は、イギリスの政治家・哲学者(1561~1626)。科学的方法と経験論との先駆者。スコラ哲学に反対し、学の最高課題は、一切の先入見と謬見即ち偶像(イドラ)を去り、経験(観察と実験)を唯一の源泉、帰納法を唯一の方法とすることに依って自然を正しく認識し、この認識を通じて自然を支配すること(「知は力なり」)であるとした。主著「新オルガノン」、他に「随想録」。
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『宦官(かんがん)』(三田村泰助著、中公新書)。
△1-1:『宦官物語 男を失った男たち』(寺尾善雄著、河出文庫)。
△3:『古代文明と遺跡の謎 総解説』(自由国民社編・発行)。
△4:『歴史(上)』(ヘロドトス著、松平千秋訳、岩波文庫)。
△5:『【詳解】世界史用語事典』(山本洋幸・中村哲郎著、三省堂編修所編、三省堂)。
△6:『近江商人の系譜』(小倉榮一郎著、現代教養文庫)。
△7:『外科の夜明け』(ユルゲン・トールワルド著、塩月正雄訳、講談社文庫)。
△9:『世界文学全集第40巻 千夜一夜物語<バートン版>』(大場正史編訳、河出書房)。
△10:『旧約聖書(1955年改訳版)』(日本聖書協会編・発行)。
△10-1:『新約聖書(1954年改訳版)』(日本聖書協会編・発行)。
△11:『図説奇形全書』(マルタン・モネスティエ著、原書房)。
△12:『ヘンデル』(渡部恵一郎著、音楽之友社)。
△12-1:『カストラート』(アンドレ・コルビオ著、齋藤敦子訳、新潮文庫)。この中の永竹吉幸氏(オペラ研究家・東京芸術大学講師)の「解説-「カストラートの歴史」」は大変参考に成りました。
△13:『世界の宗教と経典 総解説』(自由国民社編・発行)。
△14:『ヴェニスの商人』(シェイクスピア作、福田恆存訳、新潮文庫)。
△15:『魔術師の饗宴』(山北篤と怪兵隊著、新紀元社)。
●関連リンク
@参照ページ(Reference-Page):「文化の地下水脈」に光を当てることは、
当サイトの重要なコンセプト▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
@補完ページ(Complementary):『ヴェニスの商人』の
ネタ本の『ペニスの商人』とは▼
一卵性双子、又は玉子焼きの研究(About identical twins or omelet)
「当ページを書き掛けである事を忘れて仕舞う」のは良く有る事▼
大阪天満宮の天神祭船渡御
(The Tenjin boating-festival of Tenmangu, Osaka)
辛口論考(=激辛論考)のコーナー▼
個人的見解目次(My opinions)
超々甘い議論のコーナー▼
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「をとめ」「おぼこ」に「未通女」を当てているのは私の感性▼
掲示板のテロ対策(Defend BILLBOARD from terrorism)
万葉集では「未通女」を「をとめ」と読んでる▼
2003年・福岡&大分食べ歩る記(Eating tour of Fukuoka and Oita, 2003)
近江泥棒伊勢乞食について▼
東西三都物語(The 3-cities of east and west)
ユダヤ人の鼻は鷲鼻(鉤鼻)▼
民族占い(Comparative Ethnologic approach)
天狗の様な鼻の猿田彦▼
[人形浄瑠璃巡り#2]露天神([Puppet Joruri 2] Tsuyu-tenjin, Osaka)
司馬遷(『史記』の著者)は宦官として前漢の武帝の秘書を務めた▼
2001年・夜行列車で成都へ(To Chengdu by NIGHT TRAIN, China, 2001)
インドの階級制度や不可触民▼
「文化スケベ学」とは何ぞや?(What is the Cultural Sukebelogy ?)
日本の不可触民は穢多/非人▼
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オペラに力を注いだヘンデルはカストラートを自分の作品に使った▼
ヘンデル「組曲「水上の音楽」」(Suite 'Water Music', Händel)
漂流してロシアに行った大黒屋光太夫▼
国性爺珈琲盛衰記(Rise and fall of cafe and KOKUSENNYA)
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