-- 2008.02.02 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2013.06.05 改訂
■討論内容と投稿者
本ページは[快楽主義者の喫茶店#1]、即ち
掲示板のテロ対策(Defend BILLBOARD from terrorism)
の続きです。
T性交氏/デューク性交氏は同一人物で私の弟子です。変態趣味の氏は性風俗/軍事/廃墟/G13/アンパンマンの話題しか食い付いて来ない”偏食家”です。中でも性風俗が一番食い付きが良い。
今回は喫茶店や純喫茶がテーマですが、最初は雑談 -と言っても後で繋がります- でお茶を濁して居ます。
ひょんな事から話は明治の喫茶店のルーツに及び、一般的には1888(明治21)年の可否茶館(東京下谷)が喫茶店(カフェ)(※1)の始祖とされて居ますが(←広辞苑にもそう記されて居る)、もっと古い店が存在して居ますので広辞苑を訂正して置きました(※1の[1])。しかし、可否茶館を始めた人は国姓爺・鄭成功の末裔なのです。それで投稿名や当ページのタイトルを「国性爺珈琲盛衰記」とした訳ですが、これは近松門左衛門の「国性爺合戦」のパロディーで、近松は国姓爺を国性爺に置き換えて居ますので当ページもそれに倣いました。
ところで、T性交氏は鄭成功には必ず食い付いて来るのです、ムッフッフッフ!!
投稿者▼
[1]:リチャード・プー氏(女体総合研究所性痔部主任研究員)
T性交氏
デューク性交氏
[2]:私
革命的思索ざんまい 投稿者:リチャード・プー 投稿日:2006/05/25(Thu) 16:22 No.386
<板-1>
◆◆◆人類の三大発明 - 神様・通貨・売春
やぁ、エルニーニョ氏。
先日春闘でかなり無理なギャラUP交渉したんですが、おかげでクビになっちゃいました~!
それでもうすぐ梅雨だし、しばらく南の島で暮らそうと(昔八丈島に住んでたので)思ってたら、なんとクビになった理由というのが、客先の他の部署の人がボクを欲しいので交渉して今の部署に頼んでクビにしたらしい。
文字通りヘッドハンティングでんがな。これぞ革命的逆転勝利ですかな。といいつつ、住居から徒歩5分というあまりに近いところなんでまだ保留中。
そんなこんなで職場を去るにあたり引継ぎも終わって一層ヒマになり、最近はロシア革命関係の本は何冊も読破してしまったので、孔子の論語、マキャベリの君主論、カントの形而上学などを読んでおります。(全部古本)
しかしなんですなぁ。なぜにこの様な古典を超える思想が出てこないんでしょうか。哲学界の怠慢ではないでしょうか?
むかしから、なんで哲学という教科は”哲学の歴史”しか教えないのか不満でした。
ここは一発、私が新たな哲学を説かなければなりませんかな。ダーウィンの進化論、マルクスの史的唯物論に私の相場師としての経験論を足せば、新しいイデオロギーが完成するはずです。
こう書くと、無神論者の様ですが、神の存在は肯定します。なぜかちゅーと、「神はいない」という時点で神の概念の存在を認めてるからなんですねぇ。
ボクが考える人類の三大発明は、
①神様(宗教/哲学)
②通貨(お金)
③売春(性風俗)
ですかね。これのおかげで一哺乳類であった人類がここまで文明を作れたと思いますよ。
ところでエルニーニョ氏は”屁理屈”をバカにしてる様ですが、理屈をバカにしてはいけません。理屈を求めるから人間じゃないですか。カントの理屈なんて屁どころじゃないですよ。しいて言えば”下痢屈”でんな。
腰の有る糞理屈を 投稿者:エルニーニョ深沢 投稿日:2006/05/27(Sat) 03:07 No.387
<板-1>
◆◆◆ホリエモンは獄中でも目立つ事ばかり考えてますな
やあ、プーさん、書き込み有り難う。先ずは”偽善”に一言。
マスメディアに褒め殺され晒し者にされたホリエモンが、拘置中に山崎豊子の「沈まぬ太陽」 -85年の日航機墜落事故を題材とした小説- を読んで群馬県の御巣鷹山に登ったとか。これ見よがしの”偽善行為”ですな。例えばひっそりと四国遍路の行脚に出るとか、滝に打たれるとか、もっと内面的な反省に立った「人知れぬ行動」が出来ないものですかねえ。
プーさんも、会社とかいうクダラナイ世界を離れて、たまには四国遍路八十八ヶ所巡りで自由に羽搏いてみるのはどうでっか?、或いは八丈島で人知れず滝に打たれるのは?
ホリエモンのように獄中で暇にまかせて本を読むのも結構ですが、やはり後に血肉になるのは「実践」です。それはカントの「純粋理性批判」を読めば解るでしょう、しかし”ええ歳”こいてカントとは中々ご発展ですな。
親愛なるプーさん、どうか吹けば飛ぶような”屁理屈”では無く、また垂れ流しの”下痢屈”で無い、真っ当な「質と量と臭い」を伴う、硬く腰の有る台湾バナナのような”糞理屈”をドバッとカマシて欲しいですな。
ところで、「痔」の具合は近頃どうでっか、ブワッハッハッハ!!
■独言...(*_-)
◆◆◆日航「鶴のマーク」を復活 - 熱(ほとぼり)期間は20年
フムフム。プー氏は実は痔主(じぬし)じゃ。G主とも言うな。又、八丈島が第2の故郷だと言ってるが、昔の島流しされた罪人の血を引いているのかも知れんな、フッフッフ!!
ところで85年の日航機墜落事故の後、マスメディアとそれに誘導された大衆は怒り「もう鶴のマークは見たくない」などと”善なる意見”が大勢を占めて居ったがのう。日航は何時の頃からか本当に鶴のマークを外し居ったわい。が、放漫経営を再建し株も再上場して再び鶴のマークを復活させたのう。しかし、今度は世論は反応無しじゃ、もう疾っくに熱(ほとぼり)が冷めたという訳じゃ。そしたら嘗ての”善なる意見”の方が偽善だったと言う事かいの。或いは、日本の熱(ほとぼり)期間が精々20年という事かいの、フッフッフ!!
{日航機墜落事故のコメントは2013年6月5日に追加}
改名しました。
T性交 :2006/07/26(Wed) 20:28 No.4
<新板-1>
◆◆◆T性交氏は鄭成功の話題には必ず食い付いて来る!
やぁ、エルニーニョ氏。
一昨日、例の鄭成功の小説を買ってきました。実はボクの名前は、ドサクサで皇帝に就任した明の皇族からもらった名前だったことが判明しました。もっと正統な皇帝と思ってたのにちょっと残念。
その本では最後はオランダの戦艦に多数のジャンクで挑んで歯が立たないので、火薬庫に潜入して火をつけて撃沈する事になってました。
しかし笑えますな。自分の名前が出てくる小説は。ボクも台湾から国民党を追い出して日本領とし、その後大陸で帝政復古をなしとげ、和漢両民族の英雄になることにしますわ。はははは。
竹島犬帝国
エルニーニョ深沢 :2006/07/27(Thu) 17:47 No.5
<新板-1>
◆◆◆竹島犬帝国のしょんべん崩れ
T性交さん、鄭成功の小説とは、近松の『国性爺合戦』(※2)でっか?
君の戦力では台湾は無理でしょう。奇襲攻撃で島根沖の竹島(※3)を急襲し韓国人を追っ払い、竹島に日本でも韓国でも無い独立国を樹立したら如何?!
日本からノラ犬の雄雌を連れて上陸し、これを繁殖させて犬の家来供の上に君臨したら宜しい!、名付けて「竹島犬帝国」!!
次は『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴作)(※2-1)を読みなさい。
■独言...(*_-)
フムフム。
こんな雑談の中にも、最近ホットな竹島の話が既に2006年に話題に成って居るのう、これが当サイトの先見性じゃ。
そしてT性交氏は鄭成功には必ず食い付いて来ると言ったが、その通りじゃろ、ムッフッフ!!
ドヤのやど
T性交 :2006/07/29(Sat) 22:00 No.6
<新板-1>
◆◆◆私の間違いを指摘したと思う浅知恵
やぁ、エルニーニョ氏。
竹島に犬連れても不逞鮮人に食われるので、餌もってくだけでっせ。
ところで『国性爺合戦』とは字間違えてまっせ。
それはウケを狙ってるんすか?
スケベじじいの物語みたいでんな。性でなく姓の方ですよ。あと、その小説に書いてあったが、爺とは年寄りではなく若旦那という意味らしい。皇帝から名前を賜った英雄の話ですからね。
作者は陳舜臣(△1)というおっさんで、最近の小説ですよ。ある程度は史実を基にしとるけど、ただの物語です。
20万の兵で南京に攻め上って負け、代わりにオランダ守備隊千人程度の台湾を攻めたことになってます。なんかせこい。彼も明朝再興をあきらめて自分が皇帝を目指すことになってたが、クライマックスがせこいのでがっかり。
◆◆◆横浜寿町のドヤ街はしょんべん臭い!
話は変わって、例の横浜寿町ですが、今日テレビを見てたら3畳のドヤ(※4)を”ホステル”として若者や外国人に泊まってもらう様にしてるそうな。エアコンとテレビがついて3千円とか。
高齢化が進んで生活保護者の町になったので色々考えてるみたい。しかし、そんなの企画倒れだろな。大阪と違って、近所に汚さに関連した観光スポットがない。
エルニーニョ氏も今度こそ地元に泊まってくださいよ。マジしょんべん臭いでっせ。
りっしんべんの国性爺=T性交
エルニーニョ深沢 :2006/07/31(Mon) 02:59 No.7
<新板-1>
◆◆◆私は間違えて無い - 近松の浄瑠璃本では「国性爺」
T性交さん、ワテは間違えとらんよ。近松の浄瑠璃本では「国性爺」になってるんや。近松が態(わざ)と1字変えてる訳。
T性交の立志伝<りっしでん>には立心偏<りっしんべん>の方が相応しい、ブッファッファ!
朝鮮人は犬鍋好きだから厄介ですな、戦術を練り直す必要が有るね。鼠はどうか?、私のミッキーマウスのTシャツを護身用に下賜しましょう。鼠を引き連れ立春<りっしゅん>の日に攻撃せよ!
鼠は繁殖力が強くて好都合、何しろ鼠算と言われる位だから。アムウェイじゃないが犬鍋用の鍋を竹島基地からマルチ商法で販売し、鼠講の胴元になったら宜しい。
◆◆◆「タマちゃんのことを想う会」
- 新興カルト教団「パナウェーブ研究所」
横浜寿町のドヤをホステルにするとは見上げた商売根性。屹度その布団は私が02年に寄贈した布団だよ。02年に母が亡くなって横浜の実家を整理する時、沢山有った布団や座布団を黄金町や寿町の簡易旅館にあげたのさ。初め市とか区に掛け合ったら、新品じゃないと受け取らない、と吐(ぬ)かしやがったのでドヤに持って行ったら喜んで受け取ってくれたよ。
ところで、02年頃帷子川に出没して話題になってた「たまちゃん」は今どうしてるんでっか?、確か住民登録してたでしょ。長期不在で葬式でも出したんかいな?、墓はあるんでっか?
「たまちゃん」も小便臭さそうでしたが、ドヤ街が小便臭い原因は人間の立小便<りっしょんべん>なり。
たまちゃんや 名前はタマだが 姿マラ(読み人知らず)
T性交 :2006/08/02(Wed) 20:26 No.8
<新板-1>
やぁ、エルニーニョ氏。
偶然にも、最近たまちゃんの残像を発見したので報告しようと思ってたところでした!
昔、「たまちゃんを見守る会」という活動をしていた人たちがいたじゃないですか。なんとその人たちはいまだに、活動報告として写真などをある福祉施設のウィンドーに掲示してます。どう見ても3年間放置されたものではなく、紙が新しいのです。
それを今週発見したのでした。でもあのブームの痕跡はそれだけですよ。○○ちゃんシリーズはまだテレビでやってますが、元祖はそんなものです。
私がここで指摘しておきたい事実があります。たまちゃんの出没地点は、確か西区ということで住民票は西区で発行されてたはずです。ところが、その場所はあまり人家のあるところではなく、文化圏(商圏?)的には保土ヶ谷区に属してるのであります。具体的には藤棚商店街ではなく興福寺松原商店街のシマです。
従って、先ほど述べた福祉施設も保土ヶ谷区ですし、当時たまちゃん関係のブツは保土ヶ谷区に多かったのです(マンションの壁に電飾とかあった)。
私の推定では、彼は陸に上がるのは西区であったが、水中では保土ヶ谷区に出入りしていたと思われます。なぜなら保土ヶ谷区の地名の由来は「おまんこ谷」ですからね。
まぁ、それだけのネタですがね。おもしろくなくて、すまんこ。
浪速のひまんこ
エルニーニョ深沢 :2006/08/05(Sat) 10:41 No.10
<新板-1>
やあ、T性交さん、「浪速のひまんこ」事エルニーニョです。「たまちゃんを見守る会」って例の白装束の新興カルト教団「パナウェーブ研究所」と関係あるんじゃないの?
あの当時「タマちゃんのことを想う会」というのが在って、これがパナウェーブでした。その福祉施設は何という名前ですか?、その施設もパナウェーブ関係じゃないですか?、一度調査して欲しいですな。
◆◆◆淀川でヌートリアを撮影
ところで、たまちゃんが出た序でに、淀川で巨大な鼠みたいなのが泳いでいたので写真を撮りました。実はヌートリア(※5)だったのです。まあ、ちょっと▼下▼から写真を見て下さい。
日本、珍にして奇なる光景(The RARE and STRANGE scene, Japan) 第1報
例の竹島に連れて行く鼠、これにしたらどうですか?
ヌートリアは漢字で海狸鼠(カイリネズミ)と書きます。これ昔は軍隊が毛皮にしていたそうですから、毛皮にもなるし、第一食えそうでっせ!、是非一度試食してみて下さい。カピバラ(※5-1)が食えるんだから食える筈です。
中国人は鼠も食うし、鼠酒も造っています(▼下▼を参照)。
中国のヘビーなお食事-”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
更にT性交さん、竹島でヌートリアと性交して子供を殖やしたらどうでっか?、君の股ぐらの”キンヤンマ(金蜻蜒)”を使って!!
■独言...(*_-)
フムフム。
その後、ヌートリアの記事を▼下▼に纏めたのでご覧下さい。
”生きている”淀川の入江(Live CREEK in Yodo-river, Osaka)
純喫茶とパンパン考
T性交 :2007/06/29(Fri) 15:57 No.116
<新板-1>
◆◆◆喫茶店の分類
やぁ、エルニーニョ氏。
純喫茶のページ見ました。ボクも気になって、純喫茶の意味を調べました!
すると、元々は”不純”があってこその純喫茶らしいですな。ボクの調べたその進化の過程を下に紹介しましょう。
+----->特殊浴場------>トルコ------>ソープ
|
公娼----+----->特殊飲食店---->ちょんの間-->絶滅危惧種
:
: +-->パンマ------>ヘルス/イメクラ
: |
私娼---------->パンパン---+--------------->援助交際/サポート
: |
: +--------------->デリヘル
:
カフェー+----->特殊喫茶--->絶滅 +------>チェーン店化/カフェ
| |
+----->純喫茶--------------+------>絶滅危惧種
|
+----->歌声喫茶....ノーパン喫茶....メイド喫茶 (突然変異種)
|
+----->クラブ--------------+------>希少種
| |
+----->キャバレー----------+------>キャバクラ
|
+----->バー----------------------->希少種
整理すると、だいたいこんな感じじゃないでしょうか。栄枯盛衰、諸行無常を感じますが、この中でやはり特筆すべきは”カフェー”(※1)の系統が今なお性風俗と関わり、様々な亜種を産み続けている、保守本流であることですな。←T性交氏が言って居るのは、※1の[2]の女給が居る店についてです。
インターネットカフェなんて、最近はカップルシートと呼ばれる、かつての特殊喫茶風の個室を提供していますし、メイド喫茶もその流れでしょう。これからの進化には、中華風味が入ってくるのではないでしょうか?
「純喫茶探偵団」を結成
エルニーニョ深沢 :2007/07/01(Sun) 21:57 No.118
<新板-1>
やぁ、T性交さん、中々力作ですな。ヒマの有効活用は結構毛だらけです!
◆◆◆純喫茶は「ハイソな土地には皆無」
という事実こそが「純喫茶を解く鍵」!!
「純喫茶」の話に戻ると、私のページの「考察」の章は未だ未完成ですが調査はほぼ完了していますよ。現在別のページの更新に追われて書く時間が取れないだけです。
結論的にはT性交さんの分析結果とほぼ同じです。仰る通り我が国草創期の洋風喫茶店が、ともすると”不純”な”不健全”な方向、つまりスケベ(助平)の万有引力に吸い込まれ下半身に向かい勝ちだったので、当店は純粋にコーヒーなど飲み物主体で”健全”な店です、ということをアピールするために「純」の字を付けたらしいです。
但し現在このことが、純喫茶は酒類を出さないコーヒー専門店である、かのように巷間誤って伝えられています。T性交さんもネット検索で、そのような記述を多く目にしていると思いますが。しかし、それは誤りです。
反論の第1は、純喫茶の出し物は”雑多”で、食い物に至っては雑炊や「おでん」など、凡そ洋風喫茶店の範疇外の物を平気で出す店が多い。酒を出す店も多く、今は殆ど流行らないハイボールを出す店の割合が多いのも泣かせます。
反論の第2は、もしコーヒーや紅茶専門店ならば、銀座・青山・六本木・田園調布や芦屋に在っても良さそうですが、純喫茶はこういうハイソな土地には皆無(※6)です。
私は東京の純喫茶が浅草周辺に多く巣鴨に無い(←私の知る限り)、ということが純喫茶の性格を考える上で重要だと考えています。つまり巣鴨は浅草と同様に線香臭く年寄り臭い街ですが、ここは駒込の六義園に近く文京区に接する”山の手”なのです。純喫茶は「今西棲み分け理論」(※7、※7-1)宜しく浅草のような”下町”に偏在しています。横浜でジャズファンの間で名高かった今は無き「純喫茶 ちぐさ」も”場末の野毛”の外れに在りましたが、正に今年(2007年)1月末で閉店したのです(私もニュースで知りました)。
このように、そして私のページの「純喫茶の思い出」の章に記したように、純喫茶のイメージは寧ろ”雑多”で”垢抜けせずダサイ”のです。まぁ、”不純では無い””朴訥で純朴”とは言えますね。
◆◆◆「純喫茶探偵団」を結成
そこでT性交さんに我が「純喫茶探偵団」に加わって貰い、東京のハイソな地区で純喫茶が生き残って無いかどうか、虱潰しに調べて貰いたいものですな。探偵料は野毛で豚串とホッピーにしましょうか、ブワッハッハッハ!!
尚、日本の洋風喫茶店の発祥を調べていて大変面白い話に出くわしましたが、今は疲れたのでまた次に書き込むことにします。
■独言...(*_-)
◆◆◆横浜の「純喫茶 ちぐさ」は純喫茶としても老舗!
このページは2008年2月2日の書き始めたので、もうその時には横浜の「純喫茶 ちぐさ」は閉店して1年経って居ました。「ちぐさ」はジャズ喫茶として有名ですが実は歴とした純喫茶なのです。1933(昭和8)年創業の「ちぐさ」ですが、もし1933年から「純」の文字を看板に掲げていたとすれば、「ちぐさ」は純喫茶としても老舗です。その辺の話や閉店後の話は「懐かしの「純喫茶」」を参照して下さい。
又、上の議論の中で「今は殆ど流行らないハイボールを出す店」と書いたのですが、その後ハイボールが今の若者の間で流行り出して居ます。これも「懐かしの「純喫茶」」を参照して下さい。
{ハイボールの記事は2009年2月7日に追加}
軍隊喫茶で勃て!団塊の世代
デューク性交 :2007/07/03(Tue) 19:31 No.119
<新板-1>
◆◆◆横浜ではチェーンの”コーヒー屋”が流行る
やぁ、エルニーニョ氏。
ボクも純喫茶を意識して歩く様にしましたが、ヨコハマにはまったくないですねぇ。これは前から思っていましたが、喫茶店自体がもうあまりないんですね。ボクの世代が喫茶店を利用した最後の世代でしょうな(←野毛に遂最近の07年1月末迄遣って居た店が1軒在りましたが、それが「純喫茶 ちぐさ」でした。「ちぐさ」はジャズ好きの間では”知る人ぞ知る”店でしたゾ。)。
数年前からチェーンの”コーヒー屋”が流行ってますが、あれは飲み物そのものが売りであり、持ち帰り派が多いし、テーブルや椅子が貧弱で長居できないし、人通りの多いところしかない。
喫茶店消滅後の受け皿として、ファミリーレストラン(主婦層)、ファーストフード店(若年層)、ネットカフェ(個人)が溜まり場に使われています。
エルニーニョ氏も奴隷商人してて実感してるでしょうが、これらは”親密でない男同士”で入り、”世間話や打ち合わせ”できる場では無いのです!
◆◆◆軍隊喫茶は如何?
ところで、ふた昔前の価値観では、のんびりと喫茶店などやってみたいてのありませんでした?
ぜひ引退後の団塊の世代には、この隙間を埋める喫茶店を開業してほしいですな。いきなりですが、軍隊喫茶なんてのはどうですか?、ミリタリーカフェ。なんか世間では、新兵が古参軍曹にしごかれる様なダイエットDVDが爆発的に売れてるそうでっせ。時代が軍隊を求めているのですよ。
ボクは数少ない短期従軍経験者なのでわかりますが、人間は無意識のうちに上や下に群れたい性(さが)があるので、命令したい(S)、命令されたい(M)の役割分担さえ間違わなければ、かなりの興奮状態を得ることができまっせ。
このボクでも、「左向け左!」ばかり言ってるやつに「オレはアカが嫌いだ!」と言って一同を笑わせてた古参一曹を、今でも思い出しますからな。
それにしても、我が帝国臣民が米軍の新兵訓練を喜んで真似、「入隊」などと言ってるのは情けない。
国性爺珈琲盛衰記と「軍隊喫茶 パンパン」
エルニーニョ深沢 :2007/07/04(Wed) 00:04 No.120
<新板-1>
◆◆◆メイド喫茶を逆手にとって
戦時ファッションの「もんぺ喫茶」は!
デューク性交さんも「純喫茶を意識して歩く」様に成ったとは猫灰だらけですな。
軍隊喫茶は良いアイデアですな、団塊世代は戦後生まれなので軍隊経験無いですから。メイド喫茶(直訳:女中喫茶)の逆を行って喫茶店に”入隊”したら上官に扮したウェーターにボロ靴で張り倒して貰うのが、食い過ぎのブタどもの健康には最良です。ウェートレスは戦時ファッションの「もんぺ」(※8)で決まりです。
店内は灯火管制を模して裸電球を黒い紙で覆って下さい。そして1畳間の和風個室を設けて「もんぺ」に”商売”させたら受けるでしょう。15分経ったら空襲警報のように個室でサイレンを鳴らします、時間切れの合図です。15分では短いではないか?、と思われるかも知れませんが戦時中は「早メシ、早グソ、早マンコ」ですからな、ブハハハハハ!
◆◆◆鄭成功の末裔が喫茶店の始祖の一つを経営 - 可否茶館
話は替わって、No.118に予告した洋風喫茶店発祥に纏わる「大変面白い話」というのを以下に紹介しましょう。これは鄭成功の末裔を名乗る貴君には大いに興味有ることでしょう。
そもそも日本における洋風喫茶店の発祥は何時か何処か?、ということを調べていたら
1878(明治11)年 放香堂(神戸)
1886(明治19)年 洗愁亭(東京日本橋)
1888(明治21)年 可否茶館(東京下谷)
(△2のp351、△3のp2~4、△4のp148)という名前が出て来ました。昔はコーヒーの漢字を今一般化している「珈琲」の他に咖琲、茄菲、加非、可否、可非、哥兮、骨喜、各比伊など、色々な字を当てていましたよ。これらの店の中でどれが”始祖”かは諸説在り、時代を経た今はもう断定し難い状況です。
単に日本人がコーヒーを飲んだという話になれば、あのシーボルトも親しい日本人に自宅でコーヒーを振舞ったそうですし、又、意に反して外国に”漂流”して仕舞った江戸時代の船乗り(大黒屋光太夫(※9)とか)も異国でコーヒーを供されています。しかし、これらは日本の喫茶店での話ではありません。(←大黒屋光太夫のロシア漂流の話を桂川甫周が纏めた『北槎聞略』(※9-1)に拠ると、「朝は焼餅を食ひ、コーピ(=コーヒー)をのむ。コーピは木の実にて、状(かたち)豆の如き物なり。炒焦し磨(うす)にて麁末(そまつ)となし、熱湯に泡(だ)し、砂糖、牛乳を入かきまぜのむ。多くトレツコイ(=トルコ)より来るなり。」と在ります(△5のp207)。)
上に挙げた営業用の店の中で「可否茶館」を開いた人が鄭永慶(ていえいけい)という中国名を持った日本人ですが、彼こそ革命児・鄭成功の末裔なのです。鄭成功は中国人と日本人のハーフですから、鄭永慶の中にも中国人の血は流れています。
鄭成功の血を引く人たちは日本で代々幕府の中国との通訳をしていたらしく永慶の父・永寧も明治政府の北京代理公使をしていたようです。
そういう家柄なので永慶も幼い頃から中国語・英語・フランス語などの教育を受け外交官を目指して米国エール大学に留学しましたが腎臓を患い志半ばで帰国し、その後紆余曲折を経て東京に「可否茶館」を開店しました。
この「可否茶館」は図書室、宴会場、クリケット室、ビリヤード室などを備えた贅沢な社交クラブでしたが、一部の物好きや西洋気触れの文士に愛好されただけで忽ち経営難に陥り、1892(明治25)年には店を捨てアメリカに密航しましたが、1895(明治28)年に病が再発しシアトルで生涯を閉じています(△2のp351~368)。
正に波乱万丈の「国性爺珈琲盛衰記」(※10、※10-1)ですゾ。
鄭成功に肖(あやか)りT性交を名乗り、ゴルゴ13を騙り、デュークの爵位名を横取りしている貴君は、鄭永慶を見習って所縁の地・八丈島に「軍隊喫茶 パンパン」を出店したら如何?!、ブホホホホホ!!
■独言...(*_-)
◆◆◆『珈琲遍歴』という著書が広めた「可否茶館」
フムフム。
ここでちょっと補足をして置こう。日本近代の喫茶店の始祖として良く可否茶館が挙げられて居るが、ワシはそれには『珈琲遍歴』(△2)という本の功績が大きいと思う。著者は奥山儀八郎という版画家(1907~81年)でニッカウヰスキーのデザインで知ってる方も多いと思うが。この本に「可否茶館」のことが詳しく載って居るのじゃ。
例えば「可否茶館」は1988年4月13日に開店し(△2のp352)、その広告文が全文載って居り「二百余坪ノ平地」を有して「内外ノ新聞紙及ヒ雑誌類」「文房室」「更衣ノ室」等が在った(△2のp353)。値段は
カヒー 1碗 代価 金1銭5厘
同牛乳入 1碗 代価 金 2 銭 (漢数字をアラビア数字に変換)
下谷区上野西黒門町2番地 (住所:当時は東京市)
と在り、今の値段で幾ら位か?、と思って次のページを捲ると「1杯1銭5厘のコーヒーは、当時の物価としては、ソバのモリもカケも8厘で、種物が3銭から5銭位の時代だつたから、我々の常識としては、「1杯のお茶」が2杯のソバ代金と等しかったので、安いとは思わなかった。洋酒もビールもあり、日本の酒も注文すれば出した。パン、カステラなども出た。当時、可否茶館に行くと言えば、ハイカラ(※11)であつた。」と在る(△2のp354~357)。丸で今の消滅しつつある純喫茶の様ではないか、ウワッハッハッハ!!
◆◆◆私は快楽喫茶が大好き!
それよりも、可否茶館を始めた人は国姓爺・鄭成功の末裔だったと言う話の方が面白かったのう。
ところで「鄭成功に肖(あやか)りT性交」を名乗っている我が弟子は、このネタには必ず食い付いて来るのよ。それは最初の方の議論でお解りじゃろうて、ムフフ、フッフッホッホ、ブワッハッハッハ!!
そして最後は快楽喫茶に行き着いた様じゃのう。これで[快楽主義者の喫茶店]シリーズは終わるが、当喫茶店自慢のコーヒーを飲んで行きなさい。貴方(又は貴女)も快楽主義者に成れそうですかのう、ムッフッフ!!
(+_@;)
┌U_
尚、[快楽主義者の喫茶店]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
【脚注】
※1:カフェ/カフェー(cafe[仏])は、(コーヒーの意)
[1].主としてコーヒーその他の飲料を供する店。日本では幕末の横浜に始まり、1878(明治11)年の放香堂(神戸)、1886(明治19)年の洗愁亭(東京日本橋)、1888(明治21)年の可否茶館(東京下谷) -鄭成功の末裔・鄭永慶が始めた- などが最初期の店。珈琲店。喫茶店。
[2].明治末~昭和初期頃、女給が接待して主として洋酒類を供した飲食店。カッフェ。カフェー。
※2:国性爺合戦(こくせんやかっせん)は、浄瑠璃の一。近松門左衛門作の時代物。明朝の遺臣鄭芝竜の日本亡命中の子和藤内(国性爺)が、明国の回復を図ることを脚色する。「甘輝館の段」が最も有名。正徳5年(1715)11月初演、3年越し17ヵ月間続演。後に歌舞伎化。
※2-1:南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)は、読本(よみほん)。曲亭馬琴作。全9輯106冊。室町時代、安房の武将里見義実の女・伏姫(ふせひめ)が八房(やつぶさ)という犬の精に感じて生んだ、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳の玉を持つ八犬士が、里見氏勃興に活躍する伝奇小説。主潮は勧善懲悪。1814~42年(文化11~天保13)刊。里見八犬伝。八犬伝。
※3:竹島(たけしま)は、日本海、隠岐諸島の北西方に在る島。日本では古くから知られ、又、1849年(嘉永2)フランス船リアンクール号が発見しリアンクール岩と命名したことに依り、ヨーロッパにも知られた。1905年(明治38)島根県に編入。大韓民国が独立後、その領土権を主張して係争中。面積0.2㎢。
※4:「どや」は、(隠語。「やど」の倒語)宿屋。簡易旅館。「―街」。
※5:ヌートリア(nutria[スペ], coypu[英])は、(カワウソの学名ルートラの訛)ネズミ目ヌートリア科の哺乳類。頭胴長50cm、尾長40cm程。毛色は褐色で、水中生活に適応し後足の指間に水掻きが有る。夜行性で水草や貝類を捕食。南アメリカ東部の草原や湿地の原産だが、毛皮獣として養殖され、世界各地で野生化して居る。日本では軍用毛皮獣として移入飼育されたものが、西日本各地で野生化。水辺の作物を荒らすのと、堤防に大きい巣穴を掘り危険な為、駆除される。沼狸。海狸鼠(カイリネズミ)。コイプ。
※5-1:カピバラ(capybara(現地語から))は、ネズミ目カピバラ科の哺乳類。体長1.3m、体重50kgに達し、この目(モク)で最大。尾は殆ど無い。頭が大きく、ずんぐりした体形で、赤褐色の荒い毛を持つ。南アメリカ東部の森林近くの湿地に群れを作って生活。泳ぎが巧みで、敵に遭うと水中に避難する。肉は食用にもする。
※6:ハイソとは、ハイ・ソサエティ(high society)の略で、高級住宅街。
※7:棲み分け/住み分け(すみわけ、habitat segregation)とは、[1].〔生〕生活様式が類似する動物の個体又は個体群が、種としては同じ所に棲めるのに、競争などの相互作用の結果、生活の場を空間的又は時間的に分け合う状態で生存する現象。今西錦司・可児藤吉の水生昆虫の研究から生れた概念。近年は植物群落についても言うことが有る。
[2].一般語として、空間的・時間的に互いに生息場所を違える現象を言う。
※7-1:今西錦司(いまにしきんじ)は、生態・人類学者(1902~1992)。京都生れ。京大・岡山大教授、岐阜大学長。野外調査に基づき、生態学の立場から「棲み分け理論」を確立。これを発展させ霊長類の社会構造を解明し、今西進化論を提唱。登山家としても著名。著「生物社会の論理」「人類の誕生」など。文化勲章。
※8:「もんぺ」とは、袴の形をして足首の括れている、股引に似た衣服。保温用、又は労働用。雪袴。もっぺ。もんぺえ。季語は冬。「戦時中の―姿」。
※9:大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)は、(名は幸太夫とも)江戸後期の船頭(1751~1828)。伊勢の人。1783年1月(天明2年12月)米を江戸に廻漕中に神昌丸で難船、アリューシャン列島アムチトカ島に漂着、その後ロシアに滞留、エカテリーナ2世に謁見した。92年(寛政4)外交官ラックスマンに伴われて帰国、見聞を具申。「北槎聞略」(桂川甫周著)はその記録。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9-1:北槎聞略(ほくさぶんりゃく)は、大黒屋光太夫のロシア漂流記。桂川甫周著。11巻、付録1巻。1794年(寛政6)成る。
※10:「国性爺珈琲盛衰記」は、近松の「国性爺合戦」のパロディー。
※10-1:国姓爺(こくせんや)は、明末清初の鄭成功(ていせいこう)のこと(1624~1662)。南明の唐王朱聿鍵より国姓の朱を賜った事に由る。近松門左衛門の「国性爺合戦」では「国性爺」。
※11:ハイカラ(high collar)は、(丈の高い襟の意)西洋風を気取ったり、流行を追ったりすること。又、その人。皮肉って「灰殻」を当てる。←→蛮カラ。
(以上出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『鄭成功(上・下)』(陳舜臣著、中公文庫)。
△2:『珈琲遍歴』(奥山儀八郎著、四季社)。私は古本屋でこの本を手に入れましたが、1200部限定本の995番です。
△3:『黎明期における 日本珈琲店史』(星田宏司著、いなほ書房)。
△4:『カラーブックス コーヒー入門』(佐藤哲也著、保育社)。
△5:『北槎聞略 大黒屋光太夫ロシア漂流記』(桂川甫周著、亀井高孝校訂、岩波文庫)。
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