−− 2003.02.18 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2003.02.27 改訂
■はじめに − 目に余る付和雷同と片手落ちの綺麗事
これから論じる内容は今思い付いたことでは無く、数年前から思っていたことなのですが、どうも日本の世論がテレビ等のマスメディアに依って実に軽薄に付和雷同(※1)し安直な方に流され、思考が「片手落ち」(※2)に陥っている(原因は後述)様な気がして為らないので、幾つか具体的な事例を挙げて述べたいと思います。
読者の皆さん一人一人に、これから述べる問題を”じっくりと自分の頭で考えて”、省みて貰いたいのです。そのテーマは「片手落ちの綺麗事」や「安っぽいヒューマニズム」を払拭し「自己責任型社会」への脱皮を目指す、ということです。
尚、このページは先に発表した[「自己責任型社会」への脱皮]シリーズの対談形式の第1弾
日本人の自己責任意識を問う(Our responsibility)
の続編としてその内容を補完し、更に議論を深化させたものです。この中の幾つかの「片手落ち」の事例も参考にして下さい。更には当サイト開設直後に掲載した
「肉を食らう」ということ(Carnivorous life)
の中で食肉の偽ラベル問題を「片手落ち」の事例として採り上げ私見を述べて居ますが、これは当サイトで最初に「自己責任」を論じた論考です。
■「片手落ち」の事例
<事例1>:タバコの煙と車の排気ガス
最近タバコの「嫌煙権」なる言葉が大手を振って巷を徘徊して居ますが、どうなんですかねえ。タバコを吸う吸わない、タバコの煙の匂いを好む好まない、これはもう当事者にとって好き嫌いの問題ですから”どう仕様も無い”問題なんですが、日本の風潮としては無菌、無臭、キレイ、潔癖、健康に向かっている様で、どうも愛煙家には分が悪い状況ですね。実際「健康」と言われたら誰も逆らえませんからね、唯一逆らっているのは私位のものですよ、アッハッハ!
そんな訳で愛煙家の方にはご同情申し上げますが、私の力ではどうすることも出来ません。精々ここで私が愛煙家の方に言えることは、どうか卑屈に成ったり、「吸うと寿命が短く成るのかなあ」などとマイナス志向に成らず、正々堂々と自信を持って楽天的に吸って下さい、酒もタバコも(女も?)遣らず品行方正な生活しても、早く死ぬヤツは死ぬんですから。唯ポイ捨てなどのマナーは守って欲しいですね。
ところで私は不思議に思うのですが、これ程タバコの煙に拘泥ってる健康志向の皆さんが、平気で排気ガスをガバガバ吸っていることですね。この排気ガスの中には、タイヤが巻き上げる細かい埃やタイヤそれ自体が少しずつ削り取られて粉塵化した埃などが含まれて居て、道路の傍に住んで居る人なら経験して居ると思いますが、こういう粉塵が家の中にも入り込んで来ます。酸性雨だって排気ガスが原因ですからね、タバコの煙で酸性雨が降ったなんて話、聞いた事無いですよね。
こういうのって何か片手落ちの様な気がしますがね、「嫌煙権」が有るなら「嫌排ガス権」が有っても良さそうなものだ、と私は思って仕舞います。
<事例2>:心臓ペースメーカー付帯者と電車の中の携帯電話使用
この話を読むとペースメーカー付帯者は怒るかも知れませんが、敢えて言わせて貰います。大体この「個人的見解」で述べる事は全て「敢えて言う」事ばかりで、それは当サイトのコンセプトの一つです。私は他人やテレビマスコミの意見に同調して「そうだそうだ」などとは言いません、賛成して居る時は黙って居ます、黙っていてもそちらの方向に行く訳ですから。
少し前置きが長く成りましたが、2、3年前から電車の車掌は必ず「ペースメーカー等が誤動作する恐れが有りますので携帯電話の電源をお切り下さい。」と放送する様に成りました。以前は「周りのご迷惑に成りますので...」だったのですが、前者の様に言われると、何か絶対的で威圧的な感じがして仕舞います。確かに「ペースメーカー」と言われたら誰も逆らえませんからね、私だって逆らえませんよ、これには。
ところが、電車を一歩出てホームに着くやもう野放し状態です。これって変じゃないですか?、「周りのご迷惑に成りますので」という車内放送だったらこれで構わないのですが「ペースメーカー云々」と言って置いてこれは可笑しいんじゃないですか?
ま、元々「ペースメーカー云々」という理由を言い出したのはマスメディアですが、「ペースメーカー付帯者」は一体何処から電車に乗るんですかねえ、スーパーマンの様に空から飛んで来て、電車に乗る訳では無いですから、鉄道運行会社はホームでも携帯電話禁止にしないと「ペースメーカー付帯者」がホームで倒れたら鉄道運行会社の責任に成りますよね。これって片手落ちではないですか?
<事例3>:イラクの核査察とアメリカ
さて、去年の後半は「拉致、拉致」と煩かったテレビマスコミが相も変わらずエラソーなキンキン声の口調で今度は、「査察、査察」と騒ぎ立てて居ますが、これも考えてみれば可笑しな話です。これには大きく分けて2つの「片手落ち」が在る様に思えます。
○1つ目の片手落ち
先ずアメリカなどが査察の根拠として居る「核拡散防止条約」(※3)、これ自体が既に片手落ちの条約だということを指摘しなければ行けません。この条約は核を廃絶しようという志向性など更々無いもので、文字通り「核は抑止力として列強国には必要であるが、核を第三国には拡散させない」という、シロモノです。別の言葉で言うと「核や大量破壊兵器はそれを管理する能力の有る強力な国が独占的に保持し、それ以外の国は核や大量破壊兵器を持っては為らない」ということです。中でも特に一極集中して保持する強国、もう皆さん言わなくても解りますね(※4)。日本人はこの事を読み取らなければ、明治以来高等教育でせっせとお勉強をして来た甲斐が無いというものですよ。
[ちょっと一言] ブッシュJr. 大統領は今正に宇宙艦隊の司令官気取りですが、これは彼が子供の頃のテレビ番組の西部劇(※5)や「スター・トレック」(※6)の影響でしょう。単純なストーリーを繰り返し見ると子供っぽく幼稚な人間に成る様な気がします。日本人も同様(後述)です。
こんな片手落ちな条約は有りません。核を真っ先に開発し、それを核の脅威所では無く、先の大戦で唯一実戦に行使した国、そして大戦終結後も挑戦半島、中東、南米、ベトナム、先の湾岸戦争やアフガニスタンと、常に他国の上空で戦争を仕掛けて来た国、それはアメリカです。思えばアメリカ人(←ここでは支配層を形成して居るアングロサクソンと言い換えましょう)、アングロサクソンは確かにフロンティア精神で自動車産業を興し、宇宙にロケットを打ち上げ、コンピュータ社会を創出しましたが、反面先の大戦後は前述した如くで、歴史的にはコロンブスの新大陸発見以後、北米大陸の原住民であるインディオを皆殺しにし、アフリカから連れて来た黒人奴隷を家畜として使い、彼等を踏み台に広大な国土に今日の富の基礎を築いて来たのですが、それは正に「血の歴史」です。
今日本人は唯一の被爆国として、もう少し骨の有る真っ当な意思表示をする時に来ていると、私は思います。
○2つ目の片手落ち
2番目は技術論に成りますが、一応「核拡散防止条約」を是認したとして、他国に核査察を迫るアメリカは、世界最強の核及び大量破壊兵器の保有者として、一体何時核査察を受けたのでしょうか?、ということです。イラクに核査察を迫るならアメリカもきちんと査察を受けて自ら「脅威では無い」ことを証明しないと、これも片手落ちというものです。
■考察と私の主張 − 片手落ちの綺麗事が衆愚政治を生む
さて幾つかの「片手落ち」の事例を述べて来ましたが、以上の事例でもお解りの様に、どうも日本人はこの「片手落ちの綺麗事」或いは「片手落ちの善意」にハマり「安っぽいヒューマニズム」に落ち込んで居る様に思えます。しかも自分の意見や見識からでは無くマスメディアに乗せられて居ます。以下この問題について分析的に私の考えを述べて行きましょう。
(1)「片手落ちの陥穽」と無責任体質
現在のマスメディア、特にテレビマスコミは何でも
被害者 → 100%の被害者化 → イイモン=善人=善良な弱者
→ 一切の責任を放免 → アイドル化
(実は一時的な馬鹿タレント化)
加害者 → 100%の加害者化 → ワルモン=悪人=強欲で卑劣
→ 全ての責任を転嫁 → スケープゴート化して排除(※7)
という極端な二項対立に”単純化”し”肥大化”して見せる傾向に在りますが、極端な単純化やパターン化は私に言わせれば単純人間を増殖させる一種の”ヤラセ演出”(※8)です。
[ちょっと一言] ブッシュJr. の西部劇や「スター・トレック」に対し、日本人のイイモンとワルモンへの極端な二項対立的単純化は、マンネリ化したテレビ番組の「水戸黄門」(※9)の影響が大きい、と私は考えて居ます。平民を苦しめる悪代官(=地方的権力者)を徳川家の紋所入り「印籠」(=国家権力の象徴、※9−1)で跪かせる単純なストーリーが繰り返されるので、知らず識らずの裡に「御上」に神頼みする心情が潜在意識に叩き込まれます。その結果日本全体が子供っぽく幼稚な社会に成った様に思われます。
その結果日本の大衆は「100%の加害者」に全責任を転嫁し、それさえ排除すれば全て解決出来ると思い込み群集心理(※10)で付和雷同して責め立てます。ここに被害者意識の極大化という「片手落ちの陥穽(かんせい)」が生じるのです、即ち片手落ちの判断に陥る”落とし穴”ですね。一方「100%の被害者」は一切の責任が放免されて仕舞い、ここに「無責任体質」が醸成されるのです。そして一定期間マスコミで話題に成っている間だけ騒いで、結局”ウヤムヤ(有耶無耶)の裡に忘れられて行く”というのが、お決まりのパターンです。
そして奇妙な事には、しばしば「被害者」と「加害者」の立場が逆転します。それは例えば「加害者」が自殺したり、第三者に依って無残に殺害されたりした場合で、「加害者」が一転「被害者」に成るのです。こうなると全く「責任」が吹っ飛んで仕舞います、だって「加害者」が居ない訳ですから。
この好例は政治家の疑獄事件で、或る大物政治家が窮地に立たされた時、贈賄企業の経理担当者クラスなど下っ端が”自殺”するケースです。疑獄を追及して来た勢力はそれ以上追及すると死んだ者に対し「加害者」の立場に立たされるので、結局ウヤムヤに成り、疑獄政治家は政治生命を取り戻すというパターンは過去に幾つも有り、最早疑獄潰しの常套手段です。推理小説好きな私などは、その中の幾つかは”自殺”と見せ掛けた”他殺”ではないか?、と疑って居ますよ、アッハッハ!!
これを以て無責任政治と呼ぶことは出来ますが、私の自己責任論から言えば、その責任は最終的には大衆に在るのです。つまり日本の大衆が問題の本質では無く、”どちらが被害者の立場を獲得して居るか”という捉え方しか出来ない”幼児的発想”に原因が在るからです。
(2)大衆の偽善が衆愚政治を生み、結局は大衆がバカを見る
「善人」たろうとすることは良い事なのですが、どうも日本人の「善」は世界の中では余りにも”お人好し”で”甘ったれ”で”責任感が無い”ですね。そして前述の様な「”単純化”され”肥大化”された善」にいとも簡単に引っ掛かって居ます。こういうのは正に「偽善」=「片手落ちの綺麗事」(※11)です、本当の善では無いのです。この「偽善」が「安っぽいヒューマニズム」を生み出す元です。
「”単純化”され”肥大化”された善」に安直に乗ると、結果として「バカげたもの」や「悪」に荷担して仕舞う恐れが有ります。これは商取引で「甘い話」に乗って失敗した、という良く有る話です。これが国家的な場合に於いては、先の大戦で大本営発表の「向かう所敵無し」という「”単純化”され”肥大化”された正義」に”善意”から盲従的に動員され(△1のp78〜86)、厭戦的な人々を”非国民”(※12)呼ばわりし、挙句はアメリカのB29戦闘機に対して竹槍で立ち向かい原爆を浴びる迄戦況すら知らなかった、という”善意から不幸を招く”過ちを過去に犯したことを思い出して下さい。この「竹槍的錯誤」(△2のp34)の原因は周囲への付和雷同癖であり、私は原爆は日本人の目を覚ます為のショック療法(※13)だったと”善意に解釈”して居ます。
にも拘わらず、今の日本は又も”善意から不幸を招く”ことを繰り返して居り、全く「偽善国家」の衆愚政治(※14)に他なりません。つまり
大衆の幼児的発想 → 偽善にハマる → 安っぽいヒューマニズム
→ 衆愚政治 → 大衆が不幸に陥る(=自業自得)
という連鎖的循環を生んで居るのです。結局は大衆がバカを見るということに大衆は早く気が付くべきです。バカ(馬鹿)とは即ち、頭の悪い人のことでは無く「バカ(馬鹿)を見る者」(=詰まらない目に遭い損をする者)のことを指し、「バカを見る者」が寄り集まって「衆愚」を形成するのが世の常です。
その為には一人一人が”自分の頭で考える”ことが大切で、偶(たま)には”偽悪”(※11−1)を装い「悪の論理」(△3のp29)で世の中を冷徹に見ることも必要です、少なくとも「偽善の論理」にハマらない様に心懸けるべきでしょう。それとも、私以外の日本の人々はもう一度原爆を浴びたいのですかねえ?!
(3)日本人は「子や孫の世代」に対し責任を果たして居るのか?
自分は甘くても良いと思うかも知れませんが、やはり私たちの世代の行動結果が次の世代に引き継がれ、次の世代は私たちの生き様を見て育つ訳ですから、少なくとも「負の遺産」を残さない様にもう少し気骨の有る生き様を、自分自身の為で無く子や孫たちの為に、見せる必要が有ると思います。
ま、と言っても行き成り世界情勢がどうの...、という話では無く、今これだけ不況なのですから、皆もう少し自分の仕事や稼ぎのことに集中した方が良いですね。
他人の「拉致」や「査察」や「有名人のスキャンダル」(※15)をテレビで見ていても、自分の暮らしは1円たりとも改善しませんよ、目を覚ましなさい日本人よ、そして片手落ちの綺麗事を払拭しなさい!!
{この「考察」は03年2月27日に追加}
■結び − 「嫌顔権」は如何?
又吼えて仕舞いましたね。ま、日本さえ太平であればそれで良いのかも知れませんが、自分の責任は自分で取りましょう。先の大戦での敗戦も「あれは一部の軍部と軍国主義者が悪かった、だから自分たちに責任は無い」という具合に大衆が責任回避して来たことが、今日の軟弱で無責任な日本人を作り上げて仕舞った様な気がするのですがねえ。責任有る行動をして行かないと、結局そのツケは貴方(貴女)達の子や孫に回されるということを、どうかお忘れ為さらない様に!
ところで「嫌煙権」が有るなら「嫌排ガス権」をと言いましたが、この際「嫌顔権」を立法化したらさぞ面白いですね、即ち「お前の顔など見たく無い」という権利の正当化ですね、ブワッハッハッハ!
それでは、これにてケツ礼、いや失礼!!
尚、[「自己責任型社会」への脱皮]シリーズの他画面への切り換えは最下行のページ・セレクタで行って下さい。(Please switch the page by page selector of the last-line.)
【脚注】
※1:付和雷同/附和雷同(ふわらいどう、following others blindly)とは、自分に一定の見識が無く、唯他の説に理由も無く賛成すること。「多数派に―する」。
※2:片手落ち(かたておち)とは、配慮が一方にだけ偏ること。片手打ち。「―な判定」。
※3:核拡散防止条約(かくかくさんぼうしじょうやく、Treaty on the Non Proliferation of Nuclear Weapons)/核拡散条約(かくかくさんじょうやく、Nuclear
Non-Proliferation Treaty, NPT)とは、1968年米英ソの核保有3か国と非核保有53か国の間で調印され1970年に発効した条約。非核保有国が核兵器を新たに保有することを禁じ核保有国は非核保有国に核兵器を渡すことを禁止するもので、核拡散避止義務を課している。日本は1976年批准。中国・フランスの核保有国は1992年に漸く加盟した。1995年この条約の無期限延長が決定。
非核兵器国には、核兵器製造禁止義務の遵守の検証の為、国際原子力機関(IAEA)に依る全面的保障措置の適用も義務付けられる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
補足すると、核拡散防止条約とは核兵器を禁止するものでは無く、列強が独占的に核を保有・管理し、その他大勢は核を持たず列強に従い為さい、という差別的な不平等条約です。その為1970年発効当初から物議を醸し25年間の期限付きでスタートしましたが、95年の再検討会議で漸く無期限延長に漕ぎ着けて居ます。四半世紀(=人間の1世代分に相当)の既成事実で”悪法”に慣れて仕舞った訳です。
この事を理解出来て無い日本人が余りにも多いので小学生でも解る様に説明すると、「小学校の教室へ、銃やナイフや鉄パイプを持ち込み出来るのは頭の良い学級委員だけで、その他の児童は学級委員の言う事を大人しく聴き為さい。」と成ります。
※3−1:国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん、International Atomic Energy Agency, IAEA)国連の機関の一。原子力平和利用促進の為1957年設立。核拡散防止の役割も担う。本部はウィーン。
※4:「独占的に保持する強国」とは、核拡散防止条約を形式的に解釈すれば、アメリカ/イギリス/ロシア/フランス/中国の5ヶ国に成りますが、現実はロシアは国土の殆どがシベリア凍土の二流国、イギリスは没落した老紳士、フランスは自尊心の強い伊達者、中国は漸く眠りから覚めた獅子という具合で、圧倒的にアメリカに一極集中されて居ます。実はブッシュJr. 大統領は「アメリカは地球上に最早敵無し」という、この現実を果敢に捉えて攻勢に出て居るのです。
※5:西部劇(せいぶげき、western)は、アメリカの西部開拓時代に題材を採った映画・演劇・テレビ番組。ウェスタン。
補足すると、その特徴は西部の大平原で白人のカウボーイや幌馬車隊がインディアン(=アメリカ先住民族)を銃器で遣っ付ける、という単純さに在る。開拓者精神(pioneer spirit)を謳い先住民掃討を正当化して居るのでアメリカの白人に好まれる。
※6:スター・トレック(Star Trek)は、(直訳すれば「宇宙への長旅」)アメリカのSFテレビ番組。1966年の放映開始以後、根強い人気でシリーズ化され2000年以後も続き映画化もされ、今ではマンネリ化して居る。内容は近未来に地球上の争いを克服した人類が宇宙艦隊を組み銀河系に出て異星人と交流や交戦をし乍ら宇宙を旅するもの。底流には西部劇に通じる開拓者精神と単純さが在り、宇宙艦隊の発想は現実のスペースシャトルに結実して居る。
日本では、「宇宙大作戦」という邦題で1969年から数年間放映された。
※7:スケープゴート(scapegoat)とは、(元意は「贖罪の山羊」で、古代ユダヤで贖罪の日に人の罪を負わせ荒野に放したヤギを指す)他人の罪を負わされる人。民衆の不平や憎悪を他に逸らす為の身代り・犠牲。社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が排除や抑圧の対象に選ばれる。
※8:ヤラセ/遣らせ(prearranged performances)とは、事前に打ち合わせて自然な振舞いらしく行わせること。又、その行為や演出。
※9:黄門(こうもん)とは、[1].(唐の門下省の次官である黄門侍郎の職掌に似ているから言う) 中納言の唐名。
[2].(中納言であったから言う)徳川光圀の異称。水戸黄門。
※9−1:水戸黄門の印籠(みとこうもんのいんろう)とは、[1].「水戸黄門漫遊記」のテレビドラマの中で水戸黄門(=徳川光圀)が悪人を征伐する大詰めの場面で、「権威の象徴」たる三葉葵の紋所入りの印籠 −三葉葵は徳川氏の家紋− を見せて、悪人始め一同の者を将軍家の威光で控えさ、単純に解決させる為の小道具。その単純さが受け、テレビの「水戸黄門」物は日本のマンネリ番組の代表。
[2].転じて、論理を超越した権力や権威の象徴を言う。
※10:群集心理(ぐんしゅうしんり、crowd mind)とは、多人数が1箇所に密集したり群集の状態に置かれた時に人々が示す特殊な心的状態。暗示され易く衝動的な言動をする傾向が有る。
※10−1:衝動(しょうどう、impulse)とは、[1].人の心や感覚を突き動かすこと。衝迫。
[2].反省や抑制無しに人を行動に趣かせる心の動き。「―に駆られる」。
※11:偽善(ぎぜん、hypocrisy)は、本心からで無く、見せ掛けにする善事。「―的な行為」「―者」。←→偽悪。
※11−1:偽悪(ぎあく、pretend to be evil)とは、(「偽善」の反対語としての造語)上辺だけ悪人であるかの様に振る舞うこと。態(わざ)と悪人振ること。「―家」。←→偽善。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※12:非国民(ひこくみん、unpatriotic person)とは、国民としての義務を守らない者、国家を裏切る様な行為をする者。国家意思の遂行に協力しない者。特に第二次世界大戦中の日本で、戦争体制に協力しないと見做された者に対する非難の語として用いられた。「―呼ばわり」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※13:ショック療法(―りょうほう、shock treatment)は、[1].精神科の療法の一種で、薬物(インシュリンや強心剤)や電流(電気ショック療法)で生体に衝撃を与えて効果を得る方法で、危険を伴う場合も多い。向精神薬が使われて以降は、薬物ショック療法は殆ど行われなく成った。
[2].転じて、強い衝撃を与えて膠着した心身の状態や事態の打開を試みること。
<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、一部「Microsoft エンカルタ総合大百科」より>
※14:衆愚政治(しゅうぐせいじ、mobocracy, ochlocracy)とは、堕落した民主政治の蔑称。元、古代ギリシャのアテナイでの民主政治を、アリストテレスが「政治学」の中で「堕落した大衆に依る政治」として非難した語。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※15:スキャンダル(scandal)とは、(ギリシャ語「罠」から「躓きの元」の意)
[1].不名誉な噂。醜聞。
[2].(言語道断な)不祥事。不正事件や疑獄。
[3].(醜聞に対する世間の)反感、中傷、悪口、陰口。物議。
<出典:一部「研究社 新英和・和英中辞典」より>
(以上、出典は主に広辞苑です)
【参考文献】
△1:『情報操作のトリック その歴史と方法』(川上和久著、講談社現代新書)。
△2:『定訳 菊と刀』(ルース・ベネディクト著、長谷川松治訳、現代教養文庫)。
△3:『悪の論理 − 地政学とは何か』(倉前盛通著、角川文庫)。
●関連リンク
「敢えて言う」のは「個人的見解」のコーナーのモットーであり
当サイトのコンセプトの一つ▼
当サイトのコンセプトについて(The Concept of this site)
@補完ページ(Complementary):食肉の偽ラベル問題の事例▼
(当サイトで最初に「自己責任」を論じた論考)
「肉を食らう」ということ(Carnivorous life)
日本人の付和雷同癖や健康を廻る議論▼
私の健康論−不摂生は健康の母(My healthy life)
核や大量破壊兵器を一極集中して保持する国▼
狩猟民族国家アメリカの本性(United States of Hunting people, America)
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(Mass media led the paleolith fabrication)
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2004年・鳥インフルエンザ流行(Avian Influenza, 2004)
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2005年・年頭所感−幸せ保存の法則
(Law of conservation of HAPPINESS, 2005 beginning)
未だ原爆を浴び足らん様に見える日本人▼
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