§.東京が雪で大変?、じゃ札幌はどないするねん!
(Snow in Tokyo and Sapporo)

−− 2002.12.11 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)

 ■はじめに
 一昨日ですかね、従って12月9日、お好み屋でテレビのアナウンサー(?、キャスターって言うんですかね、あれ、良く知りませんが)が何やらキンキン声を張り上げているので、ビールを飲む手を休ませて思わずテレビを見たら、何の事は無い、「東京が雪降って大変」ということですね。そりゃ雪も降りますよ、12月なんだから。
 確かに東京では雪が降るのは1年の内でそう何日も無く、珍しいのは解ります、通勤電車が止まったり大変なのも解ります、私の住んで居る大阪でも事情は同じですからね。唯、私が思うのは、雪降って大変なのは飽く迄東京やその周辺だけなんですから、全国ニュースでは無く東京地方のローカルニュースで遣って欲しいと思いますね。これは何も東京の人を責めているのでは無いですよ、だから大阪に雪が降った時大阪の放送局が同じ様な事を遣れば私は同じ事を言いますよ、大阪の放送局に対して。大阪に対しても私は発言して居ます、今直ぐ見たい人は「阪神ファン・選手・球団に告ぐ」をクリックして下さい。

 ■たかがちょろ雪ですが
 何故私がこんな事を言うのか?、それは全国ネットのニュースでこの番組をリアルタイムに見ている雪国の人はどう思いますか?、ということです、例えば札幌や新潟や青森の人たちは。アホらしくてお話に成りませんよ、全く。雪国ではもう何mも積もっていて、そんなのは何のニュースにも成らず人々は当たり前に生活して居ると言うのに、東京やその周辺でちょろっと降った位でギャアギャア騒ぎ立てているのを、雪国で暮らして居る人たちは一体どういう思いで見ているのでしょうか?、放送局やマスメディアにはそういう思い遣りが無いのですか?、と言いたいのです。
 ちょろっと雪が降って大変なのは東京及びその周辺だけなのに、あっちこっちから中継して大変さを何倍にも増幅し、その映像にキンキン声を貼り付けて、それを何mも雪が積もっている地域に無神経に配信して居るという構図は異常ですね、病気ですよ。そこにはメディアを蝕んで居る傲慢な深層心理、「東京の大変は全国でも大変なんだ」という押し付け的発想が無意識の裡に作用して居る様に思えます。
 そしてテレビを見ている方もそういう事に気付かなく成って感覚が麻痺して仕舞った状態で、テレビからタレ流されて来るものを全て鵜呑みにして居ます。

 ■私の提案と警告
 何故こんな事に成るんでしょうか?
 先ず第1にはマスメディアに対して言いましょう。私が思うには今の有力メディアは東京に一極集中して仕舞って、東京の外から自分たちを眺めてみる、立場を変えて考えてみるということが出来なく成って居ますね、報道内容の偏りを避けるのはメディアの原則なんですが。メディアは良く「永田町の論理」とか「首都移転」なんて言って居ますがね、私から言わせれば「良く言うよ、自分のことを棚に上げて」という感じですね。
 そこで私はテレビや新聞を始めとしたメディアに提案したいのですが、メディアこそ本社機構を一度東京から離してみてはどうですか?、例えば5年とか10年とか期間限定で構わないじゃないですか、自ら東京を外から見る実習を行って、その上で確りした論理で「永田町」を批判する方が政治家にも大衆にも解り易いと思うのですが。

 第2はメディアの情報を受ける側、つまり私も含めた大衆に対してですね。ま、日本人は皆優しく成って物分りが良く成って仕舞ったと言うか、気骨の有る人間が極端に減りましたね。特に頑固ジジイ的な人、長老みたいに年輪の威力で若者に苦言を呈する年寄りが殆ど居なく成りました。皆ヘラヘラ笑ってダラダラと歳を無駄に重ねている年寄りばかりに成って仕舞いました。これもメディアが散々吹聴した言葉ですが「生涯青年」とか「熟年」とか、果ては「シルバー」とか何とか言っちゃってね。だから私がこう遣って頑固ジジイ役をしなければ為らないのです。
 先程の雪の問題ですけどね、私は一人位は雪国から気骨有る発言を聴きたかったですね、「バカヤロー、たった何cmか雪が降った位でガタガタ言うな、オレたちは何mもの雪の中で毎日生活してるんだ」ってね。
 それともう一つテレビを”見過ぎる”のは良く無いですよ。「日経良く読む」って言うコマーシャルが有りますが、新聞の”読み過ぎ”やテレビの”見過ぎ”は良く無いですね、こういうのって段々ハマッて行きますからね、同じ事を繰り返しインプットされる為にマインド・コントロール(※1)や洗脳(※1−1)に成るんです。特にテレビのCMにはサブリミナル効果(※1−2、△1のp25〜59)とういう手法が巧みに使われて居ます −事実、この効果はテレビCMに於いて実証された− ので要注意です。
 数年前、例のオウム真理教のサリン事件が起きた時(=1995年)、今の北朝鮮拉致事件と同様に毎日の様にオウムの事ばっかりを朝から晩迄遣って居ましたね、それを見ていた食堂のおばちゃんが、あの人たちはマインド・コントロールされて居るなんて言ったので、私は余程そのおばちゃんに「おばちゃんこそマインド・コントロールされてるぞ」って言って遣ろうかと思いましたよ、ま、言わなかったですけどね。だってそのおばちゃん、例の鼠講商法の洗剤や健康食品や「痩せる石鹸」なるものを買い込んで、新興宗教の信者の様にその商品を他人に「伝道」して居ましたからね。
 新聞を”読み過ぎ”ている人やテレビを”見過ぎ”ている人の中で、自分の意見を確り構築出来ている人って少ないと言うか殆ど居ませんね。”過ぎている”人は多弁ですがその中に自分の言葉というものが無くて、新聞やテレビが言っていることを「伝道」する様に成っちゃうんですよ、ヒドイのに成ると口調迄何処かの放送局の誰かに似て来たりして、コワイですね。

 ■結び
 東京にちょろっと雪が降って大変、というニュースを見て私は一瞬の内にここに書いたことを思った訳です、そして言いましたねビール片手に、「じゃ札幌はどないするねん!」と。

  もの言えば くちびる苦(にが)し 東京の雪      月海

−−− 完 −−−

【脚注】
※1:マインド・コントロール(mind control)とは、[1].狭義には、催眠法で個人や集団を被暗示性の高い状態に導き、暗示で特異な記憶や思考を生じさせること。
 [2].広義には、強制に依らず個人の思想や行動・感情などを或る特定の方向へ誘導すること、又はその技術。精神統制とも言われ、宗教界などで使われる。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※1−1:洗脳(せんのう、brainwashing)とは、
 [1].新しい思想を集中的繰り返し教え込んで、それ迄の思想を改めさせること。語源は、第二次世界大戦後の一時期、中国側の捕虜に対する思想改造教育を連合軍側で呼んだとされる "brainwashing" の直訳。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 [2].広義には、或る思想や情報を集中的繰り返し発信、又は注入することで思想感化させること。
※1−2:サブリミナル効果(―こうか、subliminal effect)とは、(subliminal は「潜在意識の」の意)意識下に刺激を与えることで表れる効果。テレビやラジオなどに、知覚出来ない程度の速さや音量の広告を繰り返し挿入し、視聴者の購買意欲を増すものなど。広告に於ける宣伝効果で実証され、サブリミナル広告(subliminal advertising)として、テレビ・コマーシャルでは日常的手段。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『メディア・レイプ』(ウィルソン・ブライアン・キイ著、鈴木晶・入江良平訳、リブロポート発行)。

●関連リンク
大阪にも苦言を呈して居る例▼
阪神ファン・選手・球団に告ぐ(To HANSHIN Tigers and its fan)
マインド・コントロールやマスメディアの洗脳力について▼
理性と感性の数学的考察(Mathematics of Reason and Sense)
テレビ見過ぎの人々と新興宗教信者と鼠商人に共通する
マインド・コントロール▼
不況下に蔓延る鼠商人(The Rat Merchants)
「健康」に嵌まる人々と嵌める人々▼
私の健康論−不摂生は健康の母(My healthy life)
サブリミナル効果の他の例▼
ベートーヴェン「交響曲第9番「合唱付き」」(Symphony No.9, Beethoven)


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