§.私の健康論−不摂生は健康の母
[エルニーニョの快楽主義的健康論
(My healthy life)

−− 2002.12.04 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2003.03.28 改訂

 ■はじめに − バブル崩壊後の歪な健康ブームと付和雷同癖
 何時頃からでしょうか、健康ブームなる現象が始まったのは?、はっきり覚えて居ませんが、私の記憶ではあのバブルが弾けた少し後、即ち1992〜3年頃だった様に思います。それ以前にも公害や環境汚染などから食品安全や衛生面での自己防衛的な注意の喚起はマスコミ等に依って行われて居ましたが、群集心理も手伝って今の様に何でも健康、健康と付和雷同(※1)してブームに成ったのはやはりバブル後だった様に思います。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 凡そ日本人は戦前・戦後一貫して時事的な話題に付和雷同する”癖”が有り、洪水に押し流される土砂の如くに「塊」として行動して来た、と私には思えます。それは日本人の何事も群れて行動する思考パターンの結果でしょうか、或いは「水戸黄門」(※2)の見過ぎでマスコミ報道を”御上(おかみ)の声”として聴いて仕舞う封建時代の慣習なのでしょうか。だから日本の選挙などは常にムードブームに流され易く主体性が感じられません。ま、常にブームに押し流されて一貫性が無いのに、この「常にブームに押し流される」という性癖だけは一貫して保持して来たという逆説が成立して居ます。

 この健康ブームにはバブル崩壊に因って一気に吐き出された多数の失業者が鼠講式のマルチ商法(=鼠商法)に流れ込み、型に嵌まったワンパターンな健康論を吹聴し乍ら健康食品(※3)を販売したことも一役買っているかも知れません。更には新興宗教各派もブームに便乗して信者に健康食品を売り付けて居ました。
  {この論考にはマルチ商法に対する記述も含んで居ましたが、テーマをすっきりさせる為、03年3月28日にその部分を「不況下に蔓延る鼠商人」に分離独立させました。この中で私は「鼠商法、鼠組織、鼠商人、鼠商品」を定義し、徹底的に批判して居ます。}

 こうして「健康の商品化」が為し遂げられましたが、この歪(いびつ)な健康ブームの極みが1995年5月頃の「痩せる石鹸」のブームでしたね。兎に角95年という年は1月17日に関西が阪神淡路大震災に見舞われ、3月20日には東京で地下鉄サリン事件が起きて日本中が騒然とした大変な年でした。

 ■世間一般の健康観
 さて、人は誰でも「健康」と言われれば逆らえない訳ですが、「健康」という標語を”水戸黄門の印籠”(※2−1)の如くに掲げて、人の弱み(=小市民的善良さ)に付け込む商売が有るんですね。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 一般的に他人の弱みに付け込める商売はハッキリ言って儲かるのです。医者が儲かるのは他人の健康を支配・管理出来るから、弁護士が儲かるのは他人の安泰と財産を支配・管理出来るから、政治屋が儲かるのは他人の利権を支配・管理出来るから、カルト宗教が儲かるのは他人の精神を支配・管理出来るからです。他人の「死」を支配・管理・演出する葬儀屋グループ(坊主、墓場売り不動産から石屋、花屋迄のシンジケート)も儲かりまっせ!

 そういう商売の会社や人々 −その一端を前述の鼠組織が担って居る− は、やれダイオキシンがどうとか、コラーゲンがどうとか、やれ次は環境ホルモンだ活性酸素だとか、次から次と新説を掲げて思い切り不安を煽り、「体に優しい水」などの有りと有らゆる健康食品を捻り出して来ますが、ここには見過ごせない重大な盲点が在るのに皆さんお気付きでしょうか?
 第1に、これらの健康食品は必ず軟弱な粉末ジュース状です。
 第2には、健康食品を売る方も買う方もこの商品の××の成分が体に良いという点でお互い納得して仕舞う訳ですが、これは双方共に字面(じづら)の”成分合わせ”でしか無いということです。
 そして第3には、こういう人達は健康に対する考え方が受動的と言うか他力本願だということです。但し、ここで言う「他力」とは文字通りの意味で、他人の力に依存する傾向を指し、浄土宗系の深い意味の他力本願のことではありません。

 ■私の反論
 私はこういう「世間一般の健康観」とは全く反対の健康観(→後で詳述)を持って居ますので、敢えて”逆らえない健康”に逆らい世間一般に対し反論して見せましょう。
 第1については、私はこういう物程信じられませんね、だって何が入っているか判らないからです。ジュースなんか飲まないでミカンやリンゴを食べれば良いし、コラーゲンでお肌をツルツルにしたかったらスッポンでも食べれば良い訳です。即ち形有る物を食べることが基本です。
 第2は、例えばカルシウムが骨を丈夫にするとか骨粗鬆症(※4、※4−1)に良いとか言ってカルシウムを粉末やジュース状の食品から摂取するのは一見正しそうですが、実は正しく無いのです。本来カルシウムは動物の骨に含まれる成分で、元々は獣や鳥や魚の骨をバリバリ歯で噛み砕いて体に取り入れて来たのです。それに依ってカルシウムを摂取するということは同時に歯を丈夫にする、従って入口から体を鍛える役割を果たして居ました。人工的で軟弱な食材や”成分合わせ”に依存するのは、人間のみならず生物が本来持っている総合的な身体強化力を全く否定して居る事に成ります。中には”科学的”であるかの様な成分説明自体が擬似科学であったりしますので注意が必要です。
 こういう軟弱で”成分合わせ”の食事と言うのは、病院が典型的で、病院と言うのは健康的に活動出来ない人の為に、已むを得ず必要な成分を注入して体力を維持する為に遣っている訳ですから、シャバで活動して居る人がこういう病院食の盲信に陥ること自体”ビョーキ”です。
 第3、第2の問題とも関連するのですが、健康とは本来自分の体を何らかの修練・鍛錬に依って鍛え上げ、又その修練・鍛錬に耐え抜き打ち勝とうとする過程で精神力が鍛えられる訳です。自分の体を鍛え丈夫な体を作り抵抗力を高める、という能動的或いは自力更生(=自助努力)(※5、※5−1)が先ず最初に在るべきです。それをせずにダラダラした生活の中で病人と同じ様に単に成分だけを粉末や流動食やジュースで受動的に摂取すれば事足りると考えるのは虫の良い話です。
 そしてこれらの受動的な人々は大抵の場合”成分合わせ”の能書きに簡単にハマることも事実です。彼等は押し並べて”末生(うらな)りの瓜の様な青白い顔”をして、体を鍛えるという努力をせずに専ら他力本願で健康の幻想を手に入れ、尚且つ鼠商人に成ってそれで収入を得ようと可なり必死です。従って”成分合わせ”の情報には詳しい人が結構いて、オタク(※6)がゲーム機やパソコンに詳しい様に、ハマる人々はオタクの一種なのです。私は彼等のことを健康オタクと呼んで居ますが、必死な分傍(はた)から見ていると滑稽です。
 以上の点から自助努力無き健康食品への依存は精神が病んでる証拠です。つまり健康食品を売る鼠商人もビョーキ、それに飛び付く人もビョーキ、という構図が見えて来る訳で、「健康食品の周りに健康人は居ない」或いは「健康オタクは不健康」という方程式が成り立ちます(←事実、私が言う健康オタクの症状に対し健康症候群(※7〜※7−2)なる用語が提出されて居ます)。そこで以下に私がどうして居るか述べましょう。

 ■私の健康法 − 不摂生は健康の母
 (1)「食う為に生きる」の心
 そもそも何故健康で在らねば為らないのか?、それは先程の反論の中でも述べましたが、一口で言えば体の抵抗力を高め様々な病原菌等に打ち勝てる体にすることです。その中の一つの方法として薬の力を借りる選択肢は有る訳ですが、先ず自分自身を鍛えるのが先決です。そうしないと能書きを鵜呑みにして個別成分や薬品に依存して仕舞います、これでは本末転倒!
 その為には、先ずを食う時は成分がどうのこうのなど余計な事は考えない。ごちゃごちゃ考えずに、軽い味付けで自然の野菜や魚や肉など「形有る物をバリバリ食う」、これですよ。大体腹が減ったら何でも旨い、だから腹が減らなかったら食べない。三度三度なんて無視、時間も無視、腹が減った時が食事時、つまり自然体ですね。そもそも腹も減って無いのに食うから肥満に成ったり、脂肪の摂り過ぎで糖尿病に成ったりする訳です。今、日本人の殆どが糖尿病だなんて言うのは食い過ぎの証拠です。
 考えても見て下さい、朝8時に成ったから(腹も減って無いのに)朝ご飯、昼のチャイムが鳴ったから(腹も減って無いのに)昼ご飯、夜はテレビで「水戸黄門」などを見乍ら(腹も減って無いのに)夕ご飯、これはもう条件反射(※8)です、学校で習ったでしょ、モルモットですよ。
 私は何時も次の食事を如何に旨くするか、つまり次の食事迄に如何に腹を減らすか、ということを考えて居ます。全く食う為の動物です、私は。人間はもっと多様に生きた方が良いというのが私の持論ですから、皆が皆「考える葦」(※9)なんかに成らなくても良い訳で、否、皆が皆「考える葦」だなんて言えば言う程、私は食う為に生きようと思って居ますよ。そうでしょ、食う為に生きて何が悪い!!
 しかし旨い食事と言うのは、何も高い料理を食べることではありません。値段が高い安いなんて関係有りませんね。安くて旨いのが最高。やはり楽しく食べることですね。ところが世の中には楽しく食べるということを勘違いして居る人が非常に多く、食事の時だけ楽しい話をしたってダメですよ。心に心配事が有れば幾ら楽しい会話でもそんなものは上の空に成って仕舞いますからね。だから食事を楽しくするコツは例えば夕食ならば、その日の仕事なり日課なりを成功に導くことです。そして時間が有れば運動で体を動かし汗を掻いたら風呂に入って、満足感と空腹感に満たされた時、これはもう文句無しに楽しく旨い。この様に自然と浮き浮きして来る様な心の状態を創り出す、私が「食う為に生きる」と宣言して居るのはこの事を常に心懸けているからです、お解り戴けたでしょうか?

  ◆健康に関するエルニーニョの中定理
 健康法と言い乍らメシの話ばかりでしたね、こりゃ又失礼。ま、私は「食即是康、康即是食」、即ち美味しく食べることこそ健康の第一義的な必須条件と考えて居ます。即ち「如何にすればメシが美味しく成るか?」、その解決法が畢竟私の健康法という事に成り、その為にメシの話をして来た訳です。そしてその答えはズバリ「変化に富んだ不規則な生活」です。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」(※10)という西欧の諺も、その上に成り立つ訳ですね。
 元気で抵抗力の有る体であれば、当然不健康な状況にも打ち勝つことが出来る訳で、「変化に富んだ生活・不摂生な生活が出来る」ことこそが健康の証(=不摂生度は健康のバロメーターであり、又、自分を更に鍛える方法なのです。この論考のタイトルに謳った
  不摂生は健康の母
健康に関するエルニーニョの中定理です。これは私の生活哲学であり日々実践して居る実践哲学(←つまり私の生き方そのもの)で「健全なる精神」の結晶です。体と心が健康であれば、自ずと変化を求める様に成り、だから旅に出たりする訳ですね。旅に出れば体を動かし心も晴れ晴れ、酒が旨い、メシが旨い、姐ちゃんも新鮮で綺麗だ...、ともう健康の堂々巡りです。これが快楽主義者である私の快楽主義的健康論(※11、※11−1)の中身です。

 (2)ストレスは単純化した生活から生まれる
 今の健康ブームの世の中で、私の反健康論的とも言える考えは、今のご時世からするとテロだ、なんて言われ兼ねない所ですが、更にテロリスト的考えをご披露しましょう。
 私は俗に言う極楽トンボで発散型の為かストレス(※12)が溜まらないタイプなのですが、話の締め括りとして最後にストレスについて一言申し上げます。既に述べた様に現代の日本は糖尿病の時代で、現代はストレスの時代とも良く言われます。何故でしょうか?、答えは簡単です。
 ストレスは偏(ひとえ)に、余計な事を考える事に起因して居ます。特に食う時に余計な事を考えるのは良くありません。昔の人はメシを食う時に××の成分がどうだとか、発ガン物質がどうだとか、などの余計な事は考えなかったのでストレスなんか無かったのです。又、世間一般ではストレスの原因として多くの場合、複雑化する社会、とか何とか言って居ますが、これも大いに誤りです。こう成るともう健康論を脱して文明論に成って仕舞いますが、少し私見を披露しますとこうです。
 私が思うに現代と言うのは、ここでは西欧や日本などの文明社会に限って言いますが、機械化・電子化が進み、寧ろ生活はどんどん単純化して居るのです。私達日本もそういう単純化に向かっていると言わざるを得ません。昔の方が何をするにも手作業と肉体労働を必要として手間や工数も格段に多く掛かり、その分介在する人手も多く複雑だったのです。例えば洗濯でも車でも、今は単純化されて居ます。そして今何かを開発する時のプレゼンテーションでは皆さん、何て言いますか?、××のシステムを開発或いは導入すれば、××がこれだけ「単純化」されて××だけのコスト削減に成り、...延(ひ)いては××の経済効果が有るとか言いますよね。そうです、これ迄もそう遣ってどんどん「単純化」して来た筈です。それが今に成って益々複雑化する社会、なんて言うのは論理の矛盾というものです。「グローバリゼーション」と言うのは単純化の究極の姿なのです。
 では何故世間一般は論理の矛盾をも省みず、現代を複雑化した、なんて言うんでしょう?、これはもう自己欺瞞ですね、自分で自分をゴマ化して居ます。では何故ゴマ化す必要が有るんでしょうか?、それは恥ずかしいからです。つまり、世の中が昔より単純化して居るのに、ストレスを始め昔無かった精神的な病とか圧迫感で悩んで居る、ということを認めたく無いからです。
 さて、この問題はこれ位にしてストレスに戻ると、現代は単純化して居るからこそ、現代人は仕事を遣り乍らとかメシを食い乍ら余計な事を考えて仕舞うのです。つまり今のサラリーマン仕事など集中しなくても熟(こな)せるし、車は隣の助手席の彼女のプリプリ揺れる乳房とかスカートから食み出した太モモをチラチラ見乍ら、しかもケイタイし乍ら運転出来て仕舞う、ということです。こういう単純化された余裕から考えなくても良い事を考える、つまり変に考え過ぎるからストレスに成る訳です。
ウンコボーイです、こんな格好で失礼します。 大体人間の胃袋は食物は消化出来ても、屁理屈は消化出来ませんから、メシを食う時に栄養成分だとか余計な事を考える人程ストレスが溜まります。例え能書きが胃袋に入ってもウンコと一緒に流して仕舞える私の様な人を別にして。尚、左の写真は当サイトのマスコットの一つのウンコボーイで、写真をクリックすると拡大写真が出現します。
 ですからストレス持ちの人に言いたいのは、生活に変化を持たせ余計な事を考えない様にする、ということです。医者が良く言う所の「規則正しい生活」(=ワンパターンな生活)は余計な事を考える元です。大体「規則正しい生活」なんて牢獄病院と一緒ですよ、牢獄や病院では規律を守り「規則正しい生活」を強制されて居るのです。ですから「規則正しい生活」とは、シャバに暮らす人間が精神的・肉体的に自らを牢獄に閉じ込めて仕舞う行為で、全くアホらしい限りです。

 (3)「規則正しい生活」説の欺瞞性
 では、現代の医者のお題目と化した「規則正しい生活」が美徳とされる様に成ったのは、一体何時頃からか?
 それはサラリーマン社会に成って以降即ち少なくとも明治中頃以降で、江戸の職人社会ではそんなヤボな事は言いませんでした。チャップリン(※13)の映画『モダン・タイムス』の様にサラリーマン社会では人間一人一人の個性や差違など無視して、マス(mass)としての人間の塊、労働力としての経済性のみしか評価されませんからね、サラリーマンも機械の様に正確な規則正しさが要求される訳です。朝、会社が始業時にはサラリーマンには準備万端スタンバイして貰わないと困るのです、資本家は。従って二日酔いで休まれない様に会社以外の私生活も規制の対象にする必要が有るのです、経営者は。つまり人間を”体良く飼い殺す”為のお題目が「規則正しい生活」という訳で、本来は健康の為なんかでは無いのです。
 、考えてみるとサラリーマンも囚人と似た様なものかも知れませんね。えっ、そんな事は無い、オレたちは自由だ、と仰るでしょう。しかしサラリーマンの皆さん、確かにあなた方は空間的には鎖に繋がれては居ませんし自由ですが、時間的には完璧に縛られて居ますよ、時間という見えない鎖にね。正に時間の奴隷と言っても過言では無いでしょう、つまり半奴隷です。そう考えるとストレスとはサラリーマン社会の落し児と言えますね。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 医者のマクロ経済学からすれば人々が健康に成り患者がゼロに成っては生活が成り立ちません。つまり医者は患者を「治さず殺さず」というのがホンネなのです。それ故に医者は「規則正しい生活」という”飼い殺しの論理”を金科玉条のお題目として唱える訳ですね。これで少しは世の中の仕組みが見えて来たでしょう!!

 ■結び − 不健康の堂々巡りを断ち切る大胆な提案
 どうですか?、毎日の規則正しさが生活を単調にし、従って集中出来ずに余計な事を考えてストレスに悩み、医者に診て貰ったら「規則正しい生活をしなさい」と言われ...、という、不健康の堂々巡りに陥って居ませんか?
 ストレスは余計な事を考えなければ良いのです。しかしこれでは不眠症の人に「眠れば治る」、偏食症の人に「何でも食べ為さい」と言っているのと同じですね。実は不眠症や偏食症には逆説的療法が有効です。「眠れないから不眠症」なのですね、ですから不眠症の人は変に悩まず徹底的に眠らなければ良いのです。でも人は1ヶ月も眠らずに居ることは出来ませんから、その内必ず眠く成ります。その時ガバッと思い切り寝れば不眠症は解消されます。偏食症も同じです。例えば人参が嫌いな子供に無理に人参を食べさせようとせず、徹底的に何も食べさせなければ良いのです。でも人は1ヶ月も食べずに居ることは出来ませんから、その内必ず何でも構わず食べたく成ります。その時バリバリと人参を思い切り生噛りさせれば次から人参を食べれる様に成ります。こういう自助努力無しに医者や薬などの「他力」に頼るから何時迄経ってもストレスや不眠症や偏食症が治らないのです。私が思うにストレスも不眠症も偏食症も、直ぐに他力本願を許す「甘えの構造」社会の”甘やかし”が最大の原因です(△1)。
 最後にストレスに因る不健康の堂々巡りを断ち切る大胆な方法 −これぞ究極の快楽主義!− をご提案しましょう。それは、ストレス持ちの人は夕食前にセックスでもしたらどうですか。そして気持ち好い余韻に浸り乍ら未だ湯気の立っている体で、同じく湯気の立っているご飯にビールでもぶっ掛け、ガバッと食べたらどうでしょう。セックスの運動で腹減るし発散出来るし余計な事を考えなくて済みますよ、一度お試し下さい、ブワッハッハッハ!!
                (^O^)

 以上で「不摂生」が何故「健康の母」なのか?、充分お解り戴けたことと思います。まあ、「言葉遊び」の連発で好き勝手な事を述べて来ましたが、ここに開陳した考え方は前述の様に私の生き方そのものです。しかし快楽主義者(※11−1)を自認する私みたいな者程意外と呆気無くぽっくり逝って仕舞うものです。ああ、何かぽっくり逝きそうな気がして来ました、あぁ〜。
 では皆さん、お達者で〜〜!!

−−− 完 −−−

【脚注】
※1:付和雷同/附和雷同(ふわらいどう、following others blindly)とは、自分に一定の見識が無く、唯他の説に理由も無く賛成すること。「多数派に―する」。

※2:黄門(こうもん)とは、[1].(唐の門下省の次官である黄門侍郎の職掌に似ているから言う) 中納言の唐名
 [2].(中納言であったから言う)徳川光圀の異称。水戸黄門
※2−1:水戸黄門の印籠(みとこうもんのいんろう)とは、[1].「水戸黄門漫遊記」のテレビドラマの中で水戸黄門(=徳川光圀)が悪人を征伐する大詰めの場面で、「権威の象徴」たる三葉葵の紋所入りの印籠 −三葉葵は徳川氏の家紋− を見せて、悪人始め一同の者を将軍家の威光で控えさ、単純に解決させる為の小道具。その単純さが受け、テレビの「水戸黄門」物は日本のマンネリ番組の代表。
 [2].転じて、論理を超越した権力や権威の象徴を言う。

※3:健康食品(けんこうしょくひん、healthy food)は、一般に健康増進に良いとして販売される食品群全般を指す。健康茶などの自然食品、ローヤルゼリーなどの健康増強型食品栄養ドリンク剤健康志向型食品、特定の栄養素を含む栄養補助食品などが在る。原料は様々で約2千種にも上る。中には、薬効が有ると誇大宣伝する場合も有る為、我が国では日本健康食品協会が規格基準を設定し1986年から認定マークを付けて居る。90年からは医薬品並みに摂取の量・方法を表示。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」、「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※4:骨粗鬆症(こつそしょうしょう、osteoporosis)とは、骨が萎縮し、脆く折れ易く成る状態。老人、閉経後の女性、ステロイドの過剰投与後、長期の安静や固定後などに起る。
※4−1:ステロイド(steroid)は、分子中にステロイド核と称する共通構造を持つ一連の有機化合物の総称。体内で生合成され、ステリン/胆汁酸/性ホルモン/副腎皮質ホルモンなど、生理的に重要な物質が多い。人工合成品はステロイド剤として医薬などに用いる。

※5:自力更生(じりきこうせい)とは、他の力を頼まず、全く自分の力に依って生活を改めて行くこと。
※5−1:自助(じじょ)とは、[1].自分で自分の身を助けること。他人に依頼せず、自分の力で自分の向上・発展を遂げること。
 [2].〔法〕自力救済の意。国家が自力で他国の違法行為に対し自己の国際法上の権利を守ること。

※6:オタクとは、パソコンやファミコン、ビデオ、アニメなど一つの事にのめり込み、その世界の中に自分自身を全て投入して仕舞う人間。自分が入り込んだ世界から外部を眺めると全て客体化されて居る為に、友達に対しても「お宅は...」としか表現することが出来ない。その世界に於いて全ての事を知ろうとする知識欲には凄いものが有るが、それ以外に関しては殆ど無関心である。コラムニストの中森明夫1984年に彼のコラムの中で名付けたものだが、一般的に成ったのは89年の連続幼女殺害事件の容疑者がアニメの中にのめり込んで居たことから言われる様に成った。おたく(お宅)。<出典:「最新日本語活用事典」>

※7:健康症候群(けんこうしょうこうぐん、health syndrome)とは、「健康」の言葉が付いたとたんに商品価値が丸で変わって仕舞う現象に見られる様に、人々が狂騒的なブームを作り出す程に健康に過熱する病態。特に食材の成分についての如何にも”科学的”であるかの様な喧伝 −中には擬似科学に基づくものも在る− に乗り、人々が正確な知識では無くテレビや雑誌やマルチ商法主催者の会合などで仕入れた”生半可な俄か知識””群集心理”で行動する点が問題。逆に見れば、飽食と成人病社会の中で「健康」が最大の消費ニーズに成った事の現れで、或る人は「健康に成れるんだったら死んでも良い」と人々が思い始めたと皮肉った。常に不断に健康的なるものを求めて行くという点で、健恒主義の発想も覗える。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」を基に編集>
※7−1:症候群(しょうこうぐん、syndrome)とは、一群の多彩な症候で形成される纏まった病態。原因及び発生機序が同一であれば独立した疾患単位であるが、原因が多岐に亘るものも有る。転じて、病的傾向を意味する接尾辞としても用いる。ダウン症候群/ネフローゼ症候群など。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※7−2:症候(しょうこう、symptom)とは、身体に表れた病的変化。患者自身の訴える病的変化、即ち疼痛・痒感・温冷又は不快の感を自覚的症候と言い、患者自身並びに医師、又は医師だけに認められる病的変化を他覚的症候と言う。

※8:条件反射(じょうけんはんしゃ)とは、生物が環境条件に適応して後天的に獲得する反射。反射と無関係な刺激を同時に反復して与えることに依り、その刺激(条件刺激)だけで反射が起る様に成る現象。犬に特定の音と餌とを反復して与えると、その音を聞いただけで犬が涎(よだれ)を流す様に成る類。先天的な反射(無条件反射)に対して言う。パヴロフが詳細に研究。行動主義心理学に大きな影響を与えた。古典的条件付け

※9:「考える葦」とは、パスカルが「パンセ」の中で人間の存在を捉えた語。人間は葦に譬えられる様な弱い存在であるが、考えるという特性を持っているとして、思考の偉大さを説いたもの。
※9−1:パスカル(Blaise Pascal)は、フランスの哲学者・数学者・物理学者(1623〜1662)。大気圧・液体圧に関する業績円錐曲線論は有名。無限な宇宙に比すれば、人間は葦の如く弱いが、それを知っている人間は「考える葦」として「知らない宇宙」よりも偉大であり、更に全てを知っていることよりも一つの小さな愛の業の方が尚偉大であると説いた。これを物体・精神・愛という秩序の三段階と呼んだ。今日では実存主義の先駆と見做されて居る。著「パンセ」などの他、イエズス会士との論争書簡集が在る。

※10:「健全なる精神は健全なる身体に宿る」は、(ローマの詩人ユウェナリスの「諷刺詩集」から)身体が強健であってこそ精神も健全である。詩の本来の意味は「健康な身体に宿る健康な精神を願う」というもの。
  mens sana in corpore sano. [ラ]
  A sound mind in a sound body. [英]

※11:快楽主義(かいらくしゅぎ、hedonism, epicureanism)とは、人生の目的価値の標準を快楽に置き、道徳は快楽を実現する為の手段とする立場。快楽説。享楽主義。
※11−1:快楽主義者(かいらくしゅぎしゃ、hedonist, epicurean)とは、快楽主義を信条とする人。又、快楽を追求し実践する人。エピキュリアン(=エピクロス主義者)。享楽主義者。

※12:ストレス(stress)とは、この場合、[1].〔医〕種々の外部刺激が心の負担として働く時、心身に生ずる機能変化。ストレスの原因と成る要素(=ストレッサー)は寒暑・騒音・化学物質など物理化学的なもの、飢餓・感染・過労・睡眠不足など生物学的なもの、精神緊張・不安・恐怖・興奮など心理的・社会的なものなど、多様である。
 [2].俗に、精神的緊張を言う。「―が溜まる」。

※13:チャップリン(Charles Spencer Chaplin)は、映画俳優・監督(1889〜1977)。ロンドン生れ。ロンドンの貧しい寄席芸人の両親に芸の訓練を受け、1913年ハリウッド入り。哀調を湛えた滑稽味を持つ独特の仕草と扮装で、弱者・貧者の悲哀と現代西欧社会の不平等への怒りを表現。1915年以後は自作自演監督。20世紀前半の映画界を代表する存在と成った。しかし、資本主義社会の社会悪に批判的であった為に、アメリカは1952年彼の再入国を拒否、スイスで没した。作「黄金狂時代」「街の灯」「モダン・タイムス」「独裁者」(トーキー第1作、1940年)、「殺人狂時代」「ライムライト」など。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『「甘え」の構造』(土居健郎著、弘文堂)。

●関連リンク
参照ページ(Reference-Page):阪神淡路大震災について▼
資料−地震の用語集(Glossary of Earthquake)
参照ページ(Reference-Page):ウンコボーイとは▼
ウンコボーイ(Unko-boy)
補完ページ(Complementary):歪な健康ブームに寄与した鼠商人▼
不況下に蔓延る鼠商人(The Rat Merchants)
補完ページ(Complementary):「形有る物をバリバリ食う」哲学▼
(この論考では健康食品をインポテンツと喝破して居ます)
「肉を食らう」ということ(Carnivorous life)
補完ページ(Complementary):快楽主義者の「言葉遊び」論▼
(=「快楽主義者のお喋り集」のコーナーのコンセプト)
「言葉遊び」と遊び心(The 'play of word' and playing mind)
「形有る物をバリバリ食う」実践(中国)▼
(そして「食う為に生きる」人種の逞しさ)
中国のヘビーなお食事−”食狗蛇蠍的!”(Chinese heavy meal)
「形有る物をバリバリ食う」実践(日本)▼
日本、形有る物を食う旅(Practice of active meal, Japan)
テレビの見過ぎの弊害▼
東京が雪で大変?、じゃ札幌はどないするねん!
(Snow in Tokyo and Sapporo)

「水戸黄門」の見過ぎの弊害▼
片手落ちの綺麗事を払拭せよ!(Sweep away unbalanced virtue !)
「考え過ぎない」心の鍛錬▼
2003年・伊賀忍者村訪問記(Iga NINJA-village, Mie, 2003)
軽薄で似非グルメの「食オタク」を批判▼
民族変わればゲテモノ変わる(About the bizarre food)
現代日本のオタク文化を揶揄▼
東西橋比べ(The bridges of Tokyo and Osaka)
私は極楽トンボ▼
私の昆虫アルバム・外国編(My INSECTS album in foreign country)
甘やかしは日本の病理▼
いじめ問題について(About the BULLYING)
ウンコボーイの故郷▼
陽朔インターネットカフェの小姐・黄運萍(Hello, Huang Yunping !)

♪BGMは[YAMAHA-XG]の曲(MIDI)です。

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