§.理性と感性の数学的考察
[大衆民主主義論#1]
(Mathematics of Reason and Sense)

−− 2004.01.05 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2007.04.02 改訂

 ■はじめに − 「理性」と「感性」
 さて、良く「理性」と「感性」と言いますが、今回は個人や社会形成に於いて理性と感性がどの様に作用して居るのか、ということを「理性と感性の対立軸」という観点から考えてみます。私の”独断と偏見”に拠る分析ですが、中々興味有る結果が導き出せますのでじっくりとお読み下さい。
 又、「国家や社会に於ける理性軸と感性軸」の章を理解するのに必要な種々の政治体制については、末尾に「参考資料」を付しましたので、適宜ご覧下さい(→主な語句にはリンクを張って在ります)。
    {この論考は元々「2004年・年頭所感−業を宿したDNA」の中で一緒に論じて居たのですが、テーマをすっきりさせる為、04年1月22日に分離独立させ、整理し後に一部加筆しました。}

 ■理性と感性の対立軸 − 二律背反の原理
 人間は確かに論理や理性を獲得した存在には違い有りませんが、一方感情表現もサルなどより遥かに豊かで繊細で、従って最も感性的存在でもあります。
 一般に「論理や理性」(=理性軸)は社会や共同体の中での規範的・画一的な物事に作用し、「感性や感情」(=感性軸)は個人の個別性や多様性に作用します。或いは前者を父性原理、後者を母性原理と言い換えることも出来ます。更には脳の左半球と右半球の機能分化に対応させて、前者を左脳優位、後者を右脳優位と言う事も出来るでしょう(※1、△1のp50〜55)。
 例えば法律は前者の産物であり統一的であることに依って初めて平等性が確保されるのです、一方「ニンジンが好きか嫌いか」或いは「或る映画のラストシーンで泣くか泣かないか」は後者に属します。その様に見ると、人は常にこの理性軸(父性原理)と感性軸(母性原理)との間で葛藤し揺れ動き乍ら何処かに「折り合い」を付けて生きて行く存在だということ、或いは逆に「生きて行く」ということはこの「折り合い」を積み重ねて行くことなのだ、と理解されるのです。
 ところが簡単に「折り合い」が付かない場合が有り、実はそれが人生を奥深くし豊かにし面白くして居るのです。例えば身分の違う者同士の恋愛や不倫がこれです。中世の様な身分制社会に於いては身分の違う者同士の恋愛は規範違反であり、一夫一婦制の社会では不倫が規範違反なのです。しかしそんな事は百も承知なのに、好きに成って仕舞ったら”どう仕様も無い”のです。しかしこの”どう仕様も無い”状態、即ち人生の深い葛藤が、当人はいざ知らず、他人から見ると”面白くて堪らない”のです。だからこそ『ロミオとジュリエット』が繰り返し読まれ上演され、映画の「不倫なるが故の悲恋」が涙を誘うのです。
 以上の様に考えると人間と言うのは全く”罪な存在”であり、”業(ごう)を宿した存在”であるということが良く解ります。今、「論理や理性」(=理性軸、父性原理)と「感性や感情」(=感性軸、母性原理)を個人の恋愛に当て嵌めて考えましたが、そこで解ったことは前者と後者の2つの原理は融合せず、違いに二律背反する対立軸だということです。この2つの対立軸を要約すると

  理性軸(父性原理、左脳)→ 規範的、義務、画一性 → 自由度が低い
  感性軸(母性原理、右脳)→ 利己的、権利、多様性 → 自由度が高い


という事に成ります。数学的に言えばこの2つの対立軸はx軸とy軸の関係に在り、この様な二律背反、即ち反比例の関係のバランス曲線は双曲線を描く(※2)のです。双曲線は直交座標上で
  y = a/x
という式で表され、aを比例定数と言います。x(又はy)が0(ゼロ)に近付くとy(又はx)は急に大きな値に発散します。つまり二律背反に於いて両極端は片方の要素が発散して居る状態なのです。

 ■個人に於ける理性軸と感性軸 − 常識と非常識のバランス
 「理性と感性の対立軸」を個人に応用すると、或る個人が一般社会で受け入れられる2軸へのバランス配分は6:4が限界でしょう。これを図示すると次の様に成ります。

       <理性軸(父性原理)=規範的>:理性的、左脳人間
                 ▲
     ↑           ↑
    9:1          │(マインド・コントロールや洗脳)
  <宗教の範囲>   偶像崇拝者、拝物性愛者 → カルト新興宗教の信者、
     ↑           ↑         オタク、フェチ
  7:3〜8:2        │
  <非常識の範囲> ヒーロー(TVではアイドル)→ 武将、スポーツ選手
     ↓           │
↑ 理性軸=6、感性軸=4:規律を大切にする人 → 官僚
常    ↑           ↑      → 無遅刻無欠勤マン
識 <常識の範囲>     目立たない平凡な人 → ちんたらサラリーマン
人    ↓           ↓      → 技術者・営業マン
↓ 理性軸=4、感性軸=6:自由を大切にする人 → 企画業、デザイナー

     ↑           │
  <非常識の範囲>   ヒーロー(アイドル) → 芸術家、詩人(創造的)
  3:7〜2:8        │非ヒーロー → 放浪者(非創造的)
     ↓           ↓
  <分裂の範囲> 自己中心主義者、利己主義者 → 分裂的天才、カリスマ教祖
    1:9          │
     ↓           ↓
                 ▼
       <感性軸(母性原理)=利己的>:感性的、右脳人間

 2軸への配分6:4の内側が常識(common sense)の範囲で、その外側は両側共に一般的社会通念から逸脱した”非常識”の範囲に入り、9:1の外側は宗教の範囲に、1:9の外側は分裂の範囲に入ります。やはり社会的に見ると常識は大切なのです。
 この図で面白いのは、第1には新興宗教やカルト宗教に於いては教祖と信者とは全く異質で正反対な人間だということです。カルトの教祖はカリスマ(※3)で自己中心的(=ジコチュウ)で利己主義者の我儘人間であるのに対し、信者は四角四面な真面目人間で嵌まり易いタイプなので直ぐに滅私的盲従的崇拝者に成り、教祖にマインド・コントロールや洗脳(※4、※4−1)されます。先鋭的なカルト教団程この乖離度が強いと言え、逆にこの乖離度が強い程先鋭的です
 又、日本に多いオタク(※5)も本来理屈っぽいのですが、自分の趣味や道具に”没我的”にのめり込んで理屈の回路が何処か短絡して仕舞った人間、即ち物質文明の信者です。更にパソコンやケイタイを”崇拝”したり、アニメ・キャラクターなどを”性愛”して仕舞うと、もうフェチ(※6)の領域に入ります。
 面白い事第2は、小説やドラマの主人公に成り得るヒーロー(=英雄)「使命感と野心有る武将」タイプ「芸術家や詩人の天才」タイプであり、スポーツ選手はその儘スポーツの主人公に成れますが、サラリーマンや常識人は主人公には向いて居ません。即ちヒーローは社会の常識を超えた”逸脱人間”なのです。これは”逸脱人間”が人生の葛藤や社会の軋轢に嵌まり易く、罪や業(ごう)や巨大な敵に対し挑み波乱万丈の生き方をする確率が高いので、他人(=その多くは平凡な常識人)から見て面白いからです。尚、現代のテレビ社会ではヒーローはアイドル化(※7)されて仕舞います。ここが映画との違いで往年の映画スターはヒーロー、ヒロインの儘でアイドルでは無いのです。

 ■国家や社会に於ける理性軸と感性軸 − 大衆民主主義の安定性
 「理性と感性の対立軸」を今度は国家や社会の問題に当て嵌めて考えてみましょう。その前に、現在世界の主要先進国の殆どが、それぞれ差異は有るものの大衆(※8) −社会の中の特別で無い構成員で、大多数を占める− が選挙に参加し同じ重みの1票を投じて指導者を選ぶ所の所謂「民主主義」 −通常は「議会主義」と合わせた「議会制民主主義」を指す− を採用して居ますが、私は”大衆”が主役だ、という意味を強調する為に、この様な体制を単に「民主主義」では無く「大衆民主主義(popular democracy)」と呼んで居ます。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 英語の "popular" には「人気の有る、通俗な」という意味も有り、選挙は現在では正に「人気投票」に堕して居ます。そういう意味で「人気民主主義」「通俗民主主義」とも呼び得ますが、私が敢えて「大衆」を冠して呼ぶ理由はそこに在り、古代の哲人が指摘した「衆愚政治」に限り無く近い様に思えます。私は国家の全ての構成員が同じ重みの1票を投じる現在の「大衆民主主義」が「民主主義」の最善の形態なのか?、「衆愚政治」に堕さない「民主主義」は在り得ないだろうか?、という疑問を持って居るからです。

 国家や社会の場合も両軸の「折り合い」即ちバランスが問題に成ります。このバランスをどの辺りに求めるのかに依って国家体制が決まりますが、2軸へのバランス配分は個人の時と同じくやはり6:4が限界でしょう。実際にはその間が現実的選択範囲で、これを図示すると次の様に成ります。
 尚、共産主義については未開社会の原始共産制と区別する為に、このページでは近代共産主義と呼びます(→その欺瞞性については後述)。

       <理性軸(父性原理)=規範的>:義務に奉仕、「公」を優先
                 ▲
     ↑           ↑
    9:1    (全体主義が「自由」を剥奪)   カタストロフィー
  <一神教的独裁> 国家主義 etc  近代共産主義   → やがて破滅
     │     (大衆や労働者階級を半奴隷化
     ↓   独裁者の恐怖政治  革命後に一党独裁
     ↑       ↑       ↑
     │     クーデター    革命運動
    8:2      │       │ → スケープゴートを創出
  <不安定政治> 一神教的教条主義=カリスマの登場、大衆の盲目化
     │           ↑  情報統制→洗脳選挙(選挙は無意味
    7:3    聖戦・殉教・国家の美化[政治の宗教化]
     ↓           ↑
↑ 理性軸=6、感性軸=4:規範的社会民主主義→ 官僚的、緊縮、文芸沈滞
復    ↑           ↑社民主義 → 公共性、大企業、規制
元  <安定な中庸主義>  平等/平均主義 → 平凡、野暮→ 選挙の有効性
力    ↓           ↓自由主義 → 個性、起業、文芸興隆
↓ 理性軸=4、感性軸=6:楽観的自由主義  → 放任、露出過多、文芸爛熟

     ↑           ↓
    7:3 「自由」を美化、投機・買収・犯罪[拝金主義と無責任社会]
     │           ↓  衆愚政治→買収選挙(選挙は無意味
  <不安定政治> 利己的自由主義=「自由」がカリスマ化、大衆の盲目化
    2:8    (先進国)   (後進国)
     │       ↓       ↓
     │     覇権主義  群雄割拠や小集団の乱立
     │       │  (部分的に無政府化、パニックの頻発)
     │       ↓       │      カタストロフィー
     │ 帝国主義、一国覇権主義   ├──────→ やがて破滅
     │     (列強国)     │        (後進国)
     ↓       ↓       ↓
     ↑    指導者が僭主化  僭主が簒奪(戦乱の勝者)
     │           ↓          カタストロフィー
  <利己的独裁>     僭主独裁国家        → やがて破滅
    1:9    (僭主が「自由」を剥奪)      (列強・先進国)
     ↓           ↓
                 ▼
       <感性軸(母性原理)=利己的>:権利を主張、「個」を優先

 ■大衆民主主義の安定性 − 中庸社会を目指せ
    ◆全体の概説と「選挙の有効性」
 上で見た図式の様に、国家や社会という「組織」の場合は常に2軸のバランスを保つことが、組織を維持する為には必要不可欠です。組織は結局個人の集合体ですから、多数の個人の平均値から余り懸け離れて存続することは、大多数を奴隷状態に置いた古代専制君主国家でも無い限り不可能なのです。奴隷では無い自立した人々が「選挙の有効性」を発揮して安定的に存続維持出来る体制が中庸社会(moderation society)です。中庸主義の基本は「自分の自由」を尊重すると同時に「相手の自由」をも尊重するということです。「相手の自由」を尊重する所から「公共の福祉」(※9)という概念が導き出されます。選挙で一番大切なのは多少偏りが現れても復元力(restoring force) −復元力は社会の健全性のバロメーター− を行使し得る点で、それを失った時に選挙は無意味化します。ここで私が言う中庸主義とは選挙に依る復元力を保持した諸体制を包含して居ます。
 具体的には公共性を優先させる社会が2軸への配分が6:4規範的社会民主主義で、個人の自由を優先させる社会が4:6楽観的自由主義であり、その間が安定的な体制です。中心の5:5平等主義や平均[値]主義(→形式的「平等」が行き過ぎると悪平等主義に成る)、やや規範的な5.5:4.5位社会民主主義、やや自由を重んじる4.5:5.5位自由主義です。但し、中庸な議会に於いても派閥の領袖(=ボス)に依る密室談合が横行する様に成ると、それは独占的な寡頭政治(=ボス猿談合政治)です。私は間接民主制は寡頭政治に横滑りする危険を孕んた体制だと考えて居て、それを阻止出来るか否かは大衆の自立度(=自立意識の高低)で「選挙の有効性」が試されます。
 国家や社会に於いて「論理や理性」が強過ぎ6:4〜9:1に向かうと聖戦や殉教国家の美化が芽生え教条主義に陥り、その先はカリスマのクーデター(=体制内の政権転覆)に率いられて国家主義国粋主義や超国家主義軍国主義などに至るか、革命(=体制外からの政権打倒)で近代共産主義を実現するかに分かれますが、何れも「全体主義」の範疇に入り恐怖政治も行われます。
 一方「感性や感情」が強過ぎ4:6〜1:9に向かうと「自国の自由」を拡張し自己中心的な利己主義が蔓延り投機的に成り、その先は覇権主義帝国主義一国覇権主義に至る道(先進国型)と、内部分裂を起こし無政府主義に至る道(後進国型)に分かれますが、やがて僭主(=国権簒奪者)が登場し権力を乗っ取り独裁化します(僭主が複数の場合は寡頭制を布く)。この独裁化した両極端は外面は強固ですが内部は脆弱で長続きせず最終的には崩壊します。

    ◆一神教的教条主義と利己的自由主義の”奇妙な類似”
 ここで注意すべきは、図の一神教的教条主義利己的自由主義とが対極に在り乍ら”奇妙な類似”を示すことです。この2つは何れもバランスが7:3〜8:2に偏った状態です。この状態は極端な勢力が中庸な勢力の倍以上を占めている状態で、危険です。何かの切っ掛けで”一押し”すれば雪崩が起き、より極端な状態に総崩れします。
 ”奇妙な類似”の第1原理主義の表面化です。規範的、利己的の双方共に6:4の安定限界を超え、それぞれ一神教的教条主義や利己的自由主義に近付いた段階、多分バランスが6.5:3.5 −この段階は多数派が充分優勢ですが少数派の倍には至って無い− 辺りから危険な兆候が現れ始めます。それは、それぞれの統一原理を標語化し宗教的美辞麗句で美化し礼賛を始めるのです。
 規範的な方向に傾斜した社会では戦争や国家や過去の英雄の死が美化され、国粋思想や忠君思想や聖戦思想がここから醸成されて行きます。歴史を顧みれば有らゆる国が自国の戦争や侵略を”正義”とか”神聖”と美化して吹聴して来ましたし、これは現在も将来も変わりません。逆に利己的な方向に傾いた社会では「自由」という言葉が美化され金科玉条の題目に成り、他人の迷惑が無視され投機や仁義無き企業買収や一攫千金主義が”善”と見做され犯罪が多発し、畢竟、拝金主義と無責任社会が現出します。この様な美化が始まり危険な兆候が見え始めた時に、中庸な人々は何とかして「選挙の有効性」を発揮し流れを食い止める必要が有ります、ここで復元力を発揮しないと以後は選挙は無意味に成ります。

 バランス7:3〜8:2の段階の”奇妙な類似”の第2は、カリスマの登場です。規範的社会に於いてはそれがカリスマ指導者自身であり、利己的社会に於いては「自由」という言葉自体がカリスマ化するのです。
 規範的社会のカリスマ指導者は殆どの場合、結束を固める為の統一原理としてその社会を広く覆っている宗教的神話を持ち出し自らを神聖化(=偶像化)情報統制します。そして規範的社会の大衆は四角四面で真面目人間なので「個人に於ける理性軸と感性軸」の章で見た教祖と信者の関係が成り立ち、大衆は神聖化された物や者に畏敬の念を抱き簡単にカリスマに追従します。これがM.ウェーバー言う所のカリスマ的支配(※3)です。
 一方、利己的社会の指導者は結束を固める為の統一原理として、列強や一部先進国では「自国の自由」を最大限に拡張し「他国の自由」を最小限に矮小化し、ここに「自由」という名の利己主義が統一原理に成ります。それに対し後進国では幾つもの小集団が互いに集団の「自由」と「権利」を掲げて乱立し、国家的に収拾不能に成った場合は無政主義に陥り”分解”を起こし他国の餌食にされるなどして、この段階で崩壊することも起こります。こうして、この段階で「一神教的教条主義=一神教的原理主義」「利己的自由主義=自由原理主義」という原理主義が貫徹されます。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 旧ソヴィエト連邦(Soviet Union、公式名:ソヴィエト社会主義共和国連邦(Union of Soviet Socialist Republics)、略称:USSR)のスターリン像、中国の毛沢東像、北朝鮮の金日成像など、元首の馬鹿デカイ銅像が街中で人々を睥睨する様に置かれましたが、正にカリスマ指導者の肥大化偶像化の典型です。

 バランス7:3〜8:2の段階の”奇妙な類似”の第3は、大衆の盲目化(=愚民化)です。判断力を失った大衆は自立的行動が困難に成り、群集心理(※10)に左右される盲目的な”群れ”(=”迷える子羊”)と化し、規範的社会では情報統制に家畜化され、利己的社会では衆愚政治に陥り、洗脳や買収の為に選挙は無意味に形骸化します。そして見逃して為らない点は、「カリスマ」と「盲目化した大衆」は表裏一体の1セットで出現する事です。”迷える子羊の群れ”は煽動者を先導者と”勘違い”して神聖視しカリスマ化させます。つまりカリスマは大衆が創り出すということです。
 さてここで、利己的自由主義が更に昂じて極端な方向に向かったらどうなるか?、国家や社会全体が動物的弱肉強食の無政府状態に陥って仕舞うのか?、という問題について述べましょう。答えは先進国と後進国で異なります。既に”奇妙な類似”の第2で触れた様に後進国では有り得ることですが、先進国では「否」です。
 図示した様に群雄割拠に因る混乱が一時的又は局所的な無政府状態を現出させても、先進国では”分解”には向かわずに群雄割拠の戦乱の勝者が僭主として「国を盗る」のです、先進国の復元力の強さと言えます。但し、国を盗る為に外国列強の力を借りると、列強の支配を受け被植民地国家(←属国衛星国などとも呼ばれる)にされたり傀儡(かいらい)に転じます傀儡政権の実態は外国列強の”操り人形”(=リモコン政権)です。これに対し列強は「自国の自由」で結束し覇権主義帝国主義一国覇権主義に向かいます。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 米英ソの3列強に依り構想され後に仏・中国が加わり半永続化されて居る「核拡散防止条約」は覇権主義の産物不平等条約です。現在のアメリカは「自由」をカリスマ化した「利己的な一国覇権主義」の典型で、現在の日本を始め「衛星国」と呼ばれる多くの弱小国家群は傀儡国家に該当します。

 更にバランス7:3〜8:2の段階の”奇妙な類似”の第4は、カリスマが崇拝される状態に成ると、美化され原理化した標語は「呪縛力」を持つ様に成り、「言葉の呪縛」は多くの場合スケープゴート(scapegoat、「贖罪の山羊」)を創出(※11)します。初めは個々の群集の中で、やがて国家や社会全体から、排除すべきスケープゴートを創出(或いはデッチ上げ)し、全ての罪をそれに被せて血祭に上げ一神教的一体感を高めます。ここで重要なことは、スケープゴートを創出し葬った側は免罪符(※11−1)を得るという構図です。(→その具体例は後述)。

    ◆極端に行き着いた独裁は「祭政一致」
 最後に極端に行き着いた一神教的独裁利己的独裁について述べましょう。ここでも”奇妙な類似”が見られます。この2つは何れもバランスが9:1以上の極端な状態です。
 利己的社会の僭主とは、最初は「自由」を唱えて登場しますが一旦国を簒奪した後は民衆の「自由」を剥奪し独裁化するのが常です。帝国主義一国覇権主義の指導者も強大に成ると居直って僭主化し独裁化し全体主義を押し付けます。
 一方、規範的社会の独裁者もクーデターや革命で非合法に国を盗る訳で同じく僭主と言えます。クーデターや革命の指導者は政権を奪取すると、他の指導者を粛清し恐怖政治一党独裁を完遂させ、独裁者にとって”無用の愚物”たる大衆や労働者を半奴隷化します。特に共産主義革命の指導者は革命達成以前は屈強な”肉体派”戦士が必要な為に一度は「労働者階級」を持ち上げて居るだけに、より”ペテン師”的僭主でありスターリン主義はその典型です。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 規範的社会の独裁者は厳格な教条主義的規範の中から出現したカリスマ的人間ですが、既に見た様に自己中心主義者・利己主義者・我儘人間が就くことが常で、先鋭的なカルト新興宗教との類似点が数多く有ります。即ち規範的社会の独裁は一神教の一変種です。近代共産主義を始め全体主義国家が有らゆる宗教を禁止したのも、自らが唯一神の宗教であると規定すれば容易に理解出来るでしょう。

 以上の様に世襲制の君主以外の独裁者は全て国権簒奪者(=僭主)です。図示した様に簒奪の方法に「クーデター」「革命」「戦乱勝利」「指導者の居直り」などの違いが有るだけです。こうして両極端に行き着いた「一神教的独裁」と「利己的独裁」の区別は無くなり、政治は一神教化し、古代の奴隷制の様な祭政一致に復古します
    {この章は04年3月28日に最終更新しました。}

 ■カタストロフィーとは何か?
 この章以降では「国家や社会に於ける理性軸と感性軸」の章で図示しただけで、一部の説明しかしなかった問題を考察して行きましょう。即ち国家の破滅や崩壊の問題です。
 個人の場合では”逸脱人間”がヒーローに成れた訳で、仮に極端に逸脱した人間が居たとしてもそれは社会全体の中では極めて少数であり、その人間が破滅するか不幸な何人かが犠牲に成るだけで済みますが、国家や社会という「組織」がバランスを欠くと多数の人間が犠牲に成り、組織自体が崩壊し破滅を齎(もたら)すのです。自然科学や数学ではこれをカタストロフィー(catastrophe)(※12)と言い、日本語では破局と訳されて居ます。
 国家がバランスを欠くと国全体が破滅することは歴史が証明して居ますが、1人の独裁者のみの所為で国家のバランスが崩れることは実は無いのです。具体例を言えば、仮にアドルフ・ヒトラー東条英機サダム・フセインが如何に独裁的で破滅型の人間であったとしても、独裁者1人の所為で国が破滅したり無条件降伏する状態に陥ることは有り得ません。国を破滅させるのは、実はそういう指導者を担ぎ出したり盲従した”群れ”と化した大衆(=群集(※10−1)なのです、少なくも大衆民主主義社会に於いては。 従って仮に2軸のバランスを狂わせた指導者が出た場合、苟(いやしく)も民主主義に恥じない自立意識と気概を持った国民ならば、血を流してでもその指導者を自らの手で葬る責任が有ります。それが出来ない国民は破滅しても仕方が無いし寧ろ破滅すべきなのだ、というのが私の冷徹な考えです。
 [ちょっと一言]方向指示(次) 私は、専制君主体制では無く形式的にせよ民主主義体制の中から生まれた独裁者に対しては、その民衆(=大衆)を100%の被害者とは見做しません。何故なら「選挙の有効性」を発揮出来なかったという点に於いて、例え悲惨な目に遭おうとも、その原因の何がしか(例えば10〜30%位)は大衆自身の責任(=自業自得或いは因果応報だ、というのが当サイトで常々主張して居る私の持論です。私はこれを「自己責任論」と呼んで居ますが、「権利と責任」は常に表裏一体で、投票権を持つということは投票した結果に責任を負うことなのです(→「考察」の章で再び触れます)。

 さて、ヒトラーや東条やフセインなどの独裁国家に於いては国を破滅させる様な国家的カタストロフィーがいとも簡単に起こって居ます。何故でしょうか?
 この答えは実に簡単です。簡単ですがそこには大衆民主主義の本質的問題が潜んで居るのです。次にそれを示しましょう。

 ■考察 − 大衆とメディア(或いは大衆とマスメディア)
 (1)情報の作用と反作用 − 「言葉の呪縛」とカタストロフィーの関係
 国家や社会のカタストロフィーがいとも簡単に起こるのは、何が原因か?
 その答えは近・現代の国家や社会に於いてはメディア(※13) −或いはマスメディア(※13−1)やマスコミ(※13−2、※13−3)− です。ここでの議論は主に「大量データ」の媒体という意味でマスメディアが中心に成ります。
 マスメディアは公共的媒体を使い大量に情報を放射しますが、それ以上に重要な点は一定期間に集中的に或る話題や情報を繰り返す為にサブリミナル効果「刷り込み効果」に因る洗脳力を持って居る事(※4−1〜※4−3、△2のp25〜49、130〜134)です。これは情報の信頼性が一応は確保されて居る平時に於いてマスメディア −特に現代資本主義社会のテレビ・コマーシャル(※4−2)− が内包する危険性ですが、決定的に危険なのは戦時に於ける如きにマスメディアが権力に対し批判力やチェック機能を失い社会全体が翼賛に堕した時です。やはり大衆は常に批判精神を持つべきです。
 マスメディアが独裁権力に支配されるか又はマスメディア側から権力に擦り寄って迎合して行った場合、露骨な情報操作捏造(※13−4、※13−5、△3のp78〜86)が為され権力トップはカリスマ化され、”群れ”と化した大衆はいとも簡単に洗脳され煽動され動員されてカリスマ的権力の崇拝者に成り下がります。それは地滑り的且つ雪達磨式(※12−1、※12−2)に膨張し乍ら伝染して行きます(=国家的カタストロフィーの前兆現象)。
 権力の崇拝者に成った大衆の心理は「個人に於ける理性軸と感性軸」の章で分析したカルト新興宗教の信者と同じで、実に滅私的盲従的に規範に忠実に成り「お国の為」(国家主義)「ハイル・ヒトラーの為」(ナチズム)「天皇陛下の為」(皇国史観)「アラーの為」(一神教)、の様に神聖化された偶像を礼賛し全てを投げ出します。それはオウム真理教(教祖:麻原彰晃)の信者が「アサハラ尊師の為」(カルト一神教)に全てを投げ出したのと何ら変わらない構図です。更に滅私的に成った大衆には「言葉の呪縛」に因る一種の自主規制が働き、大衆同士が監視し合い密告し合い差別し合う様に成ります。「言葉の呪縛」の典型が差別語で、中世ヨーロッパの”魔女””悪魔(サタン)”、ナチス・ドイツ時代の”ユダヤ人”、ユダヤ人の”豚”、軍国日本の”非国民”(※14)、身分制時代の名残で現在迄続く日本の”部落民”、現在のアメリカ政府が言う”テロリスト”などなどです。単純化された特定の言葉が”得体の知れない呪縛力”を持って独り歩きし、様々な「レッテルを貼られたスケープゴート」(※15)がデッチ上げられるのは「言葉の呪縛」の好例です。そしてデッチ上げた側は一時的にその時代に於いて”正義”とされますが、後の世から冷静に歴史の蓋を開けてみた時には「悍(おぞま)しい腐敗臭」が立ち上るのが常です。
 言葉が呪縛力を持って独り歩きするのは情報の「作用」の究極的姿ですが、これは社会が復元力を失った状態です。既に述べた様に、この様な脆弱な体制は一気に奈落の底に転落する可能性が有り、それがカタストロフィーという情報の「反作用」(※16)として表出します。私は「作用有れば反作用有り」という「作用反作用の法則」は情報理論や社会学にも当て嵌まる、と考えて居ます。

 (2)社会やマスメディアの逆説と大衆の疎外
 先ず<第1の逆説>を提示しましょう。
  <第1の逆説>:マスメディアが発達すればする程、そして肥大化すればする程、大衆はマスメディアを「情報の権化」(※17)と崇め依存度を高めてマスメディアが放射する情報を無条件に信じ込む様に成りますが、ここに近・現代社会の逆説(paradox)と盲点(blind spot)が有ります。
 具体例で説明すると、ヒトラーのドイツ/東条の日本/フセインのイラク、これらの国を破滅に追い遣ったのは一部の独裁者や軍部以上に、権力のプロパガンダを担ったマスメディア(※18、△3のp64〜73)です。日本の皆さんも原爆を浴びて「向かう所敵無し」の虚偽に騙されて居たことに一度は気付いた筈で、これ以上説明は要らないでしょう。

 次に何故大衆は騙されるのか?、そこには<第2の逆説>が存在するのです。
  <第2の逆説>:マスメディアは権力者と大衆の間の”壁”として立ち塞がることで自らの存在価値を高めますが、これはマスメディアの逆説です。
 大衆の殆どは権力者と直(じか)に接する機会など無く、マスメディアの”壁”から垂れ流される「活字や音声や映像など」の様な
  幾らでも細工可能な、しかも1:nに一方的に拡散放射される間接情報
にしか接することが出来ないのです。つまり
  権力者と大衆との直接接触を決定的に隔て遮断し「間接情報を大量に媒介する者」こそマスメディアの正体であり本質
なのです。逆に言えば、権力者と直に接することが出来る人は「上層部」とか「幹部」とか「高級官僚」という権力機構内のエリート(※8−1)であって、メディア論から見ればそういう直接情報から疎外された人々を「大衆」と定義出来るのです。

 それでは大衆は常に情報操作の被害者か?、と言うと「否」です。日本では良く、第二次世界大戦時には情報量が少なく大衆が情報入手出来なかったので大衆は被害者だ、と言いますが100%の被害者では有りません。確かに大衆が被害を被り情報は今より少なく統制されて居ましたが、入手しようと思えば情報は有りました。にも拘わらず冷静な記事よりも「向かう所敵無し」的記事を載せた新聞の方が圧倒的に良く売れたのです。つまり大衆がプロパガンダの神輿を担いだが故に最後に「バカを見た」という自業自得で、「バカを見る者」が寄り集まって「衆愚」を形成する訳です。それ故に権力/メディア/大衆とで責任を分かち合えば大衆にも1/3の責任が有るというのが私の持論で、「大衆の自己責任」(←前述)は当サイトの重要なテーマなのです。
 近年では大衆はメディアに依って、より巧妙にポピュリズム(populism)の中に埋没させられて殆ど衆愚民主主義に近い状況です。そこで「権力者とメディアと大衆の相互関係」については補遺ページで更に突っ込んで扱う事にします。「補遺ページ」は▼下をクリック▼してご覧下さい。{「補遺ページ」へのリンクは07年4月2日に追加}
  理性と感性の数学的考察|補遺(Mathematics of Reason and Sense, SUP.)
 尚、「補遺ページ」に於いて最下行の蛙(カエル)のアイコン(the icon of Frog)をクリックすれば、ここに復帰します。
                (-_*)/

 (3)国家的カタストロフィーの始まり − 大政翼賛
 マスメディアが単なる「間接情報」提供者の枠を越えて”結論誘導者”に変貌した時が危険の始まりで、その後は誘導に衝動的に乗る盲目化した”群れ”(=衆愚)(※10−1)が発生し、群集心理から付和雷同(※10−2)して”烏合の衆”(※10−3)に成り雪達磨式(※12−2)に膨れ上がって、最終的に大政翼賛に至ります。大政翼賛社会では大衆は国家や独裁者に大声で「万歳」を唱えるのみ −事実「ハイル、ヒトラー!」の意味は「ヒトラー万歳!」で、皇国&軍国日本も「天皇陛下万歳!」と叫んで居ました− で、”非国民”と見做された人間は大衆からリンチ(※19)を受けます。大政翼賛の本質は独裁で大衆民主主義に於ける国家的カタストロフィーの始まりで、正に衆愚の極みです。
    {この節は04年3月28日に追加、この章は07年4月2日に最終更新しました。}

 ■結び − ”魔道神力的”の心
 数学用語が出て来たりして、ビックリしたのではないでしょうか?!、悪しからず。理性と感性の「折り合い」(=バランス)ということを定式化したかったのです。理性と感性から、大衆民主主義のそれも民主主義崩壊のカタストロフィーがどの様に導き出されたか、中には”神業(かみわざ)”の様に思われた方も有るか、とは思いますが充分堪能して戴けたのでは、とも思って居ます。当サイトのコンセプトの一つは似非中国語で”魔道神力的”なのです、ムッフッフ!
                (-_@)

 このページを[大衆民主主義論#1]とし、これを受け大衆民主主義論の更なる展開を行って行きます。次の論考が出来たらリンクを張ります。と書いたのですが、結局[大衆民主主義論][#1]だけとし、後は補遺ページに纏める事にしました。悪しからず!{この段は07年4月2日に追加}

 ◆◆◆参考資料 − 種々の政治体制や政治的「主義」について

 ●理性と感性

  ○理性(りせい、reason, Vernunft[独])とは、〔哲〕
    [1].概念的思考の能力。実践的には感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力。古来、人間と動物とを区別するものとされた。「―を保つ」「―を失う」。
    [2].真偽善悪を識別する能力。
    [3].超自然的啓示に対し、人間の自然的な認識能力。→自然の光。
    [4].パルメニデスアリストテレスに於いては、絶対者を認識する能力。
    [5].特にカントの用法として、ア・プリオリな原理の能力の総称。カントは理性が認識に関わる場合を理論理性、行為の原理と成る場合を実践理性と呼んだ。
    [6].ヘーゲルの用法で、悟性と区別された弁証法的思考の能力
    [7].宇宙的原理。世界理性/絶対的理性などの様に言われる。
    [8].ロゴスとしての言語能力

   ・ア・プリオリ(a priori[ラ])とは、(先天的の意)〔哲〕
     [1].発生的意味で生得的なもの。本有的
     [2].経験に基づかない、それに論理的に先立つ認識や概念。カント及び新カント学派の用法。先験的
     [3]演繹的な推理などの経験的根拠を必要としない性質。←→ア・ポステリオリ(a posteriori[ラ])。
   ・ロゴス(logos[ギ])とは、(本来は、人々の話す「言葉」の意)
     [1].概念意味論理説明理由理論思想などの意。
     [2].言語理性
     [3].実体化されて世界を支配する理法
     [4].キリスト教では「神の言」、即ち「子なる神」(三位一体の第2位)。


  ○感性(かんせい、sensibility, Sinnlichkeit[独])とは、
    [1].外界の刺激に応じて感覚知覚を生ずる感覚器官の感受性。「―豊か」。
    [2].感覚に依って呼び起され、それに支配される体験内容。従って、感覚に伴う感情や衝動欲望印象を受け入れる力をも含む。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
    [3].理性意志に依って制御されるべき感覚的欲望
    [4].思惟の素材と成る感覚的認識

 ●政治体制の大分類

  ○原始共産制(げんしきょうさんせい、primitive communism)とは、階級分化以前の原始社会に存在したと推論される社会体制。血縁を中心に土地その他の生産手段を共有し、共同の生産平等な分配が行われたとされる。支配関係の無い原始共同体(primitive community)に於ける生産体制。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

  ○祭政一致(さいせいいっち、unity of the church and state)とは、神祇の祭祀国家の政治とが一致するという思想並びに政治形態。古代社会に多く見られる。政教一致。

  ○神権政治(しんけんせいじ、theocracy)とは、政治的支配者が、神の代理者として絶対権力を主張し、人民に服従を要求する政治・統治形態。神裁政治。祭政一致の次の段階として現れる。

  ○専制政治(せんせいせいじ、despotism)とは、支配者層と被支配者層とが身分的に区別されて居た前近代社会に於いて、身分的支配層が被治者と無関係に営む統治の仕方で、古代に於いては奴隷制を基盤とした。大衆の参加を前提とした独裁政治とは異なる。専政。古代ローマのカエサル/秦の始皇帝などが典型で、又、近世初頭の君主制に顕著。

   ・奴隷制社会(どれいせいしゃかい、slavery)とは、生産関係を土台として区分した人類の発展段階の一つで、原始[共産]社会に次ぎ、封建社会に先行する社会。奴隷所有者と大多数の奴隷の2階級で構成され、奴隷が社会の総生産の基本部分を担う古代ギリシャ・ローマに典型的。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

  ○独裁政治(どくさいせいじ、dictatorship)とは、強大な権力を持つ単独者・少数支配者・支配的党派が、集中化された権力機構を通して大衆を操作・動員しつつ行う専断的政治。一般に法治主義と政治的自由を否定する。古代ローマのコンスルに依る執政、ドイツのナチズム、イタリアのファシズムはその典型。←→民主政治。

  ○僭主(せんしゅ、tyrannos[ギ], tyrant[英])とは、(「暴君」が原意)
    [1].(武力で王位を奪い)帝王の称号を僭称する者。
    [2].古代ギリシャで、主として貴族・平民の抗争を利用し、平民層から非合法手段で政権を占有した独裁者
   古代に於いては、僭主政貴族政から民主政への過渡期に出現し、平民層の立場を代弁し一定の役割を果たした。タイラント。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

  ○寡頭政治(かとうせいじ、oligarchy)とは、少数の人々が国家の権力を掌握して行う政治形態。寡頭制。オリガーキー。
   補足すると、経済に於ける寡占が広義の独占に包含されるのと同じく、寡頭制は少数の実力者や領袖(=ボス)に依る利益独占的談合政治です。そして、間接民主制では寡頭政治が発生し易いと言えます。

  ○君主制(くんしゅせい、monarchy)とは、世襲単独の首長に依り統治される政治形態。君主の専断に委ねられる絶対君主政体と、制度に拠って制約される制限君主政体、取り分け憲法の制限下に置かれる立憲君主政体とに分れる。王政。←→共和制。

  ○立憲政治(りっけんせいじ、constitutionalism, constitutional government)とは、憲法を制定し、それに従って統治する政治。この場合の憲法とは、人権の保障を宣言し、権力分立を原理とする統治機構を定めた憲法を指し、そうで無い場合には、外見的立憲[主義]政治と言う。

  ○立憲君主制(りっけんくんしゅせい、constitutional monarchy, limited monarchy)とは、憲法に従って行われる君主制。原則として君主の権力が議会に制限を受ける様に成って居る制度。制限君主制。歴史的にはイギリス憲政史中のマグナカルタで確立された。イギリスの国王を持つ議会政治/大日本帝国憲法下の日本の天皇の権力の議会からの独立を強調した君主制(現在の日本は、天皇を象徴とする議会制民主主義)など。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

   ・マグナカルタ(Magna Carta[ラ])とは、1215年、イギリスの封建貴族らがジョン王に迫って署名させた特許状。妄(みだ)りに税を課さない、逮捕しないなど63か条から成る。王の専断的な権力行使に対する法の支配原則が確立されたことを示す。大憲章。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

  ○共和制(きょうわせい、republic)とは、政治形態の一。主権が国民に在り(=主権在民)、国民の選んだ代表者たちが合議で政治を行い、国民が直接・間接の選挙で国の元首を選ぶことを原則とする。共和政体。←→君主制。

  ○民主政治(みんしゅせいじ、democracy, democratic government)とは、民主主義に基づく政治。国家の主権が人民に在り(=主権在民)、人民の意思に基づいて運用される政治。←→独裁政治。

 ●民主主義について

  ○民主主義(みんしゅしゅぎ、democracy)とは、語源はギリシャ語の demokratia で、demos(人民)と kratia(権力)とを結合したもの。即ち、人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場を言う。古代ギリシャの都市国家に行われたものを初めとし、近世に至って市民革命を起した欧米諸国に勃興。基本的人権・自由権・平等権、或いは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、又その実現が要請される。

  ○直接民主制(ちょくせつみんしゅせい、direct democracy)とは、国民・住民が代表者を経ずに直接政治に参加することを原則とする制度。←→間接民主制(=代表民主制)。

  ○間接民主制(かんせつみんしゅせい、indirect democracy)とは、国民・住民が議員その他の代表者を選挙し、それを通じて政治に参加する制度。代表民主制。代議制。←→直接民主制。

  ○議会主義(ぎかいしゅぎ、parliamentarism)とは、国政の最高政策を議会に於いて決定して行く政治方式。大統領制に対して、特に議院内閣制を言う場合も有る。議会政治。

  ○議会制民主主義(ぎかいせいみんしゅしゅぎ、parliamentary democracy)とは、国民の代表から成る議会を通じて民主政治を実現するという理念及び原理に基づいた間接民主制の一形態。議会制デモクラシー。

   ・議会(ぎかい)とは
     [1].assembly。公選された議員を主要構成員とした、立法権を持つ合議制の機関。日本では国会及び地方議会(都道府県議会・市区町村議会)が有り、何れも公選議員のみで構成される。
     [2].特に国会に対する呼称。Parliament(イギリス)、Congress(アメリカ)、parlement(フランス)、Parlament(ドイツ)。
   ・公選(こうせん、public election)とは、
     [1].公正な手段で選ぶこと。
     [2].公共の職務に就く者を広く一般国民の投票に依って選挙すること。「知事―」。←→官選。


  ○衆愚政治(しゅうぐせいじ、mobocracy, ochlocracy)とは、堕落した民主政治の蔑称。元、古代ギリシャのアテナイでの民主政治を、アリストテレスが「政治学」の中で「堕落した大衆に依る政治」として非難した語。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
   ・衆愚(しゅうぐ、vulgar masses, ignorant crowd)とは、多くの愚か者。

   ○ポピュリズム(populism)とは、この場合、一般大衆の考え方や要求を代弁して居るという政治上の主張や運動。
   ○ポピュリスト(populist)とは、この場合、一般大衆に迎合する政治家。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

 ●中庸主義について

  ○中庸(ちゅうよう、moderation)とは、
    [1].[a].偏らず常に変わらないこと。不偏不倚で過不及無しのこと。中正の道。「―を得る」。
      [b].尋常の人。凡庸。
    [2].四書の一。1巻。天人合一を説き、中庸の徳と徳の道とを強調した儒教の総合的解説書。孔子の孫、子思の作とされる。「礼記」の1編であったが、宋儒に尊崇され、別本と成り、朱熹(=朱子)が章句を作って盛行するに至った。
    [3].mesotes[ギ]。アリストテレスの徳論の中心概念。過大と過小との両極の正しい中間を知見に依って定めることで、その結果、として卓越する。例えば勇気は怯懦と粗暴との中間であり、且つ質的に異なった徳の次元に達する、とする。

  ・常識(じょうしき、common sense)は、普通、一般人が持ち、又、持っているべき知識。専門的知識で無い一般的知識と共に理解力判断力思慮分別などを含む。「―の無い人」。

  ○中庸主義(ちゅうようしゅぎ、moderationism)とは、この場合、「基本的人権」と「公共の福祉」の調和を図り、「社会の復元力」を保ち、民主主義を逸脱しない範囲の緩やかな概念のこと。中道的な折衷主義や平等主義を始め、規範的社会民主主義から楽観的自由主義の間の広範囲な諸主義を包含する。

  ○中立主義(ちゅうりつしゅぎ、neutralism)とは、外交上の主義で、交戦国の何れにも加担せず、平時でも対立国の何れとも同盟を結んだり基地を認めたりしないことを原則とする。
   ○永世中立(えいせいちゅうりつ、permanent neutrality)とは、国際法上、他の諸国家間の戦争に関係しない義務を負い、且つ、その独立と領土の保全とが他の諸国家に依って保障されて居る状態。スイスがその例。永久局外中立。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

  ○平等主義(びょうどうしゅぎ、egalitarianism)とは、
    [1].一般に差別を認めない立場。
    [2].社会の構成員が差別無く、民主主義の理念の一つの平等権を享受・行使出来ることに重きを置いた立場。
   この平等を実現する方法論の違いに依り、折衷主義平均主義、形だけの悪平等主義などが在る。生活水準の平等・平準化に照準を合わせた中流主義もその一。

  ・平等権(びょうどうけん、equal right)とは、国政に於いて、人種・信条・性別・社会的身分・門地などに依り差別されない権利。日本では憲法第14条で保障する。

  ○悪平等主義(あくびょうどうしゅぎ、perverted egalitarianism)とは、それぞれの特色を無視し形式的にだ一律に平等に扱う立場。横並び意識が強過ぎる時などに陥る平等の履き違え。その結果、却って不公平を生じたりする。横並び主義形式平等主義

  ○折衷主義(せっちゅうしゅぎ、eclecticism)とは、種々の体系から相互に妥協出来る考えだけを選び取り、纏まった形に作り上げる態度。殊に古代哲学の末期に有力と成り、キケロはその代表者。近世に於いてもライプニッツ−ウォルフ学派その他フランス19世紀のクーザン一派にもこの傾向が見られる。取捨選択過程で折衷者の主観が入る。

  ○平均主義/平均値主義(へいきんしゅぎ/へいきんちしゅぎ、averagism)とは、世間の諸説を左右・善悪の区別なく集め、その単純平均を割り出す考え方。取捨選択しない点が折衷主義と異なる。アンケート調査で世論動向の平均を求めるのがこれに該当し、その際にはより客観性を高める為に無作為にデータを収集する。

  ○社会民主主義(しゃかいみんしゅしゅぎ、social democracy, Sozialdemokratie[独])とは、元来第二インターナショナルの有力な党であったドイツ社会民主党などのマルクス主義に立脚する主張を指した語。次いで、第一次大戦の勃発、第二インターナショナルの崩壊、ロシアでの十月革命の成功を経て、マルクス主義の立場を採る共産主義者の主張と区別する為、議会を通じて、漸進的に社会主義に到達しようとする様々な改良主義的社会主義の主張の総称。

  ○自由主義(じゆうしゅぎ、liberalism)とは、近代資本主義の成立と共に、17〜18世紀に現れた思想及び運動。封建制・専制政治に反対し、経済上では企業の自由を始め、全ての経済活動に対する国家の干渉を排し、政治上は政府の交替を含む自由な議会制度を主張。個人の思想・言論の自由信教の自由財産権の自由(=私有財産制)を擁護するものであり、イギリス/フランス/アメリカに於ける革命の原動力と成った。現在は、市場原理と競争を重視する新自由主義(neo liberalism)が登場して居る。

  ○新自由主義(しんじゆうしゅぎ、neo liberalism)とは、国家に依る管理や裁量的政策を排し、出来る限り市場の自由な調節力(=A.スミスが唱えた「見えざる手」)に問題を委ねようとする経済思想。オイケン/ハイエク/フリードマンなどに代表される。

 ●教条主義/原理主義/聖戦思想について

  ○教条主義(きょうじょうしゅぎ、dogmatism)とは、理論や教説を発展するものと見ず、そこに述べられている命題を絶対的なものと考え、当面する具体的な諸条件を吟味せず機械的に適用する態度。原理主義。←→修正主義、改良主義。

  ○原理主義(げんりしゅぎ、fundamentalism)とは、キリスト教で、聖書は無謬であり、天地創造などの根本教義は逐語的に真実であると信じ、神学・信仰に関わる近代主義や合理主義を批判・排斥しようとする立場。1920年代アメリカのプロテスタント諸派内に起こる。他の宗教や思想に於いてこれと同様と見られる傾向についても言う。根本主義。ファンダメンタリズム。「イスラム―」。

   ・イスラム原理主義(―げんりしゅぎ、Islamic fundamentalism)とは、イスラムの原理を現実の社会に適用しようとする急進主義。主にイスラム復興の過激派について言う。イスラム急進派。
   ・ジハード(jihad[アラビア])とは、イスラム世界で、信仰の為の戦い。宗教的な迫害や布教妨害に対して武力を行使すること。聖戦


 ●一神教について

  ○一神教(いっしんきょう、monotheism)は、ユダヤ教/キリスト教/イスラム教の様に、唯一の神を信仰する宗教。唯一神教。←→多神教
 これに対し、複数の神が在る中で1つの神だけを信仰する場合は、拝一神教(monolatry)と言う。古代イスラエルのヤハウェ信仰など。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
  ○多神教(たしんきょう、polytheism)は、複数の神々を同時に崇拝する宗教。自然現象を人格化したものや、人間生活の様々な局面を投影した独自の性格と形姿を持つ神々に対する信仰。原始的諸宗教や古代の宗教の多くはこれに属する。←→一神教

  ○無神論(むしんろん、atheism)とは、神の存在を否定する思想。神の特別の(特に人格的意味に於ける)存在を認めず、世界はそれ自身に依って在るとする説。自然主義唯物論などはこの思想に属し、汎神論も又しばしば無神論と目される。←→有神論。
  ○有神論(ゆうしんろん、theism)とは、〔宗〕[1].世界を超越して存在し、世界を創造し、世界に摂理を働かせている人格的な唯一の神を信ずる立場。人格神論。←→無神論。汎神論。
    [2].一般に無神論に対して、何らかの意味で神の存在を認める立場。←→無神論。
  ○汎神論(はんしんろん、pantheism)とは、一切万有は神であり、神と世界とは同一であるとする宗教観・哲学観。インドのウパニシャッド哲学の思想、ソクラテス以前のギリシャ思想、近代ではスピノザゲーテシェリングなどの思想はこれに属する。万有神論。←→一神論。

  ・新興宗教(しんこうしゅうきょう、newly-risen religion, cult religion)は、世界の諸地域で、伝統宗教と異なる信仰内容を掲げて、比較的近年に成立し発展した宗教。しばしば新興宗教はカルト集団と化す。
  ・カルト(cult)とは、(ラテン語「耕作、崇拝」の意)本来は宗教上の礼拝を指したが、転じて熱狂的崇拝、更には熱狂的集団邪教的な宗教集団を指す語と成った。神秘主義的教理、神や教祖への絶対服従隔離性洗脳などへの傾向が強い。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>


 ●全体主義的傾向の諸主義について

  ○全体主義(ぜんたいしゅぎ、totalitarianism)とは、個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張の下に諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想及び体制国家主義国粋主義(=超国家主義皇国史観ファシズム国家社会主義(ナチズム)などを含む)/軍国主義共産主義などの体制。

  ○恐怖政治(きょうふせいじ、terrorism)とは、投獄・殺戮などの苛烈な手段によって、被統治者や反対派を弾圧して行う政治。
   ○テロは、テロルテロリズムの略。「―行為」。
   ○テロル(Terror[独])は、(恐怖の意)有らゆる暴力手段に訴えて政治的敵対者を威嚇すること。テロ。「白色―」。
   ○テロリズム(terrorism)は、[1].政治目的の為に、暴力、或いはその脅威に訴える傾向。又、その行為。暴力主義。テロ
     [2].恐怖政治

  ○民族主義(みんぞくしゅぎ、nationalism)とは、ナショナリズムの訳語(民族主義・国家主義・国粋主義など)の一民族の独立と自立及び統一を第一義的に重視する思想・運動。19世紀初めからヨーロッパに現れ、特に第一次大戦後は1民族に依る1国家の形成を目指す政治運動として発展。分裂して居る民族の政治的統一を図る型(=内乱型)と、外国の支配からの解放・独立を図る型(=被殖民地型)とに大別される。
 補足すると、民族主義と呼ぶのは主に権力奪取以前の段階で、権力掌握直後は戒厳令などで暫定的に国家主義を採るのが通例です。その場合、一定期間後に民主主義に移行するのか、その儘独裁を永続化させるのか、が大きな分岐点と成ります。

  ○国家主義(こっかしゅぎ、nationalism)とは、ナショナリズムの訳語(民族主義・国家主義・国粋主義など)の一。人間社会の中で国家を第一義的に考え、その権威と意思とに絶対の優位を認める立場。全体主義的な傾向を持ち、偏狭な民族主義・国粋主義と結び付き易い。

  ○国粋主義(こくすいしゅぎ、ultranationalism)とは、
    [1].自国の歴史・文化・政治を貫く民族性や国体の優秀性を美化して主張し、民族固有の長所や美質と見做されるものの維持・顕揚を図る思潮や運動。超国家主義と結び付き易い。日本では明治期、欧化思想に反発し国粋保存を主張、高山樗牛や井上哲次郎らが提唱した日本主義に連なる。
    [2].超国家主義

  ○超国家主義(ちょうこっかしゅぎ、ultranationalism)とは、極端な国家主義。外に対しては露骨な排外主義・侵略主義と成って現れ、内に対しては全体主義の形を取る。日本では1930年代半ばから40年代前半に顕著。ウルトラ・ナショナリズム。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

  ○皇国史観(こうこくしかん、Japanese Emperor system historical view)とは、国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国の歴史として描く歴史観。十五年戦争期 −1931年〜45年降伏迄の満州事変・日中戦争・太平洋戦争の総称− の軍国日本の正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた

  ○軍国主義(ぐんこくしゅぎ、militarism)とは、国の政治・経済・法律・教育などの政策・組織を戦争の為に準備し、軍備力に依る対外発展を重視し、戦争で国威を高めようと考える立場。ミリタリズム。古代のスパルタローマ帝国、近代のプロイセン、第二次世界大戦当時のナチスドイツ日本の体制が代表的。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

  ・翼賛(よくさん、adoration and support)とは、原意は力を添えて(天子などを)助けること。転じて、民衆が力を揃えて政治権力者を賛美し追従すること。

  ○大政翼賛(たいせいよくさん、support of temporization to political power)とは、形式的には民主主義の外形的形態を取り乍ら、実質的には時の政治権力を翼賛する唯一の御用的な国民統制組織のみを認め、国民が支持したという形を装って独裁を進めること、又はその政治形態。日本では1940年10月、第2次近衛内閣の下で新体制運動の結果結成された大政翼賛会 −政党を解党し、産業報国会・翼賛壮年団・大日本婦人会を統合、部落会・町内会・隣組を末端組織に組み込む− が先例。

  ○ファシズム(fascism, fascismo[伊])とは、ラテン語fasces(古代ローマの儀式用の棒束、転じて団結の意)に由来。
    [1].狭義には、イタリアのファシスト党 −ムッソリーニが戦闘者ファッショ(Fasci di Combattimento)を母胎に1921年に創設、43年迄存続− の運動、並びに同党が権力を握って居た時期の政治的理念及びその体制。
    [2].広義には、[1]と共通の本質を持つ傾向・運動・支配体制。第一次大戦後、多くの資本主義国に出現(イタリア/ドイツ/日本/スペイン/南米諸国/東欧諸国など)。全体主義的或いは権威主義的で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の極度の抑圧、対外的には侵略政策を採ることを特色とし、合理的な思想体系を持たず、専ら感情に訴えて国粋的思想を宣伝する。
   因みに、第二次大戦時、日独伊三国同盟の側に属した諸国を連合国側は枢軸国(the Axis powers)と呼んだ。

  ・一党独裁(いっとうどくさい、one-party rule)とは、単独の政党が国家権力を専断的に行使する統治方式。旧ソ連共産党ナチスなどがその例。

  ○国家社会主義(こっかしゃかいしゅぎ、state socialism, Staatssozialismus[独])とは、社会改良主義の一つの立場。資本主義制度の枠内で資本主義の弊害を国家権力の干渉に依って調整しようとするもの。ドイツのナチズムがその典型例で、これに依って独裁政治を行った。

  ○ナチズム(Nazism[独])とは、ナチ党の政治思想。
   ○ナチ党(―とう、Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei[独])は、国民社会主義ドイツ労働者党ヒトラーを党首としたドイツの政党。第一次大戦後に台頭、1933年政権を掌握独裁政治を断行、反個人主義反共産主義反ユダヤ主義を標榜して国内を再編成。対外的には、ヴェルサイユ体制の破棄を目ざして再軍備を強行、オーストリアを併合して第三帝国を実現したが、39年ポーランドを侵略、第二次大戦を誘発。ユダヤ人大虐殺を行うが、45年ドイツ敗戦と共に崩壊。通称ナチス
   ○ナチ(Nazi[独]は、ドイツで国民社会主義者(Nationalsozialist)の略称。又、ナチ党員。
   ○ナチス(Nazis[独])は、(ナチの複数形)ナチ党の通称。

   ・第三帝国(だいさんていこく、das Dritte Reich[独])とは、ナチス統治下のドイツ(1933〜1945)の称。中世・近世の神聖ローマ帝国を第一帝国(962〜1806)、独仏戦争後のホーエンツォレルン家の君臨した帝国を第二帝国(1871〜1918)とし、それに続く帝国の意。

   ・ヒトラー/ヒットラー(Adolf Hitler)は、ドイツの政治家(1889〜1945)。オーストリアの税関吏の子に生れ、第一次大戦にはドイツ軍の伍長で出征。戦後ドイツ労働者党に入党、党名をナチ党と改めて1921年党首と成る。23年ミュンヘン一揆を企てて入獄。世界恐慌の混乱の中で中間層の支持を得、財界とも手を握って32年ナチ党を第一党とし、翌年首相。共産党その他を弾圧して34年総統と成り独裁権を掌握。以後、対外侵略を強行、39年第二次大戦を引き起こし、降伏直前に自殺。著「わが闘争」


  ○[近・現代に於ける]近代共産主義(きんだいきょうさんしゅぎ、communism)とは、
    [1].私有財産制の否定共有財産制の実現に依って貧富の差を無くそうとする思想・運動。古くはプラトンなどにも見られるが、主としてマルクスエンゲルスに依って体系付けられたものを指す。
    [2].マルクス主義の唱える社会主義社会の究極段階。各人が能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける無階級無搾取の社会。
    [3].改良主義的な社会主義[思想・政党・者]と区別して、マルクス・レーニン主義に則る革命的な社会主義[思想・政党・者]。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

  ○スターリン主義(―しゅぎ、Stalinism)とは、スターリンの思想と実践の総体。又、その具体化として1929〜53年にソ連で形成された独裁体制を指す語。初めトロツキー派が用いた。
   ソ連邦の枠内で社会主義を完成させようと、急激な工業化と農業集団化を推進する為、強圧的に反対派・異論派を排除して党内外の民主主義を圧殺し、人民へのテロル(=恐怖政治である大粛清を行った。又、人民を党が、党を書記長が代表するという論法で、個人崇拝に依る権威主義的な独裁体制を構築した。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

  ○社会主義(しゃかいしゅぎ、socialism)とは、
    [1].生産手段の社会的所有を土台とする社会体制、及びその実現を目指す思想・運動。
    [2].狭義には、資本主義に続いて現れるとされる共産主義社会の第1段階を指す。
    [3].非マルクス主義的社会主義の運動及び思想。マルクス主義の社会主義運動が共産主義運動と呼ばれるのと区別する為、社会民主主義を特にこの名称で呼ぶ。

 ●利己的自由主義的傾向の諸主義について

  ・利己主義(りこしゅぎ、egoism)とは、自己の利害だけを行為の規準とし、社会一般の利害を念頭に置かない考え方。主我主義。自己[中心]主義エゴイズム。←→利他主義。

  ・自己中心性(じこちゅうしんせい、self centeredness)とは、〔心〕乳幼児期の思考様式で、自己の視点を超えて考えることが出来ず、物事を相対化したり客観視したり出来ないこと。ピアジェの用語。


  ○帝国主義(ていこくしゅぎ、imperialism)とは、
    [1].広義には、軍事上・経済上、他国又は後進の民族を征服して大国家を建設しようとする傾向。
    [2].狭義には、19世紀末に始まった資本主義の独占段階。レーニンの規定に拠れば、独占体と金融寡頭制の形成、資本輸出国際カルテルに依る世界の分割、列強に依る領土分割を特徴とする政治的・経済的な侵略主義

  ・世界分割(せかいぶんかつ、world division)とは、19世紀末、資本主義が独占段階に達すると先進諸国と発展の遅れた国との分化が激しく成り、遅れた国々は先進諸国の為の原料生産地域と成る。後進地域はこうして先進資本主義国の植民地として分割される。この様な世界体制と植民地拡張政策を帝国主義と言う。20世紀の前半は帝国主義が世界政治・経済の基調だった。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

  ・カルテル(cartel, Kartell[独])とは、同種もしくは類似の産業部門に属する複数の企業が、相互の独立を維持し乍ら、市場を支配する為に共同行為を行うこと。企業協定を結ぶことも有る。独占禁止法に拠り原則として禁止企業連合


  ○植民地主義(しょくみんちしゅぎ、colonialism)とは、一国の対外政策を植民地の獲得に求める思想。大航海時代〜20世紀前半に列強国の人口爆発や産業革命が起こり、領土拡張や原材料確保などの為に、[帝国主義]列強国に侵略・支配されたが、現地の反植民地闘争・民族解放運動の高まりに因り衰退。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

  ○新植民地主義(しんしょくみんちしゅぎ、neocolonialism)とは、第二次世界大戦後、植民地支配から脱した新興諸国に対して、先進大国が経済援助軍事援助などの手段を通じて経済的・政治的に支配しようとすること。ネオ・コロニアリズム。

  ・植民地(しょくみんち、colony)とは、或る国の海外移住者に依って、経済的に開発された地域。本国 −しばしば帝国主義[列強]と呼ばれる国々− にとって原料供給地・商品市場・資本輸出地・低賃金労働力(その究極は奴隷)の供給地を成し、政治上も主権を有せす宗主国に直接統治される完全な属領。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

  ○覇権主義(はけんしゅぎ、hegemonism)とは、政治的・軍事的・経済的優位を背景に、安全保障軍事基地の世界展開基軸通貨や金融などを通じて、国際社会の覇権(或いは主導権)を掌握し間接的な世界支配を目論むこと。「自国の自由」を最大限に拡張し「他国の自由」を最小限に矮小化する利己的自由主義が表面化した形態で、覇権国間での利益共有と協調を保つ為に国際的システム作りをするのが特徴。覇権主義の思想は「核拡散防止条約」に端的に現れて居る。

  ○一国覇権主義(いっこくはけんしゅぎ、unitarian hegemonism)とは、覇権主義がより進んだ形態。国際協調を無視し、国際的重要課題を最強国一国のみで専断的に取り決め断行し、事実上の世界の覇者として君臨することを推し進める政治思想。古代ローマ帝国のパックス・ロマーナ(Pax Romana) −ローマに依る平和− を手本として、1970年代頃からパックス・アメリカーナ(Pax Americana) −アメリカに依る平和− という思想が台頭した。ネオコン(=新保守主義)の考え方がブッシュJr. 大統領の一国覇権主義を支えて居た。

  ・新保守主義(しんほしゅしゅぎ、neo-conservatism)とは、この場合、ブッシュJr. 大統領の時に興った考え方で、自由や民主主義の価値を広める為には、武力行使も辞さないとする考え方と政策。ネオ・コンサヴァティズム。ネオコン

  ○宗主国(そうしゅこく、suzerain state)とは、従属国に対して宗主権を有する国家。←→属国従属国
   ○宗主権(そうしゅけん、sovereignty)とは、一国が他国の内治・外交を管理する権力。

  ・核拡散防止条約(かくかくさんぼうしじょうやく、Treaty on the Non Proliferation of Nuclear Weapons)/核拡散条約(かくかくさんじょうやく、Nuclear Non-Proliferation Treaty, NPT)とは、1968年米英ソの核保有3か国と非核保有53か国の間で調印され1970年に発効した条約。非核保有国が核兵器を新たに保有することを禁じ核保有国は非核保有国に核兵器を渡すことを禁止するもので、核拡散避止義務を課している。日本は1976年批准。中国・フランスの核保有国は1992年に漸く加盟した。1995年この条約の無期限延長が決定
 非核兵器国には、核兵器製造禁止義務の遵守の検証の為、国際原子力機関(IAEA)に依る全面的保障措置の適用も義務付けられる。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
 補足すると、核拡散防止条約とは核兵器を禁止するものでは無く、列強が独占的に核を保有・管理し、その他大勢は核を持たず列強に従い為さい、という差別的な不平等条約です。


  ○傀儡政権(かいらいせいけん、puppet government)とは、別の或る国の意思の儘に操縦される、形式的にだけ独立した他国の間接統治政権。多くは他国を占領した国が占領地に樹立して、占領軍の直接行政を代行(=間接統治)させる。嘗ての満州国やフランスのペタン政権など。リモート・コントロール政権(リモコン政権)。
   補足すると、現在の日本は典型的なアメリカの傀儡政権

  ○傀儡国家(かいらいこっか、puppet state)とは、傀儡政権に統治される国。

  ○属国/従属国(ぞっこく/じゅうぞくこく、vassal state, dependency)とは、[1].政治的、乃至は経済的に他国の支配に拘束されて居る国。形式上は独立して居るが、実際には他の強国に従属して居る国。
    [2].宗主国の国内法に基づいて外交関係の一部を独立処理し、他の部分は宗主国に依って処理される国家。トルコを宗主国とする独立前のブルガリアの類。←→宗主国

  ○衛星国(えいせいこく、satellite state)とは、大国に地理的に近接し、その支配又は影響を強く受けて居る小国家。第二次大戦後、東ヨーロッパ諸国を旧ソ連の衛星国と称してから用いた語。

  ○無政府主義(むせいふしゅぎ、anarchism)とは、一切の権力や強制を否定して、個人の自由を拘束することの絶対に無い社会を実現しようとする主義。プルードン/バクーニン/クロポトキンはその代表者。アナーキズム

    (以上、出典は主に広辞苑です)
    {この「参考資料」は04年1月22日に追加し04年3月28日に最終更新しました。}

−−− 完 −−−

【脚注】
※1:大脳半球(だいのうはんきゅう、cerebral dominance)は、脳梁を通して、左半球と右半球とが神経連絡をして居るが、それぞれの半球では、次の様な特異的な情報処理を行って居る。左半球では、言語的処理・計算・分析力・演繹力などを、右半球では、パターン認識・イメージ処理・直感力・音楽力・全体的認識力などである。

※2:双曲線(そうきょくせん、hyperbola)とは、円錐曲線(二次曲線)の一。幾何学的には一平面上で2定点F1とF2からの距離の差(F1P−F2P)が一定である様な点Pの軌跡。この2定点を双曲線の焦点と言う。漸近線が存在する。

※3:カリスマ(charisma, kharisma[ギ])とは、(神の賜物の意)
 [1].神賦の魔術的な資質(呪術・予言・叡智など)。
 [2].超人間的・非日常的な資質。英雄・預言者などに見られる。政治家などが教祖的に引き付ける力を言い、教祖的資質を持つ者と、それに帰依する者との結合を、M.ウェーバーカリスマ的支配(=カリスマに対する畏敬の念が被支配者の服従の基礎に成っている支配様式)と呼び、指導者に依る支配類型の一つとした。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※4:マインド・コントロール(mind control)とは、[1].狭義には、催眠法で個人や集団を被暗示性の高い状態に導き、暗示で特異な記憶や思考を生じさせること。
 [2].広義には、強制に依らず個人の思想や行動・感情などを或る特定の方向へ誘導すること、又はその技術。精神統制とも言われ、宗教界などで使われる。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※4−1:洗脳(せんのう、brainwashing)とは、
 [1].新しい思想を集中的繰り返し教え込んで、それ迄の思想を改めさせること。語源は、第二次世界大戦後の一時期、中国側の捕虜に対する思想改造教育を連合軍側で呼んだとされる "brainwashing" の直訳。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 [2].広義には、或る思想や情報を集中的繰り返し発信、又は注入することで思想感化させること。
※4−2:サブリミナル効果(―こうか、subliminal effect)とは、(subliminal は「潜在意識の」の意)意識下に刺激を与えることで表れる効果。テレビやラジオなどに、知覚出来ない程度の速さや音量の広告を繰り返し挿入し、視聴者の購買意欲を増すものなど。広告に於ける宣伝効果で実証され、サブリミナル広告(subliminal advertising)として、テレビ・コマーシャルでは日常的手段。
※4−3:刷り込み(すりこみ、imprinting)とは、[1].〔生〕多くの動物、特に鳥類に於いて最も顕著に認められる学習の一形態ローレンツが最初に記載。生後間も無い特定期間内に目にした動物や物体が雛に固定的に認識され、以後それを見ると機械的に反応する。刻印付け。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」、一部「Microsoft エンカルタ総合大百科」より>
 [2].転じて一般用語として、特定の物事が短期間で覚え込まれ、その影響で以後の思考や行動が長期間に亘り規制される場合にも使う。洗脳と同様の作用を及ぼす。「―効果」。

※5:オタクとは、パソコンやファミコン、ビデオ、アニメなど一つの事にのめり込み、その世界の中に自分自身を全て投入して仕舞う人間。自分が入り込んだ世界から外部を眺めると全て客体化されて居る為に、友達に対しても「お宅は...」としか表現することが出来ない。その世界に於いて全ての事を知ろうとする知識欲には凄いものが有るが、それ以外に関しては殆ど無関心である。コラムニストの中森明夫1984年に彼のコラムの中で名付けたものだが、一般的に成ったのは89年の連続幼女殺害事件の容疑者がアニメの中にのめり込んで居たことから言われる様に成った。おたく(お宅)。<出典:「最新日本語活用事典」>

※6:フェチとは、フェティシズム(fetishism)又はフェティシスト(fetishist)の略。呪物崇拝・物神崇拝・拝物的性愛や、その人。一般に特定の「物」に異常な愛着を示すこと。又、特定の「物」に取り憑かれて居る人
※6−1:フェティシズム(fetishism)とは、[1].呪具・呪符・護符などの呪物崇拝。
 [2].性的倒錯の一種。異性の衣類・装身具などに対して、異常に愛着を示すこと。
 [3].物神崇拝。偶像崇拝。
 [4].マルキシズムでは、資本主義社会に於いて貨幣の価値が人間を奴隷にする様な状態(=拝金主義)のこと。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>

※7:アイドル(idol)とは、
 [1].偶像。崇拝される人や物。イドラ。
 [2].[a].憧憬の対象者。人気者。浮雲「此方はその―の顔が視度いばかりで」。
   [b].特に、青少年の支持する若手タレント。「―歌手」。

※8:大衆(たいしゅう)とは、[1].crowd of people。多数の人々。多衆。
 [2].populace。高度な身分・財産の保有とは縁遠い生活者の集合。民衆。庶民。
 [3].mass of people, masses。社会学で、属性や背景を異にする多数の人々から成る未組織の集合的存在マス。←→エリート。
 [4].(「だいす、だいしゅ」と読み)〔仏〕多数の僧侶。
<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※8−1:エリート(elite)とは、選り抜きの人々。社会や組織の指導的地位に在る階層・人々。選良。「―意識」。←→大衆。

※9:公共の福祉(こうきょうのふくし、public welfare)とは、社会構成員全体の共通の利益。社会に於いて互いに矛盾する個々の利益を公平に調整するもので、個人の基本的人権との調和が問題にされる。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※9−1:基本的人権(きほんてきじんけん、fundamental human rights)とは、人間が生れ乍らに有して居る権利。「人は生れ乍らにして自由且つ平等である」という主張に表現されて居り、アメリカの独立宣言フランスの人権宣言に拠り国家の基本原理として確立。日本国憲法は平等権、自由権的基本権(人身の自由/精神の自由/経済の自由)、社会権的基本権の他、基本的人権を現実に確保する参政権などについて規定。

※10:群集心理(ぐんしゅうしんり、crowd mind)とは、多人数が1箇所に密集したり群集の状態に置かれた時に人々が示す特殊な心的状態。暗示され易く衝動的な言動をする傾向が有る。
※10−1:群集(ぐんしゅう、crowd)とは、〔心〕多数の人間が一時的・非組織的に作った集団で、共通の関心を惹く対象に向かって類似の仕方で反応する(←群集心理の作用)が、一般には浮動的で無統制な集まり
※10−2:付和雷同/附和雷同(ふわらいどう、following others blindly)とは、自分に一定の見識が無く、唯他の説に理由も無く賛成すること。「多数派に―する」。
※10−3:烏合の衆(うごうのしゅう、disorderly crowd)とは、[後漢書耿合伝](烏(からす)の集まりの様に)規律も統制も無い群衆、又は軍勢。

※11:スケープゴート(scapegoat)とは、(元意は「贖罪の山羊」で、古代ユダヤで贖罪の日に人の罪を負わせ荒野に放したヤギを指す)他人の罪を負わされる人。民衆の不平や憎悪を他に逸らす為の身代り・犠牲。社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が排除や抑圧の対象に選ばれる。
※11−1:免罪符(めんざいふ、indulgence)とは、[1].贖宥状に同じ。
 [2].転じて、広く罪責を免れる為のもの
※11−2:贖宥(しょくゆう、indulgence)とは、〔宗〕ローマカトリック教会で、罪の償いを免除すること。その証書を贖宥状と言い、免罪符と通称した。免償。

※12:カタストロフィー(catastrophe)とは、[1].破局、突然の大変動や激変のこと。カタストロフ。
 [2].〔数〕カタストロフィー理論/破局理論(catastrophe theory)。自然現象、社会事象にはカタストロフィーが多い。例えば、地震、雷、雪崩、昆虫・魚などの異常発生、或いはデマなどの混乱、熱愛して居る男女の突如の別れ、などなど実に数々在る。フランスの生物学者でもあり数学の1958年フィールズ賞受賞者のルネ・トムが、カエルの卵の胚の変化から、この問題に挑戦した。ルネ・トムは、全てのカタストロフィーを7つのタイプに分け、これをそれぞれ図に表し、この図で突然現象の説明をした。現代幾何学であるトポロジーの一分野
 その応用範囲は凡そ
  自然界 ―― 地震、火山の爆発、稲妻、雪崩、津波、宇宙のビッグバン
         などの発生原因や予測
  生物界 ―― 動植物などの異常発生、動物の集団暴走などの分析
  人間界 ―― 戦争勃発、株の暴騰・暴落、デモ集団の騒乱、
         友人や男女間の突如の亀裂や別離、又、突然死などの探究
の様な領域に亘る。<出典:「現代用語の基礎知識(1999年版)」>
※12−1:地滑り的(じすべりてき、like landslide)とは、(地滑りの様に)一旦起きて仕舞ったら防ぎ得ない様を指し、カタストロフィー的過程の比喩にも使う。
※12−2:雪達磨式(ゆきだるましき、snowballed)とは、(雪達磨を作る時、雪の塊を転がすと雪が付着して見る見る大きく成る様に)次から次へと目に見えて増えて行く様を指し、主に悪い事態が自ずと拡大して行く様子を表す。「借金が―に増える」。

※13:メディア(media)とは、(medium の複数形)媒体。手段。特に、コミュニケーションの手段としての文字・映像や、それを運ぶ電波・印刷物など。又、マス・コミュニケーションの媒体。「広告の―」「マス―」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
※13−1:マスメディア(mass media)とは、マス・コミュニケーションの媒体。新聞・出版・放送・映画など。大衆媒体。大量伝達手段。
※13−2:マスコミとは、マス・コミュニケーションの略。
※13−3:マス・コミュニケーション(mass communication)とは、新聞・雑誌・ラジオ・テレビ・映画などの大衆的媒体(=マスメディア)を通じて行われる大衆への大量な情報伝達。大衆伝達。大衆通報。マスコミ
※13−4:情報操作(じょうほうそうさ、information control)とは、情報の内容や公表方法を操作することに依り、世論を一定方向に導くこと。
※13−5:捏造(でつぞう/ねつぞう、fabrication, made-up story)とは、(本来はデツゾウ)事実で無い事を事実の様に作り上げること。でっち上げ。「証拠を―する」「―記事」。

※14:非国民(ひこくみん、unpatriotic person)とは、国民としての義務を守らない者、国家を裏切る様な行為をする者。国家意思の遂行に協力しない者。特に第二次世界大戦中の日本で、戦争体制に協力しないと見做された者に対する非難の語として用いられた。「―呼ばわり」。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>

※15:「レッテルを貼る」とは、(レッテル(letter[蘭])は、商標、ラベル)一方的に或る評価・判断を下すこと。「反逆者の―」。

※16:作用反作用の法則(さようはんさようのほうそく、law of action and reaction)とは、[1].ニュートンの「運動の法則」(law of motion)の第3法則「作用反作用の法則」と呼ぶ。即ち、物体Aが物体Bに力を及ぼす(=作用)と、必ず物体Bは物体Aに力を及ぼし(=反作用)、この2つの力は大きさが等しく向きが反対である。「作用有れば反作用有り」
 [2].〔生〕生物が生活の結果として環境に影響を与え、これを変化させること。例えば植物群落の遷移と共に光・温度・湿度などの群落内の環境は変化して行く。環境形成作用
<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>

※17:権化(ごんげ)とは、[1].神仏が衆生済度(さいど)の為、権(かり)に姿を変えてこの世に現れること。又、その権の姿。権現。今昔物語集13「世の人、聖人を―の者とぞ言ひける」←→実化(じっけ)。
 [2].或る抽象的特質を具体化、又は類型化したもの。化身。「悪の―」。

※18:プロパガンダ(propaganda)とは、宣伝。特に、主義・思想の政治宣伝

※19:リンチ(lynch)とは、(アメリカの判事 W.Lynch(1742〜1820)の名に由来)法に拠らない私的制裁私刑

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『右脳人間学』(藤井康男著、福武文庫)。

△2:『メディア・レイプ』(ウィルソン・ブライアン・キイ著、鈴木晶・入江良平訳、リブロポート発行)。

△3:『情報操作のトリック その歴史と方法』(川上和久著、講談社現代新書)。

●関連リンク
補遺ページ(Supplement):大衆とメディア▼
理性と感性の数学的考察|補遺(Mathematics of Reason and Sense, SUP.)
補完ページ(Complementary):利己的自由主義の拡張への警告▼
2004年・年頭所感−業を宿したDNA
(Sinful structure of DNA, 2004 beginning)

補完ページ(Complementary):「大衆の自己責任」という考え方▼
日本人の自己責任意識を問う
(Self-responsibility consideration of Japanese)

マスメディアと大衆の盲目化の例▼
(オタク批判も展開)
旧石器発掘捏造はマスコミ犯罪だ
(Mass media led the paleolith fabrication)

テレビの見過ぎは要注意▼
東京が雪で大変?、じゃ札幌はどないするねん!
(Snow in Tokyo and Sapporo)

おちゃらけ「大衆の自己責任論」▼
アメリッポン、ちゃちゃちゃ!(Amerippon clapping)
健康オタク批判▼
私の健康論−不摂生は健康の母(My healthy life)
「自由」をカリスマ化した一国覇権主義の典型例▼
狩猟民族国家アメリカの本性(United States of Hunting people, America)
日本の被植民地型経済や傀儡性について▼
デフレ論議に疑問を呈す(Is our DEFLATION true ?)
「核拡散防止条約」の不平等性や衆愚政治について▼
片手落ちの綺麗事を払拭せよ!(Sweep away unbalanced virtue !)
日常的にマスメディアが”結論誘導者”に成る実例▼
スポーツ解体チン書(Anatomical talking about sports)
当サイトの似非中国語のコンセプト▼
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